東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

東海道本線全線全駅歩き旅 続編(14) 蒲郡駅 ―> 三河塩津駅

2022年06月30日 | 東海道本線 高塚駅から名古屋駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(14)

2022年(R4)5月16日(月) 蒲郡駅 ―> 三河塩津駅 JR営業キロ2.3Km

蒲郡駅前を通り、柏原街道を南下していく。







丸亀うどんの店の前を通りながら今夜はうどんにしようかななどと考える。



いや、はま寿司もいいかな。
あまり高尚な考えは浮かばないのだった。



ほどなく三河塩津駅というあたりの民家の前にはこんなものがあった。





泥棒除けそれとも?



駅間距離が2.3キロしかないから30分ほどで三河塩津駅に着いた。



駅舎へは長い階段を登っていかなければならない。
年寄りに長い階段はつらいよなあ。





今日はこの駅までとしよう。






蒲郡駅までのきっぷを買ってホームで待つ。





Googl Fitで今日歩いた距離を見ると、40キロメートル、4万9千歩になっていた。



われながらよく歩いたものだ、朝から10時間も歩いたが疲れはさほどではない。
“プロテクトJ1”という皮膚保護クリームを足に塗っているので靴擦れになることもなく快適だ。
シューズが滑るような感じだったが、見るとソールがすり減っていた。



1年ちかく履き続けているからなあ。


蒲郡駅で降りて駅前の写真を撮る。



マリーナのある町だからバス停の屋根も船の形。



駅前広場には大きなヨットが据えてあった。







これは「アメリカズカップ」の練習用のヨットだそうだ。
長さが23メートルもあるし帆柱が高いので迫力満点。

それでマンホールの蓋にもヨットが描かれているのか。



駅前のショッピングモールの前の消火栓には「ガン封じ寺」の宣伝があった。





日本人の死亡率1位はガンだからなあ。神仏にすがりたくなるのはよくわかる。



部屋へ戻り例のごとく特価処分品で夕食。



ちらし寿司で400円だからね。安さの魅力には勝てないよ。

部屋の窓からは港が一望できる。







部屋にバストイレは無い。



共同の風呂なので早めに入って寝てしまう。



明日も今日と同じような曇り空のようだ。


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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(13) 三河三谷駅 ―> 蒲郡駅

2022年06月29日 | 東海道本線 高塚駅から名古屋駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(13)

2022年(R4)5月16日(月) 三河三谷駅 ―> 蒲郡駅JR営業キロ2.3Km

三河三谷駅前にはベンチがあったので夏みかんを食べる。



採りたてだからジューシーで美味い。
大きいので1個でも食べ応え十分だ。
おやつの時間が済んだので駅を後にして歩き出す。



駅近くにある「慈清寺」の前には金ぴかの菩薩像が立っていた。





京都や奈良などにある仏像は今では煤などで汚れたり塗料が剥がれたりしているが、作った当時は金ぴかだったり鮮やかな色彩で彩どられていたはずだ。
それらの仏像を見た人たちは天国とはこんな風に美しいところだろうかと思いを馳せたのではないだろうか。

人も車も少ない街道を歩いていくのは気持ちがよい。



今夜は蒲郡駅に近いホテルを予約してある。
街道筋を離れて海側の道へと歩いていく。



横断歩道の歩行者用ボタンはタヌキの形だった。





爺さんが押すにはチト照れくさい。
交通量の多い国道23号線を進み、海側の道へと入っていく。



蒲郡駅に行く前にホテルのチェックインを済ませ、身軽になって三河塩津駅まで歩こうという計画だ。







ホテルのフロントにはだれもいなかったが、声をかけるとお婆さんが出てきた。





フロントには「出かけているがお婆さんが対応します。お婆さんは耳が遠いので・・」といようなメモがあった。
わたしも強い耳鳴りのせいで難聴である。
耳の遠いどうしでチェックイン手続きをする。

わたし 「ネットで予約した〇〇です」
お婆さん 「はあ、ちょっと待ってくださいよ,ごにょ、ごにょ」
わたし 「いや、インターネットで予約し、、むにょ、むにょ」
お婆さん 「△△さん、ごにょ、ごにょ・・」
わたし 「えー、だから むにょ、むにょ、に予約してある〇〇でチェックイン むにょ、むにょ・・」
お婆さん 「ごにょ、ごにょ、だよねえ」
わたし 「いや、きょうは涼しかったで、、むにょ、むにょ」
お婆さん 「ごにょ、ごにょ、ですかね」
わたし 「いやー、ずーっと歩いてきたんですけど」

というような、全くかみ合わない会話があって(笑)、無事に部屋のカギを受け取って部屋にディパックを置いてカメラだけを持って歩きだす。


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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(12) 三河大塚駅 ―> 三河三谷駅

2022年06月28日 | 東海道本線 高塚駅から名古屋駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(12)

2022年(R4)5月16日(月) 三河大塚駅 ―> 三河三谷駅 JR営業キロ3.1Km

三河大塚駅を後にして平坂街道を歩いていく。





この「勝川常夜燈」も高い位置にある、これは灯りというより道筋案内用の灯台みたいなものかな。



文化7年(1810)の建立とあるから212年ほど経っている。こんなところにも歴史を感じる。

蒲郡方面へは山越えの道だ、ゆっくりと歩いていく。

遠くに観覧車が見えている、あれがラグーナテンボスだろうな。





山を越えて街中へ入っていくとタオル屋さんがあって、なぜか店先に夏みかんがあった。



大きな夏みかんが4個で100円。つい買ってしまった。



う、、重い。
どうも、安い→すぐ手が出て買ってしまう→後悔する、というクセは治らんなあ。

しばらく歩き、三河三谷駅に到着。







駅前にはクエスチョンマークの像があった(笑)





像の題名は「哺」となっている。
思うにこれは母と赤ちゃんを表しているのではないだろうか。






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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(11) 愛知御津駅 ―> 三河大塚駅

2022年06月27日 | 東海道本線 高塚駅から名古屋駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(11)

2022年(R4)5月16日(月) 愛知御津駅 ―> 三河大塚駅 JR営業キロ3.1Km

駅を後にして町中を通っていく。







このあともあちらこちらで大福や柏餅のお店をみかけた。

このような建物も残っている。





電話番号が2桁というのがすごいなあ、かなり古くからのお店なのだろう。

こちらのどっしりとしたお宅は肥料などを扱う店だったのだろうか。





と街並みを見ながら歩いていく。
御津町のマンホールを見ると山と海が描かれている。豊かな土地なのだな。









昼食時だが手ごろな食堂が見当たらず、ファミリーマートでざるそばを食べた。









平坂街道を南へと進んでいく。







このお宅の夏ミカンは鈴なり状態だった。見ているだけで口の中に唾がたまる。





しばらく行くと難しい漢字の神社があった。





「スサノオ神社」だった。仮名がふっていなければ読めなかったなあ。
境内には「七五三詣り」と書かれた身長を測る碑があったのだが、



目盛りが2メートルまであるぞ。
子供たちの発育が良くなり、7歳で身長2メートルになってもしっかりと対応できるスグレものだ。

平坂街道を進んでいく。「中島常夜燈」はなぜかかなり高い位置にある。





常夜燈の後ろにも大きな夏ミカンの木が見えた。





住宅街を歩いていくと三河大塚駅への案内が見えた。



駅前に「開駅30周年記念」の碑がある。











1953年(昭和28年)の開業だから比較的新しい駅と言えるだろう。


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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(10) 西小坂井駅 ―>愛知御津駅

2022年06月26日 | 東海道本線 高塚駅から名古屋駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(10)

2022年(R4)5月16日(月) 西小坂井駅 ―>愛知御津駅 JR営業キロ3.7Km

通勤時間帯ではないので西小坂井駅前もがらーんとしていた。





駅前に「自転車預り所」があった。





このあともほとんどの駅前でも見かけたが、これは東北地方ではあまり見たことが無いな。
この「自転車預り所」は駅によって営業していたり、廃業していたりで様々だった。





道祖神の写真を撮りながら進んで行く。



ほとんどの道祖神は花を供えてあって掃除もされているのだが、たまには放っておかれたままの見かける。










豊川市消防署南分署の前まで来た





みると消防車がマスクをしている。



分かりやすくていいね、こういうのは。

街道筋は道幅が狭いのだがスピードを出す車が多かった。







歩道が無いから歩いていてちょっと怖い。

下水溝の中からかわいらしい花が見えている。







ここにもビワの木があった。道端に普通にあるんだなあ。







豊川市のマンホールにはキツネの絵がある。なにか伝説でもあるのかな。











小学校の校庭では運動会の練習をしていた。







愛知御津駅が見えているが自由通路は無かった。





ぐるっと迂回し踏切を渡って駅へと到着。









駅舎を見た感じでは高原リゾートの駅の雰囲気だが、







駅前は閑散としているし、待合室の椅子は取り払われていてがらーんとしていた。













ここも無人駅だった。


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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(9) 豊橋駅 ―> 西小坂井駅

2022年06月25日 | 東海道本線 高塚駅から名古屋駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(9)

2022年(R4)5月16日(月) 豊橋駅 ―> 西小坂井駅 JR営業キロ4.8Km

豊橋駅から西小坂井駅へは線路沿いに道はない。
豊川と豊川放水路の2本の川があるので橋を渡らなければならない。
遠回りだけどこれだけは仕方ないな。

このマンホールの蓋は学習塾の宣伝をしているね。



おそらくマンホールの蓋を広告用に使わせることで市の財政の足しにしようというこだろう。





蒲郡街道を進んでいく。





ウクライナ情勢と円安のせいでガソリン価格が大幅に上昇している。



政府が補助金を出して価格を抑えようとしているようだが焼け石に水の感じだ。
ガソリンが値上がりしても車の数は減らない。
もう車無しでの生活ができないところまで社会が来てしまったのだ。
1リットル300円でも400円でも同じような状況だろうなあ。
さすがに1リットル500円以上になったら交通量は少しは減ると思うのだが、、
日銀の黒田総裁が「物価の上昇は国民の理解を得られている」という趣旨の発言をして、そのあと撤回したっけな。
まあ日銀総裁クラスの収入があればガソリンが1リットル1000円でも缶ジュースが1本900円でも気にならないだろう。
日本は物価高、円安で経済はとんでもなく悪い方向へと向かっているようだ。
アベノミクスは失敗だったと思うのだが、その悪い状況に新型コロナウィルスへの対応のまずさが加わった。
そしてロシアがウクライナへ戦争を仕掛けたことでさらに状況は悪くなってしまった。
コロナもウクライナへの戦争も日本政府のせいではないのだが対応のまずさがあって不景気に拍車がかかっている。
円安を加速させれば輸出産業が活性化するだろうと円安を容認しているのだろうが、物価高にあえぐわれわれ庶民はたまったものではない。






途中で韓国料理のお店も見かけた。韓国から仕事に来ている人もいるのかな。



かなり川幅の広い豊川を渡っていく。







橋を渡り切ったあたりで聞きなれない言葉が聞こえてきた。





橋の下の道路でブラジル人の女性が電話をしているのだった。
今日はかなり涼しいのだがタンクトップ姿だ。
ブラジルの人は寒さに強いのかしら。

豊川市に入ってい行く。





歩いていくと住宅の窓に顔が見えてドキッとしたのだが、、



マネキンの頭部分だった。



生身の人間より人形のほうが不気味に見えるのはなぜだろう。













電気店だったと思われる家があった。
「BSデジタル放送いよいよ始まる!」とある。



JSB(WOWOW)の開局は何年前のことだったんだろうと調べてみると、1990年(平成2年)だった。
そうか、そんなに昔のことだったのか。
あのころは衛星放送を見れるということがステータスでもあったな。



午前11時過ぎ西小坂井駅に到着。





ここの駅舎は木造でちょっと懐かしい感じの無人駅だ。







戦後まもなく作られた駅とのことだがそのまま使っているんだろう。



入口のランプが木造の駅舎にぴったりの雰囲気だった。


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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(8) 二川駅 ―> 豊橋駅

2022年06月24日 | 東海道本線 高塚駅から名古屋駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(8)

2022年(R4)5月16日(月) 二川駅 ―> 豊橋駅 JR営業キロ6.9Km

午前5時に起きだしてテレビの天気予報を見ると、曇りの予報だった。



歩き旅では雨さえ降らなければいいのだ。

朝食は昨日コンビニで買ったパンとサラダ。



ホテルをチェックアウトして外へ出ると空はどんよりと曇っていて、いつ雨が落ちてきてもおかしくないような天気だ。



とても肌寒い。室内にいるとき今日は半袖と短パンで歩こうかと薄着をしていたのだが、寒さに負けてシャツを上に着てさらにパーカーを羽織った。

豊橋駅から二川駅までのきっぷを買う。





二川駅で降りて駅前の写真を撮っていたら歩道にこんなものが、、、











横断歩道にある「いったん止まって左右を確認しましょう」のマークだが目の前に柵があるのだ。
うーむ、以前はここに横断歩道があったんだな。
歩道は別の場所に移動したけれどマークを消さなかったというわけだね。
まあ、実害はないわけだし。



さて、旧東海道を進むとしよう。



「右東海道 豊橋一里半」の標柱があった。



マンホールを見つけると写真を撮る。





少し行くと「Grazie TOWN」という名のショッピングセンターがある。





ブラジル人が多いところなのにグラッチェとイタリア語? わたしはタレントのケーシー高峰さんを思い浮かべてしまった。

東海道は山のほうへ向かっているがわたしは立岩街道を豊橋方面へと歩く。





道端で丸太や薪が売られている。





わたしの田舎では薪(たきぎ)と言っていたが、ここでは「たきもの」と言うのかな。

ビワの木があった。





いまが食べごろなんだろう。
細い木だが実がたくさんなっていた。

岩手県のスーパーマーケットでならビワは高級果物の部類だ。
6個で500円以上もするのである。



この木1本で何千円になるのかな?などと俗な老人はつい計算をしてしまうのだった。

通勤通学の時間帯である。



この地区では集団で一列に並んで保護者がついての通学なんだね。

「幸公園」の脇を通る。





散歩する人、ジョギングをする人が見えた。なぜか水車があった。



駐車場に放置されたままの車があって、ガラスは割れタイヤも無くなっている。
車には「持ち主は引き取るように」と大きく市からの紙が張り付けてある。
市も警察も勝手に動かしたり処分したりできずにいるんだろうな。

線路わきに緑地帯が続いていて歩道がある。





緑地帯はなんと2キロほどもある長い道だった。
ときどき自転車通学の高校生に道をゆずりながら進む。





いよいよ豊橋市の中心へ入るというときに道を間違えてしまった。





Google Mapで見ても自分がどこにいるのかわからなくなった。







右に行くべきところを左折してしまったのだ

線路が見えたので行ってみると「豊鉄渥美線 小池駅」だった。









迷ったがなんとか国道259号線(田原街道)へと出た。









歩道が広いのに感動しながら歩いていくと路地の中に「INTERNET BRASIL」の看板が見えた。





いまはもう廃業してるんだろうなあ。
10年ほど前までは観光客や外国人労働者の多い都市には必ずあったインターネットカフェ。
スマートフォンの普及とともに急速に数を減らしていった業種だな。

長屋式のアパートが残っていた。







以前は盛岡市にも同じ様式の市営アパートがあったなあ。
1階が店舗で上の階はアパート、アーケードがあるのも同じだな。
当時は日本中で同じようなアパートを量産していたんだろうな。

豊橋駅へと向かう交差点には銅像が建っていた。









女性の像と男性の像が各2体ずつ。
なんだか男性の像はちょっと照れているような感じ。

豊橋市には市電がある。




ここまで来たなら市電にも乗ってみたい。







運賃は均一で180円だ。車内は立つ人もいるほどで利用者は多いのだろうと想像する。
路面電車に乗るのは20年ぶりかな。
そういえば宮城県仙台市の路面電車が廃止になると聞いて乗りに行ったことがあった。
今日はたった2区間だけの乗車だが楽しい体験だ。

豊橋駅に到着。



バス乗り場の2階部分は公園のように整備されていて見て回るだけでも楽しめる。









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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(7)新所原駅 ―> 二川駅

2022年06月23日 | 東海道本線 高塚駅から名古屋駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(7)

2022年(R4)5月15日(日) 新所原駅 ―> 二川駅JR営業キロ4.3Km

新所原駅には天竜浜名湖鉄道の駅が隣接している。





駅正面を見ると、、なんだか弁当屋さんみたいだな。



駅の看板がなかったらうなぎ弁当の店と勘違いしたと思う。



線路のさび具合がなんだかわびしそう。





こんなところにも「わび、さび」の世界があったのだ。
経営は厳しいんだろうなとつい思ってしまう。

駅を後にすると愛知県に入っていく、やっと静岡県を抜けたのだ。





道路わきには玉ねぎ畑が広がっていて、その向こうにはわたしの大好きな井村屋のアイスクリームの工場が見えた。





おお、こんなところで作っていたのかと突然親近感がわいてくる。

見たことのない花があった。



まるでブラシのようだなった、と思い調べてみたら名前が「ブラシノキ」だった。

踏切のわきにキロポストがある。



285キロだ、あと10キロ歩けば東海道本線の半分まで歩いたことになる。
膝に予防のためにシップをしていることもありどこにも痛みはなく、ここまでは順調に歩けている。

旧東海道を歩いて行き二川宿へと入っていく。









ここではどの家の前にもこのような飾り物が下げてあった。





雛まつりのつるし飾り、つるし雛なんだなあ。





とてもいいねえ。







各家ごとに1個、玄関前につるしてあるだけなのに歴史と華やかさを感じさせてくれる。







二川宿にも本陣資料館というのがあったのだが外から眺めるだけで中の見学はしなかった。





外からはこのような江戸の旅人の様子を再現したものも見えた。



資料館の向かいには実にシブイ歯科医院があった。



わたしが子供のころの医院はどこもこんな感じだったなあ。
玄関で靴を脱いで木の廊下を歩いていくと奥に診察室があったっけな。

さらに進んでいくとベトナム食料品店があった。





店内では数組のベトナム人が買い物をしていた。
外国人が多いんだなあ。と、ほぼ外国人のいない北東北の田舎町から来たジイさんはつい見入ってしまう。

二川宿の通りの外れが二川駅だ。







時刻は午後4時だが空模様が怪しくなってきた。
いまにも雨が降り出しそうな雰囲気なので今日はこの駅までとする。





今夜は豊橋駅前のホテルに泊まるのだ。
二川駅から豊橋駅までは名古屋までの乗車券を使う。
東海道本線を逆行しなければ何度でも途中下車できるので便利である。

豊橋駅で降りてコンビニで買い物をしてホテルへ歩いていくと雨がぽつぽつと降ってきた。





ああよかった、あのまま歩いていたら濡れるところだった。

今夜も「昔の標準的」なビジネスホテルに泊まる。
静かで清潔なら狭くても気にならないし、寝るだけだから窓からの景色なんてどうでもよい。









夕食はカップ麺だけ。





これで雨の中を外出しなくて済む。
昼食にかつ丼を食べたので夕食は質素にしたのだと言いたいところだが実はお金が無いのだ。

夕食後にテレビを見ていたら、
沖縄の本土復帰50周年のニュースを放送していた。



今日は1972年5月15日に沖縄が日本に返還された記念の日だ。
わたしは復帰前の沖縄へ旅行したことがある。



【↑ 当時の那覇空港】

仕事がらみの団体旅行で自由行動はなかった。
当時は沖縄へ行くのにパスポートが必要だった。
ドルのレートも1ドルが360円の固定相場で、いまでは考えられないほどドルは高かった。
もっとも2022年の経済の状況を見ているとそのうち1ドルが300円とかになってしまいそうだが、、
当時はベトナム戦争の真っ最中だった。
鹿児島からフェリーで沖縄へと向かったのだが、上空をものすごい数の爆撃機が飛んでいくのを見た。



北ベトナムへの「北爆」へ向かうB52の編隊だった。
もうあれから50年か、、と感傷に浸る。


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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(6) 鷲津駅 ―> 新所原駅

2022年06月22日 | 東海道本線 高塚駅から名古屋駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(6)

2022年(R4)5月15日(日)鷲津駅 ―> 新所原駅 JR営業キロ5.8Km

天候は肌寒さを感じるどんよりとした曇り空になり、風はほとんどない。

鷲津駅前も静まりかえっていた。



歩いていくとこの地区でも庭や玄関先に小さな祠が祀ってある。



時刻は午後1時前だ。
どこかで昼食を、と探していたらかつ丼屋さんがあった。



どうやら開店して間もない店のようで、店内は真新しい。
最近はタブレットで注文することが多くなったな。





慣れれば簡単だが老人のわたしにとって最初のころは戸惑ったものだ。
今はなんとか操作できるようになったが。

店内を見渡すと日本人客は数人でブラジル人と思われる家族連れがほとんどだった。
そういえば道でもブラジル人とすれ違ったっけな。
豊橋市のホームページで見るとブラジル人が最も多く、ついでフィリピン人、ベトナム人となっている。
2019年のデータでは豊橋市在住の外国人は1万8千人ほどとのこと。
トヨタなど大きな工場があるから外国人労働者が多いのだそうだ。
岩手県の田舎町では外国人を見かけることはほとんどないからついもの珍しく見てしまうのだった。

食事を終えて歩きながらマンホールの蓋を撮影する。



道路わきにごみの集積所があった。
じつに細かく区分されているのに感心する。





ビン類は透明のもの、茶色、その他の色のものといった具合に分別され回収されるのだ。
ちょっと面倒な気もするが環境のことを考えると必要なことだなあ。





新所原駅への道はアメニティ通りという名称だった。



「快適通り」、、なのか、、、

駅前には大型スーパーマーケットがあり、敷地の隅っこに小さな祠があった。









駅は真新しい感じだ。







2016年に完成というからまだ6年ほどした経っていない。
この駅が静岡県の県境の駅だそうだ。


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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(5) 新居町駅 ―> 鷲津駅

2022年06月21日 | 東海道本線 高塚駅から名古屋駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(5)

2022年(R4)5月15日(日)新居町駅 ―> 鷲津駅 JR営業キロ3.7Km

この駅にもベンチは無い、どこか休めるところはないかと見ると、、、
駅前に広場があった。



行ってみると風変わりな像が建っている。
江戸享保の時代から続いている大勢の男が花火の筒をもって奉納するお祭りだ。





テレビのニュースなどで取り上げられるので見ることも多い。
残念ながら今年はコロナ騒ぎで中止になったようだ。

脇のベンチでひと休みして元気復活、次の駅へと歩き出す。
少し行くと新居関所へと差し掛かる。











もっとも交通量の多い東海道の関所にしてはこじんまりとしている印象だ。





今回の旅は「観光もする」ので、共通入場券500円を買って入ってみる。





安政5年(1858年)の建築というが保存状態が良いのか古さを感じさせない。





明治から昭和にかけては学校や役場にも使われたとあるから補修されてきたんだろうな。





敷地の奥に“女あらため所”というのが復元されている。



ここではあらため女という女性が女旅人を調べていたとのこと。
当時の絵にあらため女の前で着物の前をはだけてあらため女に見せている場面があって面白い。






関所の前の広場ではフリーマーケットが行われていた。



カラオケをしている人もいて「こっちへ来て歌っていきなよ」と声をかけられたりもする。
「あのねえ、、、わたしは大きなディパックを背負ってカメラを下げている旅人なんですけど、、」
じつにフレンドリーな人たちである。

産直野菜や土産物も売っている。



だが観光客は数人だけででちょっとさみしい感じ。





すぐ近くにある旅籠も見学する。







これは明治時代に再建されたものを解体修理したものだそうだ。



この台所のかまど、食器棚はわたしが子供のころの田舎の親戚の家にあったものとほぼ同じである。





というとはわたしの田舎では昭和30年代(1960年代)のころまで江戸、明治期と同じような生活をしていたんだなあ。
田舎の実家でガスコンロを使うようになったのは昭和30年代の後半だったと思う。
それまでは薪を使うかまどだったっけな。

ここは風呂場とのこと。



2階の客室へ上ってみると、天井の低いことに驚かされる。



そして部屋はとても狭い、当時は雑魚寝なはずだ。
よくこんな狭いところに客を詰め込んだものだなあ。

枕がたくさんあった。



わたしの実家には折り畳み式の“木の枕”があったけな。



こんな感じの携帯枕だった。
この陶器製の枕も田舎の家にあったし、模様は違うが同じ形の火鉢もあった。







ということは日本全国同じものを使っていたということか、それだけ物流が発達していたのだろう。

歩き旅に戻る。





ゆるい坂を上っていくと鷲津駅への案内が見えてきた。
ここはまだ静岡県だ。





なんか毎日、毎日、静岡県を歩いているぞ。どこまで続く静岡県!







鷲津駅に到着。






昼の時間帯ということもありしーんとしていた。


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