小さな栗の木の下で

保護犬のミニチュア・ダックスを引き取り、
小型犬との暮らしは初めて!という生活の中で、感じたことを徒然に…。

今日は太極拳の日でした

2014-05-16 | 健康・整体
 アベシンゾーさんの発言は、ノンフィクション作家の保坂正康さんが言うように「反論できない言葉が先行し、前提条件と結論がつながっていない」と私も思う。言葉だけで国民にそう思わせようとする「情念的感情的」手法なのだ。

 おお~、イヤだ、イヤだ。

 と思いながら、それを振り払うかのように、今朝は太極拳教室へ。

 型の練習を始める前に、当然ストレッチをするのだけど、男性陣4人はからだが硬いのか、隣のほうから「ウウッー」とか「あああ」とか呻き声が聞こえてきて、時々吹き出しそうになる。笑っている場合ではなく、私ももう少し股関節を柔らかくしないといけないのだけど……。

 でも私、やっぱり太極拳が好きだなあと思った。太極拳は武術でもあるので、ゆるやかな演舞の中にも強さの表現があり、陰陽を体感できる気がする。先生が流れるように動きながら、要所要所でピシッピシッと型を決めるとほれぼれする。

 集中して練習した後は「大地としっかりつながっています」という立ち方ができる。からだの軸を確認できる。その感覚がすごくいい。


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『野の花ホスピスだより』

2014-05-16 | 
 昨日のグリーフケア講座の講師は、福島県飯館村の菅野村長だった。
 
 村長のお話を聞いていて、放射能に汚染された村の再建や、放射能被害によって家族のこころが分断された悲劇に直面している当事者の方に対して、原発事故を忘れたかのように、深夜も煌煌と明かりが照らされている都市部に住んでいる私は、何も言えないなと思った。

 先週の講師は、鳥取県にあるホスピス「野の花診療所」の院長、徳永進先生だった。爆笑を誘ったり、しんみりさせたり、お話がお上手で、聞き入ってしまった。

 なかでも「アンラーン(un-learn)」という言葉にまつわるお話がよかった。
 哲学者の鶴見俊輔さんがアメリカ留学中に、ヘレン・ケラーからこの言葉を聞いて、「学びほぐす」と訳したのだそうだ。「学びほぐす」だなんて、なんと素晴らしい訳だろうか!

 千恵ちゃんにその話をしたら、鶴見さんは後藤新平のお孫さんだと教えてくれた。
 後藤新平は、関東大震災で壊滅的な被害を受けた東京を復興に導いた政治家で、氏の復興計画は今でも高く評価されているそうだ。確か昭和通りを作ったのも、後藤新平だったんじゃないかな。

 で、千恵ちゃんがかつて『思想の科学』にエッセイを連載していた時に、編集委員だった鶴見さんが、千恵ちゃんのエッセイを読んで、温かい言葉をくださったこともあったとか。

 そんなことを聞き、ぽろんぽろんと関わりのつぼみがほころぶようで、うれしかった。

 徳永先生は、私たちは常に「アンラーン」していかなくてはいけない、人生で「学びきる」「学び終える」ということはないとおっしゃった。そして、臨床の現場にはいつのときも「編み直すこと」が求められるとも話していた。

 それまで着ていた、身体になじんだセーターをほどいて、編み直していく感じ。つまり、その時々に合った、変化に合わせた対応が必要だということ。

 人との関係にしても、私たちは常に「編み直し」ながら生きていかなくてはいけないのよね。

 徳永先生の講義に圧倒され、そのお人柄に魅了された私は、さっそく先生の数ある著書の中の1冊である『野の花ホスピスだより』を読んだ。 

新潮文庫(460円+税)

 とても味のある文章が綴られており、最後のオチが笑えたり、考えさせられたり……。臨床の現場からの数々の便り、事実は小説より奇なりと言うか、死と向き合う場面は重く響くけれど、人間って素晴らしいとも思える。泣かせる、泣かせる、電車内で読んでいて、困った。

 こころの深~い、深~いところで、末期の患者さんたちとつながり合い、いのちというものに真摯に向き合っていることがよく分かる。すごい方だなあと思った。

 徳永先生にお会いできて、本当によかった。グリーフケア講座を受けるきっかけを作ってくれた方にも、グリーフと向き合う機会を与えてくれた犬たちにも、こころから感謝。

 私、緩和ケアが必要になったら、徳永先生に看取ってほしいなあ。
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