2012年04月16日(月)
三戸駅ー北高岩駅 歩いた距離 14Km(山へ迷い込んでさらに8Km歩いた)
今日も車で三戸駅まで行く。
国道4号線には雪はないが奥中山付近の日陰部分にはまだかなりの雪が残っている。
この冬は日本海側を中心に近年にないほど大雪で被害も大きかった。
もしかしてこの夏は冷夏かなと思ってしまう。
三戸駅の駅前駐車場に車を停める。
ここは無料だった。広い駐車場だが停まっている車が数台しかないのだ。
午前10時30分に歩き出す。
昨日の疲れはさほどではないのだが、やはり太もも部分とふくらはぎが痛い。
だがそれも歩いているうちに気にならなくなってきた。
右足薬指の血豆は治ってしまった。
針を刺して血を抜いたのが正解だったのだ。
民家の間の細い道を抜けて国道4号線へ出る。
三戸駅北側の踏切から三戸駅をパチリ。
できるだけ旧道を歩くようにする。
旧道にはお地蔵さんがいて、道行く人を見守っていてくれる。
1時間で諏訪ノ平駅に到着。
ここも無人駅である、見た目が民家のような作りの駅舎だ。
駅舎の前に自動販売機が並んでいるのでうっかりすると駅と思わず通り過ぎてしまいそうだ。
プラットホームは3面あるのだが使っているのは2面だけ。
休憩は取らずに写真を撮っただけで歩き出す。
しばらく東北本線と国道4号線が平行して走っている。
国道を歩くよりは田んぼのあぜ道を歩くのが好きなのだが残念ながら途中で道が途切れてしまっていた。
今来た道を戻るのが正しいのだがすぐ左に線路があり、それを横切ると国道4号線なので思い切って線路を渡ってしまう。
子供の頃は線路の近くで遊んだことも多かった。
線路脇に立ち、通り過ぎる蒸気機関車の煙を浴びたり、耳を線路に当てて近づいてくる列車の音を聞いたりしたものだ。
いまは列車の速度が速くなったのでそんなことをしていたら危険である。
気がついたら列車が目の前に来ていたなどということになりかねない。
ふたたび国道4号線にもどり剣吉駅を目指して歩く。
剣吉の町へ入った。
ここにもお地蔵さんと思いきや大きな石になにか文字が彫ってあるものだった。
この町ではきょうは市日だった。
わたしの田舎町でも、その昔は町ごとに市の立つ日があり、近隣からの買い物客で賑わったものだ。
だが大きなスーパーが出来て、農機具類もホームセンターなどで購入する時代になってしまった。
だから『市日』は廃れて無くなってしまったものと思っていた。
ここには規模は小さいもののまだ市が存在していたのだった。
だが、賑わいはまったく感じられない。
客と思われる人も業者の人も老人ばかりである。
このひとたちの時代で「市日」は終わってしまうのだろう。
12時45分、剣吉駅に到着。
ちいさな駅だがちゃんと駅員のいる駅だった。
ここも駅舎内はよく清掃されて気持ちが良い。
待合室にはミニ図書館といえるほどの本が揃っている。
お年寄りが5人待合室にいたが、バスが駅前に着くとそれに乗って行ってしまった。
ここで15分休憩する。
つぎの苫米地駅までそして北高岩駅まで東北本線と国道104号線は平行して走っている。
国道4号線は方向を北へ向けて東北本線とは離れてしまうのだ。
午後1時50分に苫米地駅到着。
プラットホームだけの駅だから写真を撮って歩き出す。
南部町役場前を通過。
もう午後2時である、休憩もしたいし昼食もまだなので食事もしたい。
ラーメン店があったので迷わず入る。
ラーメンライスで630円、なかなか美味い。
北高岩駅を目指して歩く。
午後3時15分に北高岩駅に到着。
ここも無人駅だ、中央のプラットホームの向こうに国道へ抜けるための高架橋があったので、それを登って国道104号へ出る。
交差するのは東北新幹線だ。
見上げると馬渕川に架かる東北新幹線の長大な橋に驚かされる。
このまま国道104号線を行けば八戸駅に向かうのだが、国道よりも旧道を歩きたいと思っているので国道をそれて歩き出す。
進行方向に向かって左側に鉄道線路がある。
左方向へ向かえばどこかで線路に突き当たりだろうし、踏み切りもあるだろうと考えた。
これが間違いのもとだった。
国道をそれて山のほうへ向かったのだが鉄道線路が見当たらない。
見当たらないわけで、わたしの歩いているところはトンネルの上部分だったのだ。
まさか自分がトンネルをまたぐかたちで鉄道線路の上を歩いているのだとは考えなかった。
しばらく歩いても線路が見えないので「線路は自分が歩いているところよりも左の方向に曲がっているのだろう」とばかり考えていた。
40分も歩いた頃には「これはおかしい、戻ったほうがいいかも知れない」と考えたのだが。
「いや、もう少し歩いてみよう」と、どんどん山の中へ入って行ったのだった。
その道は農免道で道幅は広く、よく整備されてはいるものの道路標識は無い。
回りは山林と農地ばかりで人の姿は無い。
たまに通りかかる車はスピードを出しているので止めて道を聞くことも出来なかった。
完全に道に迷ってしまったのだ。
午後4時過ぎなのでまだ日は暮れていないが冷えてきた。
食料も水も無いし、かなり疲れている。
運良く通りかかった車を止めて国道へ出る道を聞くことが出来たのだが、なんと1キロ先の「T字路を左に行くと国道に出る」と教えられたのに右への道へ進む始末である。
もう完全に方向感覚を失っていた。
道を間違えたことに気づかないまま、さらに1キロ以上も歩いてしまってから、これは変だと感じたのだが人も車も見当たらない。
と100メートルほど先に農作業をしている老夫婦を見つけた。
親切なお婆さんで「あなたは逆方向へ歩いている、とにかくこの道を戻ってまっすぐ坂を下って行きなさい」と教えてくれた。
教えられた道を歩いていくと、どんどん下り坂になって来る。30分も歩くと人家が見えてきた。
さらに30分ほど歩くと突然に東北本線の線路が見えた。「やれやれ助かった」
民家の前にいた老人に聞くと15分ほどで北高岩駅があるという。
なんとわたしは北高岩駅を出て山の中をぐるっと回って、元の場所へ戻って来たのだった。
山の中の農道へ入ってしまい、左へ左へと大回りしてもとの北高岩駅へ1キロ手前まで戻って来ていたのだった。
午後3時30分から5時30分までの2時間、道を迷い山の中をさまよっていたのである。
陽は沈み辺りは薄暗くなってきていた、あのまま山の中をさ迷っていたならどうなっていただろうか。
やっとの思いで北高岩駅に着くとちょうど列車が来るところだった。
大急ぎで販売機で切符を買い、階段を駆け足で登ってぎりぎりで列車へと乗り込む。
あんなに疲れていたのによく階段をダッシュで登るだけの力が残っていたものだと思う。
列車内は帰宅する高校生でいっぱいだったが、座ることが出来た。
三戸駅についてから車で国道4号線沿いの銭湯へ行った。
ここはその昔入浴代金が300円だったが、今は420円になっていた。
だが中の設備は昔のままだった。
三戸駅ー北高岩駅 歩いた距離 14Km(山へ迷い込んでさらに8Km歩いた)
今日も車で三戸駅まで行く。
国道4号線には雪はないが奥中山付近の日陰部分にはまだかなりの雪が残っている。
この冬は日本海側を中心に近年にないほど大雪で被害も大きかった。
もしかしてこの夏は冷夏かなと思ってしまう。
三戸駅の駅前駐車場に車を停める。
ここは無料だった。広い駐車場だが停まっている車が数台しかないのだ。
午前10時30分に歩き出す。
昨日の疲れはさほどではないのだが、やはり太もも部分とふくらはぎが痛い。
だがそれも歩いているうちに気にならなくなってきた。
右足薬指の血豆は治ってしまった。
針を刺して血を抜いたのが正解だったのだ。
民家の間の細い道を抜けて国道4号線へ出る。
三戸駅北側の踏切から三戸駅をパチリ。
できるだけ旧道を歩くようにする。
旧道にはお地蔵さんがいて、道行く人を見守っていてくれる。
1時間で諏訪ノ平駅に到着。
ここも無人駅である、見た目が民家のような作りの駅舎だ。
駅舎の前に自動販売機が並んでいるのでうっかりすると駅と思わず通り過ぎてしまいそうだ。
プラットホームは3面あるのだが使っているのは2面だけ。
休憩は取らずに写真を撮っただけで歩き出す。
しばらく東北本線と国道4号線が平行して走っている。
国道を歩くよりは田んぼのあぜ道を歩くのが好きなのだが残念ながら途中で道が途切れてしまっていた。
今来た道を戻るのが正しいのだがすぐ左に線路があり、それを横切ると国道4号線なので思い切って線路を渡ってしまう。
子供の頃は線路の近くで遊んだことも多かった。
線路脇に立ち、通り過ぎる蒸気機関車の煙を浴びたり、耳を線路に当てて近づいてくる列車の音を聞いたりしたものだ。
いまは列車の速度が速くなったのでそんなことをしていたら危険である。
気がついたら列車が目の前に来ていたなどということになりかねない。
ふたたび国道4号線にもどり剣吉駅を目指して歩く。
剣吉の町へ入った。
ここにもお地蔵さんと思いきや大きな石になにか文字が彫ってあるものだった。
この町ではきょうは市日だった。
わたしの田舎町でも、その昔は町ごとに市の立つ日があり、近隣からの買い物客で賑わったものだ。
だが大きなスーパーが出来て、農機具類もホームセンターなどで購入する時代になってしまった。
だから『市日』は廃れて無くなってしまったものと思っていた。
ここには規模は小さいもののまだ市が存在していたのだった。
だが、賑わいはまったく感じられない。
客と思われる人も業者の人も老人ばかりである。
このひとたちの時代で「市日」は終わってしまうのだろう。
12時45分、剣吉駅に到着。
ちいさな駅だがちゃんと駅員のいる駅だった。
ここも駅舎内はよく清掃されて気持ちが良い。
待合室にはミニ図書館といえるほどの本が揃っている。
お年寄りが5人待合室にいたが、バスが駅前に着くとそれに乗って行ってしまった。
ここで15分休憩する。
つぎの苫米地駅までそして北高岩駅まで東北本線と国道104号線は平行して走っている。
国道4号線は方向を北へ向けて東北本線とは離れてしまうのだ。
午後1時50分に苫米地駅到着。
プラットホームだけの駅だから写真を撮って歩き出す。
南部町役場前を通過。
もう午後2時である、休憩もしたいし昼食もまだなので食事もしたい。
ラーメン店があったので迷わず入る。
ラーメンライスで630円、なかなか美味い。
北高岩駅を目指して歩く。
午後3時15分に北高岩駅に到着。
ここも無人駅だ、中央のプラットホームの向こうに国道へ抜けるための高架橋があったので、それを登って国道104号へ出る。
交差するのは東北新幹線だ。
見上げると馬渕川に架かる東北新幹線の長大な橋に驚かされる。
このまま国道104号線を行けば八戸駅に向かうのだが、国道よりも旧道を歩きたいと思っているので国道をそれて歩き出す。
進行方向に向かって左側に鉄道線路がある。
左方向へ向かえばどこかで線路に突き当たりだろうし、踏み切りもあるだろうと考えた。
これが間違いのもとだった。
国道をそれて山のほうへ向かったのだが鉄道線路が見当たらない。
見当たらないわけで、わたしの歩いているところはトンネルの上部分だったのだ。
まさか自分がトンネルをまたぐかたちで鉄道線路の上を歩いているのだとは考えなかった。
しばらく歩いても線路が見えないので「線路は自分が歩いているところよりも左の方向に曲がっているのだろう」とばかり考えていた。
40分も歩いた頃には「これはおかしい、戻ったほうがいいかも知れない」と考えたのだが。
「いや、もう少し歩いてみよう」と、どんどん山の中へ入って行ったのだった。
その道は農免道で道幅は広く、よく整備されてはいるものの道路標識は無い。
回りは山林と農地ばかりで人の姿は無い。
たまに通りかかる車はスピードを出しているので止めて道を聞くことも出来なかった。
完全に道に迷ってしまったのだ。
午後4時過ぎなのでまだ日は暮れていないが冷えてきた。
食料も水も無いし、かなり疲れている。
運良く通りかかった車を止めて国道へ出る道を聞くことが出来たのだが、なんと1キロ先の「T字路を左に行くと国道に出る」と教えられたのに右への道へ進む始末である。
もう完全に方向感覚を失っていた。
道を間違えたことに気づかないまま、さらに1キロ以上も歩いてしまってから、これは変だと感じたのだが人も車も見当たらない。
と100メートルほど先に農作業をしている老夫婦を見つけた。
親切なお婆さんで「あなたは逆方向へ歩いている、とにかくこの道を戻ってまっすぐ坂を下って行きなさい」と教えてくれた。
教えられた道を歩いていくと、どんどん下り坂になって来る。30分も歩くと人家が見えてきた。
さらに30分ほど歩くと突然に東北本線の線路が見えた。「やれやれ助かった」
民家の前にいた老人に聞くと15分ほどで北高岩駅があるという。
なんとわたしは北高岩駅を出て山の中をぐるっと回って、元の場所へ戻って来たのだった。
山の中の農道へ入ってしまい、左へ左へと大回りしてもとの北高岩駅へ1キロ手前まで戻って来ていたのだった。
午後3時30分から5時30分までの2時間、道を迷い山の中をさまよっていたのである。
陽は沈み辺りは薄暗くなってきていた、あのまま山の中をさ迷っていたならどうなっていただろうか。
やっとの思いで北高岩駅に着くとちょうど列車が来るところだった。
大急ぎで販売機で切符を買い、階段を駆け足で登ってぎりぎりで列車へと乗り込む。
あんなに疲れていたのによく階段をダッシュで登るだけの力が残っていたものだと思う。
列車内は帰宅する高校生でいっぱいだったが、座ることが出来た。
三戸駅についてから車で国道4号線沿いの銭湯へ行った。
ここはその昔入浴代金が300円だったが、今は420円になっていた。
だが中の設備は昔のままだった。