小さな栗の木の下で

保護犬のミニチュア・ダックスを引き取り、
小型犬との暮らしは初めて!という生活の中で、感じたことを徒然に…。

『帆翔』52号掲載詩「紙飛行機」

2014-05-19 | 
 同業者の友人からヘルプ要請があり、明日から猛烈に追い込みをかけなければならない仕事を手伝うことになったので、今日のうちにいくつもブログを更新。
 といっても、すぐに気分転換したくなって、何か書き込むのでしょうけど。

 予定よりかなり遅れて発行された『帆翔』52号。編集長の岩井さんは御年86歳、少し息切れ気味のようで心配しているのだけど、まだ発行し続ける気持ちは持っておられるようで「次の締め切りは7月末ね」とのお達しが。岩井さんが「続ける」とおっしゃっているうちは着いて参ります。



  紙飛行機

  紙飛行機を折ってみる
  まっすぐ線を引くように
  指先にわずかな力をこめて
  ていねいに折ってゆく

  先は尖らせなくていい
  今日という時のなかで
  確かにゆるりと舞えばいい

  風をじょうずにいただくように
  静かに空へと手放すと
  やがて夕陽に吸い込まれ
  希望のように輝いた

  紙飛行機を折ってみた
  見えない操縦桿を
  握るのはわたし
  生まれたての気持ちで
  あしたをつかむ風に乗りたい

 この詩は、確か昨年の10月に書いたものなのだけど、どんな気持ちで書いたか、あまりよく覚えていなくて、掲載しておいてなんだけど、ずいぶんつまらない詩だなあと、今、読んで思った……(苦笑)。
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怖すぎる寝顔

2014-05-19 | 犬&猫との暮らし
 ひ、ひどい……。なぜ、こんな、見ているほうが肩が凝りそうな寝方をするかね。しかも、何の生き物か分からないような不気味な表情で……。


 
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カヤ、トイレ後のおやつ待ち

2014-05-19 | 犬&猫との暮らし
 カヤがトイレの場所を覚え始めた頃、上手にできたことを盛大にほめながら、ご褒美におやつをあげていた。

 おやつをあげる場所はたいていトイレのある部屋を出てすぐ横にあるダイニングボードの前。ダイニングボードの上段にカヤのおやつが置いてあるので、そこであげることになるのだ。カヤはその習慣を覚えたらしく、トイレをして戻ってくると、その辺りでおやつを待っているようになった。


トイレのある部屋のほうを向いて「あたし、オシッコして来たんだけどなあ」とアピール中のカヤ

 私が仕事をしている時も、トイレをした後、しばらくその辺で待っているようで、仕事部屋にカヤがいないことに気づいて見に行くと、ダイニングボードの前でじっとしていることがある。


「おやつ、くれないのかなあ~」。おやつ待ちのカヤ

 おそらくカヤの中で、決まった場所で排泄することがおやつをもらえることに結び付いた、と考えていいのではないかと思う。

 繁殖場にいた頃、カヤはほめられたことがあっただろうか。最初は「よくできたね、いい子だね」とほめてやっても、意味が分からないようだった。ほめられるということ自体、どういうことか分からなかったのだと思う。

 なのに「あっ、こら、ダメ」と叱る少し強い口調には、反応する。まあ、うちで「あっ、こら、ダメ」が出るのは、ボッチのウンチに突進しようとした時とゴミ袋に顔を突っ込もうとした時くらいなのだけど、「いい子だねえ」に比べたら「こら、ダメ」にははるかに素早く反応し、しかも他の犬たちと同じように「あっ、しまった」という態度を取る。繁殖場では怒られることはあっても、ほめられたことはなかったのだろうな。

 たくさんほめてあげたいし、たくさん声をかけてあげたい。カヤが今ここに「存在する」ということが、どれほど意味があることか、それを感じられるような暮らしをさせてあげたいのだけど、目が見えないと行動が限られてしまうので、声がけもどうしても単調になってしまう。もっと遊びの要素を盛り込みながら、行動に伴う言葉を覚えさせようかな。
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庭の紫系の花

2014-05-19 | 植物
 私の小さな庭では、「咲き乱れ」とまでは形容できないつつましさながら、何種類もの植物が花をつけ、この時期は犬たちの祭壇に飾る切り花に事欠かない。

 植物は、好環境を求めて移動できる動物たちと違い、どんなに過酷な環境であっても、大地に根差していのちを営み続ける。植物の持つ適応能力と生命力は計りしれないといつも思う。

 世話の行き届かない私の庭でも、季節が巡れば芽吹き、蕾をつけ、花を咲かせてくれる。アロマテラピーやフラワーレメディとして使わなくても、触れたり、眺めているだけでこころの治癒力が高まる気がする。

 何年か前にいただいたジャーマンアイリスは鉢植えでは力なく、開花したところをみたことがなかったのに、地植えに変えたら今年は見事な花を付けた。こんな色だったんだ~。


 放りっぱなしで茎ばかりがひょろひょろと伸びているアルストロメリアは、切り花にはもってこい。手をかけてあげてないのに株を増やし、長い期間楽しませてくれる。


 紫蘭は、実家のお隣のおじちゃんの形見。子どものころ、ずいぶん私を可愛がってくれたおじちゃんが、丹精していた鉢を1つ分けてもらったのだ。


 山アジサイの美方八重が早々と蕾をつけた。小さな青紫色の星が瞬いているみたいで、アジサイの中でも好きな品種。


 そうえいば、もう1種類あるアジサイ墨田の花火も、どちらかというと、こんもりと花房をつけるタイプのアジサイではない。小さな白い花がぱっと四方に広がり、その名の通り花火のように見える。でも、名前ほど派手ではなく、可憐なアジサイだ。墨田の花火が咲くのは梅雨に入ってからかな。
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