小さな栗の木の下で

保護犬のミニチュア・ダックスを引き取り、
小型犬との暮らしは初めて!という生活の中で、感じたことを徒然に…。

カヤの右眼球、萎縮

2014-05-10 | 犬&猫との暮らし
 カヤは両目ともあまりに眼圧が高く、すでに視力を失っていたことから、昨年、両目とも硝子体内にゲンタマイシンを注入して毛様体を破壊し、眼圧を低下させた。

 術後は、抗炎症作用のある非ステロイド系の点眼薬を1日2回さし続けているのだが、ゲンタマイシン注入術を施した際、先生から「このまま眼球を維持できるかもしれませんが、眼球瘻(がんきゅうろう)になる可能性もあります」と言われていた。

 眼球瘻とは、眼球がしぼんでしまうことなのだけど、たとえ眼球が萎縮してしまって、見た目が麗しくなくても、それがカヤに不快感や痛みを与えるものでなければ、仕方ないと思っていた。

 先月あたりから、どうもカヤの右目が萎縮し始めたように見えた。明らかに左目より小さくなったように思う。右目の瞼の上を触っても、左目ほど眼球の張りを感じない。

 このまま萎縮し続けると、眼球はどうなってしまうのだろうか。ただの肉の塊になってしまうのだろうか。不思議だなあ。

眼球瘻も厭わず、ピヨちゃん人形を隠そうと必死に布団を掘る(?)カヤ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中輪のバラ「浪漫」

2014-05-06 | 植物
 長年、私の目を楽しませてくれていたつるバラ「カクテル」がうどんこ病に罹り、おまけに植え替えに失敗して、ダメになってしまった。同時に植え替えをした「メヌエット」は新芽を芽吹かせ、花を付け始めたのに……。

 もう一品種くらいバラが欲しいなあと思っていたところ、園芸店で目に留まったのが、美しい浅緋(あさあけ)の蕾をつけた中輪のバラだった。開花するにつれて、花弁の色が浅緋より淡くなり、朱鷺色に変化する。


 茎に付けられた名札から、そのバラが「浪漫」という品種だと知った。しっとりと落ち着いた色合いに惹かれ、しばらく見入っていた。

 あ~あ、車の窓ガラス代の出費が痛かったし、今月は自動車税の支払いもあるからなあとあれこれ悩んだ挙句、バラを買うことで我慢するものを探し出し、レジに並んだのであった。

 帰ってから「浪漫」を調べると、2006年に京成バラ園芸で作出された四季咲中輪バラで、「和と洋が絶妙に調和した大正ロマンのイメージです」と書かれていた。なるほど大正ロマンか。確かに、どこか郷愁を誘う佇まいだものね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

EBISUマルシェへ

2014-05-06 | つぶやき
 いつもお米とじゃがいもを取り寄せている長崎の生産者さんが5月4日に、恵比寿ガーデンプレイスの広場で開催するEBISUマルシェに出店するというので、出かけて行った。


 ここ数年、お米とじゃがいもはこの生産者さん、「ぽてと倶楽部」さんが栽培しているものしか、自分では買っていない。お米はコシヒカリにも負けない食味の「にこまる」、じゃがいもは「デジマ」だ。
 味がいいことはもちろんだが、栽培履歴もきちんと添えてくれるし、生産者さんの誠意が伝わる。トレサがしっかりしているので、安心して食べられる。

 スーパーで売っているじゃがいものほとんどが、北海道産だ。何しろじゃがいもの生産量では、北海道が国内一を誇るからね。でも、北海道に次いで生産量が多いのは長崎である。江戸時代初期にオランダ人によって持ち込まれて以来、長崎におけるじゃがいも栽培の歴史は長いわけです。

 ぽてと倶楽部さんのブログ http://blog.goo.ne.jp/atcchin

ぽてと倶楽部さんの圃場
 
ハート型のデジマ(ぽてと倶楽部さん撮影)

 私は長崎産の「デジマ」という品種を食べて、あまりにも味がしっかりしていて、もちもちとした食感と何の料理にも合う食味にびっくりしてしまった。
 それからというもの、ぽてと倶楽部さんで年2回、5月と12月に収穫されるのを待って注文し、旬の「デジマ」を楽しみ、「デジマ」が無くなると、じゃがいもを使う料理は作らず、我慢しているくらいなのだ。

 ちょうど今、ぽてと倶楽部さんでは、春作「新じゃが」の予約受付をしている最中なので、注文書を持参した。5月下旬以降に届くのを楽しみに待っている。

 4日のEBISUマルシェには「にこまる」しか並ばなかったけれど、「にこまる」も程良い粘り気とツヤがあって、大変美味しいお米です。収穫年度に取り寄せて、大事に食べている。

 久しぶりに恵比寿に行ってみたら、まあ「おされ」になっていて、これにもびっくり。ガーデンプレイス内に犬連れの人が多かったのにも驚いた。


 犬を連れて歩ける場所が増えたことは、いいことであるなあと思いながら、羨ましく眺めた。広場はとても開放的で、至る所にベンチが設置されており、時間がゆったりと流れていた。

 時間がゆったりと流れているなあと感じられる場所や、そう思える気持ちの余裕って大事だなと思った。忙しく振る舞っていることと、本当に忙しいのとは違うからね。


私の好きなピーターラビットの居場所を再現した庭がしつらえてあったりして…。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太極拳教室

2014-05-02 | 健康・整体
 先週、アクシデントのせいで行けなかった太極拳教室に、今日は行くことができた。二十四式太極拳講習は、市のスポーツ施設で募集していた教室のひとつで、市が主催しているだけに、講習料が比較的安いのが魅力だった。

 太極拳は、無極・太極・陰陽説などの中国の古典哲学思想を基礎に、中医学や養生理論を取り入れて、体系化された中国拳法のひとつだ。陳式、楊式、呉式など、いくつかの流派があるのだけど、二十四式は、一般に普及しやすいように構成された簡化型太極拳である。

 気を集めるように球を描きながら、ゆったりとした動作の中に、攻撃や防御の型が含まれている太極拳は、護身術としても修得されている一方、気のパワーを高め、心身のバランスの維持や改善のための健康法として、広く愛好されている。

 昔、昔、中国に1年間留学していた時に、体育の授業で二十四式太極拳を習い、自分に合っているなと思って好きになり、熱心に習得に励んだのだった。老師も目をかけてくれ、青年拳も教えてくれ(忘れてしまったけれど)、課外授業として省の武術大会に連れて行ってくれたりした。

 10年以上前にも一度教室に通ったことがある。その時は腰を痛めて挫折したのだけど、気功同様、連続してやりたいなあと思っていたのだ。

 10年以上経つとはいえ、体が覚えているはずだから、すぐに思い出すだろうと思っていた。なのに、かなりの部分を忘れていた。ガ~ン。

 受講生は、私より年配のオジサマ方4人とやはり年配の女性1人、私を入れてたった6人の少数クラス。ほかの方たちはずっと太極拳をやっていたらしく、型を全部覚えていて、私1人、ごにゃごにゃしてしまった。

 型はうる覚えながら、呼吸に集中して気を集め、ゆっくりと手足を動かすと、それだけでみるみる汗をかき、終了後、ものすごくスッキリした。昨日の講義と合わせて、こころもからだもデトックスという感じだった。

 次週に向けて、DVDを見ながら、ちょっと復習しておかないと置いてかれちゃう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春期グリーフケア公開講座

2014-05-02 | つぶやき
 窓ガラスが壊された私のクルマは修理を終え、当初の予定より早く戻ってきた。クルマと引き換えに、福沢諭吉さんが連なって出て行ってしまった。痛タタタ……。

 懐も痛タタタなのに、自分はどんなに欠落した部分の多い人間かという自覚が、ボディブローのように効いてくる出来事があって、先週から答えの出ない悲嘆にくれていた。

 そんな私に、何か示唆するような形で、昨日から上智大学グリーフケア研究所主催の春期グリーフケア公開講座「悲嘆について学ぶ」が始まった。

 上智大学特任教授で、グリーフケア研究所特任所長の高木慶子さんの著書と出会い、この公開講座を知った。締め切り間際に滑り込みで申し込み、全10回の講義の昨日が初日。
 18時30分からの講義に間に合うように、上智大学四谷キャンパスへ。しばらく忘れていた大学構内の華やいだ雰囲気に、昂揚感を覚えながら教室に入ったのだった。

 第1回目の講師はその高木慶子さん。講義は先日読んだ『悲しんでいい』に書かれているような内容だったけれど、高木さんは「人生のほとんどが、何らかの喪失体験の連続ではないでしょうか。思い通りにならないと思うこと、これも喪失体験です。グリーフケアとは最終的に自分の不完全さ、人間の不完全さに気付くことです。けれど自分だけではない、すべての人が等しく不完全です」と語られた。

 自分が完全だなんてこれっぽっちも思っていないけれど、あまりに不出来な人間だと落ち込んでいたので、高木先生の講義を聞いて「そっか……、人間は、みんな不完全なんだ。不完全でも仕方ないんだ」と思え、まさに悲嘆を鎮めてもらった感じでした。

 次回のテーマは「在宅ホスピスと悲嘆」、講師は野の花診療所の徳永進院長だ。3回目には、全村民避難地区である福島県飯舘村の菅野典雄村長が講師を務める。愛する人たちを失うということだけでなく、住まい、仕事を含め、それらが存在していた故郷を失うということも、大きな喪失体験だもの。菅野村長は、どんな思いで村民の悲嘆と向き合っているのでしょう……。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする