「きよのさんと歩く江戸六百里」を読む
先日、金森敦子著「きよのさんと歩く江戸六百里」を楽しく読んだ。
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明治になってから岩手から女性だけのグループで四国の金毘羅山を含むほぼ日本半周をした人たちがいたことはこの過去にブログで書いた。
女性は旅が自由にできなかったと思われていた江戸時代に今の山形県から江戸、大阪へそして日本海側を通って山形へと戻るという旅をした人がいたのだ。
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豪商のおかみさんだったそうで男性のお供が一緒だったとか馬や駕籠を使っているので完全な歩き旅ではないようだがそれにしてもスゴイ。
著者も女性ということもあり、女の人ならではの意見やモノの見方がわたしのようなものには新鮮だ。
旅のとちゅうで大量の買い物をしているというのはとても興味深い。
いまでいうセレブ、リッチな生活をしている有閑マダムだったらしい。
衣類、反物などかなり買っているのだが当時はしっかりと「宅配システム」が出来ていたのだ、多額の現金を持ち歩かずに済むように旅の途中で「為替」のようなシステムでお金を受け取る仕組みがあったとのことだから現代社会と同じような便利な旅ができる時代だったそうだ。
1日の移動距離が40キロメートル以上になる日もあり、馬や駕籠を使ったにしてもかなり強行軍に思える。
どんな山道にも団子やお茶、食事を出す店があるというのもスゴイ。
「ここの団子はとても味が良い」とか食事について細かく記しているところは女性ならではだ。
どうしても神社仏閣の名所を回る旅になるわけだが長野の善光寺に詣でているところは岩手からの女性グループと同じ。
こうしてみると地を這うような「歩く旅」でなければ見えてこないものがあるのだと気づかされるのであった。
歩き旅が好きな方にはおすすめできる一冊である。
先日、金森敦子著「きよのさんと歩く江戸六百里」を楽しく読んだ。
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明治になってから岩手から女性だけのグループで四国の金毘羅山を含むほぼ日本半周をした人たちがいたことはこの過去にブログで書いた。
女性は旅が自由にできなかったと思われていた江戸時代に今の山形県から江戸、大阪へそして日本海側を通って山形へと戻るという旅をした人がいたのだ。
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豪商のおかみさんだったそうで男性のお供が一緒だったとか馬や駕籠を使っているので完全な歩き旅ではないようだがそれにしてもスゴイ。
著者も女性ということもあり、女の人ならではの意見やモノの見方がわたしのようなものには新鮮だ。
旅のとちゅうで大量の買い物をしているというのはとても興味深い。
いまでいうセレブ、リッチな生活をしている有閑マダムだったらしい。
衣類、反物などかなり買っているのだが当時はしっかりと「宅配システム」が出来ていたのだ、多額の現金を持ち歩かずに済むように旅の途中で「為替」のようなシステムでお金を受け取る仕組みがあったとのことだから現代社会と同じような便利な旅ができる時代だったそうだ。
1日の移動距離が40キロメートル以上になる日もあり、馬や駕籠を使ったにしてもかなり強行軍に思える。
どんな山道にも団子やお茶、食事を出す店があるというのもスゴイ。
「ここの団子はとても味が良い」とか食事について細かく記しているところは女性ならではだ。
どうしても神社仏閣の名所を回る旅になるわけだが長野の善光寺に詣でているところは岩手からの女性グループと同じ。
こうしてみると地を這うような「歩く旅」でなければ見えてこないものがあるのだと気づかされるのであった。
歩き旅が好きな方にはおすすめできる一冊である。