只今、東電管内の原発はすべ停止中。東電管内では原発由来の電力は流されていないということだ。停電にもならず、日常に変化はありません。
震災後の「計画節電」は何だったのでしょう。もし節電をするなら、今こそが「そのとき」なのではないだろうか。それなのに、政府も何も言わないし、東電も何も言わない。
でも、「だから、いいのだ」ではないと思う。「計画停電」の実施期間が終わり、夏の需要期も何とか乗り切れた。一方で、東電は企業向けの電気料金を、いずれ私たちの電気料金も値上げするつもりだが、私たちが震災後に節電に励んだように、もっと小さな暮らしを選択すれば、値上げの必要もなくなるだろうし、原発に依存しない社会をきっと実現できるのではないかと思う。
ドナルド・キーン氏が帰化し、日本に再び戻って来た時に言った言葉は重く私の胸に響いた。あれだけの大震災を経験し、日本人は電気を必要以上に使っていることを自覚したのではなかったか。それなのに、震災から時間が経つにつれ、それを忘れ、相変わらず深夜も煌々と都市に灯が灯り、明るく便利な生活に逆戻り。そのことにキーン氏は「がっかりした」と言っていた。
エスカレーターが一基停まっていても、駅構内が多少暗くても、コンビニの数が減っても、生きていけるのに。
政治家や官僚に操られている世の中だとしても、生き方を選択するのは私たちだもの。すべて国民、消費者である私たちにかかっているのだもの。