東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

東海道本線全線全駅歩き旅 続編(43) 穂積駅 ―> 大垣駅

2022年07月25日 | 東海道本線 名古屋駅から大垣駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(43)

2022年(R4)5月22日(日) 穂積駅 ―> 大垣駅 JR営業キロ7.7Km

天気予報を見ると今日は朝は雨のち晴れだ。





歩き旅では雨が降らないほうが良い、降るなら夜にしてもらいたいのだが天気だけは自分ではどうにもできない。
幸いなことに夜だけ雨降り、朝には晴れるということになった。
これもわたしの日ごろの心掛けが良いからである(大嘘)
ホテルから外へ出ると雨はまだぽつぽつと降っていた。





駅前広場も雨に濡れている。



見上げると青空が広がっている。今日は暑くなりそうだな。



老人にはわかりにくい自動券売機。





特に交通系カード、スマホを利用した支払いなど「ついていけない感」がある。
わたしのように田舎に住んでいるとPeyPeyで支払うことも、スマホの非接触決済も使う機会はまずない。
近所のスーパーマーケットへ週に1、2度買い物に出かけるだけだから現金払いだけの生活なのだ。
だから都会へ来るとまるで異次元の世界に迷い込んだように思えてしまうのだ。

駅の待合室で寝ているサラリーマンがいた。昨夜からここで寝ていたんだろうか?





土曜日に深夜まで飲んで終電に乗り遅れたのかも知れないな。
こんなととろは日本的だなあ、、と思ってしまう。
時代は変わっても日本人としての姿はそう簡単に変わるものではないな。
ま、、、あまり良い姿とは思わないが。



穂積駅まで移動する。日曜日だから穂積駅にも客は少ない。











平日なら通勤通学客が大勢いるだろう道を大垣方面へと歩いていく。













道端で咲いている花、“あまくさみつばつつじ”だろう。





雨に濡れてなかなかよい感じ。







空は晴れて早朝ということもあり風もないから爽快な気分だ。







安八町を過ぎて大垣市まで来た。







標識に「米原・関ケ原」とあってその右に「神戸」と書いてある。





え? 神戸ってこっちの方角だっけ???
わたしは道を間違えたのだろうか、、と、よく見ると「Godo」とローマ字で書いてある。
漢字は同じでも読み方が違うのだった。うーーん、紛らわしいな。



そういえば朝食がまだだ。
コンビニでサンドイッチを買う。





レジで“ぽんたカード”を出すと「お客さん、これはローソンのカードですよ!」
うっかりファミリーマートでローソンのポイントカードを出してしまったのだ。
暑さで頭がぼーっとしているのではない、老化でぼーっとしているのだ。
この店にはイートインスペースが無かった。
しかたがないので駐車場で食べる。
なんだか情けないような、わびしいような。





進んでいくとこの通路も天井が低い。



明治時代に鉄道が整備されたころ地方はまだ江戸時代とさほど変わらない生活をしていたんだろう。







買い物や畑へ行くのでも徒歩が基本で車を使うことは無かった、人がひとり通れればそれで良かったのだな。



で、、、つい高さ1.6メートルの表示につられて通って行くと線路の向こう側は畑だった、さらに別の通路を抜けて行くと上方に駅が見えた。





藪の中をかき分けるようにして行ってみると、そこは東大垣駅だった。







片面のプラットホームにがらーんと広い待合室。





だが通勤通学客は多いのだということは駐輪場を見ればわかる。



しーんと静かな駅を後にして歩き出す。





田んぼが残る道を歩いていくと「はだか祭り」のポスターがあった。



2月3日の節分のときに行われるもののようだ、「ひだりめ不動 宝光院」と書いてある。
ふんどし姿の男たちが杭瀬川でみそぎをするんだそうだ。
岩手県の盛岡市でも「はだか参り」というのがある。
一年でもっとも寒さの厳しい1月15日の夜に同じく下帯姿で八幡宮へと『ゆっくりと歩く』のだ。
どちらも寒い時期に行われるのは同じだな。
寒いだろうに、なにも無理しなくてもいいだろうになあ。
夏のお盆のころ夕涼みがてらのお参りでいいんじゃないか、それなら水着姿でも不自然じゃないし、、と不埒なじいさんは思うのだった。





大垣駅まで来た。





ここも駅前が広い。駅とアクアウォークという巨大ショッピングモールが回廊で繋がっているのだ。
駅前は巨大な駐車場になっていた。





駅の階段にはたらい船の絵があった。





大垣市は水の都と呼ばれているそうだ。









大垣観光協会のサイトで見るとたらい船の船下りはかなりの人気のようだ。
一寸法師の気分を味わうにはよいかもね。

まずは駅を見て回る。



天気は快晴、太陽がチリチリと肌を焼く。



おお、駅前には大きなステンレスの時計塔が、さすがだ!







さらに駅前には時計塔だけでなく螺旋階段?のようなもの、でっかい船のように見える石のモニュメントもある。







そして養老鉄道も乗り入れている。





近鉄の車両を使っているそうでボディカラーが赤だった。





この鉄道は第三セクターとして運行されているとのこと。
見どころの多い駅である。



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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(42)西岐阜駅 ―> 穂積駅

2022年07月24日 | 東海道本線 名古屋駅から大垣駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(42)

2022年(R4)5月21日(土) 西岐阜駅 ―> 穂積駅 JR営業キロ2.8Km

西岐阜駅を過ぎて歩いていくと住宅の庭にバラが咲いていた。





おお、なかなか見事!



さらに歩いていきステーキガストの店を見つけたのでここで昼食にする。





またしてもどれを食べようかと悩む。





財布の中身とメニューとにらめっこで選んだのだが、
期待しすぎたのか肉が小さく思える。



ああ、ハンバーグにすればよかったかなあ、などなどここでも悩むのだった。
でも味は良かったので良しとしよう。



長良川を渡って行く。



住宅街の中で銅像を発見!





台座のプレートには「豊穣の里」とある。
想像だがこの土地の開拓を記念したものだろう。



道路わきではオオキンケイギクが満開だ。







外来種で現在は栽培が禁止されているとウィキペディアにある。
誰かが栽培していたものが広がったのかな。





さらに進んでいくと公園の入り口に変わった形の塔があった。



時計ではないようだし。



このお社の鳥居は鉄骨製のようだ。





それは良いしても色が薄緑というのはなぜなんだろう。
まあ、ステンレスそのままとかのもあるからなあ。色にこだわらなくてもいんだろうけど。
そういえば以前、鳥居の笠木をPVCパイプで代用しているのを見たことがあった。
その後テレビで鳥居をPVCパイプで作っている工場があることを知ったのだが、PVCパイプ製の鳥居は軽くて丈夫なので人気があるんだそうだ。
鳥居は木製がよいという考えはもう古いかも。



住宅地の中を歩いていき穂積駅に着いた。
プラットホームの下の通路も天井が低い。





駅前にはゆるキャラがあった。







見ると「富有柿発祥の地」と碑があって、郵便ポストの上にもでっかい柿が乗っかっていた。
市のホームページによると江戸時代から柿の生産は盛んだったようで、明治時代に「富有」が作られるようになったそうだ。

駅前の時計塔はステンレスではなかった、残念。



駅前ロータリーの真ん中にも塔が立っている。
さっき公園で見たフォーク状の形のものは市のシンボルマークではないだろうか。
気になったのは街灯の上にある中国風の女の子が太鼓を持っている像だ。





Googleで調べても出てこない、はっきりとわかるものはなかった。
なぜこのデザインにしたのかなあ。



今夜の宿は岐阜駅前のホテルにした。
今夜も外出しなくても済むようにと駅中にあるスーパーで買い物をしてから向かう。



わたしは以前にフィリピンのセブ島へ旅行したことがる。
そこでも地元のスーパーで買い物をしたのだが、その店には「Senior Citizens Lane」というのがあった。





【↑2枚はフィリピン・セブ島のスーパーマーケットで撮影】

つまり「お年寄り専用レジ」なのだ。
レジ前にはベンチがあってお年寄りたちは座って雑談しながら順番を待っているのだった。
これには感心した。
客は年寄りだから急がないし、待っている間も会話が弾むしね。
日本はセルフレジやタッチ決済など便利な世の中になったけど、老人や障害を持つ人にやさしい社会からは遠くなったんじゃないかなあと感じたものだった。

ホテルは岐阜駅から徒歩5分ほどと便利なところにあった。



ホテルの玄関前には猫が2匹いて門番をしている。



駅に近いが住宅地にあるので静かだし、パンとジュースがオマケでついてくる。



ここも他の安めのビジネスホテル同様バスルームは狭い。





仕事で泊まる人が多いから作業用の机とコンセントはある。



机の上の灰皿が昭和の時代からのホテルだろうと思わせてくれる。
“健康のため禁煙”をと言っても日本人はタバコをやめられないからなあ。
昭和の時代までは誰でもタバコを吸うことは当たり前のことだったし、商談などでもまずタバコを勧めてから始めるのが常識だったな。
わたしの勤めていたところなどはタバコどころか事務所で勤務中に飲酒するヤツがいたっけなあ。
いまでもタバコをやめられないビジネスマンは多い。
なにしろネットでタバコが吸えるレストラン、ホテルを紹介していたりするくらいだからなあ。


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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(41)岐阜駅 ―> 西岐阜駅

2022年07月23日 | 東海道本線 名古屋駅から大垣駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(41)

2022年(R4)5月21日(土) 岐阜駅 ―> 西岐阜駅 JR営業キロ3.2Km

起きたらまずテレビで天気予報を見る。そしてネットのtenki.jpでも確認する。



どうやら今日の午後は一時雨になるようだ。



ホテルのフロントには誰もいない。部屋のキーをテーブルに置いて立ち去るだけ。





人けのない道を駅へと歩いていく。

朝食はモスバーガーにした。
うん、エビのぷりぷりとした食感がいいな。







わたしは朝食をしっかり食べる派なのでこれだけでは満足できないが我慢する。

さて、まずは岐阜市の観光をする。
まったく初めての土地なので勝手はわからないがスマホで調べて岐阜城へ行くことにした。

信長は雨の中でもじっと立ったままだ、寒そうだなあ。









バスで行こうと路線図を見る、、、えー、、どの路線で行けばよいのやら。





インターネットで調べてからバスに乗る。

「岐阜公園歴史博物館前」で下車すると落ち着いたたたずまいの街並みが続いていた。













宮田自転車の「轉」という漢字に昭和を感じるなあ。





そこからは三重の塔と岐阜城が見えたのだが、えーっ!あんなに高いところにお城があるのか。











岐阜公園前にも織田信長の像がある。



岐阜の織田信長への想いを感じるのだった。

緑濃い公園の中を歩きロープウェー乗り場へと行く。







運賃は往復で1100円。シニア割引は残念ながら無かった。





あんな山の上へ歩いて登るのはムリだからロープウェーを利用するしかないな。





ロープウェーを降りたら「目の前に城」ということではなく、さらに坂を登っていかなければならないのだった。







雨が降ってないだけでも良かったな。



この金華山はチャートという岩石で出来ているのだそうだ。山全体が岩石なんだな





ぜーぜー息をきらせて登っていくと正面に城が見えた。



城までは狭くて階段の多い道なので年寄りにはつらい。
なんでこんなところに城を作ったんじゃ~と、ぼやきたくなる。

きっと昔の人も・・
「殿、拙者毎日の登城があまりにしんどいでござる」
「うむ、余もイヤになってきたぞ」
「はい、登りに半日、帰りも半日かかるので、ほかのことが出来ませぬ」
とか言ってたんじゃないだろうか。



城のすぐ近くにはミニ博物館のようなものがあって、ここでも信長が迎えてくれる。





今日はあいにくの雨模様だが快晴なら眺めは素晴らしいだろうな。









「下山道は危険」と看板がある。



ロープウェーを往復で買って正解だったな。



ロープウェーからは三重塔がよく見えた。



公園を通って、こんどは古い町並みを見に行く。



このお宅では玄関前に鬼瓦とフクロウの置物があった。魔除けなのだろうか。





軒先の電線は碍子で覆われていた。いまではほとんど見ることがなくなったな。







こちらは玄関わきに折り畳み式の椅子。



縁台というのかもしれないが、夏のお祭りなどの時これに腰掛けるんだろうな。



岩手県の盛岡市にも材木町という地名があるので急に親しみを覚えるのだった。



どのお宅でも軒先に岐阜提灯を下げている。





「これは、なんというんですか?」
「これは岐阜提灯と言って岐阜の名産品ですよ」
「なるほど」
「贈り物にもいいですよ。『ギフ』トっていうほどですから」
「・・・・」
というようなひんやりするようなギャグが浮かんできた。
提灯には鵜飼いの絵が描かれている。









古い町並みの川原町を長良川のほうへと歩いていく。



ここは松尾芭蕉の像があったのだが、、、、





マスクが花柄だった。
まあ、芭蕉はイキな人だから喜ぶかもしれないが、、

長良川の鵜飼いは当然ながら夜のなので今は誰もいない。





ここも夕方になれば観光客で混雑するんだろうな。

バスで岐阜駅まで戻り、西岐阜駅へ向かって歩きだす。
中山道の案内があるのでできるだけ中山道を歩いていく。











途中から東海道本線沿いに歩く。





西岐阜駅が見えてきた





駅前には大きな時計タワーがあった。











すでに12時半を回ってしまい、お腹がすいてきた。


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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(40) 木曽川駅 ―> 岐阜駅

2022年07月22日 | 東海道本線 名古屋駅から大垣駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(40)

2022年(R4)5月20日(金) 木曽川駅 ―> 岐阜駅 JR営業キロ7.7Km

木曽川駅のわきには古いレンガ造りの倉庫が残してあった。





そして通路の柱と方杖もあるが、塗装が剥がれてぼろぼろになっていた。

鮎鮓街道へと戻り歩いていくと名鉄黒田駅がある。

そのすぐ近くがイオンモール木曽川だ。







ちょっと休憩をしたいのでフードコートへ寄ってみる。





お腹が空いているわけでないので、たこ焼きを食べながらひとやすみ。

木曽川を渡る。460メートルもある長い橋だ。







とうとう岐阜県に入った。



笠松町のマンホールのデザインをしばらく見ていてトンボが描いてあるのだと気づいた。



これもGoogleで検索すると「トンボ天国」という自然保護地域があるそうだ。

そこここに歴史を感じさせる建物がある。







歴史を感じさせるお婆さんもいるのだった。



これは名鉄・竹鼻線だった。



このお店の壁には馬の絵がある。





説明書きがあってタイトル「Grazing2017」と製作者の名前があった。
有名な画家なのだろうか、でもなぜ食料品店の壁に描いたんだろう。

春日神社の鳥居を見て「あれ、なにか変だぞ」



なんと参道に町会集会所の二階部分があるのだ。



土地が狭くて集会所を作るスペースが無かったんだろうな。





川の土手部分にバナナの木があった。





温暖な土地とはいえフィリピンやインドネシアのような熱帯ではないので実が小さい。

中山道を通って岐阜駅へと続く道を歩く。











加納宿を過ぎると駅は近い。



時刻は午後5時半を過ぎた、今日も10時間ほど歩いた。





岐阜駅はとても大きな駅だった。







駅前には滝があるし、大きな三角のステンレスもある。

広い駅前広場には黄金の織田信長像が立っている。





おお、しっかりとマスク姿だ。
コロナが収束するまであの姿なんだろうな。

今夜の宿はHOTEL GRANPARKにした。
駅からは少し距離があるし周りに飲食店など無いのが不便だが宿泊料金が安かった。









途中のコンビニでカップ麺とおにぎりを買って今夜の夕食。



ここも昔のビジネスホテルだから部屋は狭いけど電気ポット、冷蔵庫もあるので不便はない。


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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(39) 尾張一宮駅 ―> 木曽川駅

2022年07月21日 | 東海道本線 名古屋駅から大垣駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(39)

2022年(R4)5月20日(金) 尾張一宮駅 ―> 木曽川駅 JR営業キロ5.5Km

時刻はちょうど正午、ここで昼食にしたい。
優柔不断な性格なのでなにを食べようかと駅前をウロウロ歩き回るのだが決断できないのだった。
で、入ったのは“すき家”だ。



そこそこ安いし、早いしね。
温玉カレーでほんのちょっぴり贅沢。









水道局にも公式のキャラクターがあるんだねえ。





駅前にはこんなものがあった。





家具屋さんの展示かな? それとも引っ越しの途中かなと、判断がつきかねる。
誰かが座っていれば自由に座れるのだなわかるのだが、座ってよいのかわからなかった。
もしかしたらオープンのテレワークスペースかな、でも電源がないしなあ。




CDと書いてある。



おお、そうだここは中日ドラゴンズの本拠地だな。
このお店のオーナーはドラゴンズファンに違いない。

そして、、、これ。



思わず、そうなんだけどねえ、、、とつぶやいてしまう。

駅からほど近いところに真清田神社があった。



御鎮座2650年とある。









えーっと、今年は2022年だからキリストの時代からから628年も遡るのか、信じられないほど古いんだな。
いや、もしかしたら皇紀かもしれないな。
西暦2022年は紀元2682年とのことだから、それなら日本誕生と同時に建立されたということか。うーむ、こりゃあ神話伝説の世界だな。



拝殿の重々しさが神社の歴史を物語っているようだ。

歩いていくとここにも、道祖神? 観音様かな。



酒尾神社の前を通りかかると大勢の人が出てきた。





どうやら市内の歴史的な場所のウォーキングツアーの一行のようだ。
ガイドさんの説明を聞きながら名所旧跡を巡り、健康にもよいという一石二鳥だな。





もう小学生の下校の時間になってしまった。





歩いているとこんなことで時間を知ることになる。

ここにも地蔵様がある。
地蔵、庚申塔などあまりに多くていちいち写真を撮っていられないほどだ、コンビニ店顔負けの数だった。





「彼岸縄手地蔵」とある。
「繩手」を辞書で調べたら、田んぼのあぜ道、まっすぐな道とあった。
ここは以前からまっすぐな道路だったのかもしれない。



このように道の角、交差点にお地蔵様、観音様などなどきりがないほどあるのだ。







鮎鮓街道を岐阜方面へと進む。





愛宕神社は一段と高いところにお社がある。





これを見ると出雲大社の古代の本殿は高さが96メートルもあったという話がうなづける。
神様だから高いところに祀るということなのだろう。
中国では家の守り神の祠を一階の床に祀る。
日本では神棚は高い位置に祀るのが一般的と思う。
日本はかなり中国文化の影響を受けたけどこんなところは違いがあるね。

旧道らしさの雰囲気たっぷりの道を進んでいく。





ところどころに歴史を感じさせてくれる建物が残っているので歩いていて楽しい。













木曽川駅に到着。







駅名看板がなかったらどこの駅だかわからないような規格化された駅だな。








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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(38) 稲沢駅 ―> 尾張一宮駅

2022年07月20日 | 東海道本線 名古屋駅から大垣駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(38)

2022年(R4)5月20日(金) 稲沢駅 ―> 尾張一宮駅 JR営業キロ6.0Km

まだ疲れは出ていないので休憩せずに歩き続ける。
この区間は6キロメートルとやや距離がある。









駅から町中を抜けていくと畑や田んぼが広がっていた。





なんだかほっとする風景だ。
畑の中にオレンジ色の実をつけた木があった。





ビワではなさそうだし、、、わからないままに通り過ぎる。

線路に近い農道を歩いていくと道の真ん中に黒っぽい石のようなものがあった。



近づいてみると亀だった。





どうやら道を横断しようとしているようだ、見ていると向こうから車が来るではないか。

亀は歩きが遅い。
「亀ののろい」というふる~いギャグを思い浮かべてしまった。
車に引かれたら丈夫な甲羅があっても潰されるかもしれない。
亀を道の端に寄せてあげてから線路沿いの道を歩いていく。





のどかだなあ。



お、ここにもビワがいまが食べごろだろうな。









尾張一宮駅が近くなってきた。











駅にほど近いところに古風なビルがあったので寄ってみる。



ビルの壁には「近代化産業遺産」のパネルがあった。



以前は「尾西繊維協会ビル」という名称だったそうだ。



じつにシックというか趣のある建物だ。外壁のデザインが気に入ったなあ。



駅へと向かう路地の住宅に美しい花があった。







Googleレンズで調べるとキキョウ科のイソトマ属という花のようだ。

尾張一宮駅前は都会の雰囲気。





駅前の時計はしっかりとステンレスの柱、ちょっと地味なデザインだが。







マスク姿の市のキャラクターは「イチミン」という名前、わかりやすいといえばわかりやすいが。







気温は23度で暑いというほどでなくて歩くにはちょうど良い。



駅のコンコースでは「いちのみや楽市」というのをやっていた。










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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(37) 清洲駅 ―> 稲沢駅

2022年07月19日 | 東海道本線 名古屋駅から大垣駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(37)

2022年(R4)5月20日(金) 清洲駅 ―> 稲沢駅 JR営業キロ3.3Km

今日も雨の心配はなさそうだ。





気温も最高で26度、今日までのところ天候には恵まれている。

朝食はホテルの無料のパンだ。
お好きなだけどうぞとあるので欲張ってパンを4個、飲み物もコーヒーとジュースも取る。



パンだけだと寂しいので昨日コンビニで買ったサラダとドリンクヨーグルト。
これだけ食べれれば今日は元気に歩けそうだ。



駅から近いし朝食も付いているし、なにより静かでよく眠れた。よいホテルだったな。

名古屋駅からいったん岐阜駅まで行きコインロッカーにディパックを預ける。





今日も身軽になって歩こうというわけだ。



そうしてまた電車で清洲駅まで戻ってくる。コインロッカー料金も入れると1290円もかかってしまうが、これだと
カメラだけ持って歩けばよいからね。





清洲駅で降りて町中の狭い道を歩いていく。





この道は「美濃路」というのだそうだ。





東海道、中山道だけでなく多くの街道が整備されていたのだとわかる。



朝の通勤ラッシュ時間帯なので車が多い。



稲沢市へと入っていく。市のマークはひらがなの「い」なんだな。





進んでいくと「タバコ可能店」の看板があった。







最近はレストランなど禁煙が基本である。
わたしは強い花粉症で、困ったことにたばこの煙にも反応してしまう。
いまではタバコを吸う人の近くにいるだけで症状が出るようになってしまった。
タバコは健康に悪いというのはかなり以前からの常識だがたばこをやめられない人は多い。
わたしの仕事仲間に「死ぬまでタバコはやめません」と宣言した人がいたが、いまはどうしているんだろうか。
健康増進法で学校や病院だけでなく飲食店でも屋内は禁煙が義務付けられているはずだがこの店はどう対応しているんだろう。

さらに歩いていくと交差点に広告募集の看板があったのだが、、、







この看板を止める針金の位置はわざとじゃないのかい? 受けを狙ってやったとしか思えんなあ。
まあ、面白いけど。





稲沢駅が見えてきた。
駅へと通じる道路の広いこと。





2000年に新しい駅舎ができたそうだから、この辺りも再開発されたのだろう。



この碑を見ると稲沢駅は日本三大操車場のひとつだったとのこと。



あとのふたつは新鶴見操車場と吹田操車場だそうだ。
どうりで駅構内がものすごく広いわけだ。



この駅も最近の空港などで見られる形だな。



昔の形の駅舎にノルタルジーを感じるものとしては「あー、この駅もか」となってしまうが。







稲沢市のキャラクターは「イナッピー」という名前。マンホールに描かれていたのはこれだったのか。



駅前の時計にも描かれているぞ。





ちゃんとステンレス製なのも高得点?



時刻は午前10時、やや肌寒かったのでパーカーを羽織る。


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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(36) 枇杷島駅 ―> 清洲駅

2022年07月18日 | 東海道本線 名古屋駅から大垣駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(36)

2022年(R4)5月19日(木) 枇杷島駅 ―> 清洲駅 JR営業キロ3.8Km

枇杷島駅前にはこんなものもあった。



これは一里塚を表しているのか、それとも前方後円墳?それともお墓(笑)





歩いていくと路地の入口にこんな標識を発見。





「この先通行止め」とあっても入っていく車が後を絶たないんだろうな。
「通り抜け禁止」で通り抜けが知れるという諺があるからねぇ。
そして結局行き止まりなのでバックして出てくるとかそんなことが重なったんだろうと思う。

天候は曇り空で弱い風があるが歩き続けていて汗をかいた。
喉が渇いたので水を買う。



田んぼの中の広い道を歩いていくと正面に清州城の天守閣部分が見えてきた。



アーチには「織田信長のふるさと清須市」と書いてある。



ここでも「清州」と「清須」が混在しているなあ。
歴史の関係があって簡単に統一できないのだろうけどややこしい。
清須市のホームページを見ると表記が混在しています・・とあった。
古い記録には清須の表記が多いそうだ。

この清州城は1989年(平成元年)再建されたとのこと、真新しいお城だ。







時刻は午後4時半過ぎで閉館してしまっていたので外観だけを撮影する。





天守だけがあるのでなんだか映画のセットのように見えてしまう。





観光客のために作られた城、橋なんだな。



お城のすぐわきを新幹線が轟音を立てて通っていくので、いにしえを偲ぶことは難しい。

信長の銅像も見に行く。



公園の中に鎧姿で立つ織田信長。





そのすぐそばには濃姫の姿。



最近の流行だろうかここも恋愛のパワースポットになっているそうな。

公園からは線路沿いに狭い道を歩いていく。





清洲駅の近くには撮り鉄の人がいた。



脚立を用意しているところを見るとプロかハイアマチュアのカメラマンだろうな。





清洲駅に到着。





今日はこの駅までとして名古屋駅まで戻る。



プラットホームからキロポストが見えたので近寄って撮影。



列車を待っていた人たちが怪訝そうな目でわたしを見るのだった。

今日も同じ名古屋駅前のホテルに泊まるのだが、外出がおっくうに感じて夕食はコンビニのおにぎりとカップみそ汁だけ。



旅に出る前は名古屋では「味噌カツ」を食べようとか「天むす」もいいなとか考えていたが結局はこのようなもので済ませてしまうのであった。


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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(35) 名古屋駅 ―> 枇杷島駅

2022年07月18日 | 東海道本線 名古屋駅から大垣駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(35)

2022年(R4)5月19日(木) 名古屋駅 ―> 枇杷島駅 JR営業キロ4.0Km

名古屋駅前から名駅通を歩いていく、周りは高層ビルばかりだ。



しばらく行くと右手にノリタケの森があってイオンの巨大なショッピングセンターが見える。



その隣にトヨタ産業技術記念館がある。





旅の計画を立てていた時、ここは見学したいと思っていた。
うれしいことにシニア割引があった。



シニア割引を設定している施設や交通機関は意外と少ない。
すべての美術館、博物館などは子供料金のほかにシニア割引を設定して欲しいものだ。

平日ということもあるのか見学者の数はさほど多くなかった。
トヨタの産業の基礎となった紡績機械がずらりと並んでいる。



初期の手作業で織物を作る作業からコンピューターを使って織り上げる機械までの歴史を学ぶことができる。
動かない機械を並べているだけではなくて、実際に作動させ説明までしてくれるのだ。





猛烈な速さで織りあがっていく様子を見ているとよくこんな機械を作ったものだと驚くばかり。





自動車関連では木造の工場での手作りでだった時代から順に見ていくことができる。







ここも広い、しっかり見て回ると見学だけで半日はかかりそうだ。





わたしが子供のころのトラックの展示もある。



いまならウインカーだが当時は腕木式の方向指示器だった。



この三角窓などもいまでは見ることはなくなったなあ。



当時から高級車の代名詞だったトヨタクラウンの観音開きのドア。





ドアノブが親指で押し込むタイプだった。
ドアは力を入れて勢い良く締めないとしっかりロックできなかったものだ。
老人で車のドアを思い切り強く閉める人がいるが、あの頃の癖が抜けないのだ。

そして若者の憧れだったトヨタ2000GT。



うーむ、かっこいい! これがほんとのスポーツカーだな。

スーツ姿の集団が説明を受けている。



新入社員なのかな、全員神妙な面持ちで説明を聞いている様子だった。



やや急ぎ足で館内を見て回り、歩き旅に戻る。

庄内川を渡っていくと左手に倉庫?蔵?のようのが見えたので行ってみた。





清須市有形文化財 頼朝車と大きく書いてあるが中の様子はわからない。





清須市のホームページで見ると「よりともしゃ」という山車でからくり人形が上部に乗っているようだ。



【↑の写真は愛知観光ナビのもの】

トヨタ関連でロボットをからくり人形に使ったら面白そうだと、思ってしまった。



枇杷島駅へと線路沿いの狭い道を進んでいく。



この通路も高さ幅ともに人ひとりがやっと通れる大きさだ。



そしてこのように線路に触れるほどの高さの通路もある、列車を真下から見るのは迫力満点だ。



枇杷島駅に到着。





この時間帯だと人の姿はほとんどないが朝夕のラッシュ時は大混雑だろうなあ。





駅前には地味な時計とステンレスの輪っかがあった。







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