東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

JR八戸線沿線を歩く旅(22)

2018年10月19日 | JR 八戸線沿線 歩き旅
陸中夏井駅 ―> 久慈駅 JR営業キロ3.2Km
2018年9月17日(月曜日)


20分ほども休んだだろうか。
とにかく歩き出す、天気が良いから強い日差しが疲れを倍増させる。

しばらく歩くといきなりガメラが現れた。



プレハブの上に乗っているがあまり恐ろしい感じはしない。



足元には“安全第一”の看板もあるし、ずんぐりしていて子供のガメラのように見える。
ここの社長さんは往年の怪獣映画のファンなのかもしれないな。

その少し先の路地の奥に立体駐車場のようなものが見える。







だが、あれは駐車場ではなく津波避難タワーだ。
あの程度の高さで大丈夫なのか? 住宅の3階ほどの高さしかないぞ。

災害の神様というのはかなり意地悪で堤防を造るとそれより高い津波を起こすし、山のほうに住宅を造ると山を崩したりする。
どんなに対策しても絶対というのがないのだということは東日本大震災で体験済みである。


右に見えた墓通踏切。ここでもお墓は山のほうに作るのだ。



左を見ると白い壁が見えた。



はて堤防ならコンクリートだと思うのだがなぜ白く塗るのだろう。

ありゃー!またシューズのソールが剥がれた。



どうやら接着剤にタイマーが仕込んであって一斉に剥がれるようになっているのだろう。
それならばと残りの部分も無理やり剥がしてしまう。

久慈川にかかる橋を渡る。





橋は付け替えのため工事中だった。



海のほうを見ると堤防が白い、あの白い壁は堤防を補修中の砂袋のようなものだったのだ。

この橋から海岸までは1キロもない。





まんいち津波警報が出たら山へ逃げればよいのだが、時間的に間に合わない可能性もあるので津波避難タワーを造っておくのだ。

橋を渡ってからしばらく歩き久慈市営野球場の脇を通る。



久慈消防署の前を通って駅方面へと歩いていくと石材店があった。







たくさんの墓石にまじって、、なんと!おととい陸奥湊駅で見た“イサバのかっちゃ”がここにもいたのだ。



どうやらここへは出張で来ているらしく名前を「海女のかっちゃ」と変えている。



だが不自然さは手に持つイカに表れている、久慈の海女ならウニでなくてはいけない。
海女がイカを捕るということはないのだ。



あのシールを剥がせばその下には“イサバのかっちゃ”と彫り込んであるに違いない。
いやいや、、そうではなくじつは姉妹だということも考えられる。
そっくりに見えるがよく見るとちいさな違いもあるのだった。

写真を撮っていると「ほれっ、こっちのイカも買ってけぇ~」と、笑顔ながらも強い口調で売り込まれるのだった。

こちらの“かっちゃ”はあんぱんまんのお母さんかと思われる風貌だったなぁ。


久慈川の堤防を歩く。





靴擦れの傷が痛くてとても靴を履いていられない。
靴を脱いで靴下のままで堤防を歩く。



どっちにしても痛いのは変わらない。
前方の鉄橋を三陸鉄道の列車が久慈駅へと入っていくのが見えた。



もう少しだがんばろう。

長内橋を渡ると久慈駅まではほんの少し。





駅前の路地は他の都市の駅前と同じように飲み屋が連なっている。



“ブラックマーケット”と堂々と看板を掲げた店もあった。



これなら非合法品を売っても大丈夫、、、なワケないか。

やっと久慈駅に到着。







ああ、、靴擦れさえしなければ余裕で全線踏破できたのに。
一区間だけではあるけれど抜かしてしまったのは悔しい。
ちかいうち陸中中野駅から侍浜駅間を歩きに来なければと思う。



セルフタイマーで記念撮影をして



足元を見るとカラー版“さかなクン”のマンホールの蓋があった。



NHKの「あまちゃん」が人気になったせいでこの“さかなクン”が注目されないのはお気の毒というほかない。

きれいに整備されている久慈駅前に廃墟のビルがあった。
駅前デパートと書いてある。





営業をやめてからずいぶん経つのだろう、窓ガラスは割れ鉄骨は錆びてコンクリートにもひびが入っている。
展望室だった部分にも廃墟感がいっぱい。



青空の下のホラーだな。
地方都市の駅前の衰退を象徴しているような建物であった。

JR久慈駅の隣には三陸鉄道久慈駅があるので見に行く。

「あまちゃん」ポスターは陽に焼け色あせてしまっていた。



放映されたのは2013年ということなので、もしかしたら5年も貼りっぱなしだったのかも。

狭い待合室は観光客の姿であふれていた。





そういえば今日は三連休の最終日、さきほどはお座敷列車が久慈駅から出て行ったっけ。
あまちゃん関連で楽しんでもらおうと工夫を凝らしているのがよくわかる。







外国からの観光客も多いのだろう、中国語やハングルの表示もあるのだ。





ごちゃごちゃの感はあるがそれが活気を感じさせているのだった。

わたしは一人旅のじいさんなので写真を撮るだけ。

牛が鮭を持っている。



熊が鮭を咥えているのは見たことがあるが牛が鮭をつかむとは?

駅前には久慈の海女さんとなぜか“なまはげ”



“なまはげ”は秋田県男鹿地方のもので岩手県三陸には無いと思うが、無理やり合体させたのか。
などなど小さな駅なのにつっこみどころは多いのだった。


さて侍浜駅へ戻らねばと時刻表を見るとなんと2時間の待ち時間がある。
これだから田舎の鉄道は困ってしまう。

それなら昼食を食べに行こう、たしか近くに道の駅があるはず。

駅から歩いていくと、そこかしこに“あまちゃん”が・・



そして顔出しパネルもあったのだが、、、



岩手名産の岩手短角牛はよいとしてもあまちゃんまで鍋で一緒に煮込んでしまうとは、、、久慈市はもしかすると恐ろしいところなのかも。

もうすぐ秋祭りだ、今年は9月20日からだそうだ。



「三船久蔵十段出生の地」のパネルと胸像があった。
岩手の生んだヒーローだ。





パネルを読むと身長159Cm体重55Kgだったとある。
現代からみると小柄なように思えるが当時はやや高めの身長体重だったはずだ。
江戸から昭和中期までは日本人の身長が極端に低かった時代だったのだ。

痛む足ですり足で歩くこと15分「やませ土風館・道の駅くじ」まで来た。





だが連休とあって食事場所は大賑わいで座れるところが無かった。



しかたない駅まで戻るか。



そういえば駅前に有名なラーメン店があったはず。
「千草」というその店に行ってみると店内は満員、立って待つ人も数人いる。





もう待ってまで食べるという気力もなくなりトボトボと駅へと歩く。

駅前はまさにシャッター商店街状態、空は青いがすきっ腹で気分もブルー。



駅の待合室でじっと1時間ほど待つ。



八戸行きの列車へ乗り込む。運賃は240円。







車に戻ってカップ麺だけのわびしい、、いや、、計画通りの費用節約の昼食となった。


汗を流しにきょうも同じく古墳の湯へ行く。



せっかくの温泉だが足の指の状態が悪いので風呂に入らずシャワーだけ。
汗でぐっしょり濡れたウェアを着替えて足の指を見ると・・・大変なことになっていた。
なんと指の皮がつるりと剥けてしまったのだ。
大粒のぶどうの皮をむいた時のようになってしまった。
うっすらと血が滲んでいるところがある。



これでは痛いわけだ。
絆創膏を使い切ってしまったのでティシュペーパーを巻いてからそうっと靴下を履く。
左足の小指の爪は皮下出血していて爪が赤黒くなっている。
歩いたり触ったりしなければ痛みが無いのがさいわいだ。
足を休ませてから町のドラッグストアへ絆創膏を買いに行く。

絆創膏を巻いてから車でまた休む。
あとはまっすぐ帰宅することとなった。


帰宅後に調べてみるとケアリーグという絆創膏が良いとネットの情報にあった。
使ってみるとたしかに治りは早かった。
1日に1回貼り替えたのだが3日でほぼ普段通りに歩けるようになった。
歩き旅に靴選びは大事だと実感できる旅であった。


陸中中野駅から侍浜駅は後日再挑戦すると固く決意する。(ちょっと大袈裟)


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JR八戸線沿線を歩く旅(21)

2018年10月18日 | JR 八戸線沿線 歩き旅
未歩行区間
陸中中野駅 ―> 侍浜駅 JR営業キロ6.0Km



歩いた区間

侍浜駅 ―> 陸中夏井駅 JR営業キロ7.3Km
2018年9月17日(月曜日)

夜中に雨の音で目が覚めた。かなり強く降っている。
雨具は持ってきているがもし雨降りなら歩くのはやめようかなと思う。
足が痛いのだ。
すでに傷になっているから休んだからといって回復するというものではない。


うとうとしているとゴ、ゴ、ゴ、ド、ド、ドと大きな音が聞こえる。
はてこんな夜中に工事をしているのだろうか。

やっと東の空に明るさが見えてきた。
うるさくて寝ていられないので起きだして外を見る。
いつの間にか雨はあがっていて、そこここが水たまりになっている。
あの大きな音は漁に出ていく漁船のエンジン音だった。

そうこうしていると夜が明けてきた。
車から出てみると堤防には海釣りをする人が数人いた。
午前5時過ぎだというのにみなさん早起きだねぇ。

と、公園の東屋を見るとベンチに寝ている人がいた。


シュラフにくるまってい寝ているようだ。



あの強い雨のなか屋根があるとはいえ濡れなかったんだろうか。

ここは「すわ緑地」という公園だった。



公園には円錐形のモニュメントがあった。



銘板を見るとこの円錐形は大震災の時の津波の高さを表しているのだった。



このてっぺんまで水没してしまったということだ。
公園の外側に続く堤防より高いのだ。



これでは海岸沿いにいたなら助かりようがないな。

きょうもパン1個と缶コーヒーで朝食にしながら考える。
足はかなり痛い。
あの陸中中野駅から国道45号線への上り坂は耐えられないような気がする。
侍浜駅まで歩く距離は約10キロになる。
侍浜駅から久慈駅までも10キロなので合計20キロメートルになるのだ。
通常なら余裕で歩けるだろうが、この足の状態では踏破できないだろうと思う。

だが歩き旅も続けたい。

さんざん考えて陸中中野駅から侍浜駅はパスすることにした。

この区間は後日歩くことにしよう。

車で侍浜駅まで行き、駅前に車を停める。









右足をかばうようにしながら歩きだす。



駅前には空き家と思われるレトロな建物があった。



二階の出窓がとてもよい雰囲気。



一階部分とのミスマッチが素晴らしいなぁ。



人のいない道を行く。
この道は侍浜駅で行きどまりだから通る車もない。



踏切を超えて国道395号線へと通じる道を下っていく。



長い長い下り坂だった。







国道395号線は九戸街道とも呼ばれ久慈市と二戸市をつなぐ道なのだ。



コスモスが雨露に濡れて色鮮やか。





陽が差してきた、風はないので気温がどんどん上昇していく。
ウィンドブレーカーを脱いで、少し歩いてシャツも脱いでT-シャツだけになるがそれでも暑い。

今回の旅も雨に降られなかった。
しっかりとディパックの中に雨具を用意してきたときに限って雨は降らない。
やはりマーフィーの法則ということだな。

国道395号線も久慈市方面に向かってずーっと下り坂だ。
歩いていると足がなにかに引っかかる。



見るとシューズのソール部分が剥がれていた。
ずいぶん長いこと履いているがこんなところで剥がれるとは。
剥がしても歩行には差し支えない部分だったのが幸いである。

栗が落ちていた。そうかそんな時季になってしまったんだなあ。





記念に5粒ほど拾ってディパックに入れる。



小高い所に小さなお社が見えた。どうやら個人のお宅のお社のようだ。





すすきの向こうに建設中の高速道路が見えてきた。
どうりでダンプカーの往来が多いわけだ。







久慈市は琥珀の産地で博物館もある。
「もぐらんぴあ」という水族館もある岩手県北の有数の観光地でもあるのだ。



と、、なにやらギザギザの円盤が見えた。



ここは、のこぎりの修理などをしている会社だった円盤は丸鋸だったのだ。



現物看板はわかりやすいし見て楽しいな。

民家の前に使われていない自動販売機がぽつんと立っていた。



抽選で当たりが出る仕組みのドリンクの販売機だ。



ショーケース部分のアクリル板もすっかり曇ってしまい中が見えない状態。



コーラの缶も錆びているし瓶のラベルも剥がれてしまっている。
どんな事情で撤去できずにいるのだろうか。


幹線道路を外れて鳥谷川の堤防を歩く。







靴擦れの指が痛い。
持ってきた絆創膏は使いきってしまったので貼りかえることもできない。
きょうは歩かずに帰宅したほうが良かったかなあと気弱になってしまう。

そうしていると今度はもう片方のシューズのソールが剥がれてしまった。



と、、足元を見ると、これは“さかなクン”ではないか。
みんなに踏まれつつも海の美しい久慈市の宣伝しているのだ。



まさに縁の下の力持ち。

その先には歩道にハートがあった。



テレビのバラエティ番組で日光東照宮にあるハートを探せ!というのを見たことがあるが、ここのはそういうこととは無縁で人知れずひっそりとあるのだった。

やっと陸中夏井駅前まで来た。



駅へと向かっていく。



駅舎は車掌車を改造したものだった。
形から推測するとヨ5000型車掌車ではなかろうか。







じつにシブイ。
こういうのはわたしのお気に入り。





車掌車の活用方法としては抜群である。

待合室内も広いし明るい。





窓のばね式開閉器がそのまま残っているのもうれしい。

ベンチに座って靴を脱いで足を休ませる。



サロンパスは持ってきたのだが靴擦れには使えないしなあ。

あと一駅だ、なんとしても歩き通したい。


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JR八戸線沿線を歩く旅(20)

2018年10月17日 | JR 八戸線沿線 歩き旅
有家駅 ―> 陸中中野駅 JR営業キロ2.6Km
2018年9月16日(日曜日)

有家駅わきの踏切に45K887mの表示、やれやれなんとか45キロを超えたか。

45号線に戻り南下する。

あと一駅だと自分を励ますが足が思うように動かなくなってきた。
つま先がアスファルトに引っかかる、足が上がらないのだ。

陸中中野駅への案内表示が見えた。
あと1.5キロだ。



国道は山の中を通っているので駅へは下り坂だ。



下り坂だから歩くには楽なはずだが靴擦れの指に力がかかってしまい痛みは増すばかりだ。





坂の途中に「おーくぼ」という店があった。





たぶん“大久保”さんの経営なんだろうけど、みんなから「おーくぼさん」と呼ばれているものだから看板も「おーくぼ」にしたんだろうなあ、なんかほほえましい。

さらに下っていくと長円寺というお寺があって墓地の入り口にはゲートがあった。



お盆時期はこのゲートに提灯などの飾りを下げるのではないかと想像してしまう。

坂はかなり急だった。からだも冷えてきた。
足はかなり痛い、絆創膏を巻いてあるが手当が遅かったのかもしれない。
ふう、なんとか陸中中野駅に到着。





まずは風呂に入ってから着替えをしたい。
種市まで戻り“マリンサイドスパ種市”に入ろうと考えていたのだが久慈市のほうが距離が近い。

久慈市にある“古墳の湯”へ入りに行く。






岩手県内なので料金は高くなり500円。
足を見ると左足の小指の爪は内出血で赤くなっているし、右足の薬指は皮膚が潰れたようになっていて一部分裂けている。
風呂にゆっくりと浸かると疲れが抜けていく。

入浴後に傷を水で洗い足の指に絆創膏を貼る。

さっぱりとしたところでスーパーへ買い物に行く。

なぜか弁当は売り切れだった。
わたしが買いに来るのを察して買い占めた人がいるのだろうか。
ちょっと迷ったがおにぎりを一個だけ買う。
さて今夜はどこに車を停めようか。
すでに外は真っ暗でいまにも雨が降りそうな空模様だ。
港の堤防の海側にある公園に車を停める。
お湯を沸かして自宅から持ってきたカップ麺とおにぎりだけの夕食。
港の灯りを見ながらだけど、とても優雅とは言えない夕食である。
今夜はこの公園で車中泊することにした。

午後8時半に寝てしまう。




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JR八戸線沿線を歩く旅(19)

2018年10月16日 | JR 八戸線沿線 歩き旅
陸中八木駅 ―> 有家駅 JR営業キロ2.7Km
2018年9月16日(日曜日)

いまの時期は午後5時を過ぎると急激に暗くなりはじめて午後6時には真っ暗になってしまう。

きょうの目的地の陸中中野駅まではJR営業キロで5.3キロだから余裕で歩けるはずだった。
だが地図を見ると次の有家駅は海岸沿いの道がなく45号線から1キロほど海側へ歩かなくてはならないのだ。
うーむ、2キロも余分に歩くのか。
次の陸中中野駅も海側の道はなく45号線からかなり歩く必要があるようだ。

両駅は中間にある川で遮断されているので海岸沿いに歩ける道が無いのだ。

とにかく歩くしかない。

国道45号線に戻り歩き続ける。

国道を左折して有家駅までは長い下り坂だった。ということは帰りは上り坂だよなあ。

下り坂も痛む足に負担がかかる。



空を見上げると雲が多くなってきていて薄暗くなってきた。





この駅も海岸から50メートルほどしか離れていない、待合室は新しかったからやはり津波の被害を受けたのだろうと思う。

駅のホームから海岸方面を見る、あの規模の津波なら線路も冠水したんだろうな。








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JR八戸線沿線を歩く旅(18)

2018年10月15日 | JR 八戸線沿線 歩き旅
宿戸駅 ―> 陸中八木駅 JR営業キロ3.1Km
2018年9月16日(日曜日)

国道に戻りひたすら南下する.



津波警報表示板があって津波警報が出たら通行止めになると書いてある。



久慈まで24Kmと表示されているが、その先の標識には25Kmとある。
ここには時空の歪みがあり100m進むと1キロ遠くなるという不思議な現象が起こるのだ。

駅へはここから海岸方面へと坂を下っていく。





坂の途中に造船所踏切があった。有名な造船所がこの近くにあるのだろう。



坂を下り切ると巨大な堤防が出現。



なぜだか旧東ドイツが造ったベルリンの壁を連想してしまった。

津波の際は山に逃げられるよう階段がある。



先日の北海道地震のことある、海岸沿いに住む人は常に緊張していなければならないんだなぁ。

陸中八木駅は真新しかった。



この駅から海までは30mほどしかないから東日本大震災の津波の被害に遭い建て直したのかもしれない。







時刻は午後3時を過ぎた。天気が晴れから曇りに変わって気温が急激に下がってきた。



汗で湿ったTシャツが体の熱を奪っていく。




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JR八戸線沿線を歩く旅(17)

2018年10月14日 | JR 八戸線沿線 歩き旅
玉川駅 ―> 宿戸駅 JR営業キロ1.9Km
2018年9月16日(日曜日)

休憩はとらないで次の駅へと向かう。
隣の駅まで1.9Kmと近いのだ。

ここからは国道45号線を歩く。



歩道があるのは歩行者にとってはありがたい。
幹線道路だから県道と違って交通量が多い。

足は痛いがガマン、ガマン。

ほどなく宿戸駅への案内標識が見えた。





この駅でちょうど40キロだった。







この駅の停車場中心の杭はホームの中心あたりにあった。



他の駅でホームの端に停車場中心の表示があったのはなぜなんだろう。

そんなことを考えながら歩き続ける。


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JR八戸線沿線を歩く旅(16)

2018年10月13日 | JR 八戸線沿線 歩き旅
種市駅 ―> 玉川駅 JR営業キロ3.9Km

2018年9月16日(日曜日)

種市駅ではタクシーが客待ちをしていたからそれなりに乗客は多いのだろう。
駅を背にして歩き出す。

ここも海側に下り坂になっている。



歩くのは県道247号線だ。
このように緩めのアップダウンが続く。



歩いているとヒマなのでポケットからスマートフォンを出してスピードメーターを表示させてみた。



おお!時速4キロだ。


靴擦れで痛む足をかばいながら歩いているから歩行速度はかなり遅いハズ。
いつもならスマートフォンでラジオ、音楽を聴きながら歩くのだがこの道路は歩道が無い。
ところどころに「この道は歩道がないから歩行者に注意」の標識があるのだ。
わたしも道のわきの草むらに入って車を避けることがなんどもあった。
ヘッドフォンをしていて車に気付くのが遅れると事故に遭うかもしれない。
道幅は自動車がやっとすれ違える程度だ、昔はどこでもこんな道だった。
なにしろ自動車が少なかったのだ。


和座川にかかる橋を渡る。清流である、都会の川では味わえない清々しさがあった。







玉川駅に到着。










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JR八戸線沿線を歩く旅(15)

2018年10月12日 | JR 八戸線沿線 歩き旅
平内駅 ―> 種市駅 JR営業キロ2.1Km
2018年9月16日(日曜日)

平内駅を後にさっき来た道を引き返して海沿いの道へと戻る。
右足指の靴擦れがひどくなってきたようでかなり痛む。
さらに左足小指も痛くなってきた。
だが歩くしかない。

海沿いを大きな堤防が続いている。



堤防の上を歩くことにした。
ゆっくり歩けて風景も楽しめる、一石二鳥だ。。



1キロほど歩いたところの堤防の内側の広場の真ん中に石碑がぽつんと立っていた。





道路わきにはパネルも見えている。
カメラのズームを最大にしてみると昭和8年の津波による犠牲者の供養塔だと分かった。
岩手県で3000人、洋野町だけでも107人の犠牲者だと書いてある。



わたしの立っているこの堤防は高さが12メートルあって津波を防いだので洋野町では東日本大震災のときは犠牲者を出さずにすんだそうだ。

海側にはワカメを干す人の姿があった。





堤防の内側にはこのような小屋が並んでいた、漁具などを仕舞っておく作業小屋なのだろう。





堤防の急な階段を下りて港の脇を通り海岸沿いの道を歩く。





沖合100メートルほどのところに石碑に見えるような岩があってカモメが羽を休めていた。



ああ、やはり海はいいなあ。



しばらく歩いていくと“マリンサイドスパ種市”の下に出る。



建物の脇の急な階段を登り温泉の正面へまわる。



ここで温泉に入ってのんびりしたいところだが先を急がねば。



時刻はお昼時である。
どこかで昼食をと見ると駅の右手にスーパーマーケットがあった。



スーパーの一角にある休憩所でロースカツ丼を無料のお茶で流し込む。



わたしは割引の品を買うことが多いがこの時間帯だと特価処分品はなかった、残念。
まあ無料のお茶を4杯も飲んだから良しとしよう。
昼食を終えたら駅へと向かう。



ここまで34Kmしか歩けていない。
八戸駅から久慈駅までは64.9Kmだから急ぎ足なら2日、ゆっくり歩いて2日半で歩きとおせるだろうと考えていたのだが考えが甘かったようだ。

種市駅前の広場はこのようになっていた。



海岸と波を煉瓦で表しているのである、すてきなデザインだ。

そのわきに大きなボールのようなものがあった。





これは潜水服のヘルメットをデザインした公衆トイレだった。
わたしはこのような遊び心のあるデザインが好きだな。

駅前に立つマスコットも潜水服姿でウニを持っていた。



駅前には潜水服姿の顔出しパネルもあるのだ。



おお、種市駅の看板にも波が!



時刻は午後1時、歩き続きなければ。




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JR八戸線沿線を歩く旅(14)

2018年10月11日 | JR 八戸線沿線 歩き旅
2018年9月16日(日曜日)

角の浜駅 ―> 平内駅 JR営業キロ2.6Km

この区間も駅間距離は短い。

線路は山側を走っていて県道は海側を通っている。
歩いていると駅からは下り坂で県道へ出て、駅への道は上り坂になるのだ。
これは結構疲れるのだった、駅間距離が短いからと楽だろうと考えていたのは間違いだった。
急坂ではないが平坦なところがないというのは足にこたえる。

このあたりから右足の様子が変になってきた。
昨日痛かった左足はシップをしたので今日は痛まないが、右足が靴擦れしているのだった。
靴を脱いで足を見ると右足の薬指が赤く腫れている。
靴擦れしないようにと五本指の靴下を履いているのだが効果は無いようだ。
指に絆創膏を巻き付けてしのぐことにする。



ここは岩手県洋野町である2006年に種市町と大野村が合併してできた町だ。
洋野町という名称にしたのは二つの町村名の組み合わせで語呂の良いのが出来なかったからに違いない。
「種野町」でも「市大町」でも変だし「種大町」にもしたくなかったんだろうな。

坂を下りていくと太陽光発電所があった。



太陽光発電所、風力発電所はあちらこちらで見かけた。



このような発電所がどれだけあれば原発無しで済むのだろうか?



政府が無理にでも原発を稼働させようとするのには巨大な利権が絡んでいるのだと勘繰るのはわたしだけなのか。
最近のニュースで太陽光発電の電力買取を制限するというのがあったが、あれも原発を稼働させるための口実ではないかと勘ぐってしまう。

ここから“津波浸水想定区域”とある。





このような看板は大震災以前には見かけなかったと思う。
わたしの元同僚は以前釜石市に住んでいたが「地震があるとぱっと起きて逃げる習慣がついている」と言っていたっけなあ。

わたしの育ったところは山の中で津波の心配は無いのだが地震は恐ろしい。
祖母はなんども昭和8年の地震の話をしてくれたものだ、だから寝るときはすぐ逃げられるように枕元に衣類をきちんと用意して置くよう躾けられて育った。



海沿いの道から再度山側へと歩いていく、途中に種市高校がある。



この高校には全国で唯一潜水士を要請するコースがあるので有名である。
大きな体育館に見えたのは潜水実習棟だった。







足元を見るとマンホールの蓋にも潜水士のデザインがあった。



手に持っているのは名産のウニだろう、北限の海女だけでなく潜水夫もウニを採るのだろう。

またしても海岸沿いから山の方へ向かって行く。
駅間距離は短いが幹線道路から駅まで同じ道を行ったり来たりで歩き旅には効率が悪い、一筆書きのコースにならない。
JR営業キロの倍くらいも歩いているんじゃないかと思えてくるのだった。

坂を上り切ったところに墓地があった。
墓地の入り口にはゲートがあって柱の上にボンボリ状のものがついている。



このような形は同じ岩手県内でも内陸地区では見たことがない。
墓地の一番高いところには大きな墓があって他の墓を睥睨しているようだ。



墓の中に入ってさえも位の上下関係がはっきりわかるのだな。

駅はそこから30メートルほどのところにあり駅の脇の踏切は「墓所踏切」というわかりやすい名称だった。





プラットホームにベンチがあって申し訳程度の屋根がかかっている。





この駅は道を挟んだところにある小屋のようなものが待合室になっていた。





待合室の表示は無いが室内に手書きの列車時刻表が貼ってあった。
もしかすると地元の人たちが作った待合室なのかもしれない。




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JR八戸線沿線を歩く旅(13)

2018年10月10日 | JR 八戸線沿線 歩き旅
階上駅 ―> 角の浜駅 JR営業キロ2.0Km
2018年9月16日(日曜日)

駅を後にして歩いていくと前方を歩く二人連れがいた。



もしかしてわたしと同じように旧道を歩いているのだろうかと思ったら、海側とは逆のほうへと歩いていく。



道端の標識を見ると「鳥屋部登山口」まで10.5Kmとあった。
あの二人は階上岳への登山にいくのだろう。



鳥屋部登山口から山頂まで約2時間かかるという。

階上町のはずれに“家庭用味噌仕込み承ります”の看板があった。



いまではまず見ることができなくなったが昔の農家では味噌は自家製で、軒先に味噌玉を下げているお宅が多かった。
藁で味噌玉を包んでいたものだった。

この踏切はなぜか白黒のゼブラパターンだ。



海は穏やかで風もほんの少しだけ、日差しが強くて歩くにはちょっとツライ。



小高い所に墓地があった。
墓の脇には背の高い石柱が立っている。



盛岡市近郊など内陸部には見られない形だ。

さらに進むと小学校発祥の地の標識が立っていてその脇にはなぜか船の錨がある。



小学校で船の実習があったのかしら。

暑い、、、

自宅から持ってきたペットボトルのお茶と水はすでに飲んでしまった。
とうとう我慢できずに自動販売機で水を買う。





その場でごくごくと一気に飲み干してしまった。



この日はこの水も含めて500ccのペットボトル5本を飲んだ。
飲んだ水はすぐに汗になってしまう。
水分を補給しないと脱水症状になってしまうからなあ。

ふう、、、と、ひと息ついて歩き出す。

50メートルほど行くと別のお店の自動販売機があった。



おなじ“いろはす”がこっちのほうが10円安いのだった。



うう、なんということだ!分かっていたならこっちで買ったのに、と悔しがる。
自動販売機は返品に応じてくれないし、もう飲んでしまったしと実に残念。

学校の校庭の一角になにやら“ハイル・ヒトラー”のポーズをしている像が建っている。



え? まさかこんなところにナチ党が?



近寄ってみるとハイル・ヒトラーのポーズではなく海のほうを指さしている男性の像だった。



ふんどし姿なので漁師を表しているのではないだろうか。

学校の体育館の壁にくっきりと木の影。



暑いといってもやはり秋の訪れで葉は無くなっている。

学校の海側は小舟渡海岸で広い芝生の公園になっていた。









野外ステージもあるし魅力的な灯台もある。



Windows95の壁紙に使えそうな写真が撮れた。



とてもよい眺めなので公園の東屋で20分の休憩をする。

すぐそばに駐車場がありサーファーがキャンピングカーで大勢来ていた。



今日は大きな波は来そうにないがそれでも次々と海へと出ていくのだった。



海から離れて線路沿いへと戻る。



坂を登っていくと角の浜駅に到着だ。





ここも同じ形の待合室。





写真だけ撮って次へと歩き出す。


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