東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

東海道本線全線全駅歩き旅 続編(49) 米原駅 ―> 彦根駅

2022年07月31日 | 東海道本線 大垣駅から京都駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(49)

2022年(R4)5月24日(火) 米原駅 ―> 彦根駅 JR営業キロ6.0Km

今日も良い天気だ、どうやら暑くなりそうだ。





日焼け止めクリームは3個も持ってきているので歩き出す前に塗ればよいだろう。
ホテルは駅のすぐ前なので便利である、周りは住宅地なのでとても静かだ。

米原駅まで移動する。





朝の6時過ぎだが通勤客はおもいのほかいるのだった。



米原駅には新幹線開業50周年のシールが貼られていた。



そうか新幹線が開業したころはオリンピックもあり日本がもっとも輝いた時だった。
2020年の東京オリンピックはコロナ(Covid-19)騒ぎで無観客だったし、最近では組織委員会元理事の収賄事件も発覚し不幸な大会だったな。

通学の高校生が急ぎ足で通るのを見ながら駅前のベンチで朝食にする。



食べ終えて駅前を見て回るとこんなものがあった。







米原湊跡と石碑があり和船の模型が乗っかている。
駅付近は昔は湊だったのだそうだ。流通の要という場所だったんだな。

右に近江鉄道の駅を見ながら歩きだす。







歩いていくと左手に新幹線のようなものが見えた。



ああ、これは以前テレビで見たことがあるぞ。
鉄道総合技術研究所の風洞実験施設だ。







試作車両なのだろうタイプの違う車両が並んでいる。





鉄道の日には一般公開されるのだそうだが、今は柵越しにしか見ることはできない。
WIN350という車両はわたしの好みのデザインだ。



米原駅の構内はかなり広い、その端っこを遠慮しながら近江鉄道の列車がコトコトと走っているのだった。





ここまで来たなら琵琶湖も見たいというわけで中山道から外れるが琵琶湖方面へと歩いていく。



東海道本線の下をくぐって田んぼが広がる道を歩いていく。



見ると川の中に亀がいた。





北東北ではあまり見かけない光景だなあ。

ほんとうによい天気、日焼け防止クリームを首、腕に塗り付ける。
まだ涼しい時間帯で弱い風があるので汗をかかずに歩ける。
矢倉川を渡り彦根市へと入っていく。





通勤ラッシュで車の列、ときどき自転車の高校生がわたしを追い越していく。



遠くに彦根城が見えている、きょうは琵琶湖を見てから彦根城へと向かう予定だ。





琵琶湖畔まで来た、湖畔の通りは「松原ミシガン通り」だった。





はて? なぜミシガンなのかと調べてみたら、
アメリカのミシガン州と彦根市は姉妹都市なのだそうなのだ。
どちらも大きな湖のほとりにあるということだね。





琵琶湖を見渡せる東屋でひと休みする。



快晴だから気温が上昇してきて暑くなってきた。
周りに人のいないことを確かめてから着ていたパーカーを脱ぎ上半身裸になってタオルで汗を拭く。
こんなことは恥も外聞も気にしなくなったジイさんしかできない芸当である。
琵琶湖はさすがに大きい、向こう岸がかすんでいるので海を見ているかのようだ。





ところどころにベンチがあり、文字がかすれて読めなくなった掲示板もある。





岸のほとりに墓地があった。
見慣れない形の墓がある、古代エジプトのオベリスクに似た形のものもある。





宗派の違いによるものだろうけどなかなか興味深い。



松並木の道を歩いていくと観光船乗り場があった。





井伊家の赤備え船『直政』という船が見えた。なかなか凝ったデザインだな。





ミシガンクルーズという外輪船に乗るコースもあるそうだ。
かなり以前にアメリカのニューオリンズでミシシッピ川の外輪船に乗ったことを思い出してしまった。
琵琶湖を見たら彦根城へと向かって歩く。



彦根城のお堀端を通っていくと釣りをしている人がいた。
その4メートル先にはサギがいて釣った魚を狙っているのが面白い。



サギは「ぼく、おじさんのほうを見ていませんよ」という表情だが、目はしっかりと釣竿を見ているのだった。
釣れたととたんにサギが横取りするシーンはコントになりそうだ。

進んでいくと、、、これは虐待の場面か、、、ではなくてトレーニング中だった。





滋賀大学ボート部の練習だった。腕、腰を鍛えているんだろうな。

彦根城のお堀は琵琶湖とつながっているので水量も豊富。



彦根城の見学料金800円なり。



ここもシニア割引がないのが残念だ。
城へは坂を登っていかなければならない、これが結構キツイのだ。



汗だくになりながら天守閣まで到着。息が切れる。



さすがは国宝の天守だけあり美しい形である。







ゆるキャラが観光客を迎えてくれるのは日本の観光地では今では当たり前になってしまったな。
どのお城でもそうだが階段が急だ、手すりにつかまりながらそろりそろりと登る。





ここでは係の人が階段前でフォローしていた、これは良い取り組みだな。
万一おっこちて怪我をされたら城の評判にもかかわるしね。





天守から眺める琵琶湖はいいね。爽快な気分になれる。





人気の城だから観光客が多い、年配の人たちは暑さですでにへばっているようだ。







修学旅行の高校生も大勢やってきた。



ポストの上にも彦根城がのっかっている。





一通りお城を見たら駅へと向かって歩く。
駅への道は「駅前お城通り」とそのまんま。



時間帯のせいなのか駅前はほとんど人の姿がなかった。





ちょっとさみしい感じだ。






駅前には井伊直政公の騎馬像がある。



兜の角の部分がすごいなあ。
まさかあの角の部分で戦うんじゃないよな(笑)
敵味方入り乱れての戦場で自分の活躍をアピールするためには目立つ兜が必要だからな。
部下の者は「おー、あの兜がわれらが殿じゃ、それ続けぇっ」となるし、徳川家康にも「おお、あの派手な兜は井伊殿だな頑張っているねえ、200ポイントあげようかな」となるのだ。



彦根駅からも正面にお城が見える。







城そして琵琶湖と観光資源が多い町だ。





駅のコンコースには国宝の「風俗図(彦根屏風)」のジャンボプリントというレプリカが展示されている。



オリジナルの倍ほどのサイズになっているので見やすい。







江戸初期の作品らしいがこうしてみると今も昔も人の営みというのは変わらないものだなあ。



近江鉄道の列車はカラフルで見ていて楽しい。







走る広告塔ということだな。
駅東口には新しいホテルがあるだけでがらーんとしていた。



彦根の観光案内のパネルもあるのだが、キャラクターの後ろにある鯉のぼりがとても良い。





鯉ではなくて新幹線が空を泳いでいるのだった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東海道本線全線全駅歩き旅 続編(48) 醒ヶ井駅 ―> 米原駅

2022年07月30日 | 東海道本線 大垣駅から京都駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(48)

2022年(R4)5月23日(月) 醒ヶ井駅 ―> 米原駅 JR営業キロ6.1Km

醒ヶ井宿を歩いていてこんなものを見つけた。







消防信号の掲示だった。
昔はどの町、村にも火の見櫓があって火事があると櫓の半鐘を叩いて知らせたものだった。
カーン、カーン、カーン、カーンと連続して半鐘が聞こえたら「おい!近所で火事だぞ」と飛び出していったものだ。
いまでも消防車がカーン、カーンと鐘を鳴らして走っていることがあるが、なんとあの音はスピーカーから流れているのだ。時代を感じるなあ。



祠に入りきらなかったんだろうか、大きな石が積み重ねてある。



どうみても地蔵様の形ではない、いったい何を表しているのかなあ。
歩いていくと結納店という看板があった。



店名が「幸夫婦屋」というのがいいなあ。
結納品を専門に扱う店だろう。このような店は岩手の田舎では見たことがないな。
名古屋では結納の家具をガラス張りのトラックに載せて回り披露すると聞いたことがあるが、この地でも結納、結婚式にお金をかけたんだろうな。

ずんずん中山道を歩いて行く。



風は無く太陽がジリジリと肌を焼く。



このあたりから「飛び出しぼうや」が増えてくる。



これは京都までの道沿いでかなり見かけた。



こんどは番場宿へと入っていく。それにしても宿場町の多いことに驚く。







鎌刃城跡というのがある。







ネットで調べると何も残っていないようなので見学はパスする。
この宿場町も静かでごくたまに車が通るだけで人の姿はない。









番場宿のはずれまで行ったあたりでGoogleマップを見て、、
「あーっ! 道を間違えた」
この道は中山道に違いないのだが、この道は米原駅へは行けないのだ。
中山道の案内を見てそちらへ進んでしまったのが間違いだった。
しかたなく引き返す、すでに交差点から2キロメートルも来てしまっている。
間違えた道を引き返す足取りはとても重いのだった。
この石碑のところを地図を見ないで左へ曲がったのが間違いだったな。



気を取り直して県道240号線を米原駅方面へと歩いていく。



道路にまたしてもカメを発見。



まったく、暑い日差しの中なぜ亀は道路を横断するのだろう。
車が来たのでこれも道端によせてやる。これで2度目だな、よくよく亀に縁のある歩き旅だな。



やっと東海道本線が見えてきた。





道を間違えたために無駄に歩いたせいもあってヘトヘトだ。





なんとか米原駅に到着。今日はこの駅までとする。





駅の中に自転車店があった。サイクルステーションというレンタサイクルのお店だった。



これはとても素晴らしい取り組みだな。おしゃれだしね。



その隣が近江鉄道駅だ。





米原駅西口にはステンレスの地味なデザインの時計があった。





今夜もおなじく南彦根ステーションホテルに泊まる。



電車を降りたら今日も南彦根駅向かいのビバシティ南彦根というショッピングモールへ行く。





夕食はなにを食べようかな、カレーもいいなあそれともどんぶり物にしようかな・・・





決められないまま店内をウロウロして、スーパーマーケットへ行くと割引品があった。



オレって割引品を見るとすぐ買ってしまう悪い癖があるなあ。



部屋へ戻りカップうどんと割引品の寿司で夕食だ。
食べ終えたらすぐに寝てしまう。明日も快晴の予報だ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東海道本線全線全駅歩き旅 続編(47) 柏原駅 ―> (近江長岡駅)―> 醒ヶ井駅

2022年07月29日 | 東海道本線 大垣駅から京都駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(47)

2022年(R4)5月23日(月)柏原駅 ―> (近江長岡駅)―> 醒ヶ井駅 JR営業キロ8.9Km

柏原駅前はとても静かでよい雰囲気だ。





それにしても、、、だーれも歩いていない。





たまに車が通るのでゴーストタウンではないようだ(笑)





江戸時代からそのままの姿で建っているような住宅もあってまさに歴史の道だ。





「薬師道」の道標があった。





柏原宿を抜けていくと、ここにも一里塚があった。





これは復元されたものということだ。
これなら旅人にわかりやすかっただろうなと思わせてくれる。



広い田んぼがあり、道は山すそを回り込むようにして通る。







ここにも見事な竹林があった。



岩手県に住んでいるとこのような竹林を見ることはないので飽かずに眺めてしまう。
静かだ、そして木陰はひんやりと涼しい。



ちいさな祠があって、地蔵様なのかたくさんの石がある。





地蔵の形を彫ったものだけでなく単に石の形が似ているというだけでお祀りしたんじゃないのかな。

中山道の案内はあちこちにあり迷う心配はない。









小さな集落を抜けていくと、ここにも一里塚の跡があった。







ほとんど車の通らない道だが頭上には名神高速道路が通っている。





そして醒ヶ井宿へと入っていく。



ここにも石の地蔵さん?





われわれ日本人ならこれが地蔵さんだろうとわかるけど、外国人が見たら「日本人は石ころを神としているのか?」と不思議に思うだろうな。

醒ヶ井宿も静かなたたずまいだ。



このお宅の前にはセメントづくり?のお地蔵様がならんでいた。





一体だけロボットみたいなのがあるなあ(笑)。









醒ヶ井宿の中を流れる地蔵川は驚くほど澄んでいる。



ここにはハリヨという魚が棲んでいて大切に保護されているのだ。











昔の日本はどこへ行ってもこのような澄んだ水があったんだろう。









ここは観光客に人気の町らしく土産物店、甘味処などがある。







こちらのお店で名水まんじゅうをいただく。







つるんっとのど越し爽やか。
とろけるおいしさとはこのことだ、甘すぎない優しい味。
砂糖ケソクというのがある。





お店の方に聞いたところ仏壇に供えたりするものだそうだ。
わたしの住む田舎でもお盆の時期は蓮の花をかたどった砂糖菓子をお供えするが同じようなものだろう。











駅へ向かって歩いていくと、古風な建物があった。







「醒井郵便局」だった。昔は「醒ヶ井」ではなく「醒井」と書いていたんだな。
いまは醒ヶ井宿資料館になっている。

こちらのお宅の鬼瓦の立派なこと、竜と水で火災から家を守っているんだな。





醒ヶ井駅に到着。
駅前には霊山三蔵という僧の像がある。







待合室のベンチに座ってすこし休む。快晴なのはうれしいが暑さで少々バテ気味だ。



ところで、、、、
旅を終えて帰宅し地図を見ていて、、
なんと柏原駅と醒ヶ井駅間の「近江長岡駅」を飛ばして歩いたことに気が付いた。
中山道を歩くことに気がとられたということもあるのだが、やはり老化で忘れっぽくなっていたんだろう。
自宅へ帰るまで気が付かなかったというのはボケ、いや認知症がかっている証拠だなあ。
これでは「全駅立ち寄り」にならない。
しかもこの後も同じような失敗をしてしまうのだ。
ま、来年にでもこの区間を歩きに来ればいいさ(涙)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東海道本線全線全駅歩き旅 続編(46) 関ケ原駅 ―> 柏原駅

2022年07月28日 | 東海道本線 大垣駅から京都駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(46)

2022年(R4)5月23日(月) 関ケ原駅 ―> 柏原駅 JR営業キロ7.1Km


今日も快晴だ。
天気が良いとそれだけで気分がよくなるから不思議なものだ。
だんだん朝寝坊になってきている、疲れが溜まっているのかもしれない。

南彦根駅へと向かう、と言ってもホテルは駅の目の前だが。



関ヶ原駅までのきっぷを買う。



プラットホームにあるベンチは線路に向き合わないように置いてある。



乗客が立ち上がった拍子に線路側へ転ばないようにという配慮なのだ。

関ヶ原駅で降りるとここも当然快晴だ。





風があるので高原にいるかのような爽やかさがある。
駅から歩いていくと古戦場の案内図がある。



このあたり一帯が戦いの場だったんだな。
この図を見ながら「うーむ、今日は徳川家康コースを進もうか」とかなるんだろうか。



それにしてもこの絵、ちょっと格好良すぎではないか。



アニメやコミックなどの影響をかなり受けているなあ。
戦争は殺し合いだから見た目の良さはどうでもよかったんじゃないかと思うのだが、実際はどうだったんだろうか?



お!橋の名前も「関ケ原古戦橋」となっている。

橋を渡ると左手に東首塚がある。









打ち取った敵将の首を見分して埋めた場所だ。
両軍で15万人もの兵士がここで戦ったというのだが、いったい何人死んだのだろうか。
どうやらはっきりした数はわからないらしい。
大将や名のある武将なら記録を残すだろうが雑兵は虫ケラのように死んでいったのではないかなあ。

ゆるい坂を登っていくと「関ケ原古戦場記念館」がある。







行ってみると月曜日は休館日だった。
どうりで回りに観光客がひとりもいないわけだ。
観光もするというつもりでいても事前に調べるということはしていないし、歩き旅がメインだからこんなことはよくある。まあ仕方ないさ。

そこから農家の間の狭いなだらかな坂道を登っていく。





「開戦の地」「〇〇陣地跡」と、こまかに案内があるので迷うことはない。







あの山の中腹が〇〇の陣地で、こちらが△△でというふうに見渡せるのでイメージしやすい。



「決戦の地」には大きな石碑が建っている。





来る前にイメージしていたのと少し違い、意外と狭い地での戦いだったんだな。



決戦の地と徳川家康最初陣地の桃配り山までは直線距離で2.5キロメートルほどだ。
ここに両軍で15万人もいたのか! 押すな押すなの大盛況!
右を見ても左を見ても人、人、人で埋まっていたんだろうな。

坂を下っていくと、おお! ゴミ置き場も戦国!



「おはようございます、おやあなたは徳川へ入れるんですか?」
「いや、きょうは石田三成にしようかと・・」
と、ごみ置き場の戦いが始まるのであろう。

床几場がある。





勝った徳川家康が打ち取ってきた武将の首を確認して点数を付けたところだね。
「おお、これは島 左近殿の首ではないか! よくやったぞ。そなたには500ポイント加算じゃ」
とかやっていたんだろうなあ。



古代エジプトやメソポタミアでは切り落とした手首とか耳の片方でカウントしていたそうだが、首だと重いだろうな。
司馬遼太郎の小説の中に打ち取った敵将の首を腰に何個もぶら下げてついていく雑兵が書かれているがさぞかし重かっただろう。



町中の道路には消雪の設備がある、ここも雪深い土地なのだ。





今年2月には91センチの積雪があったそうだ。

歩き旅にもどろう。



米原までは19キロメートル、今日中に米原まで行くつもりで歩く。



「西首塚」の前を通る。







史跡が多いのでいちいち見ていたら何日もかかってしまいそうだ。







いまは舗装され緩やかな坂道になっているが昔は歩きにくかっただろう、当然ながら舗装されてないわけだし。





途中から中山道へとつながる。



中山道に入ると道幅はやや広くなる。







ここも神社の参道を鉄道が横切っているんだな。





常盤御前の墓というのがあった。







不慮の死を遂げた常盤御前の墓は質素なものだった。



絶世の美女といわれているが、このようなところで襲われ死んでしまうとは、、
村人が弔い墓を造ったとのことだ。

近くには常盤地蔵もある。





こういうのを見ると哀れを感じるなあ。

そこから山の中の道へと進んでいく。



中山道の今須峠だ。東海道本線が並行して走っている。







昔は険要の地だったそうだが、いま歩けばさほどでもない普通の田舎道である。



峠を超えるとここにも一里塚がある。





今須宿へと入っていく。



このあたりのお宅の鬼瓦もずいぶんと凝った造りだ。











徳川家康が腰かけた石というのがあって代々受け継がれてきたとある。



ただの石も家康が座ったというだけで価値のあるものに変わってしまうのか。



このお宅の前になにやら地蔵さんのようなものが並んでいると思ったら、、、、



あんぱんまんだった。



「あんあぱんまんさん、どうか成仏してください(笑)」



今須郵便局は歴史ある街にふさわしい感じの建物だ。
中山道は歩き旅に人気だからすれ違う人もいるんじゃないかと思いながら歩いているのだが、ひとりも出会わなかった、ちょっと不思議。



おお、ここにも芭蕉の句碑がある。









そして美濃国と近江国の境は滋賀県と岐阜県の境界だ。







寝物語の里を過ぎて歩いていくと見事な竹林がある、









かぐや姫の伝説が現実にありそうなそんな気になる美しさだ。
と考えていたら「長比(たけくらべ)城」というのがあった。





でも「たけくらべ」は明治の樋口一葉の小説だから関係ないか。

東海道本線を横切って柏原宿へと入っていく。



ほんとに宿場町が多いんだな、







柏原宿はだれも歩いていなかった。





柏原駅に到着。



きっぷ売り場にはカーテンが引かれていて「両替に出かけているので・・」と書いてある。





いったいどこまで両替に行ったんだろうか。まさか京都までとか?

誰もいない駅でベンチに腰掛けしばしの休憩。
わたしの座ったベンチは将来貴重になるかなあ。
「このベンチはあのジイさんが腰かけたものです」とか、、、絶対無いな。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東海道本線全線全駅歩き旅 続編(45) 垂井駅 ―>関ケ原駅

2022年07月27日 | 東海道本線 大垣駅から京都駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(45)

2022年(R4)5月22日(日) 垂井駅 ―>関ケ原駅JR営業キロ5.7Km

垂井駅から街道筋を歩いていく。





駅近くのレンガ造りの倉庫がなかなか良い形だ。







しばらく歩くと古びたビルに「53年間ありがとう」と垂れ幕がかかっていた。





旧垂井町役場の建物だった。
見るからに古くて大きな地震が来たら崩壊しそうだ。



垂井町中を歩いていくと、いかにも宿場町の雰囲気である。









関が原まで6キロメートルほどだ、関ヶ原の合戦の時はこの宿場町も戦場になったのだろうか。

ビルの壁に「街角ギャラリー」というのがある。





もう何年も不景気が続いているのでどこの町でも“町おこし”に必死なのだ。

このお宅の鬼瓦には「Water」と英語が書いてある。



形も水しぶきを表している、ずいぶんとおしゃれな感じだねえ。





この町も曳山のお祭りがあるんだな。子供歌舞伎の上演があるという。



やはり新型コロナの影響で2年連続中止になったが、2022年は開催できたらしい。

こんな渋い建物も残っている。







「大衆食堂」というのがいいな。いまならファミレスということになるのかな。

ここでも昔の旅籠を観光客用の無料休憩所にしている。







この電線と碍子がなんとも時代を感じさせてくれる。



江戸の時代にはここは油屋さんだったと説明にある。



わたしの田舎の親戚も昔は油屋だったそうだ。
かなり大きな屋敷だったと記憶している。
油屋といってもガソリンスタンドとか食用油のようなものではない。
行灯など照明用の油を商っていたのだが時代は大正から昭和に入り電灯が普及して一気に廃れてしまったようだ。















町を抜けていったところに「垂井一里塚」があった。









一里塚は道の両側に1基ずつ置かれていたのだが片側だけが残っている。



当時はどうだったのか知らないけど、草に覆われていたら気づかずに通り過ぎてしまうんじゃないかと思った。
関ケ原町のマンホールはデザインが秀逸、兜をデザインしてるのがいいな。





町の掲示板でも合戦の地「関ケ原」をアピールしている。



昔のつるべ式井戸があった。





つるべ式井戸を見たのは何年前のことだっただろうか、60年以上前のような気がするな。
ここは実際に水を汲むことができるそうだが、飲めませんと注意書きがあった。

このあたりの住宅の塀や屋根の鬼瓦はかなり凝った作りだ。











単に魔よけためというより権勢を表したり縁起物なのだろう。

いよいよ関ケ原合戦の地へと入っていく。







この松並木のやや狭い道が歴史の道なのだ。









ここまでくると「徳川家康」「常盤御前」「天武天皇」「山内一豊」などなど古代から近代まで誰でも知っている名前が出てくる。









進んでいくと自動車整備工場の壁に案内があって「自由にトイレを使ってください」とあった。





これはありがたい。古戦場巡りはトイレとの闘いでもあるからね。
このような心配りが本当の「おもてなし」だね。
日曜日だから自転車ツーリングの人もかなりいる。



こんどは関ケ原宿の町中へと入っていく。









駅はもうすぐだ。
このお店もじつにシブイ。「百貨の店」というのがすごいなあ、いまならコンビニエンスストアなのだろうか。



やっと駅が見えてきた。





今日は晴れて気温が上がったので午後4時半というのに気温が26度もある。
駅前には土産物店があり観光案内所も兼ねていた。











さすがにこの時間は客の姿はなかったが日中は込み合うんだろうな。
お菓子などだけでなく兜とか刀とか合戦場にまつわるものが多い。





観光客に楽しんでもらおうと駅の中にも額縁?がある。



今日はこの駅までだ。







今夜の宿は南彦根駅前の南彦根ステーションホテルにした。
途中の米原駅で乗り換える、JR東海はこの駅までだ。





プラットホーム向かいにキロポストを見つけたので写真を撮る。
おお!かなり神戸に近づいたぞ。
隣の線路に近江鉄道の電車が停まっていたのでそれも撮影する。





これでもけっこう忙しいのである。



南彦根駅で降りたらまずショッピングセンターへ買い物に行く。







ショッピングセンターは線路を挟んでホテルの反対側にあるので、チェックインしたら外出しなくて済むように先に買い物を済ませてしまうのだ。
まあ、例のごとく割引品ばかりを買ってしまうのだが、、



このホテルもなかなか古い。



なにしろ部屋の電話がダイヤル式なのだ。





「えーっと、、これはたしか電話だよなあ、、どうやって使うんだっけ(笑)」
わたしが小学生低学年のころ親戚の家に電話があった。



壁掛け式でダイヤルが無くて交換手に繋いでもらうタイプのものだ。
電話は屋内にあるのだが電話室(いまの電話ボックスと同じようなもの)の中にあった。
思えばわたしはこの壁掛け電話から黒電話、プッシュ式そして現在のスマートフォンまでの歴史を生きてきたんだなあ。

さらにトイレにはこのような注意書きがある。





昭和時代の後半までは水洗トイレの使い方を知らない人はかなりいたのだ。
日本人は浴槽の外で体を洗うという習慣があるので床を水浸しにする客も多かった。



で、、これである。



バスルーム前のカーペットが濡れて傷んでしまったので、その部分だけ板敷にしたんだなあ。
ホテルの保守というのも大変なんだよね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東海道本線全線全駅歩き旅 続編(44) 大垣駅 ―> 垂井駅

2022年07月26日 | 東海道本線 大垣駅から京都駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(44)

2022年(R4)5月22日(日) 大垣駅 ―> 垂井駅 JR営業キロ8.1Km

ここ大垣は松尾芭蕉の奥の細道の結びの地でもある。

観光案内所があったので行き方を尋ねてみた。



「歩いてもバスでも行けますよ」と地図を出しながら丁寧に教えてもらった。
「バスで行きたい」と伝えるとバスの時刻も教えてくれるのだった。

ディパックを「戦国武将一覧コインロッカー」に預けてから行こう。



「うーむ、だれに預けようかな。明智光秀は裏切りそうだし、、」と考えた末に徳川家康に預けてバス乗り場まで行く。

降りるバス停は「奥の細道むすびの地記念館前」とわかりやすい。
バスを降りると記念館はすぐ目の前だ。



ちょっとレトロな建物があった。このような建物を見てもこの地の歴史を感じるね。





記念館の脇を水門川が流れているが、川というよりは運河という感じ。











句碑がいくつも建っている。










観光用の船もあるし赤く塗られた橋もかかっていて雰囲気はよい。





記念館の玄関前にも木彫りの芭蕉像が立っていた。



ここを訪れるひとは年配の方が多いだろうと思うのだが、かわいらしい顔出しパネルまであるのだった。



俳句に関する展示物なので内容は地味である。



芭蕉が歩いた地図もある。健脚だったんだな。





芭蕉は奥の細道の推敲に5年もかけたという。
さぞ出版元はやきもきしただろうな。
「芭蕉さん、はやく決定稿を出してくださいよ、読者が待っているんですよ」
「うーん、でもここの部分がどうしても納得いかないんじゃよ」
「ええと、どこですか?」
「夏草や昼寝の後の夢のあと・・・・これはどうもいかんな」
「じゃあ、“昼寝”の部分を“つわものども”に変えたらどうです?」
「おお! 夏草や兵どもが夢の跡、これで出来たぞ!」
とか、あったんじゃないだろうか。

自筆本だけでなく曽良本、元禄初版本など数多く出ているということは当時から評価が高かったという証拠だろう。



館内には、たらい船や玉ノ井やまという山車の模型も展示されていた。







見学を終えたら駅方面へと歩いていく。



水門川はよく整備されていて市民の散歩コースにもなっているようだ。



市役所の前を通る。正面には組体操をする子供たちの像。





隣の消防署の前には過去の水害時の水位が張り出されていた。



大垣市は過去に何度も大きな水害にあっている。
最近では2017年に雨量が274ミリにもなり浸水があったとのことだ。

さて次は大垣城を見に行く。



大垣公園を抜けていくと城が見てきた。





元の大垣城は戦災で失われたのだが昭和33年に再建されたのだそうだ。





初代藩主の戸田氏鉄公の騎馬像が建っている。



石垣の下には明治29年洪水の碑が建っていた。





なんと当時の大垣町の8割が屋根まで水に浸かったのだそうだ。
町全体が水の中とは、とんでもない大洪水だったんだな。

駅と続く広い通りを歩いていく。





この町のアーケードもシャッターが下りている店が多い。
道の向かいに古そうな店があった。





金物、雑貨店だろう、バケツや籠が店頭に下がっている。
壁のトタンのさび具合が渋いなあ。
その近くには「ナンデモヤ」という店もある。



いいねえ、この店名。
町の人からあの店に行けば“なんでもあるよ”と言われてたんだろうな。
この店も雑貨屋さんのようだ、われわれ昭和世代の人間にはなんとも懐かしく感じるお店だな。

駅にほど近い交差点に銅像があった。





台座には「みどりの風」とある。



おや?この像はどこかで見た気がするな。
記憶をたどると2015年に山形新幹線で米沢駅へ行ったとき見た像と同じだった。



【↑ 山形県米沢駅前の像】
きっと有名な作者の作品なんだろうな。全国にいくつあるんだろう。


大垣駅前の地下道にもトリックアートがあった。







新型コロナ騒ぎがなければここも大勢の観光客で賑わっていただろうに。
駅まで戻ったので、歩き旅を再開する。



太陽が照りつけかなり暑くなってきた。
ここにも過去の水害の水深が表示されていた。



ダムや堤防が整備されたからと言っても油断はできないのだ。

よく整備された広い通りを進んでいき杭瀬川を渡る。





大垣市は都会だが郊外は畑や田んぼが広がっていた。









東海環状自動車道の下を通り桧町へと入っていく。









関が原まで10キロメートル、どうやら今日中には行けそうだ。







このお社も高い位置にあるね、まるで天守閣みたいだな。





お社とタヌキの置物はセットなんだろうか。





美濃路を歩いていく。車の数が少なくなって急に周りが静かになる。







ここにも松並木があったが、道路の拡張で片側は無くなったんだな。











大垣駅前で昼食にしようと考えていたのに決断できずそのまま歩いてきてしまった。
さすがに空腹だ。
ちょうどイオンがあったので例によって割引品を探す。



割引品が好き!というのではない、やもうえず選んでいるだけなんだけどなあ。





ソバとタコの酢の物という組み合わせになってしまった。

樽井駅前は人の姿もなくとても静かだった。







観光案内所も開いているやら閉まっているやら。



駅前には軍師・竹中半兵衛の像がある。



なんとも凛々しい姿ではないか。
駅も時代を感じさせるような外観にしてあるのが良いな。











コインロッカーも竹中半兵衛を一番にしているぞ。料金も200円とじつに良心的だ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東海道本線全線全駅歩き旅 続編(43) 穂積駅 ―> 大垣駅

2022年07月25日 | 東海道本線 名古屋駅から大垣駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(43)

2022年(R4)5月22日(日) 穂積駅 ―> 大垣駅 JR営業キロ7.7Km

天気予報を見ると今日は朝は雨のち晴れだ。





歩き旅では雨が降らないほうが良い、降るなら夜にしてもらいたいのだが天気だけは自分ではどうにもできない。
幸いなことに夜だけ雨降り、朝には晴れるということになった。
これもわたしの日ごろの心掛けが良いからである(大嘘)
ホテルから外へ出ると雨はまだぽつぽつと降っていた。





駅前広場も雨に濡れている。



見上げると青空が広がっている。今日は暑くなりそうだな。



老人にはわかりにくい自動券売機。





特に交通系カード、スマホを利用した支払いなど「ついていけない感」がある。
わたしのように田舎に住んでいるとPeyPeyで支払うことも、スマホの非接触決済も使う機会はまずない。
近所のスーパーマーケットへ週に1、2度買い物に出かけるだけだから現金払いだけの生活なのだ。
だから都会へ来るとまるで異次元の世界に迷い込んだように思えてしまうのだ。

駅の待合室で寝ているサラリーマンがいた。昨夜からここで寝ていたんだろうか?





土曜日に深夜まで飲んで終電に乗り遅れたのかも知れないな。
こんなととろは日本的だなあ、、と思ってしまう。
時代は変わっても日本人としての姿はそう簡単に変わるものではないな。
ま、、、あまり良い姿とは思わないが。



穂積駅まで移動する。日曜日だから穂積駅にも客は少ない。











平日なら通勤通学客が大勢いるだろう道を大垣方面へと歩いていく。













道端で咲いている花、“あまくさみつばつつじ”だろう。





雨に濡れてなかなかよい感じ。







空は晴れて早朝ということもあり風もないから爽快な気分だ。







安八町を過ぎて大垣市まで来た。







標識に「米原・関ケ原」とあってその右に「神戸」と書いてある。





え? 神戸ってこっちの方角だっけ???
わたしは道を間違えたのだろうか、、と、よく見ると「Godo」とローマ字で書いてある。
漢字は同じでも読み方が違うのだった。うーーん、紛らわしいな。



そういえば朝食がまだだ。
コンビニでサンドイッチを買う。





レジで“ぽんたカード”を出すと「お客さん、これはローソンのカードですよ!」
うっかりファミリーマートでローソンのポイントカードを出してしまったのだ。
暑さで頭がぼーっとしているのではない、老化でぼーっとしているのだ。
この店にはイートインスペースが無かった。
しかたがないので駐車場で食べる。
なんだか情けないような、わびしいような。





進んでいくとこの通路も天井が低い。



明治時代に鉄道が整備されたころ地方はまだ江戸時代とさほど変わらない生活をしていたんだろう。







買い物や畑へ行くのでも徒歩が基本で車を使うことは無かった、人がひとり通れればそれで良かったのだな。



で、、、つい高さ1.6メートルの表示につられて通って行くと線路の向こう側は畑だった、さらに別の通路を抜けて行くと上方に駅が見えた。





藪の中をかき分けるようにして行ってみると、そこは東大垣駅だった。







片面のプラットホームにがらーんと広い待合室。





だが通勤通学客は多いのだということは駐輪場を見ればわかる。



しーんと静かな駅を後にして歩き出す。





田んぼが残る道を歩いていくと「はだか祭り」のポスターがあった。



2月3日の節分のときに行われるもののようだ、「ひだりめ不動 宝光院」と書いてある。
ふんどし姿の男たちが杭瀬川でみそぎをするんだそうだ。
岩手県の盛岡市でも「はだか参り」というのがある。
一年でもっとも寒さの厳しい1月15日の夜に同じく下帯姿で八幡宮へと『ゆっくりと歩く』のだ。
どちらも寒い時期に行われるのは同じだな。
寒いだろうに、なにも無理しなくてもいいだろうになあ。
夏のお盆のころ夕涼みがてらのお参りでいいんじゃないか、それなら水着姿でも不自然じゃないし、、と不埒なじいさんは思うのだった。





大垣駅まで来た。





ここも駅前が広い。駅とアクアウォークという巨大ショッピングモールが回廊で繋がっているのだ。
駅前は巨大な駐車場になっていた。





駅の階段にはたらい船の絵があった。





大垣市は水の都と呼ばれているそうだ。









大垣観光協会のサイトで見るとたらい船の船下りはかなりの人気のようだ。
一寸法師の気分を味わうにはよいかもね。

まずは駅を見て回る。



天気は快晴、太陽がチリチリと肌を焼く。



おお、駅前には大きなステンレスの時計塔が、さすがだ!







さらに駅前には時計塔だけでなく螺旋階段?のようなもの、でっかい船のように見える石のモニュメントもある。







そして養老鉄道も乗り入れている。





近鉄の車両を使っているそうでボディカラーが赤だった。





この鉄道は第三セクターとして運行されているとのこと。
見どころの多い駅である。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東海道本線全線全駅歩き旅 続編(42)西岐阜駅 ―> 穂積駅

2022年07月24日 | 東海道本線 名古屋駅から大垣駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(42)

2022年(R4)5月21日(土) 西岐阜駅 ―> 穂積駅 JR営業キロ2.8Km

西岐阜駅を過ぎて歩いていくと住宅の庭にバラが咲いていた。





おお、なかなか見事!



さらに歩いていきステーキガストの店を見つけたのでここで昼食にする。





またしてもどれを食べようかと悩む。





財布の中身とメニューとにらめっこで選んだのだが、
期待しすぎたのか肉が小さく思える。



ああ、ハンバーグにすればよかったかなあ、などなどここでも悩むのだった。
でも味は良かったので良しとしよう。



長良川を渡って行く。



住宅街の中で銅像を発見!





台座のプレートには「豊穣の里」とある。
想像だがこの土地の開拓を記念したものだろう。



道路わきではオオキンケイギクが満開だ。







外来種で現在は栽培が禁止されているとウィキペディアにある。
誰かが栽培していたものが広がったのかな。





さらに進んでいくと公園の入り口に変わった形の塔があった。



時計ではないようだし。



このお社の鳥居は鉄骨製のようだ。





それは良いしても色が薄緑というのはなぜなんだろう。
まあ、ステンレスそのままとかのもあるからなあ。色にこだわらなくてもいんだろうけど。
そういえば以前、鳥居の笠木をPVCパイプで代用しているのを見たことがあった。
その後テレビで鳥居をPVCパイプで作っている工場があることを知ったのだが、PVCパイプ製の鳥居は軽くて丈夫なので人気があるんだそうだ。
鳥居は木製がよいという考えはもう古いかも。



住宅地の中を歩いていき穂積駅に着いた。
プラットホームの下の通路も天井が低い。





駅前にはゆるキャラがあった。







見ると「富有柿発祥の地」と碑があって、郵便ポストの上にもでっかい柿が乗っかっていた。
市のホームページによると江戸時代から柿の生産は盛んだったようで、明治時代に「富有」が作られるようになったそうだ。

駅前の時計塔はステンレスではなかった、残念。



駅前ロータリーの真ん中にも塔が立っている。
さっき公園で見たフォーク状の形のものは市のシンボルマークではないだろうか。
気になったのは街灯の上にある中国風の女の子が太鼓を持っている像だ。





Googleで調べても出てこない、はっきりとわかるものはなかった。
なぜこのデザインにしたのかなあ。



今夜の宿は岐阜駅前のホテルにした。
今夜も外出しなくても済むようにと駅中にあるスーパーで買い物をしてから向かう。



わたしは以前にフィリピンのセブ島へ旅行したことがる。
そこでも地元のスーパーで買い物をしたのだが、その店には「Senior Citizens Lane」というのがあった。





【↑2枚はフィリピン・セブ島のスーパーマーケットで撮影】

つまり「お年寄り専用レジ」なのだ。
レジ前にはベンチがあってお年寄りたちは座って雑談しながら順番を待っているのだった。
これには感心した。
客は年寄りだから急がないし、待っている間も会話が弾むしね。
日本はセルフレジやタッチ決済など便利な世の中になったけど、老人や障害を持つ人にやさしい社会からは遠くなったんじゃないかなあと感じたものだった。

ホテルは岐阜駅から徒歩5分ほどと便利なところにあった。



ホテルの玄関前には猫が2匹いて門番をしている。



駅に近いが住宅地にあるので静かだし、パンとジュースがオマケでついてくる。



ここも他の安めのビジネスホテル同様バスルームは狭い。





仕事で泊まる人が多いから作業用の机とコンセントはある。



机の上の灰皿が昭和の時代からのホテルだろうと思わせてくれる。
“健康のため禁煙”をと言っても日本人はタバコをやめられないからなあ。
昭和の時代までは誰でもタバコを吸うことは当たり前のことだったし、商談などでもまずタバコを勧めてから始めるのが常識だったな。
わたしの勤めていたところなどはタバコどころか事務所で勤務中に飲酒するヤツがいたっけなあ。
いまでもタバコをやめられないビジネスマンは多い。
なにしろネットでタバコが吸えるレストラン、ホテルを紹介していたりするくらいだからなあ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東海道本線全線全駅歩き旅 続編(41)岐阜駅 ―> 西岐阜駅

2022年07月23日 | 東海道本線 名古屋駅から大垣駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(41)

2022年(R4)5月21日(土) 岐阜駅 ―> 西岐阜駅 JR営業キロ3.2Km

起きたらまずテレビで天気予報を見る。そしてネットのtenki.jpでも確認する。



どうやら今日の午後は一時雨になるようだ。



ホテルのフロントには誰もいない。部屋のキーをテーブルに置いて立ち去るだけ。





人けのない道を駅へと歩いていく。

朝食はモスバーガーにした。
うん、エビのぷりぷりとした食感がいいな。







わたしは朝食をしっかり食べる派なのでこれだけでは満足できないが我慢する。

さて、まずは岐阜市の観光をする。
まったく初めての土地なので勝手はわからないがスマホで調べて岐阜城へ行くことにした。

信長は雨の中でもじっと立ったままだ、寒そうだなあ。









バスで行こうと路線図を見る、、、えー、、どの路線で行けばよいのやら。





インターネットで調べてからバスに乗る。

「岐阜公園歴史博物館前」で下車すると落ち着いたたたずまいの街並みが続いていた。













宮田自転車の「轉」という漢字に昭和を感じるなあ。





そこからは三重の塔と岐阜城が見えたのだが、えーっ!あんなに高いところにお城があるのか。











岐阜公園前にも織田信長の像がある。



岐阜の織田信長への想いを感じるのだった。

緑濃い公園の中を歩きロープウェー乗り場へと行く。







運賃は往復で1100円。シニア割引は残念ながら無かった。





あんな山の上へ歩いて登るのはムリだからロープウェーを利用するしかないな。





ロープウェーを降りたら「目の前に城」ということではなく、さらに坂を登っていかなければならないのだった。







雨が降ってないだけでも良かったな。



この金華山はチャートという岩石で出来ているのだそうだ。山全体が岩石なんだな





ぜーぜー息をきらせて登っていくと正面に城が見えた。



城までは狭くて階段の多い道なので年寄りにはつらい。
なんでこんなところに城を作ったんじゃ~と、ぼやきたくなる。

きっと昔の人も・・
「殿、拙者毎日の登城があまりにしんどいでござる」
「うむ、余もイヤになってきたぞ」
「はい、登りに半日、帰りも半日かかるので、ほかのことが出来ませぬ」
とか言ってたんじゃないだろうか。



城のすぐ近くにはミニ博物館のようなものがあって、ここでも信長が迎えてくれる。





今日はあいにくの雨模様だが快晴なら眺めは素晴らしいだろうな。









「下山道は危険」と看板がある。



ロープウェーを往復で買って正解だったな。



ロープウェーからは三重塔がよく見えた。



公園を通って、こんどは古い町並みを見に行く。



このお宅では玄関前に鬼瓦とフクロウの置物があった。魔除けなのだろうか。





軒先の電線は碍子で覆われていた。いまではほとんど見ることがなくなったな。







こちらは玄関わきに折り畳み式の椅子。



縁台というのかもしれないが、夏のお祭りなどの時これに腰掛けるんだろうな。



岩手県の盛岡市にも材木町という地名があるので急に親しみを覚えるのだった。



どのお宅でも軒先に岐阜提灯を下げている。





「これは、なんというんですか?」
「これは岐阜提灯と言って岐阜の名産品ですよ」
「なるほど」
「贈り物にもいいですよ。『ギフ』トっていうほどですから」
「・・・・」
というようなひんやりするようなギャグが浮かんできた。
提灯には鵜飼いの絵が描かれている。









古い町並みの川原町を長良川のほうへと歩いていく。



ここは松尾芭蕉の像があったのだが、、、、





マスクが花柄だった。
まあ、芭蕉はイキな人だから喜ぶかもしれないが、、

長良川の鵜飼いは当然ながら夜のなので今は誰もいない。





ここも夕方になれば観光客で混雑するんだろうな。

バスで岐阜駅まで戻り、西岐阜駅へ向かって歩きだす。
中山道の案内があるのでできるだけ中山道を歩いていく。











途中から東海道本線沿いに歩く。





西岐阜駅が見えてきた





駅前には大きな時計タワーがあった。











すでに12時半を回ってしまい、お腹がすいてきた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東海道本線全線全駅歩き旅 続編(40) 木曽川駅 ―> 岐阜駅

2022年07月22日 | 東海道本線 名古屋駅から大垣駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(40)

2022年(R4)5月20日(金) 木曽川駅 ―> 岐阜駅 JR営業キロ7.7Km

木曽川駅のわきには古いレンガ造りの倉庫が残してあった。





そして通路の柱と方杖もあるが、塗装が剥がれてぼろぼろになっていた。

鮎鮓街道へと戻り歩いていくと名鉄黒田駅がある。

そのすぐ近くがイオンモール木曽川だ。







ちょっと休憩をしたいのでフードコートへ寄ってみる。





お腹が空いているわけでないので、たこ焼きを食べながらひとやすみ。

木曽川を渡る。460メートルもある長い橋だ。







とうとう岐阜県に入った。



笠松町のマンホールのデザインをしばらく見ていてトンボが描いてあるのだと気づいた。



これもGoogleで検索すると「トンボ天国」という自然保護地域があるそうだ。

そこここに歴史を感じさせる建物がある。







歴史を感じさせるお婆さんもいるのだった。



これは名鉄・竹鼻線だった。



このお店の壁には馬の絵がある。





説明書きがあってタイトル「Grazing2017」と製作者の名前があった。
有名な画家なのだろうか、でもなぜ食料品店の壁に描いたんだろう。

春日神社の鳥居を見て「あれ、なにか変だぞ」



なんと参道に町会集会所の二階部分があるのだ。



土地が狭くて集会所を作るスペースが無かったんだろうな。





川の土手部分にバナナの木があった。





温暖な土地とはいえフィリピンやインドネシアのような熱帯ではないので実が小さい。

中山道を通って岐阜駅へと続く道を歩く。











加納宿を過ぎると駅は近い。



時刻は午後5時半を過ぎた、今日も10時間ほど歩いた。





岐阜駅はとても大きな駅だった。







駅前には滝があるし、大きな三角のステンレスもある。

広い駅前広場には黄金の織田信長像が立っている。





おお、しっかりとマスク姿だ。
コロナが収束するまであの姿なんだろうな。

今夜の宿はHOTEL GRANPARKにした。
駅からは少し距離があるし周りに飲食店など無いのが不便だが宿泊料金が安かった。









途中のコンビニでカップ麺とおにぎりを買って今夜の夕食。



ここも昔のビジネスホテルだから部屋は狭いけど電気ポット、冷蔵庫もあるので不便はない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする