東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

「きよのさんと歩く江戸六百里」を読む

2020年06月16日 | つぶやき
「きよのさんと歩く江戸六百里」を読む

先日、金森敦子著「きよのさんと歩く江戸六百里」を楽しく読んだ。



明治になってから岩手から女性だけのグループで四国の金毘羅山を含むほぼ日本半周をした人たちがいたことはこの過去にブログで書いた。
女性は旅が自由にできなかったと思われていた江戸時代に今の山形県から江戸、大阪へそして日本海側を通って山形へと戻るという旅をした人がいたのだ。



豪商のおかみさんだったそうで男性のお供が一緒だったとか馬や駕籠を使っているので完全な歩き旅ではないようだがそれにしてもスゴイ。
著者も女性ということもあり、女の人ならではの意見やモノの見方がわたしのようなものには新鮮だ。
旅のとちゅうで大量の買い物をしているというのはとても興味深い。
いまでいうセレブ、リッチな生活をしている有閑マダムだったらしい。
衣類、反物などかなり買っているのだが当時はしっかりと「宅配システム」が出来ていたのだ、多額の現金を持ち歩かずに済むように旅の途中で「為替」のようなシステムでお金を受け取る仕組みがあったとのことだから現代社会と同じような便利な旅ができる時代だったそうだ。
1日の移動距離が40キロメートル以上になる日もあり、馬や駕籠を使ったにしてもかなり強行軍に思える。
どんな山道にも団子やお茶、食事を出す店があるというのもスゴイ。
「ここの団子はとても味が良い」とか食事について細かく記しているところは女性ならではだ。
どうしても神社仏閣の名所を回る旅になるわけだが長野の善光寺に詣でているところは岩手からの女性グループと同じ。

こうしてみると地を這うような「歩く旅」でなければ見えてこないものがあるのだと気づかされるのであった。
歩き旅が好きな方にはおすすめできる一冊である。
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JR八戸線沿線を歩く旅 陸中中野駅 ―> 侍浜駅

2020年06月14日 | JR 八戸線沿線 歩き旅
2020年06月07日(日)
JR八戸線沿線を歩く旅 陸中中野駅 ―> 侍浜駅 JR営業キロ 6km

めずらしく早起きしてトーストだけを持って車に乗り込む。
今日歩く区間はJRの営業キロで6キロメートルだが実際に歩く距離は10キロほどになる。

この1区間を歩くためだけに車で2時間以上も走って行かなくてはならないのだ。
岩手県は広い。
盛岡駅から久慈駅までは「こはく号」という路線バスが走っているが所要時間は2時間半ほどになる、盛岡から高速バスで仙台まで行くのと同じくらいかかるのだ。

今日は快晴で岩手山も美しい。



天気予報は終日快晴だ、それなのに心配性のわたしは雨具をデイパックに入れている。

途中の道の駅で自宅から持ってきたトーストをかじって朝食とする。
久慈方面へと走っていくと工事中の区間があった。
片側通行の信号機が道路わきにあってその前に看板が立っていた・・がちょっと違和感。



「信号機を守りましょう」と書いてあるのだ。
まあ信号機を壊すような人もいるんだろうけどねえ・・
「信号を守ろう」のほうが表現としてはしっくりくるんだけどなあ。



最大待ち時間が「5秒」というのもなあ。”分”の数字が消えちゃったんだね。

侍浜駅に到着したが、JR八戸線はほぼ1時間に1本の運行なのだった。



40分ほど列車の到着を待つことになった。
待っている間に駅とのツーショット。



プラットホームにはワンマン乗車口の表示がある。



この路線もとうとうワンマン運行になったのだ。
だが車内には若い女性の車掌さんが乗っていた。
ワンマンよりは車掌さんからきっぷを買うほうがいいな。



運賃は190円だった。



鮮やかな緑の中を列車は進んで陸中中野駅に到着。



列車から降りると冷たい風が吹いていた。三陸海岸の名物?「やませ」なのだろうか。
半袖シャツ一枚では寒くて風邪をひきそうだ。
あわててディパックからレインパーカーを出して羽織る。



陸中中野駅から国道45線へは上り坂だ。
ゆっくりと歩いていく。
週に1、2度のペースで買い物に出かけているのだが長距離を歩いていないので脚の様子を見ながらペースを上げていくつもりだ。
歩き出すと左の膝が痛み出す、たぶん膝の半月板がすり減っているんだろう。痛み対策として湿布も持ってきている。



ここから仙台までは372キロメートル、うーん遠いな。





近くには中野白滝というところもある。きのこの産地でもあるので「きのこ屋」という宿もあるのだ。
肌寒いけど風邪は弱くて歩くにはちょうど良い天候だ。





三陸沿岸道路は今年度中に開通予定とのことで現在は一部区間が無料で通れるようになっていた。



国道45号線から侍浜駅への交差点まで来た。





ここから侍浜駅まで4キロメートルある。
じつに交通量の少ない道路だった。
4キロ歩いていてすれ違った車は3台だけ、人はまったく見かけなかった。
新型コロナの感染に心配のない道というところかな。



ちょうど2時間歩いて侍浜駅に到着。



車で海岸沿いまで行き、海辺の駐車場に停めて自宅から持ってきたカップ麺で昼食にする。

この日使ったお金はJR運賃の190円だけ、実にエコな旅だった。

これでJR八戸線のすべての駅に立ち寄りながらの歩き旅は完了となった。


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JR八戸線沿線を歩く旅 陸中中野駅から侍浜駅

2020年06月13日 | JR 八戸線沿線 歩き旅
JR八戸線沿線を歩く旅 やっと完結編の前置き

2018年にJR八戸駅から久慈駅までを歩いたのだが、足の痛みのため陸中中野駅から侍浜駅間をパスしてしたのだった。

あれから約2年の歳月が流れたが、今年に入ってから世界は大きく変わってしまった。
オーバーな表現に見えるけど実際に世界が変わったのだ。

たった数か月で全世界がウィルスで人類の危機がこようとは誰が予想できただろうか。
2019年末の時点では誰も予想できなかっただろう。

日本の首相、アメリカの大統領だけでなくわたしも2020年の2月末ころまでは「この流行は4月ころまでに収束するのではないか。」と考えていたのだ。

新型コロナウィルス(COVID-19)が一瞬で世界を変えてしまった。



まるでSF映画の世界だ。
映画ならヒーロー(科学者や医者のことが多い)が出てきて世界的大流行の直前にワクチンを作ったり、特殊な光線を当ててウィルスを無害化するという発見をして人類を救う、、、というようなストーリーになるのだが、現実の世界ではそうはいかなった。

中国の武漢で未知のウィルスの拡大を警告した医師は行政府に叱責されたあげく死亡したし、映画の中でなら正しい決断をしてアメリカを救う役である大統領は科学者の警告を無視した。そのためアメリカを感染者数、死者数ともに世界一にしてしまった。
日本の首脳はどうしたらよいかわからずウロウロしているうちに感染爆発寸前までになってしまい、国民がすくみ上って会合の中止やテレワークへの切り替え、旅行、買い物までも控えたので今のところなんとか抑えられている。

ところで、
わたしは日本での感染が抑えられている要因のひとつに「自動ドアの文化」があるのではないかと考えている。
店舗や大型公共施設などのドアはほぼすべて自動ドアだし、最近ではトイレさえも手をかざすだけでドアを開き用が済めば自動で流してくれるものもある。

この「他の人が触ったものには触りたくない」という、自動ドアの文化(無精者の文化や割りばしの文化と言い換えてもよいだろうけど)が感染を広げずに済んだのではないかと思うのだ。
誰か研究してもらえないかな。もしかしたらイグノーベル賞を受賞できるかも。


世界は変わったとニュースなどで言われている。
わたしの住む世界は自宅からせいぜい1キロメートル程度の狭い地域だがそれでも大きな変化がある。
奇跡的に日本で唯一新型コロナウィルスの感染者の発表がない岩手県の片田舎でさえも変わってしまったのだ。

いつも行くスーパーではレジの店員がゴム手袋とマスク姿だし、客との間をビニールのシートが遮っている。
近所の食堂では「他県からの客お断り」の張り紙を出している。
地震や台風、津波などと違って「どこに危険があるかわからないから逃げ場がない!」という恐怖感があるのだ。
岩手県だって感染者の発表が無いだけで無症状の感染者はいるはずだとわたしは考えている。

旅行関連のウェブサイトを見ていたら、新型コロナウィルスの流行が収束したら中国人が旅行してみたい日本の地域が唯一感染者の出ていない岩手県というのがあった。

これといった観光資源がなくて中国人観光客がこなかかった岩手県がこんなところで注目されるとは喜んでよいのかなあ。

と、、ずいぶん前置きが長くなった。
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