奥羽本線を(ちょこっと)歩く旅 (4)
後三年駅―横手駅 JR営業キロ6.4Km 2021年7月4日(日)
時刻はちょうど12時だ。
この駅で食事休憩としよう。
ディパックの中にはペットボトルの水2本と缶コーヒー、そして昨日のうちに買っておいたパンが入っている。
あいも変わらず特価処分品を買ってしまう貧乏性のわたしである。
食べていると観光客らしき人が入ってきてパネルを見てからパンフレットを持って行った。
歴史好きの人なんだろうなあ、と思っていると、、、さらにもうひとり現われた。
停まった電車からは中年の女性がハイキング姿で降りてきた。
歴史のある土地ということで訪れる人がけっこういるんだろうな。
だが駅前は商店もなく静かなものである。
「黒銀タクシー」という会社。「黒銀」という名がなんともかっこよいではないか。
食事が終わったら歩き出す。
この駅もゴミ箱を置いていないので空容器はディパックにしまう。
歩いていくと「学校道」というバス停があった。
いまは「通学路」と言っているがわたしの子供頃はこのような言い方をしたものだった。
言葉というものは10年も経つとけっこう変わっているものなので表現も意味もがらりと変わることがあるからなあ。
さらにいくと、「ここから運賃が変わります。 羽後交通」のポールが立っていた。
そばの倉庫らしい建物の壁にはバスの時刻表が貼ってあった。
どうやらこれはバス停の標識だったのだが、上の部分が取れてしまったものようだ。
柱の部分だけが残ったんだなぁ。
横手北中学校の脇を通る。
真新しい校舎に広い校庭、横手市は財政が豊かなのかしら。
横手市街へと入っていく。
時刻は午後1時半だ。
まだもう少し歩けるぞ、そうだ横手城へ行ってみよう。
城下町の狭い道を進んでいくと正面に小高い丘が見えてきた。
急な坂道をゆっくりと登っていく。
左手に横手城南高校があった。これも真新しい校舎である。
ブラスバンド部の練習をしているのだろうトランペットなどの音が聞こえる。
ふうふう息を切らせて天守閣に到着。
ここはかなり以前に来たことがある。
1997年にSLの運行があって大曲、横手へビデオカメラを持って撮影に来た時に寄ったはずだ。
北海道でSL最後の運行があると出かけていくなど当時からSLは好きだった。
乗っていると煙で窓は開けられないし、スピードは出ないしと快適とは言えないSL列車だが写真栄えがするんだよね。
お城を背景に記念の写真も撮る。
さっきまでどんよりとした曇り空だったがとうとう雨が降ってきた。
ちかくのレストハウスで雨宿りする。
さいわいすぐに小降りになったので城跡の公園を見て回る。
横手市内が一望できてとて眺めは抜群だ。
白の東側には牛沼という沼があって何人もの釣り人が糸を垂らしていた。
とても風情のあるよい公園である。
さて駅へと行こう。
歩いていくとなんだか見たことのある形の建物があった。
お寺なのだが、、はてこの形は、、、
【↑ 東京築地の本願寺】
数年前に行ったことのある東京の築地にある本願寺の形だった、ここは本願寺派の光専寺という寺院だったのだ。
さらにいくと「馬口労町」というところがあった。
馬喰(ばくろう)は馬の仲買商人とのことだがわたしの子供のころの田舎町にもいたものである。
あのころは「ばくろう」という言葉は「ならず者」と同じ意味だったように思う。
町には馬の競りが行われた馬検場もあったし、その馬検場前の広場では「ばん馬競争」も行われていた。
馬が大きなソリに荷物を載せ坂道を走る姿はかなりの迫力だったものだ。
午後2時20分に横手駅に到着。
今日はスマートウォッチのGPS機能を使って歩いた距離を測っている。
距離は25.6キロメートルになっていた。横手城へ立ち寄ったので5キロほど遠回りとなったのだ。
駅の中は日曜日だから学生の姿もなく駅の中は静かだった。
新型コロナで人との接触はできるだけ避けるようにしているが今日は誰とも会話せずにここまで来た。
きっぷも自販機で買ったので感染のリスクは無いと言えるだろう。
ああ、それにしても会話することも一緒に食事することもままならないという恐ろしい世の中になってしまったものだなあ。
今年いっぱいはこの状態が続くんだろうな、はたして来年は以前の生活に戻れるのだろうか。
午後3時3分発の列車で大曲駅まで戻る。
帰り道の楽しみは温泉である。
秋田方面へ来たら必ずといってよいほど寄るのが田沢湖にほど近い水沢温泉である。
ゆったりと湯につかり疲れを癒してから帰宅したのだった。
後三年駅―横手駅 JR営業キロ6.4Km 2021年7月4日(日)
時刻はちょうど12時だ。
この駅で食事休憩としよう。
ディパックの中にはペットボトルの水2本と缶コーヒー、そして昨日のうちに買っておいたパンが入っている。
あいも変わらず特価処分品を買ってしまう貧乏性のわたしである。
食べていると観光客らしき人が入ってきてパネルを見てからパンフレットを持って行った。
歴史好きの人なんだろうなあ、と思っていると、、、さらにもうひとり現われた。
停まった電車からは中年の女性がハイキング姿で降りてきた。
歴史のある土地ということで訪れる人がけっこういるんだろうな。
だが駅前は商店もなく静かなものである。
「黒銀タクシー」という会社。「黒銀」という名がなんともかっこよいではないか。
食事が終わったら歩き出す。
この駅もゴミ箱を置いていないので空容器はディパックにしまう。
歩いていくと「学校道」というバス停があった。
いまは「通学路」と言っているがわたしの子供頃はこのような言い方をしたものだった。
言葉というものは10年も経つとけっこう変わっているものなので表現も意味もがらりと変わることがあるからなあ。
さらにいくと、「ここから運賃が変わります。 羽後交通」のポールが立っていた。
そばの倉庫らしい建物の壁にはバスの時刻表が貼ってあった。
どうやらこれはバス停の標識だったのだが、上の部分が取れてしまったものようだ。
柱の部分だけが残ったんだなぁ。
横手北中学校の脇を通る。
真新しい校舎に広い校庭、横手市は財政が豊かなのかしら。
横手市街へと入っていく。
時刻は午後1時半だ。
まだもう少し歩けるぞ、そうだ横手城へ行ってみよう。
城下町の狭い道を進んでいくと正面に小高い丘が見えてきた。
急な坂道をゆっくりと登っていく。
左手に横手城南高校があった。これも真新しい校舎である。
ブラスバンド部の練習をしているのだろうトランペットなどの音が聞こえる。
ふうふう息を切らせて天守閣に到着。
ここはかなり以前に来たことがある。
1997年にSLの運行があって大曲、横手へビデオカメラを持って撮影に来た時に寄ったはずだ。
北海道でSL最後の運行があると出かけていくなど当時からSLは好きだった。
乗っていると煙で窓は開けられないし、スピードは出ないしと快適とは言えないSL列車だが写真栄えがするんだよね。
お城を背景に記念の写真も撮る。
さっきまでどんよりとした曇り空だったがとうとう雨が降ってきた。
ちかくのレストハウスで雨宿りする。
さいわいすぐに小降りになったので城跡の公園を見て回る。
横手市内が一望できてとて眺めは抜群だ。
白の東側には牛沼という沼があって何人もの釣り人が糸を垂らしていた。
とても風情のあるよい公園である。
さて駅へと行こう。
歩いていくとなんだか見たことのある形の建物があった。
お寺なのだが、、はてこの形は、、、
【↑ 東京築地の本願寺】
数年前に行ったことのある東京の築地にある本願寺の形だった、ここは本願寺派の光専寺という寺院だったのだ。
さらにいくと「馬口労町」というところがあった。
馬喰(ばくろう)は馬の仲買商人とのことだがわたしの子供のころの田舎町にもいたものである。
あのころは「ばくろう」という言葉は「ならず者」と同じ意味だったように思う。
町には馬の競りが行われた馬検場もあったし、その馬検場前の広場では「ばん馬競争」も行われていた。
馬が大きなソリに荷物を載せ坂道を走る姿はかなりの迫力だったものだ。
午後2時20分に横手駅に到着。
今日はスマートウォッチのGPS機能を使って歩いた距離を測っている。
距離は25.6キロメートルになっていた。横手城へ立ち寄ったので5キロほど遠回りとなったのだ。
駅の中は日曜日だから学生の姿もなく駅の中は静かだった。
新型コロナで人との接触はできるだけ避けるようにしているが今日は誰とも会話せずにここまで来た。
きっぷも自販機で買ったので感染のリスクは無いと言えるだろう。
ああ、それにしても会話することも一緒に食事することもままならないという恐ろしい世の中になってしまったものだなあ。
今年いっぱいはこの状態が続くんだろうな、はたして来年は以前の生活に戻れるのだろうか。
午後3時3分発の列車で大曲駅まで戻る。
帰り道の楽しみは温泉である。
秋田方面へ来たら必ずといってよいほど寄るのが田沢湖にほど近い水沢温泉である。
ゆったりと湯につかり疲れを癒してから帰宅したのだった。