東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

14日目 一関駅ー花泉駅

2012年03月20日 | 東北本線 盛岡駅~花泉駅
14日目 

2010年9月18日 

一ノ関駅⇒有壁駅  約 7.5Km 有壁駅⇒清水原駅 約4.4Km   清水原駅⇒花泉駅 約4.0Km

いよいよ岩手県の南端に向かう。

早起きして盛岡駅からの7時17分発の一関行き電車に乗り込む。



今回もきっぷは「いわてフリーエリアきっぷ」である。
大人の休日倶楽部利用なので運賃1100円。
ふつうにきっぷを買えば片道1890円なので7割引ほどである。
「この程度の運賃ならば普段の旅行でも車を使わずJRを利用するのだがなあ」
と、乗客のほとんどいない電車の中で考えた。



一ノ関駅には9時前に着いた、さっそく有壁駅を目指して歩き出す。



マンホールの蓋の写真も撮影する。



しばらくは東北本線と東北新幹線が平行して進むが新幹線はトンネルに入り直線のコースを取る。
東北本線は東方向へとカーブしている。

この地区は岩手県と宮城県が入り組んでいる、
東北本線は岩手県からいちど宮城県へ入り宮城県の有壁駅へと向かう。
そしてまた岩手県の清水原駅、花泉駅、油島駅を経由してから宮城県へ入っていくのだ。

やっと東京から400キロの地点まで来た。
すでに田んぼは稲穂が実るシーズンになってしまっている。
「鬼死骸」というすごい地名だ。



宮交(宮城交通)バスのエリアに入ったことで「宮城県まで来たんだぞ」という思いが強くなる。
「奥州街道踏切」 奥の細道とか新奥の細道、奥州街道という看板はあちこちで見かけた。

旧道だけを歩く旅というのも面白そうだなと思う。

青空にすすきが映える。



盛岡から岩手県南端まで110キロほどだが、それを2週間もかけて歩いてきた。
健脚の人ならば3日か4日間で歩きとおす距離である。
散歩の延長として始めたとはいえあまりにペースが鈍い。

10時40分に有壁駅に到着。



ずいぶんと小さな無人駅だ。



だがプラットホームは立派な3面、今は真ん中の1面は使われていなかった。



駅前に「北海道屋商店」という酒、食料品のお店があった。



北海道出身の人が経営しているのだろうか。

マンホールのデザインは(たぶん)塩を運ぶ馬の絵柄だ。



奥州街道は塩の道でもあったに違いない。

清水原駅を目指して歩く。
車はたまにしか通らないし緑が多いので気持ちよく歩ける。
途中で岩手県のエリアに入る。



次の清水原駅、花泉駅、油島駅は岩手県のエリアの駅だ。



もう刈り入れを済ませた田んぼもあった。
見ると神社に祭りの幟が立っている。



そういえば秋祭りの季節である。



さわやかな秋晴れだが歩いているとやはり暑い。



11時45分に清水原駅に到着。



ここも無人駅だ、駅舎のベンチで15分の休憩とする。



次は今日の目的地の花泉駅だ。



「かさこじぞう」が道行く人を見守っている。



現代のかさこじぞうはコンクリートの台座にしっかり固定されてしまっている。
これでは雪の日におじいさんのところへ米などを持っていけないではないか。
真新しい「まめしぼりのほっかむり」がよく似合っている。

日差しが強くなってきたので傘を差しながら歩く。



自動販売機でお茶を買って歩きながら飲む。



12時50分に花泉駅に到着。



時間に余裕があるのでもう一駅歩こうかとも思ったが、日差しが強くて歩くのがしんどいので今日はここまでとする。



岩手県南端の駅は花泉駅ではなくて油島駅なのだが、無理をせず帰路につくことにした。

花泉駅から盛岡駅への直通列車は無い、一ノ関駅で乗り換えだが時間があるので駅そばで昼食にする。





岩手県の南端まで来たということで、今年の東北本線沿線を歩く旅は終わりにする。来年はこの駅から仙台駅まで歩く計画だ。
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13日目 前沢駅 ー 一関駅

2012年03月17日 | 東北本線 盛岡駅~花泉駅
13日目
2010年9月12日 前沢駅⇒平泉駅 約8.6Km 平泉駅⇒山ノ目駅 約4.8Km 山ノ目駅⇒一ノ関駅 約3.5Km

前回から2週間もたってしまったが今日も「岩手フリーアリア切符」を買って出発。

東北新幹線が開業してからというもの仙台、東京方面へ行くときは新幹線を使うのが普通になってしまってる。
普通列車で東北線を”長距離”乗るのは数十年ぶりだ。
座席がベンチシートなのは仕方ないのだが1時間も座っていると少々くたびれる。

前沢前に着いたのは10時20分だった。
天気は雨が降りそうな曇りなので暑さもさほどではない。

駅前にアスティ南公園というのがあり、見るとトンボのようなモニュメントがある。



若い女性にトンボの羽を着けたようなメルヘンチックなものだった。

線路沿いに道が無いので国道4号線を南へと歩く。
交通量の多い国道を歩くのは騒音と排気ガスがすごい。
途中で国道から東北本線に沿って走る小さな道へ向かう。
北上川沿いの農村地帯なのだが、過去になんども洪水の被害にあっている地区だ。



見ると民家の壁に過去の台風の時の洪水の水位をあらわす表示があった。
昭和22年の洪水では約2メートルの浸水があったようだ。



白鳥館遺跡というのもあった。
その昔はこの道が大きな街道だったのだろう、大きな古い民家が並ぶ通りだ。

しばらく行くと「牛の博物館」というのがある。



ここは有名なブランド牛「前沢牛」の飼育が盛んなところだ。

曇っていた空から雨が落ちて来たと思ったらかなり強く降りだした。



傘は持ってきたが風もあるのでズボンと靴が濡れる。
雨宿りできる場所はないし、雨もすぐにやむ気配はないので歩き続ける。
膝から下はびしょびしょになってしまった。

平泉バイパスに出る「東京まで451Km」の標識がある。



平泉の町中へ入る。

訪れたときはまだ世界遺産に登録されていなかったのだが、平泉は2011年6月に悲願の世界文化遺産登録となった。

このことは2011年3月11日の東北関東大震災で落ち込んでいた岩手の人たちに、おおきな励ましになったのだった。



平泉町へ入るころやっと雨が止んだので平泉の中尊寺へと参道を登る。



基本的には東北本線沿いを歩くだけで「寄り道」はしないつもりだったがまあいいだろう。



12時20分から1時間を中尊寺の見学で過ごす。
中尊寺へ来たのは数十年ぶりである。



地元の人間なのだがいつも遠出をするときは高速道路を利用していたので平泉は素通りしていたのだった。





雨に濡れた木々の緑が鮮やかだ。

中尊寺から下山してすぐにあるのが中尊寺踏切だ。



途中右に「無量光院跡」を見ながら駅方面へと歩く。





午後2時に平泉駅に到着。



平泉駅は博物館か資料館といった雰囲気の外観の建物だがちょっとそっけない感じを受ける。
ここの駅でも駅前の郵便ポストに地元ゆかりのものが乗っかっている。



サイズが大きすぎてポストからはみ出しているぞ。



駅には「弁慶の力餅」というのも展示してある。
下の台座(三宝)も含めて160キロもあるのだそうだ
恒例の春の藤原まつりではこれをもって歩く距離を競うのである。



今日も昼食はラーメンである。
私はグルメではないので食べ物にはこだわりが無い。
旅行のときには地元の名物料理を味わうことを楽しみにしている人も多いのだが、私は牛丼、ハンバーガー、ラーメンのような「早い、安い、(できることなら美味い)」もので満足である

午後2時30分に駅前の食堂で500円のラーメンを食べ終えて歩き出す。



また国道4号線を離れ東北本線沿いに歩く。
農道らしく歩いている人もいないが車もまったく通らない。
砂利道だが静かだし歩きやすい。

しばらく歩くと左手に堤防のようなものが見えてきたので登ってみる。
そこは北上川の氾濫を防ぐための長大な堤防だった。



堤防の内側には広大な田んぼが広がっていた。

あの田んぼの向こうに北上川が流れているはずである。
ということは過去の洪水のときはこのあたり一面が水の下だったということだなあ。
その洪水を防ぐために高さ10メートル以上もある堤防を何キロにもわたって造ったということだ。

堤防を歩いていると右手に山ノ目駅が見えたので堤防を降りて国道4号線へと出る。
午後3時30分に山ノ目駅に到着。



小さいが清潔な感じの無人駅だった。

また雨が降ってきた、雨の中を歩くのはしんどいが一関までは歩きたい。
山ノ目駅の写真を撮って国道4号線に戻り小雨の中を一ノ関駅を目指して歩く。
ここにも過去の台風での洪水水位をあらわす表示があった。



あの堤防と上流のダムがなかったら今でもこの町は洪水の脅威にさらされていたのだろう。



一関市内に入り磐井川を渡る。
ここで松尾芭蕉が休んだという。



松尾芭蕉は当時の江戸から平泉まで来て、さらに日本海側へ抜けて金沢方面へと向かうのだ。
もちろん道路は舗装などされていないし山道はある。
コンビ二もビジネスホテルも無いので野宿もしなければならないだろうし、うーむ大変だったんだなあ。

一関市内で見かけた電話ボックス。



電話機側に寄りかかったら傾いて川に落っこちそうだな。

マンホールの蓋もパシャ。





午後4時15分やっと一ノ関駅に到着。



東北新幹線の青森まで開通があと77日にせまっている。

一ノ関駅から盛岡駅まで電車で帰る。


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12日目 水沢駅ー前沢駅

2012年03月15日 | 東北本線 盛岡駅~花泉駅
12日目

2010年8月29日(日) 水沢駅⇒陸中折居駅⇒前沢駅 約11.2Km

前にも書いたがこの歩き旅は朝に自宅を出て『出発駅』まで行き、その出発駅から歩き出すという方法をとってきた。

これはずいぶんとムダの多い旅である。
「お散歩気分」で始めた歩き旅なので最初のうちはそれでもよかったが、”歩き始める駅”が自宅からどんどん遠くなるのだ。

このやり方で歩き旅を続けていけば・・
『盛岡から新幹線で大宮まで行き、新幹線を降りて在来線の駅まで行き、その駅を起点に3~4つ目の駅まで線路沿いに歩く。
そして在来線で大宮駅まで戻り、さらに新幹線で盛岡まで戻って帰宅する。』
などという実にばかばかしいことになりかねない。

歩き旅は目的地に向かって一直線に進むのがもっとも効率が良いし普通のことなのだ。

きっぷを買う場合でも目的地まで通しで買うのが安上がりである。
2-3駅歩いてはJRで起点にした駅まで戻る、という方法ではJR運賃はえらく割高になってしまう。
だが、きっぷには有効期間があるのでいまのような歩き旅のやり方ではそのつど購入するしかない。

「小さな旅ホリデーパス」というきっぷがあるのを知った。
岩手県内のフリーエリアのきっぷだと、運賃は大人の休日倶楽部利用で1100円とずいぶんとお得である。
きっぷは土曜、日曜日限定で当日限り有効なのだがとにかく安いのは魅力だ。
これを利用しないテはない。



盛岡駅で「小さな旅ホリデーパス」1100円を買って午前8時8分発の上り列車に乗り込む。



1100円で県内のほとんどの路線が乗り放題だからお得である。



このきっぷがなければ車で水沢駅まで行くつもりだったのだ。

午前9時15分に水沢駅に到着。
運転して来たわけではないから疲れも無い。
駅舎の前にあった郵便ポストには大きなパラボラアンテナが乗っている。
水沢には国立天文台水沢観測センター(水沢緯度観測所)があるのだ。



水沢市は鋳物の町でもある。



鉄製の南部風鈴がチリンチリンと涼しげな音を奏でている。

駅構内の写真を撮ったりしてから歩き出す。

すでに8月の末なのだが日差しは強く、傘を差しながら歩かないと顔も腕もひどい日焼けになってしまう。

踏み切りを渡るときには写真を撮るようにする。



踏切には東北本線の起点駅からの距離が書いてあるので、歩いた距離もわかり励みになる。

この区間は北上平野なので岩手県内ではめずらしく線路はまっすぐに伸びている。



水沢駅と陸中折居駅の区間は5キロと短い。

10時40分には陸中折居駅に着いた。



無人駅でほんとうに小さな駅だった。ここで30分ほど休憩する。



ときどき貨物列車が通過するが客の姿はない。



駅前にあった自動販売機でペットボトルの水を買って一気に飲んでしまう。



駅前も「駅前」という感じはしない。
商店もなくて静かな田舎のたたずまいである。

11時5分に前沢駅に向かって歩き出す。

「おりい しゅうはい」と書いてあるマンホールの蓋



暑さで汗が噴出しシャツがびっしょりと濡れている。
ときおり風が吹くとすこしは汗が引くがとにかく暑い。

利中折居駅と前沢駅間も5.2キロなので12時11分には前沢駅近くの大型ショッピングセンターのジャスコに着いた。



店の中へ入ると冷房が効いていて身体中の汗が一瞬で引いてしまう、外は暑いが中は寒いほどでその温度差に身体がついていかない。
店の入り口に立って外の暑い風と中の冷たい風を調整しながら「涼んだ」。



ジャスコの隣に「ふれあい交流館」という施設があり、中にラーメン店があったのでここで昼食にする。



昼食を終えて数分歩き前沢駅には午後1時20分に到着。




前沢町は現在は奥州市の前沢区となったのだ。
この町のブランド牛である『前沢牛』がマンホールの蓋にデザインされている。



別なマンホールの蓋にはキジの絵が描かれていた。



あまりの暑さにこれ以上歩く気力が出なくなってしまった。



前沢駅を午後1時30分の普通列車に乗って盛岡駅まで戻ることにする。

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11日目 六原駅ー水沢駅

2012年03月13日 | 東北本線 盛岡駅~花泉駅
11日目

2010年8月26日  六原駅⇒金ヶ崎駅⇒水沢駅 約11.9Km

今日も車で六原駅まで行く。
六原駅前に車を停めてから金ヶ崎駅に向かって歩き出す。

自宅を出るのが遅かったものだから出発が12時30分になってしまった。
そのため一日のうちで最も暑い時間帯に歩くことになった。

東北本線と国道4号線が平行して走っている。
国道を歩くのは好きではない。
大型車がひっきりなしに行きかい排気ガスと騒音がひどいので、歩いていると気分が悪くなってしまうのだ。

「男のロマン」と書いた看板がある。



農機具を販売しているところなので「農業は男のロマン」と言うことだろうか。
昔は農家にはロマンが無かった。
貧しくてツライ農作業を嫌ってみんな関東地方へ就職したものだった。
40年前のあのころに比べれば機械化されて仕事は楽になっただろうが、それでも農業にロマンを感じる若者は少ないんだろうなと思う。

マンホールの蓋の写真を撮る。



金ヶ崎町の町の鳥は「やまどり」だがこれはヤマドリなのだろうか、キジにも見えるがよくわからない。

六原駅と金ヶ崎駅は約3.4キロと近いので午後1時15分には着いてしまった。



金ヶ崎駅はかなり大きな駅舎でまだ真新しいのだが客の姿は見えない。

駅の表示がなければ大きな公民館と間違えてしまいそうだ。
駅前は商店街というものも無くて静かなものだ。
ここでは駅舎の撮影をしただけで歩き続ける。

駅前にあった古いたたずまいの商店。



木製のガラス戸が昔を思い出させる。


歩いていると「奥州市」の表示が見えてきた。
私には市町村合併で出来た新しい市町名にはすぐに馴染めなくて、つい「水沢市」と古い市町名で呼びたくなる。





いつのまにかコスモスの咲く季節になってしまった。



胆沢城跡の脇を通る。



史跡といってもなにか建物とかが残っているわけでなく、ただの原っぱだから案内表示が無ければ知らずに通り過ぎてしまいそうだ。

今日も快晴で暑い。
つい自動販売機へ手が伸びてジュースを買ってしまう。

日除けに「雨傘」をさしながらとぼとぼあるくおっさんの姿はかっこよいものではない。
さいわいいなことに人通りはまったくといってよいほど無い。
これならTシャツを脱いで上半身裸で歩いていたとしても誰にも見咎められることがないだろうなあ。

水沢市内いや『奥州市内』に入ってきた。



道路標識の柱がなかなか凝った作りになっている。

日差しが強く暑さに体力が奪われていくのが分かる。



水沢市の防火水槽の蓋。



うん、これはわかりやすい絵柄だ。

水沢では春に「日高火防祭り」が行われる。
かなり以前に見に行ったことがあるが、小太鼓を叩く小さな女の子がお雛様みたいに並ぶ囃子屋台が町中を練り歩く情緒豊かな祭りだ。

金ヶ崎駅から歩いた距離は8キロほどだと思うが、あと2キロで水沢駅というあたりから足が思うように前に進まなくなった。
「急ぐ必要はないのだ、ゆっくりでいいから歩いていればそのうち着く」と自分に言い聞かせるようにしてノロノロと歩く。

駅が近くなり「おとめばし」を渡る。



なかなか風雅な名前の橋である。

暑い時期に歩くというのは本当につらいものだ。
やっとの思いで午後3時に水沢駅に到着。





自宅への帰り道の屋台でスイカを買う。



急ぐ旅ではないといっても一日の歩く距離が10キロ程度では最終目的地の東京に着くのは何日目になることやら。
やはり一日あたりの歩く距離の目標を20キロ以上にしなければならないなあ。




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10日目 村崎野駅ー六原駅

2012年03月11日 | 東北本線 盛岡駅~花泉駅
10日目

2010年8月20日  村崎野駅⇒北上駅⇒六原駅  歩いた距離 約14.9Km

この夏の暑さは最高潮になり身体がバテてしまい、だらだらと過ごしているうちに8月20日になってしまった。
このままではイカンと気を引き締めて?また歩き旅へと出かけることにした。

出発地点の駅がだんだん遠くなるのが悩みだ。
オンボロのバイクではとてもじゃないが遠すぎるので、今回も車で出発する。

村崎野駅近辺には駐車できる場所がなかったので、かなり離れた国道4号線沿いにあるパチンコ店の駐車場に車を停めた。
そこから駅まで歩き、駅を出発点として11時10分に歩き出した。

春木場踏切を通ると東京より490Kmの表示がある。
やっと東京まで500Kmを切ったのだ、まだまだ先は長い。



暑さもあって田んぼの稲の生育状態はよさそうだ。
黄金色というにはちょっと早い気がするが稲穂が重そうにたれている。



北上市へと入っていく。



消火栓のデザインが面白い、擬宝珠の形をしているのだ。
伝統芸能の盛んな古くからの町らしいイキなデザインだと思う。



マンホールの蓋もカラフルである。
中心部に『北』の市章デザインしたもので、市の花であるヤマユリと市の鳥セキレイが描かれている。



そして昔はあちこちで見かけた古タイヤを利用した「交通安全ロボット?」。
当時もかっこいいとは思えなかったが、いま見るとものすごくダサイのであった。

北上市は人口9万4千人の大きな町だが駅前は裏寂れた雰囲気だった。



駅前通が繁華街だった時代はとっくに過去の時代になっている、花巻市でもそうだったが郊外に大型ショッピングセンターが出来ると個人商店だけの駅前商店街はひとたまりもない。



12時15分に北上駅に到着。



駅のルビーでは伝統芸能の『鬼剣舞』の像が迎えてくれる。



北上駅で昼食にする、食べるのは相変わらず駅ソバなのだが今回はちょっと贅沢して卵を入れた。

食事をして30分ほど休んだ後は六原駅に向かって歩き出す。
しばらく歩き九年橋という橋を渡る。



明治9年に造られたから九年橋というのだそうだが、昭和9年に架け替えたのだという。
ずいぶんと9年ということにこだわったものである。



だが、橋には「くねんばし」と「昭和八年竣工」というプレートが着いているぞ。
それなら『八年橋』と名前を変えればよかったのに。



そこをすぎると「奥州街道・鬼柳関所跡」というのがあった。



生まれてからずっと岩手に住んでいるので「奥州街道」という名称は知っていたのだが、どの道が奥州街道なのか興味がなかったが思わぬ発見だった。





ここが南部藩と伊達藩の藩境だったのだ、昔の藩境と現在の県境とはずいぶんと離れているのだなあ。



しばらく古い民家の並ぶ旧街道を歩き途中で国道4号線へ出て六原駅の案内標識を探す。



今日の天候は晴れ、暑さがこたえる。

折りたたみ傘を日よけ用にさして歩いているのだけど短パンの足の部分には容赦なく陽が当たる。

帰宅してから足を見たら膝から下がしっかりと日焼けしていた。



午後2時20分に六原駅に到着した。
ここもこじんまりとした駅である。
六原駅には駅員がいるのだが窓口にはいなくて奥で休んでいるようだった。
券売機で切符を買って列車を待つ。

駅構内にあったかなり昔の案内表示板。



上半分は壊れているが「仙台・上野方面」と書いてある。
手書きの文字が時代を感じさせる。

ああ、そうだったんだよなあ。
新幹線が開通して東京駅が上りの終着駅になるまでは、在来線の上り列車の終着駅は「上野駅」だったのだ。




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9日目 花巻駅ー村崎野駅

2012年03月08日 | 東北本線 盛岡駅~花泉駅
9日目

8月4日 花巻駅⇒村崎野駅  歩いた距離 約9.5Km

花巻駅は自宅からだと約40Kmある。
これだけ遠いとミニバイクではツライので車で行くことにした。
駅前には有料駐車場しかないので駅から徒歩10分ほどのイトーヨーカドーに車を停めてから駅まで歩いてそこからスタートする。
あくまで駅を起点に歩く旅にこだわろうと思う。
歩き終えたらイトーヨーカドーで買い物をしてから帰る予定である。

午前11時にスタートする。
今日も暑い。



暑い日の暑い時間帯に歩かなければ良いのだが、なにぶん朝寝坊なのでこんな時間になってしまうのだ。

僕は暑いのは好きなのだが熱中症にならないようにと、ペットボトル入りの水を持ち常に水分補給するようにした。
線路沿いの道がなくてしばらく国道4号線を歩く。



ここから東京まで498Kmの標識があった。
盛岡からスタートしてすでに9日目なのにまだ40Kmほどしか進んでいないのだ。



美しいデザインのマンホールの蓋。
「しゅうはい」と書いてあるがいったい何を集配するのだろうか。

国道4号線を離れて旧道を歩いていたら宮沢賢治の詩碑と、同心屋敷という案内板があったが時間がもったいないので寄らずに歩く。
ところが途中で違う方向へ歩いているのだと気が付いた。
鉄道沿線を歩いているつもりだったのにどんどん離れてしまっていたのだ。
このまま気づかずに歩いていたら遠野方面へと向かう道に入ってしまうところだった。
国道4号線方面へと進路を変えて東北本線の高架橋を渡る。



さずがに暑くて着ているものは上から下まで汗でびっしょりだ。
この区間は国道4号線を歩いたほうが距離が近かったのだが、地図を持たずにテキトウに歩いていたせいでものすごい遠回りをしてしまった。



遠くに鉄道が見えていて鉄橋があるようだったので「きっとあの近くに川を渡る橋があるはずだ」と向かった。
だが鉄橋と道路橋は2キロ以上も離れているうえに橋へと行く道がかなりの遠回りだった。
さすがにこのときは途中で引き返そうかと思ったが、もうかなり歩いてきたので引き返すにしても大変だった。



脚が痛くなってきたし日差しは強いしで歩くのを中止したくなってきたのだが、バスが通る道ではないので歩くしかなかった。
歩くペースはかなり遅くなりトボトボ歩きの状態になったが、村崎野駅方面の標識を見つけてそちらへと歩く。
そこからしばらく行くと北上工業団地だった。

ところが・・
工業団地内でも道に迷ってしまった。



北上市のマンホールの蓋。
上下逆に撮影してしまったが中央部のマークは北上の『北』をデザインしたものだ。

うろうろと歩きまわりながらも、どうやら線路らしい方角を見つけたが駅の方向は違っていた。
やっとのことで駅方面への道案内標識を見つけ足を引きずるように歩く。
工業団地の南側に黒沢尻工業高校と伊勢神社があったのだが見学する気力が残っていない。



神社のトイレの外に水道があったので痛みと熱でつらくなった脚に水を掛け冷やす。
ついでに頭から水を浴びる。
なんとか生き返った気分である。

伊勢神社前から村崎野駅まではたったの700メートルなのだが、この短い距離を歩くのがしんどかった。
歩いている姿を見た人は「ずいぶんとダラダラと歩くオヤジだな~」と思われたに違いない。



疲労困憊しながら村崎野駅に着いたのは午後1時30分だった。
たった1駅間の2時間30分しか歩いていないのだが、歩き続ける気力は無くなっていた。
二度も道に迷ったことと暑さによる体力の消耗が原因だろう。



花巻駅までJRで戻り、イトーヨーカ堂の店内へ入ると冷房が効いていて汗が一気に引いてしまった。



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8日目です。 石鳥谷駅ー花巻駅

2012年03月06日 | 東北本線 盛岡駅~花泉駅
8日目 

2010年8月1日  石鳥谷駅⇒花巻空港駅⇒花巻駅  駅間距離 11.4Km

今日もバイクで石鳥谷駅まで行く。
15年以上も使っているオンボロのミニバイクで自宅からここまで来るのはかなりしんどい。
タイヤもすり減っているしブレーキも効きが悪くなってきた。

11時40分に石鳥谷駅前の駐輪場にバイクを置いて歩きだす。
駐輪場には『チャリンタ君』という看板があった、
自転車を貸し出す仕組みなのだろう。
観光客にとっては貸し自転車があれば便利だから良い取り組みだな。

歩きながらマンホールの蓋の写真を撮る。



町ごとにマンホールの蓋のデザインは変わっていて、その町を表す祭りや花、特産物の絵柄がデザインされているので見て楽しい。
石鳥谷は杜氏の町である。「南部杜氏」として日本中で活躍しているのだ。

マンホールには杜氏の様子がデザインされいる。
町にも造り酒屋があるが、杜氏の人たちは神戸など関西へ出稼ぎに行く人が多いのだ。

岩手県は山がちな地形なのだがこのあたりから南の県境の一関地方にかけては北上平野になる。
岩手県ではめずらしい長い「直線道路」がある。



地元にはアップダウンの多いカーブばかりの道路しかないので、
若いころはバイクでこの町まで来て直線道路で飛ばすのが楽しみだった。
それにしても町の寂しいこと、人通りはなく閉まっているままの商店が多い。



ほぼ1時間歩いて12時50分に花巻空港駅に到着した。
以前この駅は土地の名前と同じ二枚橋駅という名前だった。



駅前に「二枚橋駅開設50周年」の石碑があった。

空港が出来てしばらくしてから名前を花巻空港駅に変更したのだった。
その空港も「花巻空港」だったものがいつの間にか「いわて花巻空港」に名称が変わってしまった。
どうやら駅名まで「いわて花巻空港駅」に変更するのは面倒だったらしい。

駅の写真を撮っただけでまた歩き出す。



駅前の歩道にはジェット機をあしらったタイルがははめこんである。


「日本縦断の歩き旅」とか「東北縦断」とかをしている人はかなりいる。
歩きでなくとも夏になると自転車で東北、北海道を旅する人は多い。
青春18切符を使って東北本線の旅をしている人はかなりの数になるだろう。
思いつきで始めた旅だができるなら他の人があまりやりそうにない旅にしてみたい。
そこで東北本線沿いに歩き全駅の写真を撮り、ついでに各駅停車の旅も楽しんでしまおうと考えたのだ。
「金はないが時間だけはある」という生活だからこそ出来る旅だ。



花巻空港駅からは遠くに空港の管制塔が見える田んぼの中の道を歩く。
国道を歩くのと違って車がほとんど走っていないから騒音にも排気ガスにも煩わされることもない。



花巻市は有名な花巻温泉があるのでマンホールの蓋にも「湯のまち詩のまち」と書いてある。

こんなものを見かけた。



よく道端にある石碑なんだけど、コンクリートの台座に埋め込まれてしまっている。
なんだか味気ないなあと思いながら写真を撮る。



花巻市の町中で見かけたマンホールの蓋。
いったい何をデザインしたのだろうか。



花巻市も歴史のある町なのでこのような趣のある民家も残っている。



市の中心部へと入っていくとアーケードのある商店街を通る。
だが大型ショッピングセンターが出来たためか商店街は人通りが無く、
シャッターを下ろしたままの空き店ばかりが目立つ。



5千円札の肖像画で知られる新渡戸稲造ゆかりの地でもある。

駅へ通じる小道が新渡戸稲造にちなんで新渡戸ロードと名づけられ整備されている。
「万里の小道」と書いてあるので読んでみると、奥さんの名前がマリーなので
万里と漢字を当てて日本語にしているのだった。



交差点にはこのような小動物をあしらった手すり?ポール?があった。



「無事にカエル」ということなのだろうか。

午後3時に花巻駅に到着した。



花巻駅前には空港をイメージしたと思われるオブジェがある。



花巻駅は「花巻温泉郷」という観光地を持っているし、遠野を経由して三陸沿岸地方へと線路があるのでで駅舎は大きい。
駅前には「岩手軽便鉄道花巻駅跡」の碑が建っていた。



子供のころに親につれられて花巻温泉へ行ったとき、この鉄道の線路跡を見たような気がするのだがさだかではない。



ここで遅い昼食を食べてから石鳥谷までJRで戻る。
駅ではやはり定番の「駅そば」を食べるのがよいのだ。

JRで2駅戻ってからバイクで自宅へと帰る。







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7日目 紫波中央駅ー石鳥谷駅

2012年03月04日 | 東北本線 盛岡駅~花泉駅
7日目

2010年7月27日

紫波中央駅12:00スタート=>日詰駅12:30=>石鳥谷駅14:30着

歩いた距離 約9.4km

さて今日もバイクで自宅を出て紫波中央駅まで行くのだがこれだけでかなり時間がかかる。
出発地点がどんどん遠くなるというもの困まりものである。

自宅からバイクで出発地点の駅まで行って、そこから歩き出すというのは
アイデアとしては面白かったが、少々無理があった。
うすうすは気づいていたんだけどこのあたりが限界だな~

快晴でさすがに暑い。
駅前の駐輪場にバイクを置いて歩き出す。

大きなひまわりが咲いている住宅地の中を通り新幹線高架下を歩く。

すでに気温は30度を超えているの。
日陰を歩くのだがそれでも暑い。



紫波中央駅と日詰駅は近いので30分ほどで日詰駅に着いてしまった。
駅の写真だけ撮ってまた歩き出す。



「ほぉー、日詰という地名は昔は[樋爪氏の居舘]からだったのか。」



「え?昔はこの地域で砂金が採れたのか」と案内板を見て驚いたりする。



線路沿いに道が無くていったん国道4号線へ出なくてはならない。



歩いていると「五郎沼」の案内表示板があった。
「古代ハス祭り」ののぼりが立っているので立ち寄って見ることにした。



沼は小さくて沼というよりは溜池である。



その脇に四角に小さく仕切った池の部分がありハスの花が満開だった。
ベンチに腰掛けて缶コーヒーを飲む。



淡いピンク色の花が可憐である。
古代の人が蓮の花に天国のイメージを重ねた気持ちが良くわかる。



木陰にいると風が気持ちよくて、ここで昼寝をしたら最高だろうなと考えてしまう。
花の写真を撮ってからまた歩き出す。



途中花巻空港へ着陸する飛行機の姿が見えた。
石鳥谷の町中へと入っていく。



旧市街の道路を歩くと古い造り酒屋がある、駅前はシャッターを下ろしたままの店がめだつ。



石鳥谷駅に着いたのは14時30分だった。
だんだんと歩行距離を伸ばしてきて今日は10Km弱歩いたが、膝は大丈夫だし腰が痛くなるということもなく快調である。
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歩き始めて6日目 矢幅駅ー紫波中央駅

2012年03月02日 | 東北本線 盛岡駅~花泉駅

6日目

2010年7月23日
矢幅駅14:25スタート=>古館駅15:25=>紫波中央駅16:40着
歩行距離 約8.2Km

天気予報を見ながら「明日は暑そうだから歩くのはよそう」とか「雨が降りそうだからやめよう」など、
ぐずぐずしていた。

この日の天候はうす曇。まあ、これなら大汗をかかずに済むだろう。
ということで昼過ぎまで自宅で過ごしてから出かけることにした。
なんとも軟弱なウォーキングである。

例によってバイクで出発点になる矢幅駅まで行き、駐輪場に停めてから歩き出す。



今日も例によって地図を持たずに歩き出したのだ、がそのせいでかなり遠回りをしてしまった。
歩き終えて自宅に戻って地図を見ると狭い道だが線路沿いにも道路があったのだ。
歩いているときはそれに気づかず線路からずいぶんとは離れてしまっていた。

いつも車で通る道なので、つい同じ道を選んでしまっていたのだった。
この辺の地理は分かっているつもりだったので用意しなかったが、やはり事前の準備と地図は必要である。

天候はうす曇だが暑い日だった。



矢幅町のマンホール。このようなデザインのもあった。子供のイラストと「オバQ」らしきものが書いてある。
まさか「オバQ」ではないだろうから、河童の絵なのかもしれない。
右上の小さな円の中には矢羽が書いてある。これを見て「三ツ矢サイダー」を思い出してしまった。



八幡踏切を渡る。ここにも東京からの距離が書いてある。
522キロとある。ん?新幹線の橋げたにあったのは480キロだったはずだが?
新幹線は在来線に比べて直線コースを取るために距離が短いのだと気がつくまでに数秒かかった。



この八幡踏切のすぐそばにあるのが「八幡神社」だ。
杉の木立に囲まれたこじんまりとした趣のある社であった。

古館駅に到着。



駅舎の真上は新幹線の高架である。いかにも窮屈そうな待合室でなんだか洞窟を思わせる。
ここでは写真を撮るだけにして歩き続ける。



駅前は昔ながらの狭い道だ。

線路沿いに道が無いので住宅地の中をいったん国道4号線近くまで歩いてから、こんどは東北本線と東北新幹線の上を跨ぐかたちの誇線橋を通る。



この誇線橋は屋根つきなのだが内部も外部もしっかりと錆びていた。

もうすぐ紫波中央駅だ。



紫波中央駅前は大規模な宅地開発が行われている。
数年前までは農地だったこのあたりも真新しい住宅が並ぶ町になっていた。



紫波中央駅は木造で、これも真新しい駅舎だ。
隣接して野菜の直売所もある。



自動券売機で矢幅駅までの切符を買って戻ることにする。
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5日目 岩手飯岡駅ー矢幅駅

2012年03月01日 | 東北本線 盛岡駅~花泉駅


5日目

2010年7月22日  岩手飯岡駅15:05スタート => 矢幅駅16:25着
歩いた距離約5Km

今日も自宅からバイクでスタート地点の岩手飯岡駅まで行く。
駅前には広い駐輪場があるのだが面白いことに一般用と高校生用に
区画が分けられているのだった。

できるだけ東北本線の線路に沿って歩こうと決めたので
地図は持たないで歩いている。
線路が視界にある道を歩くようにしようと思う。

このころから東北本線に沿って歩いて東京まで行こうと強く思うようになった。

散歩の延長線上ではじめた歩く旅だが目標らしいものが出来たわけだ。
だが無理はしないつもりである。
自分のペースで回りの風景を楽しみながら歩こうと思う。

岩手飯岡駅から歩き始めて住宅地を抜けると、ずーっと田んぼが広がっている。



夏服の女子高生ふたりが楽しそうに話しながら自転車で過ぎていった。

うす曇の天候で、7月の後半だが暑さはさほどでなく歩くには最適だ。



線路に沿った道は農耕車用の道路らしく舗装されていない。
だが意外にもこのような道のほうが歩きやすく感じる。
じゃりが適度なクッションになるからだろうか。

しばらく歩くと右手に貨物駅が見えてきた。
貨車や電気機関車が停まっているのが見える。

新幹線の高架下では百合の花がたくさん咲いていた。



高架の柱にはプレートがついていて東京からの距離がわかる。
なんと490キロもあるではないか!
ちょっと遠いなあ・・と一瞬くじけそうになるのだった。

矢巾町に入るとマンホールのデザインが変わる。



鳥と百合の花、そして矢羽根があしらってある。

矢巾駅前の風景はちょっと寂れた雰囲気だが、この裏手には大きなショッピングセンターがあるのだ。
盛岡のベッドタウンとして近年大きく発展してきているのだ。



矢幅駅も新しくなっていた。



矢巾町は矢巾と書くのだが駅名は矢幅駅である
なぜ統一しなかったのだろうか、ちょっと疑問に感じた。

今日も一駅分だけ歩いた。
矢幅駅からJRで岩手飯岡駅まで戻る。





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