東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

歩く旅 こぼれ話

2015年12月26日 | つぶやき

最近になって、明治12年に雫石長山(現在の岩手県雫石町)から女性11名で京都、大阪方面へ96日間の旅をした人たちがいるということを知り大変興味深かった。

当時のことだから当然歩き旅である。
しっかりと旅の行程を記録していて、
11月27日石岡(現在の茨城県石岡市)宿出発、1里8丁で高浜にて渡し船とかしっかり書いている。
宿賃が8銭5厘だとか渡し船が1厘5毛だとかこと細かく記録しているのは女性だからなのだろう。

96日間歩き続けたというのは驚きだが、わたしが最も驚いたのは”女性11名のグループ旅”ということだ。
旅に送り出すほうはさぞ気をもんだだろう。
年齢などについてはわからないがこれだけ歩けるということは若い人たちだったのではないかと思う。
明治の時代になり自由に旅が出来るようになっていたとしても女性だけの旅行は危険もあっただろうに。

岩手県雫石町長山は現在でもかなりの田舎でほぼ全部が農家だが裕福な生活は出来ない土地だ。
山がちで冬は積雪が多く寒さも厳しく栽培できる農作物は限られ収穫も多くはない。
しばしば冷夏に見舞われ収穫がない年もある。
現在でもこのような具合だから当時はもっとひどかったはずだ。
岩手県ではところどころに飢饉の死者を供養する石碑が建っているのだ。

費用もかなり掛かっただろうと思う。


明治5年(1872年)に日本初の鉄道が新橋駅ー横浜駅間で開業しているが、国鉄の前身である日本鉄道の盛岡駅の開業が明治23年1890年11月で東北本線の全面開業は明治24年(1891年)なのだ。

ちなみに日清戦争は明治27年(1894年)だから東北本線は開業していて兵士を輸送できた。
鉄道と戦争は密接に関係しているのだ。


彼女たちは東京?横浜?で鉄道を目にしたらしいが乗ることはなかったらしい。
また横浜で蒸気船も見たらしい。
さぞかし驚いたことだろう。

岩手県の内陸部は太平洋側からも日本海側からも100キロメートルほどある。
どちらへ行くにも奥羽山脈と北上山脈が交通を妨げていて歩きで行くのは容易ではない、当時は海を見たことのない人は多かったはずである。


出発が明治12年11月9日なのだが、これは秋から冬の農閑期を利用しての旅だったに違いない。
帰ってきたのは明治12年2月16日で距離は96泊で800里(3000キロメートル)とのことだ。
ちゃんと春の農作業に間に合うように帰宅しているのはエライ。



途中、日光を見物したり筑波山に登ったり、大阪から香川県へ行き金比羅山へお参りしたり、長野の善光寺にも参拝している。
とにかく行程が半端でなく長距離である。日本列島の南端の鹿児島から北海道の北端まで日本海側を進んでも2500キロほどだからスゴイことなのだ。


だがなによりも驚かなくてならないのは”女性だけ11人”のグループだということだろう。
なにしろ女が4人いれば2人と2人に分かれてしまい、3人いれば2人と1人に分裂してしまうのが世間の常識?である。
よくもまあ、、喧嘩別れしないで96日間も一緒に旅が出来たものである。
身体も丈夫だったが精神力も強かったということだろうなあ。

それに比べてわたしの軟弱なこと、暑いと言ってはコンビニでアイスを買い、20キロ歩いただけで音をあげて電車に乗ってしまうのだ。頑張らねば!
コメント
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