2012年04月15日(日)
二戸駅 ==> 三戸駅 歩いた距離21Km
東北本線に沿って歩く旅も3年目に突入だ。
冬の間は歩き旅をせずにいたがやっと暖かくなってきたので、再開することにした。
今年は北は青森まで南は福島まで歩きたい。
宇都宮まで到達できればとも思うが、怠け者なのではたしてどうなるかわからない。
北方面へは昨年に二戸駅まで歩いた。
今回は二戸駅から三戸駅そして八戸駅までを2日間で歩く計画だ。
今回のスタート地点である二戸駅までは車で行くことにしたのだが、
朝寝坊してしまったので二戸駅に着いたのは10時だった。
駅前の有料駐車場に車を置いて歩き出す。
この駐車場は24時間で200円と格安である。
だが車を停めてから向かい側に無料の駐車場があるのに気づいてしまった。
ちょっと損をした気分だ。
隣の斗米駅の手前にあるスーパーマーケット「ジョイス」でパンを買う230円なり。
飲み物は自宅から持ってきた。
晴れてはいるが風はかなり冷たい、歩いていると汗をかくほどだがウィンドブレーカーを脱ぐと寒い。
着たり脱いだりを繰り返しながら汗をかき過ぎないようにする。
このあたりは昔の農家などは姿を消してしまっている。
旧道の交差点に「昭和十一年三月 道路開鑿 記念碑」というのが建っていた。
昭和十一年にこの”細い道路”が出来て、この記念碑を建てたものだろう。
それならば、それ以前は田んぼのあぜ道程度の道路しかなかったのだろうか。
車のすれ違いも難しいようなこの狭い道だが当時は記念碑を建てるほどの大事業だったのだろう。
と考え事をして歩いていたら、
うっかり斗米駅を通り過ぎるところだった。
プラットホームだけがある殺風景な駅だった。
国道を歩かずに旧道を歩くようにする、こちらの道のほうが少しだが金田一温泉駅に近いようだ。
奥州街道の案内標識がある。
その脇に「トトメキの追分石」というのがある。
享保20年と宝暦2年に飢饉の死者を供養する目的で建てられたものとのことだ。
北東北は飢饉との戦いの歴史の地である。
近くには湧き水もある。そばにコップがあるとことろを見ると飲める水なのだろう。
金田一駅南側の踏み切りから駅を見る。
11時30分に金田一温泉駅に到着。
無人駅で駅前には2台のタクシーがいたが、客の姿はない。
トイレに入ると昔懐かしいとっぽん式のトイレだった。
うっかり物を落としたら大変だ、慎重に用を足す。
金田一温泉は廃れるいっぽうのようでパンフレットには「休業中」と書いてあるが実際は廃業してしまった旅館が数軒あった。
近隣に観光施設が無いのだから温泉だけでの集客は難しいだろうなと思う。
駅の写真を撮ってから休憩なしで歩き出す。
金田一駅付近で東北新幹線と東北本線が交差する。
下を流れるのは馬渕川だ。
昼になったので川の見える旧道へ入り線路下で買ってきたパンを食べる。
食べ終えるとすぐに歩き出す。
道路の温度計は17度だ、歩くには最適な気温である。
ここはその昔は鉄道の線路があったところだ、左側は国道4号線である。
当時の東北本線は単線だった。
トンネルが出来て複線化したので使われなくなったのだ。
岩手県と青森県の県境まで来た。
現在県境に架かる橋は「青岩橋」という名前だが、現在の橋はその昔は東北本線の鉄橋だった。
旧青岩橋から新青岩橋を見る。
新青岩橋はその昔は鉄道の鉄橋だったはずだ。
わたしは高校生の頃、この橋を通る客車の窓から写真を撮ったことがある。
当時はもちろん蒸気機関車だった、八戸から二戸(当時の駅名は北福岡駅)へ向かう列車だったが途中の三戸駅で『特急列車のすれ違いのため2時間待ち』ということがあったことを記憶している。
のんびりしていた時代とはいえ『2時間待ち』だったとは、いま思うと驚くばかりだ。
その100メートルほど上流に旧国道の「青岩橋」が架かっている。
現在は老朽化してしまったため車両は通れなくなっている。
その「旧、青岩橋」へ向かう道にあった大きなりんごのモニュメント。ここはりんごの産地である。
「旧、青岩橋」のたもとには昭和36年竣工とある。
車の通行が出来ないほど老朽化している。
だが、目時駅にあった昔の写真には昭和10年竣工とあった。
たぶん昭和10年に出来て36年に改修したのではないかと思う。
それにしても橋の道幅が狭い。
大型トラックやバスのすれ違いは無理だろう、しかも歩道が無い。
当時は車両も小さかったし、歩行者に対する配慮など無い時代だったのだ。
橋を渡ってすぐのところにはドライブインだった建物が残っている。
道路が付け替えられると旧道だったところはゴーストタウンになってしまう。
目時駅は国道からかなり入ったところにある。
午後01時30分目時駅到着。
こに目時駅も無人駅だ。駅舎内はよく清掃されていて快適である、10分ほど休憩する。
目時駅から三戸駅へ線路は山の中を通り、トンネルを抜けていく。
道があるのかわからないので国道4号線を通って三戸駅まで歩くことにする。
今日は消防団の訓練?演習日なのか駅前には消防車と消防団員が集まっていた。
三戸町はその昔なんどか車で来たことがあるのだが、うかつにも駅がどの位置にあるのか知らなかった。
三戸はシックな城下町である。
町中に入ってからコンビニや通りがかりの人に道を聞きながらたどり着いた。
三戸駅に着いたのは午後4時だった。
まだ陽は高いのだが今日はここまでとする。
右足の薬指に強い痛みがあるし、両足のふくらはぎが筋肉痛で悲鳴をあげている。
電車の時刻まで30分待ち時間があったので駅前を少し歩く。
とてもモダンな民家が残っている。
国登録有形文化財 村井家住宅とある。
なるほど文化財として残しておきたくなる建物である。
二戸駅まで電車で戻る。
三戸駅は有人駅なのできっぷを買い、改札してからプラットホームへ。
靴を脱いで右足薬指をみるとひどい血豆が出来ていた。さいわい皮膚は破れていない。
車で金田一温泉の日帰り温泉で汗を流してから帰宅する。
自宅へ戻ってから血豆になった部分に針を突き刺すと、ぴゅーっと血が噴き出した。
二戸駅 ==> 三戸駅 歩いた距離21Km
東北本線に沿って歩く旅も3年目に突入だ。
冬の間は歩き旅をせずにいたがやっと暖かくなってきたので、再開することにした。
今年は北は青森まで南は福島まで歩きたい。
宇都宮まで到達できればとも思うが、怠け者なのではたしてどうなるかわからない。
北方面へは昨年に二戸駅まで歩いた。
今回は二戸駅から三戸駅そして八戸駅までを2日間で歩く計画だ。
今回のスタート地点である二戸駅までは車で行くことにしたのだが、
朝寝坊してしまったので二戸駅に着いたのは10時だった。
駅前の有料駐車場に車を置いて歩き出す。
この駐車場は24時間で200円と格安である。
だが車を停めてから向かい側に無料の駐車場があるのに気づいてしまった。
ちょっと損をした気分だ。
隣の斗米駅の手前にあるスーパーマーケット「ジョイス」でパンを買う230円なり。
飲み物は自宅から持ってきた。
晴れてはいるが風はかなり冷たい、歩いていると汗をかくほどだがウィンドブレーカーを脱ぐと寒い。
着たり脱いだりを繰り返しながら汗をかき過ぎないようにする。
このあたりは昔の農家などは姿を消してしまっている。
旧道の交差点に「昭和十一年三月 道路開鑿 記念碑」というのが建っていた。
昭和十一年にこの”細い道路”が出来て、この記念碑を建てたものだろう。
それならば、それ以前は田んぼのあぜ道程度の道路しかなかったのだろうか。
車のすれ違いも難しいようなこの狭い道だが当時は記念碑を建てるほどの大事業だったのだろう。
と考え事をして歩いていたら、
うっかり斗米駅を通り過ぎるところだった。
プラットホームだけがある殺風景な駅だった。
国道を歩かずに旧道を歩くようにする、こちらの道のほうが少しだが金田一温泉駅に近いようだ。
奥州街道の案内標識がある。
その脇に「トトメキの追分石」というのがある。
享保20年と宝暦2年に飢饉の死者を供養する目的で建てられたものとのことだ。
北東北は飢饉との戦いの歴史の地である。
近くには湧き水もある。そばにコップがあるとことろを見ると飲める水なのだろう。
金田一駅南側の踏み切りから駅を見る。
11時30分に金田一温泉駅に到着。
無人駅で駅前には2台のタクシーがいたが、客の姿はない。
トイレに入ると昔懐かしいとっぽん式のトイレだった。
うっかり物を落としたら大変だ、慎重に用を足す。
金田一温泉は廃れるいっぽうのようでパンフレットには「休業中」と書いてあるが実際は廃業してしまった旅館が数軒あった。
近隣に観光施設が無いのだから温泉だけでの集客は難しいだろうなと思う。
駅の写真を撮ってから休憩なしで歩き出す。
金田一駅付近で東北新幹線と東北本線が交差する。
下を流れるのは馬渕川だ。
昼になったので川の見える旧道へ入り線路下で買ってきたパンを食べる。
食べ終えるとすぐに歩き出す。
道路の温度計は17度だ、歩くには最適な気温である。
ここはその昔は鉄道の線路があったところだ、左側は国道4号線である。
当時の東北本線は単線だった。
トンネルが出来て複線化したので使われなくなったのだ。
岩手県と青森県の県境まで来た。
現在県境に架かる橋は「青岩橋」という名前だが、現在の橋はその昔は東北本線の鉄橋だった。
旧青岩橋から新青岩橋を見る。
新青岩橋はその昔は鉄道の鉄橋だったはずだ。
わたしは高校生の頃、この橋を通る客車の窓から写真を撮ったことがある。
当時はもちろん蒸気機関車だった、八戸から二戸(当時の駅名は北福岡駅)へ向かう列車だったが途中の三戸駅で『特急列車のすれ違いのため2時間待ち』ということがあったことを記憶している。
のんびりしていた時代とはいえ『2時間待ち』だったとは、いま思うと驚くばかりだ。
その100メートルほど上流に旧国道の「青岩橋」が架かっている。
現在は老朽化してしまったため車両は通れなくなっている。
その「旧、青岩橋」へ向かう道にあった大きなりんごのモニュメント。ここはりんごの産地である。
「旧、青岩橋」のたもとには昭和36年竣工とある。
車の通行が出来ないほど老朽化している。
だが、目時駅にあった昔の写真には昭和10年竣工とあった。
たぶん昭和10年に出来て36年に改修したのではないかと思う。
それにしても橋の道幅が狭い。
大型トラックやバスのすれ違いは無理だろう、しかも歩道が無い。
当時は車両も小さかったし、歩行者に対する配慮など無い時代だったのだ。
橋を渡ってすぐのところにはドライブインだった建物が残っている。
道路が付け替えられると旧道だったところはゴーストタウンになってしまう。
目時駅は国道からかなり入ったところにある。
午後01時30分目時駅到着。
こに目時駅も無人駅だ。駅舎内はよく清掃されていて快適である、10分ほど休憩する。
目時駅から三戸駅へ線路は山の中を通り、トンネルを抜けていく。
道があるのかわからないので国道4号線を通って三戸駅まで歩くことにする。
今日は消防団の訓練?演習日なのか駅前には消防車と消防団員が集まっていた。
三戸町はその昔なんどか車で来たことがあるのだが、うかつにも駅がどの位置にあるのか知らなかった。
三戸はシックな城下町である。
町中に入ってからコンビニや通りがかりの人に道を聞きながらたどり着いた。
三戸駅に着いたのは午後4時だった。
まだ陽は高いのだが今日はここまでとする。
右足の薬指に強い痛みがあるし、両足のふくらはぎが筋肉痛で悲鳴をあげている。
電車の時刻まで30分待ち時間があったので駅前を少し歩く。
とてもモダンな民家が残っている。
国登録有形文化財 村井家住宅とある。
なるほど文化財として残しておきたくなる建物である。
二戸駅まで電車で戻る。
三戸駅は有人駅なのできっぷを買い、改札してからプラットホームへ。
靴を脱いで右足薬指をみるとひどい血豆が出来ていた。さいわい皮膚は破れていない。
車で金田一温泉の日帰り温泉で汗を流してから帰宅する。
自宅へ戻ってから血豆になった部分に針を突き刺すと、ぴゅーっと血が噴き出した。