東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

29日目 藤田駅ー福島駅

2012年06月14日 | 東北本線 仙台駅~福島駅
2012年5月10日(木) 藤田駅 - 福島駅 歩いた距離約21Km

朝の5時に目が覚めてしまった。駅のトイレに行き顔を洗う。
見るとプラットホームにある待合室に人影がある。どうやら駅の待合室で寝た人もいるようだ。

時間が早いので朝食も食べずに藤田駅まで移動する。

午前5時45分に藤田駅をスタート、歩き始める。
ひんやりとした朝の空気が気持ちよい。
さすがにこの時間だと人通りはほとんどない。



すぐに桑折町へと入る。
国道4号線から旧道へと入るととたんに周りが静かになる。

昨年の地震で壊れた屋根がそのままになっている。



屋根職人の人手が足らず修理まで手が回らないのだろうか。



「桑折」と書いて「こおり」と読むという。地名は本当に読み方がわかりにくい。
地元の人には当たり前のことでも知らないものにとってはどう読んでよいのやら困ることが多い。

駅近くにある「しだれ桑」の木。



ふと見上げるとその形がとても神秘的に見えるのだった。

6時40分に桑折駅に到着。人の姿は無くしーんとしていた。



駅の写真を撮って次の駅へ向かって歩き出す。
駅前にあった外灯。この町の名所である明治12年建造の伊達郡役所がデザインされている。



マンホールの蓋のデザインにも伊達郡役所の絵が描いてある。



しばらく歩くと伊達市と入っていく。





伊達市のマンホールの蓋。見ると「ダ」と書いてある。ダテだから「ダ」とは安易なロゴだねえ。



福島県は桃が名産ですね。美味しいんだけど値段もかなり高めなんだよね。



市内には古きよき時代を思わせる建物が多い。
このお米屋さんなどそのまま時代劇のセットに使えそうな感じだ。



福島まで9キロの地点まで来た。



このマンホールの蓋のデザインが良くわからなかったのだが。



伊達駅前のカラー版マンホールの蓋を見てやっと理解した。



これは福島の「わらじ祭り」をデザインしたものだったのだ。

いよいよ伊達駅が近くなってきた、駅近くのコンビニで朝食のパンと缶コーヒーを買う。
伊達駅へ続く歩道はまるで公園のように整備されている。



午前8時30分に伊達駅に到着。



伊達駅は大きな旧家か温泉旅館を思わせる建物だ。
玄関から女将さんが「いらっしゃいませ~」と出てきても違和感が無いなあ。

駅のベンチで朝食にする。駅員さんが待合室の掃除をしていた。

30分の休憩をとって駅を後に歩き出す。



すぐに福島市と入っていく。



あいかわらずマンホールの蓋の写真を撮る。





10時ちょうどに東福島駅に到着。



なんら特徴の無い駅舎だ、もう何度も同じような形の駅舎を見てきている。
だが福島という大都会の駅だけあって駅構内は広い。

ここでは写真だけ撮って今回の目的駅である福島駅へと歩く。

いったん国道4号線に出て福島市中心にそびえる信夫山を回って駅の方向へと歩く。

信夫山の南側部分は公園になっていて人工ではあるが小川がさらさら流れている。
周辺はハナミズキの花が咲き乱れ美しい。





このように公園があり散策できるように整備されているのはうれしいことだ。
ベンチで一休みすれば疲れも消えてしまう。

福島テレビ局や官庁の並ぶ通りを駅目指して歩く。



東京方面へは新幹線でも車でも何度も行っているのに、福島市や郡山市に立ち寄ったことは無かった。
いつも素通りしていたのだが、歩いてこの町を訪れるとは考えたことも無かった。
歩いてみると町の規模や位置関係が良くわかる。

駅が近くなってきた。
駅の隣には大きなショッピングセンターがあるが、立ち寄らずに駅へと向かう。
「阿武隈急行線」「福島交通飯坂線」の電車乗り場がある。



わたしの住む岩手県には”私鉄”は無い。
いや”三陸鉄道”と”いわて銀河鉄道”という第三セクターの鉄道はあるのだが、わたしに言わせるとあれは”私鉄”ではない。
岩手県などが出資して運営している公営鉄道であり、社員もJRからの出向である。”民間企業”が運営する鉄道ではないのだ。
JRは民間企業なのだが体質的にはいまだに国営鉄道を引きずっている。
競争原理がほとんど働かない企業だから仕方ないのかな。
新幹線を誘致するためや赤字路線を維持するために多額の税金を投入したりしているのだから半国営公営という感じだ。

青森県にも秋田県にも”私鉄”はあるのに岩手県の私鉄はとっくの昔に姿を消してしまったのは寂しい限りだ。
もっとも地方の私鉄はどこも経営が厳しくて存続の瀬戸際にあるらしいのだ。
純粋な私鉄は地方では消えていくしかないのだろう。これも時代の流れである。

12時20分に福島駅に着いた。さすがに大きな駅である。



おお「スターバックス」もあるではないか。
「スターバックス」「マクドナルド」などの店舗があるということが”大都市”の証明である。

駅前にある松尾芭蕉像。



元禄二年(1689)の5月に芭蕉は福島を訪れていると碑にある。

松尾芭蕉の奥の細道の旅をなぞる旅をする人は多いが、わたしもやってみたい・・が、はたしてできるだろうか。
今日は風が強い、傘を差すほどではないが小雨も降ってきてかなり肌寒い。
昼食にしたいのだが駅中に食堂を見つけれなかったので、駅前の「なか卯」でカレーライスを食べる。
390円なり。昼食時ということもあり込み合っていた。

今回の目的駅まで無事に着いたのでまだ昼過ぎだが帰ることにする。

きょうも約6時間歩き続けたのだ、自分では頑張ったと満足している。

JR券320円で藤田駅まで戻る。





車へ戻り、国道4号線を北上する。
空には雲が広がり、夕方にはかなり強い雨が降ってきた。
福島駅から帰ってきて正解である。あのまま歩き続けていたら雨に濡れてしまっただろう。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

28日目 北白川駅ー藤田駅

2012年06月03日 | 東北本線 仙台駅~福島駅

2012年5月9日(水) 北白川駅 - 藤田駅 歩いた距離約27Km

今朝も午前5時に目が覚めてしまった。
すぐにコンビニへ行きサンドイッチなどを買う。

途中のパーキングで朝食として越河駅近くのコンビニに車を停めて駅まで歩く。



越河を「こすごう」と読むとは知らなかった。
午前7時10分に駅に着いた。



ここから今日の出発駅の北白川駅までJRで行って、そこからまた歩いてくるのである。



越河駅の運賃表を見ると標高141.5mと書いてあった。
なぜ運賃表に標高が書いてあるのだろう。

通学時間帯なので電車は高校生で満員である。



北白川駅に着いたのは7時45分だ。

歩くのは県道50号線である、通勤時間帯なので交通量が多い。

今日も東北本線沿いの農道を歩く。



踏み切りの表示板もすっかり錆びて読めない。



交通標識も錆びて地面におっこちている。




廃線跡トンネルがあった。
レンガ造りの趣のあるトンネルであった。



こちらは現在のトンネル入り口。



午前8時55分に東白石駅に到着。こぢんまりとした無人駅だ。



この駅には線路を越える橋が無い。
プラットホームの端まで行って向かい側のプラットホームへと移動してから、踏み切りと同じように線路を横切るようになっている。



小さな無人駅だがこれは不便だ。
プラットホームの中央で渡れるようにしてくれればよいと思うのだが。


白石駅を目指して歩く。







白石駅が見えてきた。さすがに大きな駅で構内も広い。

白石市は城下町だけあって趣のある町並みである。





白石駅には午前10時に到着。
駅前では地元テレビ局の取材が行われていた。



駅前の歩道には白石城まで910mの案内表示があった。



見学に往復2キロも歩くのはツライ。次回立ち寄れたら行ってみよう。

駅前の外灯も城下町をイメージした駕籠と釣り鐘になっている。



さらに駅前交番もこんな感じで、交番というよりは「番所」と呼びたくなる建物だ。

これで御用提灯がさがっていたら雰囲気が出るんだがなあ。



ここで20分休憩する。

駅前の郵便ポストには白石城の模型が載っている。



駅の中には鎧兜の展示もある。



国道4号線を歩く。福島まであと30キロだ。



気温22度、天候はうす曇りで快適である。

疲れはあるがさほどではない、歩き終えてから温泉で汗を流しているので疲れが少ないようだ。

斎川宿のある旧道、奥州街道を歩く。





古い看板がある。パチンコ店?ボーリング店なのか中曽根元総理の似顔絵が古さを感じさせてくれる。



昼になったが食堂が見当たらないまま越河駅まで来てしまった。

きょうも昼食は車にもどりまたもや賞味期限切れのカップ麺である。
カップ麺だけでは物足りないのでコンビニでおにぎりとウィンナーなどを買う。
ちょっとは栄養補給しないといけない。


午後1時20分に昼食を終えてまた国道4号を歩く。
とちゅう「除染作業中」の看板を見かけた。



小学校の校庭の除染を行っているのだった。



東日本大震災では津波の被害だけでなく福島原発の被害も大きな社会問題になっている。
福島の人たちは本当に大変だろうなと思う。

このあたりから石造りの蔵が目立つようになってきた。



北東北では土蔵だけなのでこのような石造りの建物は新鮮に見える、なんだかヨーロッパの田舎町に迷い込んでしまった気分になるのだ。

やっと福島県に入った。

みちの脇に昔の県境の石票があった。



片面に宮城県、反対側に福島県と書いてある。

かすれてよく読めないが明治時代のものらしい。


午後2時10分貝田駅に到着。



ここも無人駅、駅の周りには民家が無いが駐車場は広くて何台も車が停まっていた。

駅に着いたら出来るだけ駅の時計も撮影する。

デジカメだから撮影日時も記録されるのだが、記念として駅の時計も撮影しておくのだ。

貝田駅の写真を撮ってすぐに歩き出す。

「奥州街道 貝田宿」へと入っていく。



震災のためなのか、それとも原発事故による避難のためか応急仮設住宅団地というのがあった。

新幹線で通り過ぎればまったく震災と原発事故の影響を感じることはできないだろうが、歩き旅ならイヤでも目に入ってくる。


天気予報では午後に雨が降るとのことだったが、予報どおり午後2時半過ぎに雷鳴が響き強い雨が降ってきた。



雨宿り出来るところは無いかと回りを見るが、残念ながらまったく無い。

仕方なしに傘を差して歩く。

さいわい雨は30分ほどであがった。

国見町の町中へと入っていく。



午後3時20分に藤田駅に到着。



駅の電光表示には「名取駅で事故があり列車に遅れが出ている」とのことだ。

空模様が怪しい。いったん雨は止んだもののいまにも降り出しそうな空模様である。

雨の中を歩くのはしんどいので今日はこの駅までとしてJRで戻ることにした。

藤田駅から越河駅まで190円。



飯坂温泉まで車で行き、温泉に入って今日の汗を流そうと思う。

天気予報どおりに強い雨が降ってきた。

飯坂温泉の情報はまったく持っていなかったので、飯坂温泉駅に立ち寄り観光案内マップを見る。



すぐ近くに共同浴場があったので入りに行く。



「波来湯」と書いて”はこゆ”と読むのだそうだ。入浴料は300円。



少々狭いお風呂だ。浴槽は熱い湯と温かい湯の2つがあるのだが、驚いたのは熱い湯の温度だ。

なんと温度計は46度になっている、しかもときどき48度まで上昇するのだ。

20代の青年が熱い湯に入ったが5秒で出てきた、とても熱くて入っていられないそうだ。

わたしも足を入れてみたが火傷をするかと思ったほど熱かった。

温泉から出てフロントの人に聞いたところ熱い湯の温度はいつも46度にしているそうだ。
客が入っていられないほどの熱い湯にするのには何か理由があるのだろうか。

貝田駅の駐車場に車を停めて夕食はまたもやインスタントラーメンだ。


仕事帰りのサラリーマンが電車を降りて帰宅する姿を見ながら、午後7時過ぎには夕食も終えて寝る支度をする。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする