東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

東海道本線全線全駅歩き旅 16

2019年04月30日 | 東海道本線 東京駅~熱海駅
2019年3月 東海道本線に沿って歩く旅

2日目・2019年(平成31年)3月28日(木曜日) 東神奈川駅 ―> 横浜駅 1.8Km

こんどは国道1号線を歩く。





まだ通勤時間帯だから電車の本数も多い。

それにしても編成の長いこと、普段は2両編成や1両だけでの運行を見慣れているから驚くのだが。





やっと日本橋から30Km地点。



青木橋のあたりを見回すと、右手奥に崖に建つお寺が見えた。





傾斜の多い土地なので本堂を崖に建てなければならなかったのだろうと想像する。

横浜駅が近づいてきた。



ううむ、いったいどっちに行けばよいのやら。



やっとのことでたどり着いた横浜駅。



このPORTA入り口には見覚えがある、かなり昔だが来たことがある。



横浜駅は大きくて「きた東口」、「みなみ東口」「きた西口」など紛らわしい出入り口がいっぱいある。
田舎から来たじいさんにはわかりにくい。

『南東京都南東口』などという表示があったならどこで区切って読むのかわからないだろうなあ。
京都の東なのか、それとも東京都の南なのか、はたまた「みなみとうきょう、となん、ひがしぐち」なのか・・・。
横浜駅まで来てこんなバカなことを考えているじいさんであった。

「みなみ東口」から外へ出ると外国人観光客が記念写真を撮っていた。



南国からの人たちのようでみなさん厚着だった、春とはいえまだ寒いからねえ。


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東海道本線全線全駅歩き旅 15

2019年04月29日 | 東海道本線 東京駅~熱海駅
2019年03月 東海道本線に沿って歩く旅

2日目・2019年(平成31年)3月28日(木曜日) 新子安駅 ―> 東神奈川駅 2.2Km

いま歩いているのは第1京浜・国道15号線だ。





神奈川宿歴史の道の案内がある。



江戸時代の宿場町はかなり数が多かったんだなあ。



東海道五十三次というから53の宿場町があったということか。
距離を約500Kmとして平均10Kmほどで次の宿場町に着いてしまう。
江戸時代の旅人はその日の宿に困ることはなかったんじゃないのかな。


東神奈川駅に到着。





この駅にも広重の絵があった。





自由通路を通って西口へ行ってみる。





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東海道本線全線全駅歩き旅 14

2019年04月28日 | 東海道本線 東京駅~熱海駅
2019年3月 東海道本線に沿って歩く旅

2日目・2019年(平成31年)3月28日(木曜日) 鶴見駅 ―> 新子安駅 3.1Km

鶴見駅でも写真を撮るだけで歩き続ける。





ビルの谷間の稲荷神社。



日本橋からまだ24Kmしか歩けていない。



お寺かと思ったら銭湯だった。





もちろんこの時間は営業していないが、なかなか重厚な建物である。

新子安駅の手前にはこんな光景が見られた。





お寺の参道を鉄道が横切っているのだ。





これはテレビで見た記憶がある。
お寺の前を京浜急行線、後ろを東海道本線が走っているのだ。
こんなところにあったとは知らなかった。
列車は頻繁に通るのでお参りに行く人はよほど気を付けなくてはならないだろう。
お寺や神社は簡単に引っ越しできないからなあ。



新子安駅に到着。





時刻はまだ午前8時半過ぎだ。




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東海道本線全線全駅歩き旅 13

2019年04月27日 | 東海道本線 東京駅~熱海駅
2019年3月 東海道本線に沿って歩く旅

2日目・2019年(平成31年)3月28日(木曜日) 川崎駅 ―> 鶴見駅 3.5Km

今では旧型になってしまったカプセルホテルの内部。



午前5時に起きてチェックアウトする。


早朝だというのに人通りが多い。大都会は24時間眠らないのだ。





まず川崎駅へ行き駅前を見て回る。





大きな岩が積み重ねてある。いったいなにがあったのだろう。





「希望」というモニュメント?彫刻?の美術作品のようだ。



大きな岩の重みで希望がつぶされそう・・・ということを表しているのだろうか。
現代アートはわたしにはよくわからない。

その隣にはこれ。



こういう美術作品もわたしにはわからない、単に美術的なセンスがないだけだろうけど。
川崎市のマンホールの蓋はカラフルである。



歌手坂本九さんの石碑もあった。坂本九さんは川崎市の出身だったのか。



男が柱の鏡に向かって何か言っている。



鏡に映る自分に話しかけているのだった。都会にはいろんな人がいるものだ。
その様子をずーっと見ていたわたしもヘンな人に違いない。

川崎駅を後にして歩き出す。

ずいぶんと壁が錆でしまったビルがあった。



だがよく見るとわざわざ錆びているように見せているデザインなのだった。
これなら将来本当に錆で汚れても分からないわけだな。

このマンホールの絵柄は川崎市の花、ツツジだろう。



川崎急行八町畷駅近くには松尾芭蕉の句碑があった。





JRではないけれど電車が来るとついシャッターを押してしまう。







このあたりも細い路地があちこちにある。





鶴見市場駅付近。



春なのか秋なのか判然としない商店街の飾りを撮影。



これは一年中飾ってあるんだろうな。





まだ肌寒い日が続いているが花は春を運んできている。



路地の奥に神社が見えたので行ってみると。







市場の一里塚跡だった。

ところどころに道祖神がある。



旧東海道を歩く人のために道路上にも案内のプレートがある。



鶴見川を渡る。









快晴とは言えないが風もなく歩くには快適な日だ。





公園でひと休み。







昨夜コンビニで買ったパンで朝食にする。



わたしが桜の写真を撮っていたら公園の掃除をしていたおじさんが話しかけてきた。





「桜を撮影してるの? 桜ってなんかうすぼんやりしてるよねえ」
「はぁ・・そういえばそうですねぇ」

日本人は桜が好きだ。
赤、黄色など鮮やかな色でなく、はっきりしないところが日本人の性格に合うのだろう。
♪さくら、さくら・・・かすみか雲か・・♪
霞なのか雲なのか判然としないところを愛でるのだ。
花の香りもほぼない。
ぱっと咲いてぱっと散る。
こんなところも日本人の好みである。
太平洋戦争末期に特攻兵器として「桜花」というがあった。



爆弾に隊員が乗って突っ込んでいくという、とんでもない兵器だ。
“桜のように散る”というのがよいこととされた時代だったのだ。

なにごとも明確にしないで「うすぼんやり」と曖昧にしておくというのも日本人である。
意見をはっきり言わず「その件は前向きに検討させていただきます」みたいな表現をする。
わたしもたったいま「はぁ・・そうですねぇ」と曖昧な返事をしたばかりだけど。

これらも桜を日本人が好む理由ではないだろうか。

パンを5分で食べ終えて歩き出す。
最近は駅にも公園にもゴミ箱を置いてない。
ゴミをバックパックに入れたまま持ち歩くことになってしまう。

公園の隣にはこんな銅像?美術作品?が立っていた。





宇宙人なのかそれとも・・
わたしがひらめいたのは山形県上山市の奇祭「加勢鳥」(かせどり)だ。



【写真は山形観光ポータルから借用】
江戸時代から伝わるお祭りとのことだが、なんとそっくりではないか。
もしかして川崎市と上山市は姉妹都市なのか。


すこし行くとこんどは鶴見神社前に通りかかった。



社殿の前の賽銭箱を見ると真っ赤な鶴丸マークが描いてある。





日本航空はこのデザインを借りたのだろうか。
かなり似てはいるが神社の登録商標ではないだろうしなあ。
などなど神社の前でアホなことを考えてしまった。



鶴見駅前に到着。






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東海道本線全線全駅歩き旅 12

2019年04月26日 | 東海道本線 東京駅~熱海駅
2019年3月 東海道本線に沿って歩く旅

1日目・2019年(平成31年)3月27日(水曜日) 蒲田駅 ―> 川崎駅 3.8Km

蒲田駅を後にしていくと歩道わきにこんなものが、





天使だったり、カエルだったり。
わたしはこのようにあまり目立たないのが好きだな。
ステンレス製などででっかくてギラギラしているのはどうも好きになれない。





多摩川を渡る。



河原は野球グラウンド、サッカー場などになっている、都会ではどんな土地でも無駄にできないのだ。
橋を渡ると神奈川県だ。





この六郷橋にはこんなものが乗っかっていた、どうやら和船を表しているらしい。



橋を渡り切ったところには「長十郎梨のふるさと」の案内板もあった。



へえ、昔はこのあたりは梨畑だったのか。
いまは住宅とビルが立ち並び畑があったことを想像することも難しい。

そのすぐ下には「旧東海道」の道案内もあった。







さらに「電気鉄道停留所跡」の案内もあるので興味がある人には面白いところだ。



配電盤にも「ようこそ川崎宿へ」と実にこまやか。



もちろん「旧東海道」を歩く。





少し行くと“川崎宿交流館”の前を通りかかる。



見学無料とのことで入ってみる、受付の人は「あと30分で閉館ですよ」という。







パネル展示が主なので15分で見て回り、トイレ休憩も済ませて外へ出る。

今夜は川崎に泊まる予定である。
駅前で安さを重視するとなれば当然カプセルホテルになってしまう。





まず川崎駅へと行く。



時刻は午後5時。今日は約6時間歩いた。



駅のコンコースで川崎鉄道ヒストリー展をやっていた。
パネル展示とジオラマで鉄道の歴史を紹介しているのだった。







事前に調べるということをしないのでこのような偶然も楽しみのうちである。

駅前のビッグ・カプセルホテルにチェックインして、まずは風呂で汗を流す。



夕食はホテルの隣にある“ゆで太郎”で蕎麦とミニ天丼のセットにした。





味は残念としか言いようのないもので、特にてんぷらがべちょべちょしているのがダメだった。
てんぷらはサクサクした歯ごたえが魅力なのだがなあ。
まあ、我慢・・である。

明日の朝食用のパンはホテル向かいのコンビニで調達した。



コンビニのレジ係はタイの人だった。
外国人労働者が増えているというが、岩手県のような田舎ではまず見かけることはない。
都会でならではのことだろうなと考えた。

買い物も済ませ、あとはすることがないので午後8時過ぎには寝てしまう。


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東海道本線全線全駅歩き旅 11

2019年04月25日 | 東海道本線 東京駅~熱海駅
2019年3月 東海道本線に沿って歩く旅

1日目・2019年(平成31年)3月27日(水曜日) 大森駅 ―> 蒲田駅 3.0Km

大森駅では力士を発見。



岩手県ではまず見ることのないお相撲さんの姿だ。

時間帯にもよるのだろうが割と閑散としているアーケードを通る。



駅前の商店街を抜けていくと公園があった。





入新井西公園にはSLと消防自動車が置いてあった。





子供が遊べるように工夫してあるのだ。



SLは「C57 66」でよく手入れされているようでピカピカだ。



ちびっこは乗り物が好きだからこれは楽しそうだ。



さらに細い道を行くと“あんぱんまん”が店頭に大量に展示してある。



立ち話をしているご老人が趣味で集めているのだろう、家の中も“あんぱんまん”だらけであった。



都内は土地が高いので駐車場も立体にするしかない。
5階建ての駐車場。



車の出し入れに時間がかかりそうだな。



公園にはこのような自転車がたくさん停まっていた。



電動アシスト自転車だから子供を乗せてもすいすい走れる、便利な時代になったなあ。

蒲田駅が近くなってきた。



蒲田駅前には大きなモニュメントがあった。



こちらは気球なのかそれともバケツなのか。



だがこういう構造物にはだれも注目していない。
完成後は話題になることもまずない。
それでも駅前にはなにか造らなくてはと、行政の担当者は考えるんだろうな。




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東海道本線全線全駅歩き旅 10

2019年04月24日 | 東海道本線 東京駅~熱海駅
2019年03月 東海道本線に沿って歩く旅

1日目・2019年(平成31年)3月27日(水曜日)  大井町駅 ―> 大森駅 2.2Km

午後1時を過ぎてさすがに空腹になった。



歩いていくとレストランCOCOSの看板が見えた。



よしCOCOSでランチにしようかと、ビルの階段を上りかけたとき“すき家”看板が目に入った。



なぜか足が自分の意志とは逆に“すき家”のほうへと進んでいく。



定番の味、牛丼はわたしの口に合うのだ。



地図を見ると大森貝塚が近い。

いったいどんなところなのかちょっと寄り道してみよう。





狭い路地を抜けて線路わきを通っていくと「大森貝塚遺跡庭園」があった。







中央にはエドワード・モース博士の銅像が立っていた。



この人がカルピスウォーターを発見したエドワード・モースである。
「ううむ、なぜ貝塚にカルピスウォーターが埋もれていたのだろう」と思案しているところなのだ。



モース博士は大森駅の近くの崖に露出している貝殻を見て発掘をしたそうだ、当時の日本人が気づかなかったというのもちょっと不思議。



庭園は少し小高い所にあるので電車がよく見えた。



遺跡庭園は遺跡というより、子供の遊び場だった。

午後2時30分、大森駅に到着。






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東海道本線全線全駅歩き旅 9

2019年04月23日 | 東海道本線 東京駅~熱海駅
2019年03月 東海道本線に沿って歩く旅

1日目・2019年(平成31年)3月27日(水曜日) 品川駅 ―> 大井町駅 2.4Km

やや肌寒いものの天気は良いし風も弱いので快調に歩いている。
いまのところバッグパックの重さも気にならないし足や腰の痛みも出ていない。

品川駅を後にして歩き出す。

少し行くと新八山橋を渡る。



京浜急行の電車を見に親子連れが何組か来ていた。



この橋は「旧東海道」だが東海道だった面影はどこにもない、橋の下は線路だけである。



さらに進むと「うで上がります」という看板があった。



整体治療院の看板だった。



五十肩で腕が上がらないわたしは治療をしてもらいたいけど時間がない。
一度の治療で完治するとは思えないしなあ。
看板を横目に見ながら通り過ぎる。

品川から大井町にかけての路地はまだ昭和の面影が残るところだった。







その昔はどこの町にもあった豆腐屋さんや自転車屋さん、ちょっとごみごみした感じの商店街も残っていた。





大井町駅に到着。





これも銅像というのかな。



駅構内の時計も「昭和からずーっと使っていますよ」という雰囲気のものだった。




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東海道本線全線全駅歩き旅 8

2019年04月22日 | 東海道本線 東京駅~熱海駅


2019年03月 東海道本線に沿って歩く旅1日目・2019年(平成31年)
3月27日(水曜日) 田町駅 ―> 品川駅 2.2Km

田町駅前からは東京タワーが見えた。



1958年に出来たというから60年以上も経っているのか。

ゴジラ、モスラ、キングコングと数々の怪獣に何度も襲われながら壊れずに頑張っているのだ。
高さは333mでパリのエッフェル塔より高いというのが自慢だった。
東京タワーが完成した時はプラモデルも発売されて、当時中学生だったわたしも買って作ったものだった。

線路沿いを歩いていくと左手に建設中の建物が見えた。
あれが話題の「高輪ゲート駅」らしい。



なんで「ゲート駅」という名前にしたんだろうか「高輪駅」でよかったのでは?
田舎の中途半端な観光地だと「田舎高原マリニャーヌ・ディポンヌ・レ・リゾート駅」みたいな意味不明の浮いた名前をつけてしまいがちだが、東京ど真ん中の駅なんだから堂々と「高輪駅」だけでよいはずなのだがなぁ。

と独り言を言いながら品川駅に到着。




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東海道本線全線全駅歩き旅 7

2019年04月21日 | 東海道本線 東京駅~熱海駅
2019年03月 東海道本線に沿って歩く旅

1日目・2019年(平成31年)3月27日(水曜日) 浜松町駅 ―> 田町駅 1.5Km

都会はアスファルトとコンクリートだけである。



夏は道路の照り返しでさらに暑くなる。



道路に水を撒いて少しでも暑さを和らげようということなのだね。

わたしはもっと木を植えて木陰を作るべきだと思っている。
木陰は涼しいし冬の木枯らしも防いでくれるし防火の役目も果たす。
「落ち葉が迷惑」という理由で木を切り倒してしまう自治体があるようだがとんでもないことである。



このような公園の木の周りにベンチを置いてくれたならいいのにな。



日本橋から4Kmほど来たところに西郷隆盛と勝海舟の会見の地という石碑があった。





ここで歴史が作られたということだな。

徳川幕府は末期状態だったから戦っても敗北は目に見えている、無血開城で犠牲を少なくしたのは勝海舟と徳川慶喜のエライところだな。
と、感慨にふけっていたら田町駅に到着だ。




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