東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

JR釜石線沿線歩き旅(8)

2017年07月31日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線歩き旅(8)

今年の夏は暑い。

盛岡市の最高気温が35度を超えて猛暑日になった日もある。
これは珍しいことなのだ、32度~33度というのは毎年あるが猛暑日はめったにないのだ。
これだけ暑いと外へ出るのもイヤになる。

宮守駅からの歩き旅の続きをしたいと思っていたが、暑かったり雨が強かったりで行けないままだった。
さて次の土日はどんな天候かなと予報をみると、7月22日の土曜日は曇りのち小雨、翌日の日曜日は雨の予報である。

宮守駅ー>柏木平駅 6.1Km 2017年07月22日(土)

午前6時に起きだして車で宮守駅へと向かう。

途中の道の駅で自宅から持ってきたトーストとサラダ、缶コーヒーで朝食にする。
宮守駅に着いたのは午前7時45分だった。



駅前に車を停めて早速歩き出す。

駅前にある観光案内には「わさびの里・みやもり」とある。



ここ宮守はわさびが名産なのでいろんなところにわさびのキャラクターが描いてある。

静かな通りを歩いていくと踏切がある。





その踏切から観光スポットの”めがね橋”の部分が見えている。



当然なのだが下から見上げれば有名な”めがね橋”だけど列車からは橋は見えないのだ。

町中にはこのような趣のある建物も残っていた。





おそらく一般の民家なのだろうがとても良いデザインだ。

建てた当時は最先端モダンだったのだろが、今見ても古さを感じさせないと思う。
ポストモダンとでもいうのだろうか。
このようなデザインの家はギリシャやイタリアの田舎町にありそうだなあ。

ご近所の民家の軒先にはタマネギが干されていた。



”めがね橋”を遠くから撮影する。



この橋もSLが走らなければそれほど有名にならなかっただろう、まさにSLさまさま。

SLの通過する時間帯はこの橋の周りは立錐の余地もないほど観光客がいるのだが、この時刻には誰もいない。


国道を東へと進む。
と、自動車販売店のショーウィンドウに懐かしい車を発見。



スバルの軽自動車である。

頼りなげなバンパーとフェンダーミラーがなんとも時代を感じさせてくれる。
たしかこのころは排気量が360ccだったはず。



その隣にはホンダのバイク「モンキー」(もしかしたらゴリラかも)もあった。

民家の庭先にあった朽ちた木。



ディズニーの映画ならこの木はお婆さんの役だろうなあ。
幹が空洞になってしまっても枝には緑の葉。
歳を重ねて衰えたがまだ頑張るぞと言っている。
生命力の強さを感じさせてくれるのだった。


国道は緩い上り坂になっている。



雨は降ってなくてうす曇りだが無風なので汗が噴き出してくる。
歩き出して30分も経っていないが全身汗びっしょりになった。

坂の上にあった街灯の根元にはこんなものが・・



街灯がご神体なので鳥居が・・・というのではなくて立ちション禁止のための鳥居なのだ。
鳥居は神聖なものなのでそれに向かって立ちションするとバチが当たるぞ、というわけである。

右にJR釜石線が見えている、交通量はさほど多くなく歩くには最適だ。



国道と線路が交差する地点。



この道は「メルヘン・リアスルート」というのだ。





その案内板の下にあったバスの待合室は内部が崩壊していた、誰も管理していないのだろう。



バス停の表示も消えてしまっている。

その向かいにはレストランがある。



「さんさろ」という名称で国道107号線と国道283号線の交差するところにある、じつにわかりやすい名前である。

遠野市内までは18キロ、この旅の目的地の釜石までは60キロもある。
猿が石川が大きく曲がっているところを過ぎて少し坂を上ると柏木平駅が見えてきた。





小さな民家のように見える駅だった。



ここまで1時間半ほどかかっている。



なぜか待合室にも駅名票が掛けてあった。





駅前には数軒民家があるのだが物音ひとつしない。









静かなところだ。


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JR釜石線沿線歩き旅 (7)

2017年07月18日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線歩き旅 (7)
岩根橋駅ー>宮守駅 距離 3.4Km 2017年06月25日(日)

隣の宮守駅までは3.4キロだから普通に歩いて1時間はかからないハズである。
だが足が疲れていて思うように動かない。
雨が強まってきたならここであきらめるところなのだが、運が良いのか悪いのか雨は止んでしまった。

意を決して歩き出す。
遠くに「めがね橋」のような橋が見えているが、あれは有名なめがね橋ではない。



SL銀河の撮影スポットであるめがね橋はこの先にあるのだ。

道路わきのフェンスも銀河鉄道のデザイン。




よろめくように歩きながらもマンホールの蓋を見つけてはシャッターを押す。



”宮守”と大きく書いてあるのがなぜか嬉しい。
そしてこちらには”銀河鉄道”と書いてある。



想像するに”銀河鉄道バージョン”は最近作られたものだろう。
SL銀河は2014年からの運行である。

おお、やっと宮守駅が見えてきた。



あの道路の少し上の民家のあるあたりに駅があるはずだ。



このように橋の欄干にもSL銀河があしらわれている。
近くの運動公園の名前も”銀河の森”なのだった。

細い旧道に張り付くように民家が並ぶ。もう駅は目の前だ。





なぜか無駄に広い宮守駅前の広場。



かつてはこの駅前からあちらこちらにバスの便があったのだろうと思われる。



その宮守駅もいまは無人駅だ。



やはりSL銀河をめがね橋で撮影しようと訪れる人が多いのだろう、しっかりと案内板があった。





今日歩いた距離はJRの営業キロで25.1キロメートルだが、花巻駅から土沢駅間を遠回りしてしまったので実際に歩いた距離は29キロを超えていた。

プラットホームにある待合室に入る。上り列車が来るまで15分ある。



周りに誰もいないのを確かめて上半身裸になってタオルで体を拭く。

シャツは絞れるほど汗で濡れている。


このプラットホームにも腕木式信号機があった。



わたしはこの信号機を見て15年前に乗ったミャンマーの鉄道を思い出した。

世界遺産に登録されているパガンという町の駅からマンダレーという町まで鉄道で旅をしたのだが、列車の窓から見えた腕木式信号機に驚いたのだ。

信号機のバランス用の重りが石を針金で括り付けてあるだけだったのだ。





当時のミャンマーは軍事政権下にありアメリカなどからの経済制裁を受けていて国内のインフラはかなり悪かった。(世界一の貧困国といわれたりもした)





鉄道もバスも信じられないほど古いものでメンテナンスもされていないようだった。

車両のサボ(行先表)はチョークで車体に直接書いていたし、





線路は恐ろしいほどうねっていて揺れるだけでなく座っていてジャンプするほどであった。



そんなものだからスピードは出なくて自転車に追い抜かれる始末。



パガンを発車したのが午前8時過ぎだがマンダレーに着いたのは午後5時半だった。



パガンとマンダレー間は直線距離で150キロほどだが所要9時間、平均時速17キロメートルほどしかないのだった。これでは自転車に追い抜かれるわけである。

日本の鉄道と比較するのがそもそも無理というものだが面白い体験だったなあ。


そんなことを思い出しながら列車を待つこと10分。

花巻行き午後5時28分発の列車は定刻通りやってきた。
ワンマンカーなので列車の中で「乗車駅証明書」を取って花巻駅で精算をする。



運賃は500円だった。



さて花巻駅に着いて列車を降りようと立ち上がろうとしたのだが、足が痛くて立ち上がれないのだ。
岩根橋駅から宮守駅まで無理をして歩いたのが悪かったようだ。
ものすごく疲れていたのに急ぎ足で宮守駅へと歩いたし、途中に坂道もあったので足に負担がかかり過ぎたらしい。
手すりにつかまりなんとか立ち上がる。

駅を出て駐車場へと歩くのだが、痛みが強くなってきて普通に歩けないのには困った。
それでも足を引きずってなんとか駐車場までたどり着いた。
駅からたった1キロのところだが30分以上もかかってしまうし、靴下を履き替えようとしたが痛くて屈めず足に手が届かないのだ。
仕方がないから靴下はそのままで30分ほど車の中で身体を休める。

疲れ果てて倒れるというのはこんな状態のことを言うのだろうか。
いままででこれほどに疲労困憊した経験はない。

今年4月末にJR花輪線の十和田南駅から大館駅まで29.2キロを歩いたときは「あと5キロくらいなら歩けそうだ」と思ったものだが、急に弱気になって「やはり一日で歩く距離は20キロまでかな」などどしょんぼりしてしまうのだった。

このあと2日ほどは足が痛くて歩くことがままならなかった。やはり年寄りは無理をするものじゃない。


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JR釜石線沿線歩き旅 (6)

2017年07月17日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線歩き旅 (6)
晴山駅ー>岩根橋駅 距離 5.8Km 2017年06月25日(日)

さて次の岩根橋駅までは5.8キロと距離が長い。
国道283号線を東へと進む。
国道なのだが道路幅は狭く歩道が無い。



雨が強く降ってきたので急いでバッグパックから雨具を出して羽織る。

雨具は傘ではなくポンチョにした。
これだとカメラも背負ったバックパックも濡れないはずだ。

ところがである。
確かに雨でカメラやバッグが濡れることはないのだが、自分から出る汗で濡れるのである。
歩くと汗をかくのでそれがカメラやバッグに付いてしまうのだ。
そのためレンズが曇ってしまい撮った写真はぼんやりとしたものになってしまった。

歩道が無いので車が来るたびに道路わきに避けなければならない。



ドライバーもまさかこんなところに歩行者がいると思っていないから直前で気づいて慌ててハンドルを切る人もいるのだ。

しばらく歩くと右手に東和水力発電所が見えてきた。



そしてその先には猿ガ石川サイホンというのがある。



説明を読むと花巻方面への農業用水を運ぶものだとある。



やっと遠野市に入ってきた。



だが遠野市内まではまだ29キロもある、ううむ遠い。
遠いところのあるから”遠野”なんだろうか。



へとへとに疲れた状態で岩根橋駅に到着。
待合室と片面ホームだけの小さな駅だ。



屋外には工事現場で使うのと同じ簡易トイレがあった。



今日はこの駅までにしようかと考える。

だが上り花巻駅方面への列車は午後5時32分まで無いのだ。
現在時刻は午後4時半である。
ここで1時間待とうか、それとも宮守駅まで歩こうかと思案する。


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JR釜石線沿線歩き旅 (5)

2017年07月16日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線歩き旅 (5)
土沢駅ー>晴山駅 距離 3.2Km 2017年06月25日(日)

マンホールの蓋を見つけては写真を撮り、踏切を見かけると写真を撮る、神社の鳥居を見かけると写真を撮る。



別にコレクションしているわけではないのだがクセになってしまった。

ときどき霧雨のような雨が降ってくる。傘をさすほどでもないが濡れるとうっとうしい。
農道を歩いていくと後ろから「こんにちわ!」と女の子の声がした。
振り返ると自転車で小学5年生くらいの子がわたしを追い越そうとしていた。
「や、こんにちわ」と返事をして道をゆずる。

駅へと向かう小道を進む。



いまは釜石街道の国道283号線があり人も車もそちらを通るのだが昔の道はこのような狭いものだった。
日本の交通手段は徒歩が基本だった。馬に乗るということは贅沢なことだったのだ。しかも馬に乗っても人が馬を曳いていくので速度は歩くのと同じである。
山がちで起伏の多い日本では馬車も普及しなかったので、道は人が通れれば十分だったからこのように狭いのだ。

その昔はこの細い道がメインストリートだったのではないだろうか。

物音のしない静かな通りを進んでいくと左手に晴山駅が見えてきた。
時刻は午後2時20分過ぎだ。
”SL銀河”はあと30分ほどでこの駅を通過するはずである。

SLの撮影はこの駅でするとしよう。





ときどきパラパラと雨が落ちてくるのでカメラを濡らさないよう直前までバッグにしまっておく。

15分ほど前になると誰もいなかった駅にカメラを持った人が現れだした。



さすがは人気のSL撮影である。プラットホームに陣取る人もいるし、田んぼの向こうからカメラを構える人もいる。

さてそろそろSLが来る頃だとバッグの中のカメラに手をかけたら突然SLが見えた。
あわててカメラを構えシャッターを押す。

構図を考える余裕などなかった。

SLは見えてからたった5秒で目の前を通過して行った。

「あああ・観光SLなんだからもっとゆっくり走ってくれよ!」と言うのは無理な注文で、ちゃんとカメラを構えて待っていなかったわたしが悪いのだ。

それでもなんとか2枚だけは写っていた。





写真を撮り終えたら駅に用はないのでカメラを仕舞って歩き出す。



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JR釜石線沿線歩き旅 (4)

2017年07月15日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線歩き旅 (4)

小山田駅ー>土沢駅 距離 4.4Km 2017年06月25日(日)


昼食のパンを食べ終えたらすぐに歩き出す。



周りは畑と田んぼだけ、道路は線路と並行しているので道を間違える心配はないのだが単調である。





と、足元を見るとマンホールの蓋があった。



いつの間にか東和町へと入っていたのだった。

むこうに東和の街並みが見えてきた。



線路のアンダーパスにある「空高」という表現に馴染みがなかったので帰宅後調べてみると「建設用語中辞典」というホームページに「桁下高はあき高(空高)とも言う」とあった。なるほど橋げたの下だから空いている高さということなのか。



ここ東和町は2006年に花巻市と合併して花巻市東和町となったのだ。





駅へと続く道に人影はなく車さえも走っていなかった。日曜日だからなのだろうか。





いまは国道283号線沿いに大型の商業施設があるので、駅前と旧道のほうは寂れ気味のようだ



やっと土沢駅が見えてきた。



転轍機のこの信号もちょっとレトロな感じでよろしい。




ここは岩手県が生んだ画家、萬鉄五郎の生まれたところである。



萬鉄五郎記念美術館もあるのだが今日は立ち寄らない。

またここは宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の始発駅でもあるのだ。



という訳で駅前には宮沢賢治が置き忘れた帽子とコートがあった。





駅舎の前には水飲み場の残骸もあってしんみりとさせてくれる。



そして文字のかすれた駅名表示板がじつによろしい。





プラットホームにはこれまた懐かしい腕木式信号機(飾り物だが)もあるのだ。



駅にも人影はなく静まりかえっていた。



時刻は午後1時15分。







メルヘンと現実がごっちゃになった駅を後にして晴山駅へと向かう。



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JR釜石線沿線歩き旅 (3)

2017年07月14日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線歩き旅 (3)

新花巻駅ー>小山田駅 距離1.9Km 2017年06月25日(日)

この区間は駅間距離が短い。

踏切を見かけたら写真を撮る。



歩き始めてからすでに2時間半経過したのに6.5キロしか歩けていない。



さらに列車が来ると写真を撮るのでなかなか先へ進めない。



やっと小山田駅前まで来た。



なんともう正午である。







空は曇ってはいるのだが気温と湿度が高くて体力を消耗させる。





この駅で昼食としよう。



自宅から持ってきたアンパン1個とペットボトルのお茶だけの昼食だ。

かなり汗をかいたので水分を補給しないといけない。
持ってきたお茶をいっきに飲み干してしまう。
それでも足りなくて道路向かいの自動販売機で水を買ってしまった




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JR釜石線沿線を歩く旅 (2)

2017年07月13日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
似内駅ー>新花巻駅 距離2.9Km 2017年06月25日(日)

似内駅を後にして歩き出す。
いまのところ雨は降っていない。



農家が点在する小道を進んで行き花巻大橋を渡る。



さらに行くと右手にセブン・イレブンが見えてくる。



このセブン・イレブンの駐車場には宮沢賢治の童話ゆかりの像が立っているのだ。



「グスコーブドリの伝記」のネリとブドリである。



ここは東北新幹線の新花巻駅と宮沢賢治記念館の中間にある。
駅方面から歩いてきた人が写真を撮っていた、これから宮沢賢治記念館へと行くのだろう。



そのすぐ脇にある踏切からは新花巻駅が見えている。



新花巻駅方面への道路わきにはこんなものある。



銀河鉄道をイメージしたものだろう、パネルには小中学生の描いた絵が入れてあるのだ。



このような写真だと背景に生活感が漂いすぎてメルヘンのかけらもないけれど、



看板が映り込まないように撮ればなんとなくロマンが・・



新幹線の新花巻駅と交差するところに在来線の新花巻駅がある。



この駅には地下道を通って行くようになっている。





変哲のない片面ホームの駅だが「銀河鉄道の夜」をイメージさせる工夫がしてあるのだ。







ついでに新幹線の駅も見ていくことにする。
いつもは車で来るので駅に立ち寄ることはなかった。駅舎を見るのは今日が初めてである。



中には観光案内所や神輿などの展示もあって観光客への対応は万全である。





さらに駅前には駅に設置が義務付けられている銅像・・ではない石像まであるし、



駅前広場には「セロ弾きのゴーシュ」のパネルなどもあるのだった。



そして駅前にはちょっとレトロな土産店兼レストランもある、名前は「山猫軒」だ。



わたしは、ほぼ地元の人間だがつい観光客の気分で見て回ったので時間がかかってしまった。



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JR釜石線沿線歩き旅 (1)

2017年07月12日 | JR 釜石線沿線 歩き旅
JR釜石線沿線を歩く旅 (1)


今年(2017年)4月にやっとJR花輪線沿線の歩く旅を終えた。

身体の調子はさほど悪くないのに毎日だらだらと過ごしており「これではイカン!」と思う日々が続いている。

鉄道線路に沿って歩く旅を始めてからもう7年目である。
盛岡駅を起点にして東北本線は青森駅から東京駅まで、田沢湖線は盛岡駅から秋田駅まで花輪線は好摩駅から大館駅まで歩いた。
JRの営業キロは東北本線740キロ、花輪線149キロ、田沢湖線127キロなので合計1016キロとなった。

おお、1000キロも歩いたぞ! と、勝手に喜んでいたのだが。
7年もかけて歩いているのだから、さほど自慢できることではないのだ。

子供が学校への通学に毎日往復4キロ歩くというのは珍しくはないだろう。
年200日通学するとすれば一年で800キロも歩いているのだ、小学校6年間で4800キロも歩く計算になる。
普通に通学しているだけなのに日本を縦断往復!すごいことだ。

そんなつまらない計算をしながらも次はどの路線を歩こうかと思案する。

JR釜石線沿線を歩くことにした。
この路線だと遠野駅あたりまでなら日帰りが出来る。
そして魅力的なのは「SL銀河」の運行があることだ。

SL銀河の機関車「C58ー239」は盛岡市にある岩手県立運動公園内に保存されていた蒸気機関車である。
買い物や散歩の途中でいつも見ていた機関車だった。
このSL銀河の写真撮影も兼ねてJR釜石線の沿線を歩いてみようと考えた。

SL銀河の運行は土・日曜日なので歩くのも土・日ということになる。


花巻駅ー>似内駅 距離3.5Km 2017年06月25日(日) 


前日の土曜日は快晴で最高気温がほぼ30度になった。
こんな日に歩くと強烈に日焼けするし熱中症で倒れるかもしれない。
気弱なようだが自分の年齢を考えると無理はしないほうが良い。趣味でやっていることなのに倒れて救急車の世話になるようなマネはしたくない。
今日の天気予報は曇り、夕方から雨になるらしい。これなら日焼け対策しなくても大丈夫だろう。
SLの撮影に雨降りというのは嬉しくないけど仕方ない。
雨具はディパックにポンチョを入れた、濡れた時のための用意にタオルも持つ。

今回の起点になるのは花巻駅である。いつもの時刻に起きて車で花巻駅へと向かう。

花巻駅近くに車を停める。
天候はどんよりとした曇り空、ときどき霧雨というところだ。



駅をバックに写真を撮る。



ディパックにはお昼に食べるパンとペットボトルの水とお茶各1本、雨具と着替え、カメラの望遠レンズとバッテリー、スマートフォン用にモバイルバッテリーなどが入っている。
SLの撮影には三脚は必須だが荷物を軽くしたいので今回は持ってこなかった。

花巻駅には「SL銀河」グッズの販売やらポスターなどがあり雰囲気を盛り上げている。



機関車はC58型なので「C58日記」というものある。



「シゴハチのつぶやき」の「これから暑くなるけど、水分取りすぎに注意してね。」という箇所がどうも気になる。
暑くなるから”熱中症予防のために”水分を摂りましょう。
と言うのなら分かるが、この文章では暑くなるから水分を控えましょうと言っているように思えるのだ。
まあ、1940年生まれの機関車のいうことだからなあ、もう77歳なのでちょっとボケて見せたというところかな。


時刻は午前9時ちょうど。駅を背にして歩き出す・・とその前に、駅前に例のモニュメントを発見。



やはり駅には銅像が設置されていたのだった。前回2010年8月に歩き旅でこの駅を訪れているのだが気が付かなかった。
「やすらぎの像」とプレートにある。なんとなくニューヨークにある自由の女神像に似ているような気もする。
案内には太平洋戦争中に花巻市が空襲に遭い、その犠牲者の追悼のための像だとのことである。

花巻市街を抜けて北上川を渡る。





川を渡ってしまってから気が付いたのだが隣の似内駅へは川を渡らないほうが近かったのだった。
花巻市にはなんども来ているので地図をよく見ないままに歩き出したのが失敗だった。

ここ花巻市は宮沢賢治の故郷なので賢治ゆかりの場所が多い。



橋の近くには「イギリス海岸」への案内もある。



なぜ川なのに海岸? それもイギリスというのも不思議と思えるのだが。

わたしの故郷もそうなのだが岩手県の内陸部は沿岸部とはかなり距離があり交通も不便だ。
いまでは高速道路もあるし鉄道もスピードが出せるようになっているから、花巻から沿岸部の釜石市まで快速列車で2時間以内で行けるが昔は”日帰りがなんとかできる”というほど海は遠いところにあったのだ。

ましてイギリスなどはいまの南極への旅よりも遠いところ、憧れの地であった。
いやいや、明治初期から日本人は世界各地へ出かけていたのだよ、という人もいるだろうが北東北の寒村にあってはそんなことは夢の世界だった。実際わたしの子供のころでも外国へ旅行に行くことなどは夢でしかなかったのだから。

だから宮沢賢治は北上川の”川岸”で憧れのイギリスを想うしかなかったのだなあ。

と考え事をしながら歩いてやっと似内駅に到着。



時刻は10時30分だ。駅間距離が3.5キロしかないのに遠回りしたので90分もかかってしまった。

このことがあとで疲れを倍増させることになった。

錆と文字のかすれ具合が実にシブイ踏切。



似内駅はプラットホームを2面使用している。



さほど乗降客の多い駅とは思えないし、隣が花巻駅だから列車のすれ違いのためというのも無さそうに思えるが・・はて?



JR釜石線の愛称は「銀河ドリームライン釜石線」である。





岩手県には第三セクターの「IGR・いわて銀河鉄道」の路線もあるので紛らわしい。

駅名の下には「ラ・マールボールド」とエスペラント語で書いてある。

うーむ、ポエムの世界だな。

だが周りを見れば現実に引き戻される。



駅への案内板は「外れて落ちちゃったけど、面倒だから針金で括り付けてしまった」というのがありありなのだった。






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