JR釜石線沿線を歩く旅 (23)2018年4月28日(土)
小佐野駅―>釜石駅 JR営業キロ3.7キロ
これは懐かしい改札用の柵。

いまでは珍しいのでは?
駅ではこの柵の中に駅員が立ちきっぷ切用のハサミをカチャカチャさせていたものである。


駅を後にして進んで行くと歩道にこのようなものが。

自転車通学の中学生はこの位置で自転車を降りろ、と書いてある。
何から何までマニュアル化するのは日本人の大きな特徴だろう。
このようにして従順な人間になるよう教育していくわけである。
さらに進むと歩道橋の上に人の動きがある。

近寄ってみるとSL銀河を撮影するために三脚を据えつけカメラを構えている人たちだった。


あと一時間ほどでSLが通過するのだ。
ここはよい撮影ポイントなのだろう一眼レフカメラを持って歩道橋へと向かう人が何人もいた。
わたしも歩きながらSL銀河を撮影出来たらと思ったのだが、このあたりから道路と線路が離れてしまう。
線路のほうへ行くと遠回りになるので3時57分発の列車に間に合わないかもしれない。


そのまま国道を進んで行くと遠くからSLの汽笛が聞こえてきた。

ああ、残念間に合わなかったか。
駅に隣接するシープラザ釜石まで来た。

急ぎ足だがマンホールの写真は撮る。

駅のほうをみるとすでにSLは到着していて乗客も降りた後だった。


駅へと向かう。

帰りの列車の時刻を確認しておく。

駅前をぐるりと回ってみる。
駅前広場にはお決まりの銅像、そしていくつかの記念碑が建っていた。


これは井上ひさしさんの「ひょっこりひょうたん島」の碑。

ああ、わたしも子供の頃この人形劇に夢中になったっけと感傷にひたる。
60年近く経ったいまでも「ひょっこりひょうたんじ~まぁ~」歌うことができる。
お気に入りは“ドン・ガバチョ”だった。
この“ひょうたん島”のモデルになった島が釜石市の近くにあるのだ。
さらに“製鉄の町”釜石なので当然ながら鉄に関する碑もある。

2019年にはラグビーワールドカップに開催地になっているので開催後はワールドカップに関する碑も造るんじゃないだろうか。
広場のとなりは「サンフィッシュ釜石・橋上市場」である。

その昔は本当に橋の上にあったのだが2003年に移設されたのだ。
釜石へ来ると必ず立ち寄った橋上市場だが、あのうらさびれた雰囲気が好きだった。

いまの時間帯の市場は客の姿は無く静かだった。
道路の向いは新日鉄の工場だ。


2011年の東日本大震災のあと4月にこの工場の前を通ったのだが、道路の瓦礫は片付けられていたものの停電は復旧していなくて交通信号が使えず警官が交通整理をしていたのだった。


海の近くへ行くと瓦礫も打ち上げられた船もまだそのままの惨状だった。



上の5枚は2011年4月の釜石駅前と市内の写真である。
あれから7年も経ってしまったんだなあ。
駅前のポストにはシャケが乗っかていた。

こちらは隣にある三陸鉄道の釜石駅。


さすがラグビーの町だけあって猫もラグビーをするらしい。

出発までの短い時間に駅そばを食べる。


熱い蕎麦をふうふう言いながら食べていると突然汗がどっと噴き出してきた。
釜石市まで行ったのに釜石駅から30メートルの範囲しか見ていない。

記念の写真も撮る。
まあ鉄道沿線を歩くことが目的だったからこれで良いのだけど、他人からみたら変なヒトだろうと思う。
大急ぎで食べ終えてプラットホームへと向かう。

残念ながらSL銀河は車庫に入ってしまって見ることができなかった。


途中の遠野駅では観光の帰りだろう大勢の人が乗り込んできた。
遠野は“日本のふるさと”だから外国人にも人気なのだ。
そういえば前回は遠野駅で台湾?からの家族連れと一緒になったっけなあ。
わたしの向かいには東南アジアからの観光客らしい若い女性が座った。
手にしているのは英語版の時刻表と「ジャパン・レールパス」だった。
来日する外国人用のJR全線乗り放題のきっぷである。
若い女性でもディパックひとつだけで外国を旅できるというのはとてもよいことだ。
いまはスマートフォンでリアルタイムで情報を得られるのでひとり旅でも困ることはないのだろうし、と考えていたら客のほとんどが新花巻駅で降りた。
みんな新幹線で東京方面へと行くのだろうか。
花巻駅で東北本線の盛岡行き列車に乗り換える。

車窓からはきれいな夕焼けが見られた。

きょう歩いた距離は約28キロメートルだ。
仙人峠からは下り坂だったので疲れは少ない、だが逆コースであの急坂を登っていたら疲労困憊していたかもしれないな。
これでJR釜石線90.2キロを歩き終えた。

JR釜石線沿線を歩く旅(完)
小佐野駅―>釜石駅 JR営業キロ3.7キロ
これは懐かしい改札用の柵。

いまでは珍しいのでは?
駅ではこの柵の中に駅員が立ちきっぷ切用のハサミをカチャカチャさせていたものである。


駅を後にして進んで行くと歩道にこのようなものが。

自転車通学の中学生はこの位置で自転車を降りろ、と書いてある。
何から何までマニュアル化するのは日本人の大きな特徴だろう。
このようにして従順な人間になるよう教育していくわけである。
さらに進むと歩道橋の上に人の動きがある。

近寄ってみるとSL銀河を撮影するために三脚を据えつけカメラを構えている人たちだった。


あと一時間ほどでSLが通過するのだ。
ここはよい撮影ポイントなのだろう一眼レフカメラを持って歩道橋へと向かう人が何人もいた。
わたしも歩きながらSL銀河を撮影出来たらと思ったのだが、このあたりから道路と線路が離れてしまう。
線路のほうへ行くと遠回りになるので3時57分発の列車に間に合わないかもしれない。


そのまま国道を進んで行くと遠くからSLの汽笛が聞こえてきた。

ああ、残念間に合わなかったか。
駅に隣接するシープラザ釜石まで来た。

急ぎ足だがマンホールの写真は撮る。

駅のほうをみるとすでにSLは到着していて乗客も降りた後だった。


駅へと向かう。

帰りの列車の時刻を確認しておく。

駅前をぐるりと回ってみる。
駅前広場にはお決まりの銅像、そしていくつかの記念碑が建っていた。


これは井上ひさしさんの「ひょっこりひょうたん島」の碑。

ああ、わたしも子供の頃この人形劇に夢中になったっけと感傷にひたる。
60年近く経ったいまでも「ひょっこりひょうたんじ~まぁ~」歌うことができる。
お気に入りは“ドン・ガバチョ”だった。
この“ひょうたん島”のモデルになった島が釜石市の近くにあるのだ。
さらに“製鉄の町”釜石なので当然ながら鉄に関する碑もある。

2019年にはラグビーワールドカップに開催地になっているので開催後はワールドカップに関する碑も造るんじゃないだろうか。
広場のとなりは「サンフィッシュ釜石・橋上市場」である。

その昔は本当に橋の上にあったのだが2003年に移設されたのだ。
釜石へ来ると必ず立ち寄った橋上市場だが、あのうらさびれた雰囲気が好きだった。

いまの時間帯の市場は客の姿は無く静かだった。
道路の向いは新日鉄の工場だ。


2011年の東日本大震災のあと4月にこの工場の前を通ったのだが、道路の瓦礫は片付けられていたものの停電は復旧していなくて交通信号が使えず警官が交通整理をしていたのだった。


海の近くへ行くと瓦礫も打ち上げられた船もまだそのままの惨状だった。



上の5枚は2011年4月の釜石駅前と市内の写真である。
あれから7年も経ってしまったんだなあ。
駅前のポストにはシャケが乗っかていた。

こちらは隣にある三陸鉄道の釜石駅。


さすがラグビーの町だけあって猫もラグビーをするらしい。

出発までの短い時間に駅そばを食べる。


熱い蕎麦をふうふう言いながら食べていると突然汗がどっと噴き出してきた。
釜石市まで行ったのに釜石駅から30メートルの範囲しか見ていない。

記念の写真も撮る。
まあ鉄道沿線を歩くことが目的だったからこれで良いのだけど、他人からみたら変なヒトだろうと思う。
大急ぎで食べ終えてプラットホームへと向かう。

残念ながらSL銀河は車庫に入ってしまって見ることができなかった。


途中の遠野駅では観光の帰りだろう大勢の人が乗り込んできた。
遠野は“日本のふるさと”だから外国人にも人気なのだ。
そういえば前回は遠野駅で台湾?からの家族連れと一緒になったっけなあ。
わたしの向かいには東南アジアからの観光客らしい若い女性が座った。
手にしているのは英語版の時刻表と「ジャパン・レールパス」だった。
来日する外国人用のJR全線乗り放題のきっぷである。
若い女性でもディパックひとつだけで外国を旅できるというのはとてもよいことだ。
いまはスマートフォンでリアルタイムで情報を得られるのでひとり旅でも困ることはないのだろうし、と考えていたら客のほとんどが新花巻駅で降りた。
みんな新幹線で東京方面へと行くのだろうか。
花巻駅で東北本線の盛岡行き列車に乗り換える。

車窓からはきれいな夕焼けが見られた。

きょう歩いた距離は約28キロメートルだ。
仙人峠からは下り坂だったので疲れは少ない、だが逆コースであの急坂を登っていたら疲労困憊していたかもしれないな。
これでJR釜石線90.2キロを歩き終えた。

JR釜石線沿線を歩く旅(完)