東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

JR奈良線沿線歩き旅 (9) 長池駅 ー> 城陽駅

2023年06月30日 | JR奈良線沿線歩き旅
JR奈良線沿線歩き旅 (9) 長池駅 ー> 城陽駅 1.8JR営業キロ
2023年5月25日(木)

長池駅前にはアル・プラザというでっかいショッピングモールがある。



時刻は12時を回ったところだ、ここで昼食にしよう。

中へ入ると、、、おお! 広い。



景気が低迷しているせいで空き店が目立つのが現在のショッピングモールだがアル・プラザは繁盛しているようだな。


日本の景気40年説というのがあって、40年サイクルで景気が良くなったり悪くなったりをくりかえしてきたそうだ。

その説では2025年が次回の景気最悪の年になると予測しているのだ。
うーむ、確かになあ。
今の政治、経済状況をみるとその説が当たるような気がするな。

平成の失われた30年か、、、

日本の経済回復のためにわたしのような平民が出来るのは選挙の一票だけ。


アル・プラザのフードコートへ行くとなぜかお年寄りの姿が目立つ。
もしかしてシルバー割引でもあるのかとメニューを見たがそんなものはなかった。

ここが人気の店のようで客が途切れない。



今日のおすすめを選んで席で待つ。

味はというとごく普通としか言いようのない味だった。



ここはセルフサービスなのだが、店員さんが障害を持つお年寄りに手を貸して注文を受け、テーブルまで料理を運んでいた。
この親切さが人気の理由かもしれないな。



いまはセルフレジでまごまごしているお年寄りがいると後ろで待っている若者がチッと舌打ちをするような時代だからなあ。

若いときは「いつかは自分もあのように年を取ってしまうのだ」ということが理解できないし理解しようともしないものだからね。





食べ終えたら右手に線路を見ながら歩いていく。



もうすでに京都の都市圏内だから都会なのだが思いのほか静かで緑も多い。



奈良街道を進み水度神社の前を通る。





しばらく歩くと城陽駅に到着。





さすがに大都市で駅前には大きなマンションが立ち並んでいる。



駅前広場にはちゃんとモニュメントもあるのだ。



と、、、モニュメントの周りにはなぜかハニワが並んでいた。





駅のコンコースには「源氏物語ミュージアム」のポスターと「古墳に行こう」のポスターがあった。





ちかくには久津川車塚古墳、芝ケ原古墳などともに久世小学校古墳というのもある。



なんと小学校の庭に古墳があるのだそうだ。

ここも古墳だらけの町なんだな。




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JR奈良線沿線歩き旅 (8) 山城青谷駅 ー> 長池駅

2023年06月29日 | JR奈良線沿線歩き旅
JR奈良線沿線歩き旅 (8) 山城青谷駅 ー> 長池駅 2.0JR営業キロ
2023年5月25日(木)

休憩せずに次の駅へと歩いていく。
なんとか今日中に宇治駅までは歩きたい。

少し行くと城陽酒造の前を通る。





数量限定 純米吟醸発売中と看板が出ている。



わたしは酒を飲まないので通り過ぎるだけだが、お酒好きの人なら無視できないだろうな。

蔵の形がすてきだな、この中で酒が造られているんだろうな。




わたしの元同僚はとんでもない酒飲みだった。
あるとき彼は日本酒の一升瓶を飲み干して、まだ飲み足りないとウィスキーの角瓶を空けてしまった。
彼は「こんなことはしょっちゅうだよ、酒なら洋酒でもなんでも飲むよ」と言っていた。
そんなだ風だから彼は肝臓が悪くなっていて医者から酒を止められているのだが、酒だけは止められないと飲み続けるのだ。
いまはどうしているんだろうか、意外に元気で今でも酒浸りだったりするのかな。


それにしても狭い道だ。



交通量が少ないからよいけれど。
わたしの歩き旅はできるだけこのような古道、生活道路を歩くことにしている。

「是南玉水 三十丁」の碑があった。がっちりと補強されているのが印象的だった。





加茂神社の前を通る。



この鳥居がいいなあ。



木そのままの鳥居はいまでは少ないように思う。

住宅地を歩いていく。マンホールが城陽市のものになった。





そして国道24号線に出ると、まるで江戸時代から現代に戻ってきたかのような交通量になった。





まったく車の列は途切れない。

いつも思うのだが、これらの車は本当に用事があって走っているんだろうか。
もしかしたら同じところをぐるぐる回っているんじゃないのか?

駅へと向かう道の交差点には「是北 京都街道」の碑が建っている。





そのわきには測量をする伊能忠敬のボードがあった。



伊能忠敬は日本地図作成の途中この長池宿に宿泊したのだという。





長池駅前にはお茶問屋があって試飲もできるから中へどうぞと誘っている。



お茶は好きなんだけどなあ、試飲だけして買わずに出るのもどうかなあ、、、と入らずじまい。
ひとりだとなんだか気が引けるんだよね。







長池駅前の時計もいい感じ。大仰でないところが気に入った。





この駅も2012年に駅舎と自由通路が完成だそうで比較的新しい駅舎だ。









駅前には「長池の伝説」の大きなパネルがあった。










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JR奈良線沿線歩き旅 (7) 山城多賀駅 ー> 山城青谷駅

2023年06月27日 | JR奈良線沿線歩き旅
JR奈良線沿線歩き旅 (7) 山城多賀駅 ー> 山城青谷駅 1.3JR営業キロ
2023年5月25日(木)

この駅も同じ時計塔があった。まあ塔というほど大きなものではないが。



次の駅までも1.3キロと区間が短い。





人の姿のない狭い道を歩いていく。





「是東後宇治田原道」と書いてある。
「郷之口 一里 十六驛」とか読み取れる。いつの時代のものなんだろうか。

のどかな田園地帯を歩いていくと、、



え、、、これは、、、





飛び出し注意にしてはちょっと怖いんですけど。
特に目が怖いなあ、暗い夜道で見かけたら逃げ出したくなるほどだ。

ごくたまにこんな目つきの人がいるよね。



と、、すすんでいくと山城青谷駅が見えてきた。





この駅も駅舎と駅前を整備中のようだ。



2022年に橋上駅舎と自由通路の供用が開始されたというからまだ出来立てでぴかぴかだ。





駅前の自転車置き場には自転車がキチンと並んでいた。
整理整頓好きは日本人の性格がさせるものだろうな。



この時計もいいな。

自由通路には長ーいベンチがある。
柱には小さなテーブルが取り付けてあった。



スマートフォン置き場ということだろうか。
これとUSB充電端子とWi-Fiがあったなら万全だよなあ。







駅前に地元のスーパーマーケットがあったので入ってみる。



見ていると中年の男性が店へ入るとすぐに缶ビールのパックをカゴに入れてそれから店内を回っていた。
重いだろうに、缶ビールを最後に買えばいいのにになあ。
子供がお店に入るとまっすぐにお菓子売り場へいくのとおんなじだね。

この店はいかにも地元民に愛されていますという感じのスーパーだった。

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JR奈良線沿線歩き旅 (6) 玉水駅 ー> 山城多賀駅

2023年06月26日 | JR奈良線沿線歩き旅
JR奈良線沿線歩き旅 (6) 玉水駅 ー> 山城多賀駅 2.0JR営業キロ
2023年5月25日(木)

玉水駅前は駅を新しくしたときに再整備されたんだな。







玉水駅を後にして行くと踏切に大きく「7K547m39」のキロポストがあった。





はて? キロや0.5キロとかではなく半端な数字でのキロポスト、いったいなぜ?

この玉水駅も次の山城多賀駅も駅を新築し駅前を整備している。



進んでいくと右手に駅が見えてきたのだが、駅へと向かう道は工事中だった。



大きく迂回していなかなければならず、しかも駅へは上り坂だ。





少々疲れが出てきている脚を励ますようにしながら歩いていく。

通勤通学時間帯ではないから山城多賀駅も人の姿はなかった。







駅反対側へも行ってみる。





こちら側には小学校、民家などがある。こちらが本来の駅正面なのだろう。

お茶、フルーツ、ホタルそして山背古道と観光資源が豊富な町なんだな。


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JR奈良線沿線歩き旅 (5) 棚倉駅 ー> 玉水駅

2023年06月25日 | JR奈良線沿線歩き旅
JR奈良線沿線歩き旅 (5) 棚倉駅 ー> 玉水駅 3.0JR営業キロ
2023年5月25日(木)

駅前では大きなカニが蟹満寺といういう有名なお寺の宣伝をしている。



今昔物語に蟹の恩返しというのがあってその伝承で有名なお寺なんだそうだ。

京都駅まではまだ15もの駅がある。
ふう、、、京都はまだ遠い。



京都と奈良は直線で34kmほどだ。古道を行くとしても40Km以内だろう。
江戸時代の人は1日に40kmは歩いたというから京都と奈良間は1日で歩ける距離だったのだな。

棚倉駅を後にして歩いていくと農協の前には「たけのことお茶の里」の看板があった。



竹林を見たあとだから「たけのこの里」というのはうなづける。

明治製菓の「たけのこの里」との競合はないのだろうか(笑)

JR奈良線は複線化が進んでいるという。

「え? 奈良線は単線だったの?」とちょっと驚く。
JRの幹線なのに特急が走っていないとか単線だとかを知って驚くのだった。



こ区間はまだ単線なんだな。



歩いていくと路上で立ち話をするお年寄り2人。



どちらも自転車によりかかったまま長々と話続けている。



これは日本中どこでも見られる光景だな。
うっかり出会ってしまったら急ぎの用事があろうと話を続けなければならないのだ。
先に動いたほうが負けなのである(笑)

住宅地を進み、高さ1.6メートルしかないトンネルに頭をこすりながら歩いていく。



この高さ制限があるためこの地区に住む人は身長が1.6メートルより伸びないのだ、伸びると天井に頭をこするので削られてしまうのだ(笑)



なだらかな稜線いっぱいに竹林が広がっている。
この風景は北東北では見られないなあ。

木津川市コミュニティバスのバス停がある。



地方都市では人口の減少に伴いバスの運行が終了したところも多い。
通学生や車を持たない老人のために市がバスを運行させるということが珍しくなくなってきたな。

豊かな田園風景が広がる土地だ。
いまは田植えの真っ最中だ。



狭いくねくねした道を歩いていく。



そしてあちこちにある飛び出しガール(ボーイ)とお地蔵さん。



これも北東北ではほとんど見られないな。



井出町へと入っていく。



空き地に「南無阿弥陀仏」の碑。大事に囲われているなあ。



お供えが「ガセリ ドリンク」というのが今風なのかな、健康志向でいいかも。



千両箱が賽銭箱になっているのも面白い。

なぜか正面には小型の熊手があった。


民家の玄関には厄除けのちまきと絵馬。



趣のある大きな住宅や商店をみながら歩くのは楽しい。







玉水駅近くを流れる玉川の土手には歌碑が並んでいた。





駅前にはおしゃれなカフェもある。



玉水駅前にはステンレスの時計塔、シンプルでいいね。





なんだかガラーンとしている印象の玉水駅だった。






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JR奈良線沿線歩き旅 (4) 上狛駅 ー> 棚倉駅

2023年06月24日 | JR奈良線沿線歩き旅
JR奈良線沿線歩き旅 (4) 上狛駅 ー> 棚倉駅 2.8JR営業キロ
2023年5月25日(木)

上狛駅から古い街並みを見ながら歩いていく。





この酒店の看板がなかなかに美しい。



この住宅の前の格子はなんのためのものだろう。



竹で作られたものは犬矢来(いぬやらい)というそうだ。
いまでは無くなってしまったが岩手県盛岡市の民家にも同じようなものがあったっけなあ。


ここでも小学生は一列になって黙々と登校している。







安全のためにはこのほうがよいのだろうけどちょっと子供らしくない気がするな。



わたしが小学生の時は田舎町だから集団登校なんでなかった。
友達と遊びながらの登下校で騒いでばかりいたものだ。
もっともあの頃は自動車はほとんど走っていなかったからなあ。

登校する子供たちを見てピンク・フロイドの有名なロック音楽「ザ・ウォール」のプロモーションビデオを思い出してしまった。

学校の正面には銅像があった。
制帽を被った小学生の男の子・・・昭和30年代までは見られたような気がするが、、

台座にある「学び子」という言葉がいかにも古い感じだな。





趣のある民家を見ながら進んでいくと、





椿井大塚山古墳の案内があった。



これはぜひ見なくては、



車がやっと通れるかというような狭い道を行きJR奈良線の下をくぐって行く。







はて古墳はどこだろう?





ここが椿井大塚山古墳なのか? たしかに丸く盛り上がっている部分はあるが、、、





まわりはうっそうとした竹林で案内表示がなければどこが古墳かわからないほどだ。



古墳の上まで行くと途中に「竹取の翁」の姿があった。







おお! かぐや姫の世界。



どうやらこの方は古墳の整備をしているのだろう。
こうして伐採しないと古墳が完全に埋もれてしまうのだ。

プレートを読むと鉄道の建設の際に偶然発見されたと書いてある。



うーん、やはりほっておくと自然の中に埋もれてしまうんだな。


全長170メートルというから規模の大きな古墳だったのだ。

この古墳もやや小高い所にある。



死後も被葬者が支配地を見守るということだろうか。




古墳を後にして狭い道を歩いていくとタクシーと鉢合わせ。



道が狭すぎて避けるところがない、民家の玄関先へと移動してやり過ごす。



この道は山背古道というのだ。
山背と書いて「やましろ」と読ませところはいかにも古風。



木津川市のホームページで見ると京都から奈良へと続く道で25Kmの散策道とのことだ。
たしかにこの狭い道では流通メインの街道にはならないだろうな。

奈良街道・大和街道という道が京都と奈良を結ぶメインの道路だという。




棚倉駅に到着。










この駅にも十二支の石像があった。





日本中どこにでもある昔ながらの駅舎だ。





駅前には湧出宮という神社があるけど駅前に商店があるわけでもなくじつに静かだ。









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JR奈良線沿線歩き旅 (3) 木津駅 ー> 上狛駅

2023年06月23日 | JR奈良線沿線歩き旅
JR奈良線沿線歩き旅 (3) 木津駅 ー> 上狛駅 1.6JR営業キロ
2023年5月25日(木)

今日も5時に起きた。

2泊したホテルをチェックアウトする。
部屋のカギを箱に放り込むだけでよい。

なんと午前6時前だというのに共用スペースで仕事をしている人がいる。
若い白人なのだが外国とは時差があるのでこの時間帯に仕事をしているのだろう。
それを横目で見ながら無料のコーヒーマシンで朝のコーヒーを飲んでから外へ出る。

5時53分発の京都行に乗る。これだと木津駅まで乗り換えなくて済む。
電車は「お茶の京都」にラッピングされていた。





木津駅に着いたら待合室でサンドイッチで朝食だ。



と、ホームから見るとゼロキロポストが見えたので撮影する。





「0kmの旅」という方のホームページで見るとこれは奈良線、片町線共用のゼロキロポストだろうとのことだ。

木津駅前の歩道には孟宗竹をかたどった障害物があった。



無粋なコンクリート製よりはずっと良い感じ。

気温は17度、風はなく歩き旅には最適だ。





木津川を渡る。



隣に奈良線の鉄橋が架かっているので電車が来たら撮影しようと待っていたが、待っているときには来ないのだった。





渡りきると有名な「お茶の福寿園」の本社工場があった。





さすが世界のブランドだけあって英語での表記もある。



時間が合えば見学したかったなあ、残念。
この辺りは茶問屋街とのことだ。宇治茶の中心地なのだろう。



路地を抜けていき、上狛駅に到着。







駅前には地味な時計塔。





駅前にこんなものが普通にあるというところが歴史のある町の証拠だね。



観光案内版はみんなが指でなぞった部分がシミだらけ。





このあたりも大雨だと洪水に見舞われる危険性があるということか、日本はどこもかしこも洪水、津波、地震と危険と隣り合わせの暮らしだな。





待合室にある監視カメラにツバメが巣を作っちゃったんだね。



巣を壊すのはかわいそうということで監視カメラにカバーを着けたんだろうな。

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JR奈良線沿線歩き旅 (2) 平城山駅 ー> 木津駅

2023年06月22日 | JR奈良線沿線歩き旅
JR奈良線沿線歩き旅 (2) 平城山駅 ー> 木津駅 3.2JR営業キロ
2023年5月24日(水)


平城山駅を後にして歩いていく、風はないが陽が傾いてひんやりとしてきた。

線路の向こうに大きなショッピングセンターが見えている。





あれがガーデンモール木津川だろう。



木津川のマンホールに描かれているのは渡し舟のようだ。



大きな鳥居を右手に見て歩いていくと木津川駅への案内が見えてきた。







駅舎はなかなかモダンなデザイン。







自由通路はがらーんとしていた。







時刻は午後5時を回った、今日も同じホテルに泊まるので新今宮駅までのきっぷを買う。






新今宮駅で降りて、、、さて夕食はなんにしようか。

ジャンジャン町へと行ってみる。








寿司にしようかなと店内を見ると込み合っていて座れそうにない。



串カツ屋も並んで待っている人がいるし、









170円のうどんというのも魅力的だが、、、



と、、通天閣の方まで歩いてみたが決められないままぶらつき



「宮本むなし」という食堂を見つけた。





おろしカツ定食が700円という安さにつられて店内へと入る。



味は悪くないし御飯がお代わりできるというのもよい。

食事を終えて外へ出るとすっかり暗くなっていた。



ホテルへ戻り、まずはシャワーで汗を流してからテレビの天気予報を見ると明日は曇りの予報だった。
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JR奈良線沿線歩き旅 (1) 奈良駅 ー> 平城山駅 3.8JR営業キロ

2023年06月21日 | JR奈良線沿線歩き旅
JR奈良線沿線歩き旅 (1) 奈良駅 ー> 平城山駅 3.8JR営業キロ
2023年5月24日(水)

古墳巡りを終えた。


古代エジプトのピラミッドもそうだがどの国でもどの時代でも権力の座にあるものは死してなお力を誇示しなくてはならないんだなあ。


いまマイナンバーカードが話題だ。
他人の顔写真が貼られていたとかミスもかなりあるようだ。
どんなことでも導入期はトラブルが重なるものだ。


わたしが仕事をしていたころコンピュータを各県の支店と繋ぎ、本部にデータを送るということができるようにするという作業があった。
まだインターネット回線が一般的でなくて電話モデムを使っての送信だった。

開発時に当時の本部のオエライサンがこう言ったものだ。

「いいか、プリンとアウトは1回だけできるように設定しろ。」
「え? それでは何かあったときデータをプリントできなくなりますよ。」
「そいう甘い考えはだめだ! 事前に用紙、インクリボンカセットなどチェックしてから行う癖をつけることが大事なのだ!」

で、、、どうなったかというと、、、

案の定うまくいかなかった。
どんなに事前に確認をしてもプリンターの紙詰まりや通信切れなどで再印刷しなければならなくなることが出てくるのだ。

そのオエライサンはぶつぶつ言いながらも再プリントできる仕様に同意したものだった。

彼も確か「戦後生まれ」なはずだが日本人の特性として安全策を講じておくということがキライだったんだと思う。



さて、、

自転車で坂道を登ったりしたので疲れはあるのだがJR奈良線に沿って歩くことにする。

だが、まずは腹ごしらえだ。
奈良駅内に「うどん・そば 三条坊」というお店があった。





値段も手ごろなので鶏天うどんをいただく。





さっぱりとした味でとてもおいしい。

食べ終えたら歩き出す。
時刻は午後3時半。 太陽が西に傾いてきている。
できれば木津駅までの7キロメートルを歩きたいのだが、、、

もう下校の時間なのか、観光をしていると時間のたつのを忘れてしまうなあ。



国道24号線を歩いていく。



日本初の図書館の地という碑があった。



驚くことに1200年以上も前に自宅の一部を図書館として開放していたのだそうだ。



文化というのはこういうところから発展していくんだな。

進んでいくと「ならクル」という標識があった。



「奈良まほろばサイクリング」ということでコースが整備されているとのこと。
自転車の休憩所というのもあるんだそうだ。


さらにいくと電気機関車の頭部分を発見。



電車のロングシートや運転台などもある。





看板には「鉄道部品店」とあるから鉄道用品を扱っているお店なんだろう。

平城山駅に到着。

わたしはこの駅を「へいじょうやま」とばかり思っていたぞ。
どうやったら「平城山」と書いて「ならやま」と読ませるのか、ほんとうに日本地名は読み方が難解だ。

駅前には電柱に時計を括り付けたような物が建っている。





駅前広場にはチェスの駒・・・と思ったら十二支の像だった。





長屋王の歌碑もある。





ふーん、奈良はその昔は「寧楽」とも書いたのか。

そしてこんなものも、春分秋分の日はこの隙間から太陽が昇るんだな。







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JR奈良線沿線歩き旅 奈良観光編(6) 明日香古墳群 その2

2023年06月20日 | JR奈良線沿線歩き旅
JR奈良線沿線歩き旅 奈良観光編(6) 明日香古墳群 その2
2023年5月24日(水)


こんどは高松塚古墳へと向かう。

まず「高松塚壁画館」で複製された壁画を見る。







日本で初めて発見された壁画なのだ。
当時(昭和47年)ニュースで大きく取り上げられたものだった。

この絵を見ると日本は朝鮮半島から渡ってきた人が大勢いたんだなと想像できる。







この高松塚は建造当時の形に復元したものだとのこと。



近くで見ると思いのほか小さい、大き目の一里塚という感じである。









ゆるやかな山の中腹にあり下のほうに畑、民家が見えるところだ。





次はキトラ古墳へと向かう。



この道も坂道なのでペダルを漕ぐのが少々つらい。

キトラ古墳も高松塚と同じように小高い山の中腹にあった。





いまは草刈りもされ道も整備されているから古墳だとわかるようなものの、
これが古墳ですよ、と言われなければわからないほど目立たない。





数百年の間に古墳は自然と同化してしまったに違いない。

高松塚古墳が発見されて話題になったところ、うちの裏山にも同じようなものがあるとの話が出て発見に至ったという。





この古墳もまた集落、畑を見下ろすようなところにあるのが印象的だ。

神戸の五色塚古墳は瀬戸内海を見下ろすような位置にあったが、これらの古墳も同じように被葬者が自分の支配地を見ているかのようだ。



見学を終えたら古い町並みの狭い道を通って、













高松塚、キトラとは向かい側の山へと向かう。



マルコ山古墳は観光客のいない忘れられたような古墳だった。



このマルコ山古墳も山の中腹にある。



いくら電動アシスト自転車とはいえ老いた足にはかなりの負担だ。

ここも、こんもりと盛り上がっていて草刈りもされているから古墳だとわかるようなもので、、、

どうして古墳時代の人たちは古墳に「〇〇王の墓」とかの石碑を建てなかったんだろうか。
まったく文字のない時代とは思えないし、文字でなくてもなんらかの記号や絵でもヒントを残してくれたらよかったのになあ。



もしかしたら木の柱を建てたのかな、そうだとしたら残らないよなあ。

古代エジプトでも古代中国でも永遠に残るからと石碑に刻んだのだが、日本人は思いつかなかったのかそれとも・・・


さて最後は牽牛子塚古墳だ。





またしても急な坂道を登ったり下ったり。





おまけに道を間違えて全く違うほうへ行ってしまったりだった。

この牽牛子塚古墳も他の古墳と同じように丘の中腹にある。





やはり被葬者(天皇?)は一段と高いところから自分の支配地を見ているのだ。

八角形というのが興味深い。古代天皇家を象徴する形だそうだ。
斉明天皇の墓というのが通説だとある。





ピラミッド型で白い石で覆われているから遠くからでも目立つ。





中は大きな石室があったそうだ。



遠くの山からこのような巨石を運んできたということにも驚かされる。
坂道を歩いて登ってくるだけでも大変なのに巨石をどうやって運んだのか不思議だな。

もともとの石室も残されている。



おや?足元にはマンホールもあるぞ、古代の人はハイテクだったんだなあ(笑)



古墳のカット模型もあるので内部がどのようになっていたのかがよくわかる。







今日は朝の9時から自転車をこいで坂を登ったりしたからかなり疲れた。
ということで古墳巡りはこれで終了だ。





自転車を返却して、電車で奈良駅まで行く。





明日から奈良駅から京都駅まで沿線を歩く予定だが、今日のうちに2駅歩いておきたい。
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