陸中夏井駅 ―> 久慈駅 JR営業キロ3.2Km
2018年9月17日(月曜日)
20分ほども休んだだろうか。
とにかく歩き出す、天気が良いから強い日差しが疲れを倍増させる。
しばらく歩くといきなりガメラが現れた。
プレハブの上に乗っているがあまり恐ろしい感じはしない。
足元には“安全第一”の看板もあるし、ずんぐりしていて子供のガメラのように見える。
ここの社長さんは往年の怪獣映画のファンなのかもしれないな。
その少し先の路地の奥に立体駐車場のようなものが見える。
だが、あれは駐車場ではなく津波避難タワーだ。
あの程度の高さで大丈夫なのか? 住宅の3階ほどの高さしかないぞ。
災害の神様というのはかなり意地悪で堤防を造るとそれより高い津波を起こすし、山のほうに住宅を造ると山を崩したりする。
どんなに対策しても絶対というのがないのだということは東日本大震災で体験済みである。
右に見えた墓通踏切。ここでもお墓は山のほうに作るのだ。
左を見ると白い壁が見えた。
はて堤防ならコンクリートだと思うのだがなぜ白く塗るのだろう。
ありゃー!またシューズのソールが剥がれた。
どうやら接着剤にタイマーが仕込んであって一斉に剥がれるようになっているのだろう。
それならばと残りの部分も無理やり剥がしてしまう。
久慈川にかかる橋を渡る。
橋は付け替えのため工事中だった。
海のほうを見ると堤防が白い、あの白い壁は堤防を補修中の砂袋のようなものだったのだ。
この橋から海岸までは1キロもない。
まんいち津波警報が出たら山へ逃げればよいのだが、時間的に間に合わない可能性もあるので津波避難タワーを造っておくのだ。
橋を渡ってからしばらく歩き久慈市営野球場の脇を通る。
久慈消防署の前を通って駅方面へと歩いていくと石材店があった。
たくさんの墓石にまじって、、なんと!おととい陸奥湊駅で見た“イサバのかっちゃ”がここにもいたのだ。
どうやらここへは出張で来ているらしく名前を「海女のかっちゃ」と変えている。
だが不自然さは手に持つイカに表れている、久慈の海女ならウニでなくてはいけない。
海女がイカを捕るということはないのだ。
あのシールを剥がせばその下には“イサバのかっちゃ”と彫り込んであるに違いない。
いやいや、、そうではなくじつは姉妹だということも考えられる。
そっくりに見えるがよく見るとちいさな違いもあるのだった。
写真を撮っていると「ほれっ、こっちのイカも買ってけぇ~」と、笑顔ながらも強い口調で売り込まれるのだった。
こちらの“かっちゃ”はあんぱんまんのお母さんかと思われる風貌だったなぁ。
久慈川の堤防を歩く。
靴擦れの傷が痛くてとても靴を履いていられない。
靴を脱いで靴下のままで堤防を歩く。
どっちにしても痛いのは変わらない。
前方の鉄橋を三陸鉄道の列車が久慈駅へと入っていくのが見えた。
もう少しだがんばろう。
長内橋を渡ると久慈駅まではほんの少し。
駅前の路地は他の都市の駅前と同じように飲み屋が連なっている。
“ブラックマーケット”と堂々と看板を掲げた店もあった。
これなら非合法品を売っても大丈夫、、、なワケないか。
やっと久慈駅に到着。
ああ、、靴擦れさえしなければ余裕で全線踏破できたのに。
一区間だけではあるけれど抜かしてしまったのは悔しい。
ちかいうち陸中中野駅から侍浜駅間を歩きに来なければと思う。
セルフタイマーで記念撮影をして
足元を見るとカラー版“さかなクン”のマンホールの蓋があった。
NHKの「あまちゃん」が人気になったせいでこの“さかなクン”が注目されないのはお気の毒というほかない。
きれいに整備されている久慈駅前に廃墟のビルがあった。
駅前デパートと書いてある。
営業をやめてからずいぶん経つのだろう、窓ガラスは割れ鉄骨は錆びてコンクリートにもひびが入っている。
展望室だった部分にも廃墟感がいっぱい。
青空の下のホラーだな。
地方都市の駅前の衰退を象徴しているような建物であった。
JR久慈駅の隣には三陸鉄道久慈駅があるので見に行く。
「あまちゃん」ポスターは陽に焼け色あせてしまっていた。
放映されたのは2013年ということなので、もしかしたら5年も貼りっぱなしだったのかも。
狭い待合室は観光客の姿であふれていた。
そういえば今日は三連休の最終日、さきほどはお座敷列車が久慈駅から出て行ったっけ。
あまちゃん関連で楽しんでもらおうと工夫を凝らしているのがよくわかる。
外国からの観光客も多いのだろう、中国語やハングルの表示もあるのだ。
ごちゃごちゃの感はあるがそれが活気を感じさせているのだった。
わたしは一人旅のじいさんなので写真を撮るだけ。
牛が鮭を持っている。
熊が鮭を咥えているのは見たことがあるが牛が鮭をつかむとは?
駅前には久慈の海女さんとなぜか“なまはげ”
“なまはげ”は秋田県男鹿地方のもので岩手県三陸には無いと思うが、無理やり合体させたのか。
などなど小さな駅なのにつっこみどころは多いのだった。
さて侍浜駅へ戻らねばと時刻表を見るとなんと2時間の待ち時間がある。
これだから田舎の鉄道は困ってしまう。
それなら昼食を食べに行こう、たしか近くに道の駅があるはず。
駅から歩いていくと、そこかしこに“あまちゃん”が・・
そして顔出しパネルもあったのだが、、、
岩手名産の岩手短角牛はよいとしてもあまちゃんまで鍋で一緒に煮込んでしまうとは、、、久慈市はもしかすると恐ろしいところなのかも。
もうすぐ秋祭りだ、今年は9月20日からだそうだ。
「三船久蔵十段出生の地」のパネルと胸像があった。
岩手の生んだヒーローだ。
パネルを読むと身長159Cm体重55Kgだったとある。
現代からみると小柄なように思えるが当時はやや高めの身長体重だったはずだ。
江戸から昭和中期までは日本人の身長が極端に低かった時代だったのだ。
痛む足ですり足で歩くこと15分「やませ土風館・道の駅くじ」まで来た。
だが連休とあって食事場所は大賑わいで座れるところが無かった。
しかたない駅まで戻るか。
そういえば駅前に有名なラーメン店があったはず。
「千草」というその店に行ってみると店内は満員、立って待つ人も数人いる。
もう待ってまで食べるという気力もなくなりトボトボと駅へと歩く。
駅前はまさにシャッター商店街状態、空は青いがすきっ腹で気分もブルー。
駅の待合室でじっと1時間ほど待つ。
八戸行きの列車へ乗り込む。運賃は240円。
車に戻ってカップ麺だけのわびしい、、いや、、計画通りの費用節約の昼食となった。
汗を流しにきょうも同じく古墳の湯へ行く。
せっかくの温泉だが足の指の状態が悪いので風呂に入らずシャワーだけ。
汗でぐっしょり濡れたウェアを着替えて足の指を見ると・・・大変なことになっていた。
なんと指の皮がつるりと剥けてしまったのだ。
大粒のぶどうの皮をむいた時のようになってしまった。
うっすらと血が滲んでいるところがある。
これでは痛いわけだ。
絆創膏を使い切ってしまったのでティシュペーパーを巻いてからそうっと靴下を履く。
左足の小指の爪は皮下出血していて爪が赤黒くなっている。
歩いたり触ったりしなければ痛みが無いのがさいわいだ。
足を休ませてから町のドラッグストアへ絆創膏を買いに行く。
絆創膏を巻いてから車でまた休む。
あとはまっすぐ帰宅することとなった。
帰宅後に調べてみるとケアリーグという絆創膏が良いとネットの情報にあった。
使ってみるとたしかに治りは早かった。
1日に1回貼り替えたのだが3日でほぼ普段通りに歩けるようになった。
歩き旅に靴選びは大事だと実感できる旅であった。
陸中中野駅から侍浜駅は後日再挑戦すると固く決意する。(ちょっと大袈裟)
2018年9月17日(月曜日)
20分ほども休んだだろうか。
とにかく歩き出す、天気が良いから強い日差しが疲れを倍増させる。
しばらく歩くといきなりガメラが現れた。
プレハブの上に乗っているがあまり恐ろしい感じはしない。
足元には“安全第一”の看板もあるし、ずんぐりしていて子供のガメラのように見える。
ここの社長さんは往年の怪獣映画のファンなのかもしれないな。
その少し先の路地の奥に立体駐車場のようなものが見える。
だが、あれは駐車場ではなく津波避難タワーだ。
あの程度の高さで大丈夫なのか? 住宅の3階ほどの高さしかないぞ。
災害の神様というのはかなり意地悪で堤防を造るとそれより高い津波を起こすし、山のほうに住宅を造ると山を崩したりする。
どんなに対策しても絶対というのがないのだということは東日本大震災で体験済みである。
右に見えた墓通踏切。ここでもお墓は山のほうに作るのだ。
左を見ると白い壁が見えた。
はて堤防ならコンクリートだと思うのだがなぜ白く塗るのだろう。
ありゃー!またシューズのソールが剥がれた。
どうやら接着剤にタイマーが仕込んであって一斉に剥がれるようになっているのだろう。
それならばと残りの部分も無理やり剥がしてしまう。
久慈川にかかる橋を渡る。
橋は付け替えのため工事中だった。
海のほうを見ると堤防が白い、あの白い壁は堤防を補修中の砂袋のようなものだったのだ。
この橋から海岸までは1キロもない。
まんいち津波警報が出たら山へ逃げればよいのだが、時間的に間に合わない可能性もあるので津波避難タワーを造っておくのだ。
橋を渡ってからしばらく歩き久慈市営野球場の脇を通る。
久慈消防署の前を通って駅方面へと歩いていくと石材店があった。
たくさんの墓石にまじって、、なんと!おととい陸奥湊駅で見た“イサバのかっちゃ”がここにもいたのだ。
どうやらここへは出張で来ているらしく名前を「海女のかっちゃ」と変えている。
だが不自然さは手に持つイカに表れている、久慈の海女ならウニでなくてはいけない。
海女がイカを捕るということはないのだ。
あのシールを剥がせばその下には“イサバのかっちゃ”と彫り込んであるに違いない。
いやいや、、そうではなくじつは姉妹だということも考えられる。
そっくりに見えるがよく見るとちいさな違いもあるのだった。
写真を撮っていると「ほれっ、こっちのイカも買ってけぇ~」と、笑顔ながらも強い口調で売り込まれるのだった。
こちらの“かっちゃ”はあんぱんまんのお母さんかと思われる風貌だったなぁ。
久慈川の堤防を歩く。
靴擦れの傷が痛くてとても靴を履いていられない。
靴を脱いで靴下のままで堤防を歩く。
どっちにしても痛いのは変わらない。
前方の鉄橋を三陸鉄道の列車が久慈駅へと入っていくのが見えた。
もう少しだがんばろう。
長内橋を渡ると久慈駅まではほんの少し。
駅前の路地は他の都市の駅前と同じように飲み屋が連なっている。
“ブラックマーケット”と堂々と看板を掲げた店もあった。
これなら非合法品を売っても大丈夫、、、なワケないか。
やっと久慈駅に到着。
ああ、、靴擦れさえしなければ余裕で全線踏破できたのに。
一区間だけではあるけれど抜かしてしまったのは悔しい。
ちかいうち陸中中野駅から侍浜駅間を歩きに来なければと思う。
セルフタイマーで記念撮影をして
足元を見るとカラー版“さかなクン”のマンホールの蓋があった。
NHKの「あまちゃん」が人気になったせいでこの“さかなクン”が注目されないのはお気の毒というほかない。
きれいに整備されている久慈駅前に廃墟のビルがあった。
駅前デパートと書いてある。
営業をやめてからずいぶん経つのだろう、窓ガラスは割れ鉄骨は錆びてコンクリートにもひびが入っている。
展望室だった部分にも廃墟感がいっぱい。
青空の下のホラーだな。
地方都市の駅前の衰退を象徴しているような建物であった。
JR久慈駅の隣には三陸鉄道久慈駅があるので見に行く。
「あまちゃん」ポスターは陽に焼け色あせてしまっていた。
放映されたのは2013年ということなので、もしかしたら5年も貼りっぱなしだったのかも。
狭い待合室は観光客の姿であふれていた。
そういえば今日は三連休の最終日、さきほどはお座敷列車が久慈駅から出て行ったっけ。
あまちゃん関連で楽しんでもらおうと工夫を凝らしているのがよくわかる。
外国からの観光客も多いのだろう、中国語やハングルの表示もあるのだ。
ごちゃごちゃの感はあるがそれが活気を感じさせているのだった。
わたしは一人旅のじいさんなので写真を撮るだけ。
牛が鮭を持っている。
熊が鮭を咥えているのは見たことがあるが牛が鮭をつかむとは?
駅前には久慈の海女さんとなぜか“なまはげ”
“なまはげ”は秋田県男鹿地方のもので岩手県三陸には無いと思うが、無理やり合体させたのか。
などなど小さな駅なのにつっこみどころは多いのだった。
さて侍浜駅へ戻らねばと時刻表を見るとなんと2時間の待ち時間がある。
これだから田舎の鉄道は困ってしまう。
それなら昼食を食べに行こう、たしか近くに道の駅があるはず。
駅から歩いていくと、そこかしこに“あまちゃん”が・・
そして顔出しパネルもあったのだが、、、
岩手名産の岩手短角牛はよいとしてもあまちゃんまで鍋で一緒に煮込んでしまうとは、、、久慈市はもしかすると恐ろしいところなのかも。
もうすぐ秋祭りだ、今年は9月20日からだそうだ。
「三船久蔵十段出生の地」のパネルと胸像があった。
岩手の生んだヒーローだ。
パネルを読むと身長159Cm体重55Kgだったとある。
現代からみると小柄なように思えるが当時はやや高めの身長体重だったはずだ。
江戸から昭和中期までは日本人の身長が極端に低かった時代だったのだ。
痛む足ですり足で歩くこと15分「やませ土風館・道の駅くじ」まで来た。
だが連休とあって食事場所は大賑わいで座れるところが無かった。
しかたない駅まで戻るか。
そういえば駅前に有名なラーメン店があったはず。
「千草」というその店に行ってみると店内は満員、立って待つ人も数人いる。
もう待ってまで食べるという気力もなくなりトボトボと駅へと歩く。
駅前はまさにシャッター商店街状態、空は青いがすきっ腹で気分もブルー。
駅の待合室でじっと1時間ほど待つ。
八戸行きの列車へ乗り込む。運賃は240円。
車に戻ってカップ麺だけのわびしい、、いや、、計画通りの費用節約の昼食となった。
汗を流しにきょうも同じく古墳の湯へ行く。
せっかくの温泉だが足の指の状態が悪いので風呂に入らずシャワーだけ。
汗でぐっしょり濡れたウェアを着替えて足の指を見ると・・・大変なことになっていた。
なんと指の皮がつるりと剥けてしまったのだ。
大粒のぶどうの皮をむいた時のようになってしまった。
うっすらと血が滲んでいるところがある。
これでは痛いわけだ。
絆創膏を使い切ってしまったのでティシュペーパーを巻いてからそうっと靴下を履く。
左足の小指の爪は皮下出血していて爪が赤黒くなっている。
歩いたり触ったりしなければ痛みが無いのがさいわいだ。
足を休ませてから町のドラッグストアへ絆創膏を買いに行く。
絆創膏を巻いてから車でまた休む。
あとはまっすぐ帰宅することとなった。
帰宅後に調べてみるとケアリーグという絆創膏が良いとネットの情報にあった。
使ってみるとたしかに治りは早かった。
1日に1回貼り替えたのだが3日でほぼ普段通りに歩けるようになった。
歩き旅に靴選びは大事だと実感できる旅であった。
陸中中野駅から侍浜駅は後日再挑戦すると固く決意する。(ちょっと大袈裟)