東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

JR釜石線沿線歩き旅(18)

2017年08月31日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線歩き旅(18)

足ヶ瀬駅ー>上有住駅 JR営業キロ4.5Km(実際に歩いた距離21Km) 2017年8月27日(日)

7月の末までは夏らしい天候だったが、台風5号が通り過ぎたとたんに天気が悪くなり気温が急激に下がった。
なんと8月8日に気象台から「低温注意情報」が出たのだった。
その後8月は月末まで毎日どんよりと曇ったり雨が降ったりで、まるで梅雨の時期のような天気が続いた。
日照時間が少ないのは東京も同じだったようだが、宮城県仙台市では観測史上最長の36日連続雨降りだった。
農作物への被害が心配だなあ。


さて前回は足ヶ瀬駅まで歩いた。
次の駅は上有住駅だ。
JRの営業キロではたったの4.5キロメートルである、普通に歩けば1時間ほどで行けるのだが・・・

この区間は歩ける道路がないのだ。
この区間は急峻な山で遮断されている。
鉄道は足ヶ瀬駅からすぐにトンネルへ入り、上有住駅までトンネルと鉄橋で繋いでいる。
自動車なら新しくできた「仙人峠自動車道路」を通ればトンネルを抜けると上有住駅の前へと行ける。
だがこの道路は自動車専用道路だから歩行者も自転車も通行できないのだ。

足ヶ瀬駅から上有住駅まで歩いて行こうなどど考える酔狂な人間はまずいないので、歩行者のことはまったく考慮されていないのである。

仕方がないので大きく迂回して国道340号線を通り、住田町上有住の町を抜けて県道167号線を通って上有住駅まで行くことにした。
迂回する距離は約21キロメートルである。
たった一駅、4.5キロのところをこんなにも迂回することになろうとは思わなかった。
なんと不便なところに駅を造ったのだろうか。

今日も「いわてホリデーパス」を使用する。
盛岡発の始発列車午前6時1分発に乗るので早起きしバイクで駅へと向かう。
早朝はまだ薄暗く肌寒い。

始発の列車だというのに乗客が多い。みんなランニングをするような恰好をしてい。





今日は「遠野じんぎすかんマラソン」の開催日だったのだ。
花巻駅からさらに乗客が乗り込んできて立つ人もでるほどになった。





マラソン参加者は遠野駅で降りたので車内はがら空きになった。



平倉駅で下車をする。



この駅で降りるのはわたし一人だけ、車掌さんも「なぜ、この駅で降りる?」と怪訝な表情(だったかも)

なんど見ても小屋にしか見えない片倉駅を後にして歩き出す。



雲ひとつない青空なので日焼け止めクリームを腕や顔になすりつける。



空気は乾燥しているし心地よい風があるので歩いていても汗だくにならずに済むのはうれしい。
今日はユニクロのドライEXというウェアを着ている。
汗をかいてもべとつかずに済むのでとても快適だ。

歩くコース上にはコンビニどころか商店らしいものは無いので、ペットボトルの水3本、クッキーや昼食用のパンなどとともに雨具まで持ってきた。
今年の春に花輪線沿線を歩いたとき天気予報が外れて雨になってしまったことがあったので念のためである。
心配性のわたしはどうしても荷物デブになってしまうのだ。

少し行くと酒造会社があった。





いまは営業していないようだ、玄関わきには手押しの井戸ポンプがあった。



わたしが子供のころはまだ水道が普及していなくてこのような井戸ポンプを使っていたのだ。

国道340号線に出る。奥に赤羽根トンネルが見えている。



赤羽根トンネルは長さが2キロメートルほどあるが狭いながら歩道もあるので歩きやすい。





トンネルの中間地点からしばらく行くと住田町と遠野市の境の標識があった。





トンネルを抜けると長い下り坂になる、歩道はないが自動車の通行がさほど多くないので快調に歩く。



と、道の反対側に人がいた。どうやら落ちているゴミを回収しているようだ。
たった一人だけだし近くには民家なども無いので、もしかすると資源になる空き缶やペットボトルを集めているのかもしれない。



歩き旅をしていると道にビールの空き缶がかなりあるのに気づく。



自宅で飲んだビールの空き缶をわざわざ捨てに来たとは思えない、やはり運転しながら飲んでいるんだろうなあ。
どんなに注意しても罰則を強化しても飲酒運転は無くならない、困ったものである。

山深い土地だから神社への階段も急である。



旧国道340号線赤羽根峠道路の住田町側入口まで来た。



この旧国道は急勾配、急カーブで道幅が狭く冬季は通行不能とのことだ。
トンネルが開通するまでは別の道を迂回するしかなかったんだろうな。

ぽつぽつと農家がある地区まで来た。バスは大船渡市と盛岡市間が1日3便ある。





山に囲まれた土地ではあるが大きな農家が多い。
文字もかすれてしまったストーンヘンジ(笑)



農地を開拓していくときに出てくる石を集めて墓石にしたり、庚申塔にしたりということなんだろうか。





坂本川を渡る。見ると川辺に釣り人の姿があった。



数か所で見かけた「一万歩歩こう」の看板。
○○さん宅を右に折れて△△さん宅を左に曲がってと書いてあるのが面白い。



スーパーやコンビニなど目印にちょうど良いのがないから個人宅を目印にしているのだった。

「滝観洞まで13Km」の案内があった。



今日の目的地「上有住駅」はこの滝観洞のすぐ近くにある。
滝観洞は洞窟の中に滝がある有名な観光地なので高速道路のインターチェンジも鉄道の駅もあるのだ。
わたしはかなり以前に行ったことがある。
もう50年近くも前のことで車で行ったのだが、たしかあの赤羽根峠を通ったはずだ。
当時は道路も舗装されておらずものすごい土埃の道だった。



その時代に比べたら道路は舗装されているしトンネルはあるし良い時代になったものだ。

と、ここにも釣り人の姿があった。川の水は澄んでいてとても涼しげだ。



たまにしか車が通らないのでディパックからパンを取り出して歩きながら食べる。



「アリスパーク」というのがあった。その下には「アンルス」の案内もある。



ネットで検索したらアリスパークは川辺の公園でアンルスは介護保険事業者の名称だった。
名前から「不思議の国のアリス」を想像して行ってみたならさぞがっかりするだろうな。

歩いていると異様な臭いがしてきた。
うぇっ、この臭いはもしかして・・・

道路わきに大きな鹿の死骸があった。



角が見えているから日本鹿の成獣のようだ。
おそらく自動車にはねられたのだろう。数日経っているらしくすごい臭いである。
急いでその場を立ち去る。

歩き旅をしていると野生動物の死骸を見かけることもある。野生動物にとって自動車は天敵だろうな。

ここも山の中腹に神社があった。



平地は田んぼや畑にしたいし山そのものがご神体ということもあるから神社やお墓は山に作るのだ。

「ソロの木」と書かれたボードがある。



ソロとはなんだろう? 地元の民話とかに出てくる名前かな?
帰宅後調べてみると「ソロの木」という名の木があるのだった。
”植木ペディア”というページでみるとソロの木はアカシデという木の別名らしいのだが樹木に興味のないわたしにはさっぱりわからない。

さらに進んで「鏡石せせらぎ公園」の前を通る。



時間があればあの渓流に足を入れて涼みたいところだが先を急がねば。

前方に歩いている人たちの姿が見えた。



ヘルメットを持っているし、川の中へ入っていったところを見ると渓流を歩いたりして楽しんでいるグループのようである。


「さいかちの木」があった。



わたしの子供のころはサイカチのさやを石鹸の代用として使っていた。
石鹸は明治の初めころには日本でも使われていたそうだが、それ以前はこのサイカチのさやの部分を石鹸代わりに使っていたのだ。
昭和20年代のわたしが育った田舎でも石鹸はあったはずだが、たぶん当時はまだ石鹸は高かったのでサイカチも使っていたんだろうなあ。

サイカチは濡らして揉むと泡が出るのだが現在の石鹸とは違うぬるぬるした感触だったと記憶している。

「寒倉」という地名があった。「さむくら」ではなく「さぶくら」と読むのがいかにも寒い土地なんだと思わせてくれる。



その先には「金の倉」という縁起の良いところもある。







このあたりの畑はこのようにネットで囲まれている。



これは日本鹿の食害を防ぐためだろう。
山の麓から畑を囲むように延々とネットがめぐらしてあるのだ。
ここは五葉山の麓なのだが、五葉山には日本鹿が生息していて近年生息数が増えているのだそうだ。
農作物を食い荒らす被害も多いという。


それでこのようにネットを張って作物を守っているのだろう。





この山裾にも濃い緑に映える真っ赤な鳥居が見えている。



おやここも実に急な階段の上に神社がある。登っていくのは大変そうだなあ。



やっと自動車道の上有住インターチェンジが見えてきた。



現在時刻は12時16分だ。

急がねば・・・上有住駅発の上り列車の時刻は12時37分なのだ。
もし乗り遅れると次の列車は午後4時30分発になってしまう。
なんと4時間の待ち時間になってしまうのだ。
駅までの距離は2キロメートルある。
ゆっくり歩いていては間に合わない、今日も疲れた脚にムチ打つようにして急ぎ足で進む。
とたんに汗が噴き出してくるが拭う余裕もない。



心臓をバクバクさせながら駅への入り口にたどり着いた。



もちろん滝観洞を見学する余裕などない。

むこうから滝観洞の見学を終えた家族連れがやってきた、わたしは歩きながら写真を撮る。



駅へは緩い坂を上って行くのでこれもしんどい。
この右上が駅のプラットホームである。



ふう、5分前に到着だ。なんとか間に合った。



疲れてはいたが15分で2キロ歩いたのだ。





ディパックからタオルを出して汗だくの体を拭く、まだ息がゼイゼイいってる。



上り列車がやってきた。



今日は約21キロを4時間で歩いた、しかも全く休憩なしである。
年寄なんだから無理しないぞと決めていても列車の時刻との関係で急がなくてはならない状況だった。まあ、間に合ったからよかったけど。

さてSLの撮影である。

わたしの乗った列車は遠野駅で「SL銀河」を追い抜いてしまう。
前回「足ヶ瀬駅」まで歩いた時に確かめてあるのだ。

そこで遠野駅の先の土沢駅で下車して「SL銀河」を待ち伏せして撮影することにする。
乗り降り自由の「いわてホリデーパス」だから余分な費用はかからないのも良い。

土沢駅ではSLが来るまで1時間ほどの待ち時間がある。
この待ち時間を利用して昼食にする。
入ったのは「食堂まつば」だ。



ラーメンが450円とリーズナブルなのは嬉しい、最近流行りのラーメン専門店の味ではないが味もなかなかイケるのだった。



さて「そろそろ時間だ」と駅のほうへ行くとすでに良いポジションにはカメラマンが三脚をセットしていた。



スマホで写真を撮ろうという家族連れも大勢いてわたしは良いポイントを確保できなかった。
うーむ、のんびりラーメンを食べていたのが失敗だったのか。



土沢駅を発車するSL銀河は「今日はいつもよりたくさん煙を出しておりまぁーす」とばかりに、もくもくと黒煙を噴き上げる。



SLしか走っていなかった時代には、あの煙が迷惑でしょうがなかったのだが、まさか黒煙が格好良く見える時代がこようとは思ってもみなかった。



目の前を通り過ぎるSL銀河。





見ると車窓から男の子が体を乗り出して手を振っている、おいおいそんなに外へ出ると危ないぞー。



SLが行ってしまったら大勢いたカメラマンが一瞬でどこかへ消えてしまった。

わたしはカメラをしまってから、徒歩10分ほどの東和温泉へと向かう。
今日はディパックに着替えと洗面用具を入れてきたのだ。



温泉で汗を流してさっぱりとして着替えも済ませ、夕方の涼しくなった道を土沢駅まで戻り花巻方面への列車を待つ。

ああ、今日は天気も良かったしSLの撮影も温泉にも入って充実した一日だったなあ。

ところがである。

なんと花巻行きの列車が満員だったのだ。
運悪く遠野のマラソン大会に参加した人たちの帰りの列車に乗り合わせることになってしまったのだ。
車内はまるで通勤電車並みの混雑でぎゅうぎゅう詰め、しかもみんな汗臭い。
汗臭さとよどんだ湿気が車内に充満していたのだった。
ああ、せっかく温泉でさっぱりしたのにこれでは・・・・

結局自宅に帰ってからもう一度シャワーで汗臭さを流すハメになってしまった。

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JR釜石線沿線歩き旅(17)

2017年08月11日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
平倉駅ー>足ヶ瀬駅 4.6 Km 2017年08月03日(木)


今日のSL銀河の運転は釜石駅方面からである。
時刻表で見るとこの付近を通過するのは12時過ぎだろう。
まだ時間はある、隣の足ヶ瀬駅まで行きSL銀河の撮影をしようと思う。

平倉駅をあとにして歩き出す。



このあたりもりっぱな造りの農家が多い。
養蜂箱を置いている農家があった。



壁にミツバチの絵があるのでわたしにも養蜂をしているのだとわかるのだ。





跨線橋にはなぜかこんなものが。



ツボのに違いないが、はてなぜこんなものが?
ここが壺など陶芸が盛んなところだとは思えないし、説明板もなかったのでわからない。





その先に庚申塔があった。



なかに小さな塔があって「猫佛」と読める。





猫の供養のために建てたのだろうか、それとも猫の祟りを鎮めるためかな。

さらにその先にも庚申塔があった。





地区で競って庚申塔を建てているんじゃないかと思ったほどだ。
遠野だから馬の神様「馬頭観音」の石塔もある。

線路沿いの道を進む。







さらに日差しが強くなってきて歩くのがしんどい。

舗装されていない農道を行く。



赤とんぼを見かけた。まだお盆前だがトンボを見ると秋を感じてしまう。







放牧地を進んでいき国道へと出る。







交通量が異様に少ない。
宅配業者のトラックと郵便配達のバイクが通ったが一般の車はめったに見かけない。

この国道283号線は釜石街道とも呼ばれ釜石方面への主要なルートだった。
わたしも以前は車で何度も通った道だ。
だが今では同じ283号線ではあるが「仙人峠自動車専用道路」が完成したので車はそちらを通るのだ。

薄情なもので便利で快適な道路ができればみんなそっちを通るのだ。
わたしは旧国道に同情してしまうのであった。

「日出神社」と言うのがあった。


ここも源義経伝説の地である。
義経の娘である日出姫がこの地で亡くなったのだという。



足ヶ瀬駅を目指して歩く。



国道沿いに小さなお社があった。





鳥居は鉄骨造りのようでしめ縄がしっかりと括り付けてあるのが印象的だ。



そこから少し行くと足ヶ瀬駅への入り口である。



この駅舎はやや大きめだった。





半分が乗客の待合室と通路で残りの部分は保線作業員の休憩所になっているようだ。







線路わきにはすでに撮り鉄の方が三脚をセットして撮影の用意をしていた。

わたしは邪魔にならないようにプラットホームの反対側へと移動する。



5分ほどすると汽笛が聞こえた。



SL銀河がゆっくりとやってきた。



わたしは知らなかったのだがSL銀河はこの駅で停車するのだった。



停車中の機関車の写真も撮影する。



10分ほども停車していただろうか「ボーッ」と汽笛を鳴らして発車していく。





山の中の単線には蒸気機関車がよく似合う。







なんといっても架線が無いのが良い。あれはSL撮影には目障りなのだ。
都会のビルの間を走る蒸気機関車ほど場違いなものはないとわたしは思っている。

プラットホーム脇にはSLの停車位置を示す標識があった。



今日の歩き旅はこの駅までである。

遠野駅から歩いた距離はJR営業キロで15.2キロメートルだし現在の時刻は12時半である。
隣の上有住駅まではJRの営業キロで4.2キロメートルなのだから歩ける距離に思えるのだが実際は大きく迂回しなければ”歩いて”行けないのである。

そのため今日はこの駅までとして12時43分発の列車でいったん遠野駅まで行き、列車を乗り換えて釜石駅まで行き、さらにとんぼ返りで盛岡行きの快速に乗って帰宅しようという計画だ。

なぜこんなことをするかというと「いわてホリデーパス」を目いっぱい使おうということなのだ。
一日乗り放題のきっぷをフル活用しようというワケである。

遠野駅へ着くとSL銀河の機関車が切り離されて水の補給をしているところだった。



いまは給水塔からではなく消火栓から給水するようである。



各駅停車がSL銀河に追いついてしまい、さらに追い越してしまうのだ。
SLの撮影をメインにするならこの各駅停車で花巻駅方面へ行くのがよいだろう。

写真を撮ってから釜石行きの快速に乗り込む。



釜石駅に着いたら隣のプラットホームに停まっている盛岡行きに乗る。

わたしは乗り物大好き人間なのでこうして一日中乗っていても飽きるということが無い。
SLの撮影もできたし充実した一日であった。


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JR釜石線沿線歩き旅(16)

2017年08月10日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線歩き旅 (16)

岩手上郷ー>平倉 2.8 Km 2017年08月03日(木)

ときおり車は通るものの人の姿はない。





踏切から岩手上郷駅を振り返ってみる。



ここから太平洋までは約50キロある。



日差しが強くなってきたが風があるのでなんとか我慢できる暑さだ。

バス停があったので時刻表を見ると1日に2本の運行しかないのだった。



バス会社としては路線を廃止したいのがホンネだろうな。





早瀬川を渡る。水量は多くないが水は澄んでいる。





踏切を渡ったところに石碑の団地があった。







庚申塔などを一か所にまとめてしまったように見える。
その端っこに「朝日巫女」と書かれた塔があった。



文字が丸ゴチック体というのがチト現代的?
「朝日巫女」に関しての知識が無かったので帰宅後に調べてみると、神の導きで巫女になった女性が吉凶を占ったり洪水の時に川の流れを変えて村人を救ったりしたのだという。

そこを少し行くと「仙人峠道路」と交差する地点になる。
ここには「源義経北行きコース」の案内ボードがあった。



平泉で”死ななかった”義経が北方に逃れたという伝説の道なのである。
時代のヒーローはなかなか死なせてもらえないのだ。
実は義経は平泉では生き残り北へのがれて最後にはジンギスカンになったという伝説だが、いつまでも義経は庶民にとってのあこがれなのである。



さてそろそろ平倉駅だがと探していると、農家の物置小屋に見えたのが平倉駅であった。





駅舎に入ろうと戸を開けると蜘蛛の巣に引っかかってしまった。
夜中まで明かりの点いている駅舎は虫が寄ってくるのだ。




この駅舎、どうみても物置小屋である、もしかして中に農機具が仕舞ってあるんじゃないかと思ったほどだ。









時刻は10時40分。この駅で20分の休憩を取ることにする。


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JR釜石線沿線歩き旅(15)

2017年08月09日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線歩き旅 (15)

青笹駅ー>岩手上郷 3.5 Km 2017年08月03日(木)


釜石街道に出ないで線路わきの細い道を行く。



さっきまでうす曇りだったが晴れて来た。



バックパックから日焼け止めクリームを取り出して腕や首、顔になすりつける。
汗をかけば流れてしまうだろうがなにもしないよりはましだろう。

しばらく歩き国道へと戻る。





線路の向こうに放牧された牛が見えた。



ここでは牧畜も盛んなのであちらこちらで牛を見かけた。



濃い緑の田んぼと青い空。よい風景だ。



赤川橋の付近では気温が24度に上昇していた。







赤川橋を渡ったところから駒形神社が見えている。



その神社前には馬の石像も見える。足場が組まれているから工事中のようである。



テレビの旅番組なら「おや? あそこに馬の石像が見えますよ、行ってみましょうか」
とリポーター役の人が発見して近くに行くと、”偶然”に地元の有志の方が作業をしている場面になるところだ。
わたしの歩き旅は「駅から次の駅へ」と歩くだけなので名所旧跡も立ち寄らない。
花巻駅からここまで歩いてきたけれどきっぷや飲み物は自動販売機で買ったし、誰かと会話するということも無かった。
そもそも人気のない道を選んで歩いているようなものだから他人と話す機会などありゃしないのだ。


岩手上郷駅方面へと国道を左に折れて入っていくと神社があった。





その前の側溝を澄んだ水が流れていた。



昔はこの小川の水で炊事洗濯などしたのだろう、庭から水辺へ降りていけるようになっている。







文字がかすれて読めなくなっている踏切。



おや、この踏切は黒と黄色の縞模様だ。
別のところでみた灰色と白の縞模様は最近のバージョンなのだろうか。

人も車もいない駅前の通りを進んでいくと、



岩手上郷駅に到着だ。





しーんと静かなところだった。







ここでも写真を撮っただけで次の駅へと進む。




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JR釜石線沿線歩き旅 (14)

2017年08月08日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線歩き旅 (14)

遠野駅ー>青笹駅 4.3 Km 2017年08月03日(木)

遠野といえば「民話」である。

民話に登場するのはタヌキやキツネといった身近にいた動物とカッパや鬼といった想像上の生き物がメインである。

岩手のいわれは「岩に手形」ということなんだそうだ。
昔のこと鬼が悪さをしていたが三石の神が鬼を罰し、二度と悪さをしない約束として岩に手形を残させたというものだ。
これがホントの約束手形だなあ。
鬼は「もうこの地には来ません」というので盛岡地方を”不来方(こずかた)”とも言うのである。


鬼は日本に漂流してきたロシア人ではないかとわたしは考えている。
根拠があるわけではないし文献とかで調べたこともないのだが、鬼の姿は日本人よりかなり大きく肌の色は赤(白人の肌は白というよりピンク色)で顔の彫りも深い。
鼻も高いし目の色が日本人と違っていたという言い伝えも多い。
青い目で金髪の大男を山の中で見たなら鬼と思って不思議ではない。
黒人を見たのなら「青鬼」を見たということになるんだろうなあ。


日本人が嵐で遭難して漂流の末にロシアにたどり着いたというのは小説にもなっている「おろしあ国酔夢譚」の大黒屋光太夫が有名だが、同じようにロシアまたはアラスカから日本に流れ着いた人もいただろう。
その人たちが山の中に隠れ住んでいたとしても不思議ではない。

このように考える人はわたし以外にも大勢いるようでインターネット上ではたくさん見かけられる。



さて、歩き旅を続けよう。


今日の出発点の遠野駅までは「いわてホリデーパス」という切符を使う。




基本的には土曜と日曜日に限り有効な乗り放題タイプの切符なのだが、夏休み期間中は平日でも使えるのだ。
代金は2460円。

この2460円という値段がじつにびみょーなのだ。
盛岡駅を起点にして計算すると遠野駅までは往復運賃は2980円なので元が取れるのだが、車で行くとガソリン代は1000円程度で済むのである。
費用の面では車で往復するのが安上りだが、鉄道も利用したいしなあ・・と悩むのである。

「SL銀河」の運行は土曜、日曜日だが夏休み期間は平日の運行日も設定されている。
天気予報とにらめっこしながら日程を検討した。


盛岡駅から遠野駅への始発は午前6時1分の発車である。
午前4時半に起きだしてバイクで盛岡駅へと向かう。
先日まで朝方も暑かったのだが今日はひんやりとしている。
北東北の夏は本当に短いのである。



始発の列車なのに思いのほか乗客が多い。みなさん早起きなんだねえ。
車内で缶コーヒー、バナナ、パンでの朝食。



各駅停車なので遠野駅に着いたのは午前8時だった。



ううむ、やはり遠野は”遠かった。





遠野駅で下車した人の中には観光客が大勢いた。やはりここは人気の観光地である。
駅をバックにして記念撮影する。



今日はスポーツウェアで歩くのだ。これだと通気性がよいので汗をかいてもすぐ乾く。


駅前には柳田国男の「遠野物語」の石碑があった。



柳田国男の「遠野物語」にはわたしが子供ころ祖母から聞いた昔話と共通する話も多い。
地域のあちらこちらで同じような話が伝わっていたのだろう。
ゲゲゲの鬼太郎の作者である水木しげるさんが漫画で描いた「遠野物語」は読みやすくて楽しめるのでオススメである。



駅から続く細い道は飲み屋が連なっている。



夜になると酒好きの人たちが集まるのだろうが、今の時間は自転車でお婆さんが通り過ぎるだけだ。





天候はうす曇りで弱い風がある。気温は20度くらいだろうか、歩くにはちょうど良い。





路地を抜けて線路と交差する橋を渡る。



遠野駅が見えている。



わたしの田舎町でも二階の窓にはこのような柵のようなものが付いている家があったものだ、子供のころあそこに座って通行人を眺めたりしていたっけ。



このお宅でも玉ねぎを軒先で干している。



すこし行くとバス停があった。



そこに馬の頭部分のようなものが見えたのだが、これはバス停のベンチだった。





えーっ?ちょっとアンバランス。



あいかわらず踏切とマンホールの蓋の写真を撮りながら進む。
早瀬川を渡る。この川は遠野市の郊外で猿ガ石川と合流するのだ。





釜石街道を東へと進む。
廃墟となってしまったガソリンスタンド。



田舎では新しい安全基準を満たすのに費用が掛かるので営業を止めたガソリンスタンドが多い。
田舎に住んでいるとガソリンを入れるためだけに数十キロ運転して町に行かなければならないというのは珍しいことではない。
人口が少ないからバスの便も無く、日々の買い物や病院への通院も出来なくなるという問題が出てきているのだ。

さらに進むとブルーベリー園があった。





防虫のためだろうか園全体がすっぽりとネットで覆われていた。

青笹駅が見えてきた。



どこかの公園か遊園地の管理事務所といった趣の建物だ。



レンガ造りのようで外観も待合室も奇麗だった。



無人駅だとガラスが汚れていたり蜘蛛の巣があったりするものだが、毎日掃除をしてくれる人がいるのだろう。






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JR釜石線沿線歩き旅(13)

2017年08月05日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線歩き旅(13)
綾織駅ー>遠野駅 4.9Km 2017年07月22日(土)

歩き出したとたん遠くから雷鳴が聞こえてきた。

遠野の市内へと向かう猿ガ石川に架かる橋を渡るころには雨脚が強まってきた。



ここから遠野駅までは約5キロもある、引き返すことも出来ないのでとにかく前へ進む。



雷鳴はどんどん近づいて来る、後ろを振り向くと真黒な雲がまるでわたしを追いかけるかのようにやってくるのだった。

と、空き地に鳥居を発見。バッグの中からカメラを取り出し濡らさないようにしながら撮影する。



白木の鳥居でお社は見当たらないから杉の木がご神体なのかと思ったのだが、よく見ると木の間に石碑のようなものが見えている。
おそらくあの石碑がご神体なのだろう、白木の鳥居もなかなか良いものだなと思いつつ、速足で進む。

とうとう真っ黒な雲に追いつかれてしまった。

雷鳴はわたしの真上で鳴っている、稲妻が走ってから雷鳴が聞こえるまでが2秒くらいだからかなり近いのだ。
突然ものすごい豪雨になった。
横殴りの風とまさにバケツをひっくり返したようなスコールである。
慌てて近くにあった倉庫らしき建物の陰に入る。
だがこの倉庫にはひさしがなかった。
これでは雨を避けられない。

大急ぎでバッグからポンチョを取り出す、傘は強い風で飛ばされるしでさんざんである。

道路はみるみるうちに川のようになった。

とても写真を撮れる状況ではない。
雷のバシッ、バリバリという音も恐ろしいのだがどうすることもできない。

じっと待つこと30分。

雷鳴が少しづづ遠ざかっていくのがわかる、ああやれやれ。
雨は強いままだがポンチョがあるし傘もある。
シューズは中まで水浸しだが我慢するしかない。

雨の中を歩き出す。



傘を差してポンチョ姿というのは格好良くないが気にしていられないのだ。
カメラはバッグに入れてあるので濡れることはないだろう。



途中の川を見ると茶色の水がごうごうと音を立てて流れていた。普段なら川幅は1メートルくらいだろうがあっという間に増水したようである。


町中にある防災無線のスピーカーから雨と川の増水に警戒してくださいと放送が流れている。



最近では熊本県や秋田県で集中豪雨で大きな被害が出たばかりなのだ。

遠野市の町はずれにあるバスセンターまで来た。



バッグからカメラを出して写真を撮る。

雨は少し弱まってきたが雨具なしでは歩けない。
町中に入っていくと民宿があった「古軒」と看板が出ている。



古い商家を民宿にしているのだろう。



都会の人には面白い体験だろうなあ。どこにでもよいアイデアを持つ人がいるものだな。

さらにいくとショーウインドウに金の鶴亀が展示してあった。



まあ金ではなくて真鍮製だろうけど、なぜこんなものが?と看板を見ると鉄工所なのだった。



鉄工所ではこのような製品も作るのだろうか。

遠野は観光客が多いので道案内などもしっかりとされている。





駅へはあと800メートルだ。
多賀神社入口の雨に濡れたあじさいが美しい。



知恩寺の山門も風格があって実に良い。



その隣にある遠野博物館収蔵庫も形がよい。大正モダンということなんだろうな。



遠野市を訪れたのは15年以上も昔のことである。
歩きで訪れるのはもちろん初めてだ、町の様子が大きく変わっていたのには驚いた。
道路がきれいに整備されている。



町中の川にはこのような橋も架けてある。川は増水して濁っているのが残念だが絵になる風景だ。



中心部に蔵の道というのがあって城下町の下町の雰囲気を出している。





ヘソ曲がりのわたしには”観光客向けに整備されすぎ”と思いたくなる面はあるものの、若い女性には人気の出そうなスポットである。



このような格子窓の商家はわたしが子供のころはどこでも見られたものだが今では観光地でしか見られない。



駅前まで行くと櫓のある建物があった。



「旅の蔵」と看板があって観光協会や食堂などが入っている。




遠野らしく河童の提灯でお出迎え。なんと「JR釜石線SLラーメン」なるのもまであるのだった。
SLだから石炭が具として入っているというなら面白そうだが。

雨に煙る遠野駅を撮影する。



風格があって歴史のある駅ということを感じさせてくれる。

もちろん駅前には設置が義務付けられている銅像もある。



若い女性が髪を持ち上げているようなポーズなのだが、いったい何を表現しているのだろうか。

遠野駅前は銅像の大サービスで、ハープを背にした天使の像もある。



そして遠野にはやはり”カッパ”がいるのだ。



雨の中、まさに水を得たかっぱ状態。



酒盛りでもしているのだろうか、だがずいぶんと痩せているではないか。
顔も恐ろしげだ。
わたしが子供のころ祖母から聞かされた話では、河童は子供を川の中へ引きずり込むというものだった。
いまでは河童はゆるキャラみたいな存在になってしまったが、昔は恐ろしい存在だったのだ。
どうやらこの河童たちはその恐ろしい時代の河童を表しているのだろう。

駅前の郵便ポストにも河童が鎮座している。



駅待合室の壁には七夕まつりの飾りもある。





田舎では旧暦で七夕、正月を祝うのである。

花巻方面行の列車は快速はまゆり号15時09分発である、自動販売機で切符を買う。





SL銀河の空席状況が表示されていた。思いのほか空席があるものだな。



じつはまだ昼食を食べていない。
途中で蕎麦屋へでも入り昼食にしようと考えていたのだが急な雨で予定が狂ってしまったのだ。
待ち時間は40分あるのだが雨の中を食堂を探して歩き回るのはしんどい。
雨と汗で全身ぐっしょり濡れている、こんな汗臭い姿では食堂の人も笑顔で迎えてはくれないだろう。

また今回もキオスクでパンとジュースを買っての昼飯である。あぁ、いつもこんなのばっかりだなぁ。
キオスクには河童柄のソックスも売っている。



もそもそ食べているとアナウンスがあり15時9分発の「はまゆり」は大雨のため遅れますとのこと。

「なにぃ! 遅れるのが分かっているのなら、あの豪雨の中を無理して歩かなかったものを」と無茶なことを考える。
最初のアナウンスでは20分の遅れということだったが、結局列車は40分遅れでの到着となった。





ホームには河童の顔出し看板があり高校生の手作りフラワーポットありで和ませてくれるのがせめてもの救いである。








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JR釜石線沿線歩き旅(12)

2017年08月04日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線歩き旅(12)
岩手二日町ー>綾織駅 1.8Km 2017年07月22日(土)

岩手二日町駅の待合室もずいぶんと小さい。
小さな駅だがちゃんと駅への案内板もあった。

田舎の小さな駅だと駅への案内板もなく、気づかずに通り過ぎてしまったこともある。

駅近くの今はだれも住んでいないと思われる家。



二階の窓付近に残っている回転サインからどうやら床屋か美容院だっだと思われるのだが、窓のデザインがちょっとモダンである。
遠野は同じ岩手にありながらも盛岡付近とは文化的に少し違うような気もする。

足元には「民話のふるさと遠野」のマンホール。



さらに緑豊かな田んぼの道を進んでいく。





空模様が怪しくなってきた。
雨がパラパラと落ちてきて傘を差さなければ歩けない状態になった。
天気予報では今日の午後は雨ということだったので雨具は用意してきている。

道の向こうに小さな杉木立があって小さなお社が見える。



道の脇にこんなものがあった。



はてこれはなんだろう?

なんの表示もないので分からない。
最初はアメダスの雨量計かと思ったが、上に屋根というか傘がついているので違うだろう。
傘の下に電球があってその下の部分はじょうごの形になっている。
想像するにこれは虫を捕獲するものではないだろうか。
電気の明かりに集まってくる虫がじょうろの下の部分に落ちるのではないかと思う。
田んぼや畑にいる虫の調査をするためのものではないかと思う。

木立の中の小さなお社を見る。



鳥居はあるが額がかかっていないから名前はわからない。



そのすぐそばにはこのような墓石とも思えるものもあった。



幅50センチほどの小川があって澄んだ水が流れている。
心が和むとてもよい風景であった。

少し歩くと踏切でその先に綾織駅がある。







ここのエスペラント表記はテクシーロで機織り機の意味だ。駅名標には鶴の恩返しの絵が描いてある。



はて鶴の恩返しは遠野の民話にあったっけかな?
この童話は日本各地に伝えられていて様々なバージョンがあるのだそうだ。



いきなり雨が強く降ってきた。

今日はこの駅までとしようかと時刻表を見ると次の花巻方面行までの待ち時間が3時間ほどもあるではないか。
この無人駅には快速は停車しないのだ。
トイレもないこの駅で3時間も待つのはイヤなので傘を差して歩き出す。


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JR釜石線沿線歩き旅(11)

2017年08月03日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線歩き旅(11)
荒谷前駅ー>岩手二日町駅 5.7Km 2017年07月22日(土)

そろそろSLの撮影場所を決めなければならない。
今日は土曜日なので花巻駅方面からSLは来るのだ、この辺りを通過するのは12時ころになるはずだ。
隣の岩手二日町駅までの間で撮影ポイントを探そうと思う。
SLの撮影ポイントを重視したい気持ちもあるが歩き旅がメインだから途中のできるだけよい場所で撮影するのだ。

国道から離れ農家の点在する道を行く。



農家や神社は杉木立に囲まれている。
夏の日差しや冬の北風を弱めるだけでなく万一の火災の際も立木は家を守ってくれる、さらに大きく育った木は伐採すれば売れるので大事な財産でもあるのだ。

その杉木立の間から赤い鳥居が見えている。



個人宅のお社のものだろう、濃い緑の中に真っ赤な鳥居、昔の人の美的センスの表れである。

旧道と思われるこの道には旅の安全を祈る石碑も多い。







線路沿いへと戻る。



しばらく行くと美しく選定された庭木のお宅があった。



その向かい側が線路になっていて花巻方面への線路が大きくカーブしている。
撮影はこの場所ですることにした。
カメラを用意しているとぽつぽつと雨が落ちてきた。
さいわい本降りではなく濡れるとほどではない。

待つこと20分、遠くでボーッという汽笛が聞こえ500メートルほど先の踏切の警報音が鳴りだした。



今日は慌てずにカメラを構えシャッターを押す。









上り坂ではないのでSLの煙に迫力はないのは仕方ないところだ。

SLの撮影を終えて歩き出す。

こんどは田んぼの中の舗装されていない道を行く。





雨が降ってきたので傘をさす、風は無いので傘だけで大丈夫だ。



39キロのキロポストを撮影。



岩手二日町駅に到着だ。








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JR釜石線沿線歩き旅(10)

2017年08月02日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線歩き旅(10)
鱒沢駅ー>荒谷前駅 2.8Km 2017年07月22日(土)

いまのところ天気は曇りで弱い風がある。歩くには暑いのだが日焼けの心配はない。
疲れもないし足の痛みもない、まず順調である。
今日は遠野駅まで歩くつもりだがこの分だとさらに次の駅までも歩けるかもしれない。



鱒沢駅の踏切は白黒のゼブラパターンだった、赤白や黄色と黒などは普通に見かけるが白黒は珍しいような気がする。



国道から川のほうへと自転車道が続いている、線路からは離れるがこの道を歩いて行くことにする。



遠野方面に向かっているので右側が猿が石川である。とても静かで歩きやすい道路だった。



1.4キロほど歩いてから国道に戻る。



こんどは田んぼの中の道を進む。





新谷前駅前のバス停を過ぎると、上鱒沢小学校跡地の石碑があった。







今は集会所になっているこの小さな建物は以前は小学校だったのだろう。
その石碑の後方に自転車置き場が見えていて、なぜかそこに時計が下げてあった。



なぜ自転車置き場に時計があるのだろう、生徒によく見えるようにということだったのかなあ。

すぐ裏手が新谷前駅である。





この駅のエスペラント語表示は「水車」とある。この近くに有名な水車小屋でもあるのだろうか。

遠野方面行の列車がやってきた。



遠野駅まではあと3駅だ。


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JR釜石線沿線歩き旅(9)

2017年08月01日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線歩き旅(9)

柏木平駅ー>鱒沢駅 2.4Km 2017年07月22日(土)

柏木平駅で10分ほど休む。持ってきたペットボトルの水をごくごく飲む。
タオルを濡らして体を拭いたがすぐに汗が噴き出してくる。

駅前には桜の木だろうか、自由奔放に枝を伸ばした木があった。



国道に戻ると大きな民家が目にはいってきた。



こんなところに旅館か?と思ったが普通の民家のようだ。



このあたりの農家、民家は大きくて立派な建物が多かった。

国道沿いには「流鏑馬」の幟がたっていた。



え、「スポーツ流鏑馬」・・はて?

流鏑馬は盛岡市の八幡宮祭りでも神事として奉納されるので何度か見たことはあるが、スポーツ流鏑馬というのは初めて知った。
南部藩は古くから名馬の産地として知られているが中でも遠野は有名である。
だけど流鏑馬をスポーツとするほど流鏑馬をする人がいるのだろうか?

ネットで検索するとスポーツ流鏑馬大会というのが開催されているのだ、今年は八戸市で大会があるとのことだ。
世界流鏑馬選手権なるものもあるのだ、いったいどこの国が参加するのだろう。

この道は歩道が広くて歩きやすいなあ・・と足元を見ると。



道路に案内標識が張り付けてあった、この広い歩道は自転車道でもあるようだ。



その自転車道の案内看板があった。



だが利用者が少ないとみえて猿が石川沿いの道路は閉鎖されていた。





見たところ道の状態は良いのだが一部分フェンスが壊れているところがあるのだ。
利用者が多ければすぐ補修するのだろうが面倒だから閉鎖してしまったのだろう。





もうすぐ鱒沢駅である。
駅前には食堂やコンビニだっただろう店舗跡が残っている。





一部の老人と子供を除いて個人が自動車で移動する時代なので大都市以外の駅前は寂れる一方である。





鱒沢駅はホームを2面使用している、さらになぜか引き込み線も残っているのだった。





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