日本経済、特に輸出産業の担い手は家電業界、自動車業界だった。
NHKで放送された「電子立国日本の自叙伝」が象徴するように日本の技術力は世界をリードしていくと考えられていた。
光ファイバーケーブルによる通信など革新的な発明がつぎつぎと出てきたのもこのころだ。
だが、それと同時に日本人の特性というべきか「よくない面」も同時に現れるのだ。
「慢心」「うぬぼれ」そして日本のやり方を至上のものとして他へ押し付けようとするのだ。
これは明治政府からの伝統と言ってもよいものだ。
明治政府は武力で徳川幕府を倒し、日清戦争、日露戦争で勝利した。
このことで日本は力で押せばどうにでもなる、ということを学んだのだと思う。
太平洋戦争でいったんどん底まで落ち込んだ日本はあっというまに復活。中国や韓国、東南アジア諸国の発展が遅れているのを尻目に世界の技術大国の仲間入りをしたのだった。
これも日本人を感動させた。やはり日本はすごいのだと思い込んでしまった。
実際あのころの日本の技術力はすごかった、パワーが溢れていた。
東南アジア、中国などへと進出する企業も多くなり現地では日本がとても好意的に受け入れられていると報じられたものだった。
「あの太平洋戦争では負けたが今度は経済で・・・」と思った企業幹部も多かっただろう。
時代は固定電話から携帯電話の時代へと移っていく。
ここでも写メールなど日本の革新的な技術が光っていた。
その中でも特にNTTドコモの「i-モード」は革新的で携帯電話(フィーチャー・フォン)でE-mailが使えるのは感動したものだ。
だが、日本の携帯電話は海外展開に失敗してしまう。
理由は相手国の事情を考えずに押し付けようとしたところにある、とわたしは思っている。
国によって通信方式が違うのだがなぜか日本はNTT方式にこだわった。
まだ経済が十分発達していない国で高額な機器を売ろうとするところにも問題があった。
「日本の製品は高品質、だから高いのは当然だ。」と考えたのだろう。
通信方式はヨーロッパのGSM900がヨーロッパとアジアで使われていたのでアジアの大きなマーケットを逃がしてしまった。
「日本の製品は良いらしいな、でもいまある通信インフラが使えないそうだ、それではだめだな」
という感じだったのではないか。
新規に通信インフラを整備するのがどれほど大変かは楽天モバイルが苦戦していることを見ればよくわかる。
わたしはアジアの国の人たちは日本に対して心の奥底では反感をもっているだろうと思う。
太平洋戦争で日本軍アジアのほぼ全ての国へ、東はビルマ(ミャンマー)まで攻め入ったのだ。
ベトナムだろうがインドネシアだろうが自国内で戦争をされたならよく思うはずがない。
もっとも親日国と思われているタイだが、太平洋戦争開戦当時日本軍はタイへ攻め入りタイ軍と戦闘をしているのだ。
この携帯電話産業の外国への進出失敗が電子立国日本の没落の始まりだっただろう。
完全に読み間違えたのだ。
日本の技術は世界一だからアジア諸国もそれに従うべきだと考えたことが。
「いや、そんなことはない。シャープ、ソニーのエリクソンなどがあるぞ」と思うなら、いま東南アジアを旅してスマホショップを覗いて見るとよい。
2000年代中ごろまであった日本製品は全く姿を消している。
いまは中国製品ばかりが並んでいるが以前は韓国のサムスン、LG製品が中心だった。
あのとき無理にNTT方式を押し付けようとせず、その国の通信方式に合わせた携帯電話を作っていななら今のスマホ市場は日本が握っていたのではないだろうか。
実際はそう単純なことではないだろうが・・つい、そんな風に考えてしまう。
話は違うがインドネシアの高速鉄道建設が中国に決まった時のこと、「インドネシアの裏切り」とか「中国の裏金が・・」というような話が飛び交った。
わたしは政治のことはまったくわからないが、アジアを旅している人がネット上で「どんなに日本製がよくても現地の人に買えなきゃ意味ないじゃん。」というようなことを書いていた。
例えば日本で東京大阪間に超高速鉄道が出来たとして運賃が20万円だったらだれも乗らないだろう?ということだった。
日本の新幹線技術も世界一だからコストを考えれば高くないと思っただろうが、現地の人から見れば時速300Kmでなくていいよ、時速150キロ程度でだれでも乗れる運賃の鉄道を造ってほしいということなのだ。
自国のやり方を押し付けるのは平洋戦争当時の日本軍と政府の考え方そのままである。
そしてそれは今でも変わっていないのだ。
スマホ、家電製品だけではない自動車産業もすでに中国に遅れてしまっている。
資源が無いから技術力で世界に立ち向かう、、はずだったのだが、、
その資源も円安とウクライナ情勢で手に入らないという、このさき日本はどうなるんだろうと考え込んでしまう。
歳をとってしまった今、日本のことよりも自分の心配をしなきゃならないのだが。