東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

鼠経ヘルニア手術体験記 その6(完)

2017年03月20日 | 健康
鼠経ヘルニア手術体験記 その6(完)

退院してその後

手術後1週間が経過。

やっと手すりにつかまらなくても起き上がることが出来るようになった。
歩くのにも不自由な感じはしないが、50メートルも歩くと時々左側にずきっと痛みが来る時がある。

立ってしばらくすると手術前のように左足鼠径部にふくらみが出来る。
右側にもやや小さめのふくらみができる。これがかなり気になるのだ。

退院後は買い物と眼科への通院以外は運動もせずおとなしくしていたのだが、これはもしかして再発なのかと心配になる。

無理をして再手術とかになったら元も子もないのでもうしばらくはおとなしくしていようと思う。
足を延ばしたときに鼠径部がつっぱるというのか引っ張られるというのかそんな感じで痛むこともある。

だが日常生活にはほとんど支障がなくなってきた。もちろん重いものを持ったりとかは出来ないのだが。




手術後2週間が経過。


おおむね順調に回復しているようだ。

1時間ほど歩いてもほとんど痛みはない。
だが油断はできない、ときおり左側に痛みが走ることがある。

診察のため病院へと行ってきた。診察では「傷口はきれいだし問題ありませんよ」とのこと。
「ときどき鼠径部が痛むんですが」というと「広くメッシュをあてているのでしばらくは痛むこともあるでしょう」と範囲を指さす。
ただメッシュをあてがっているのではなく、移動しないように固定するのだそうだ。まさかホチキスで止めるんじゃないだろうなあ。

右側のほうはヘルニアにはなっていなかったそうだが「何年かすればヘルニアになる可能性があります、そのときは来てください」とのことであった。
まずは経過は順調というところである。


わたしは強度の花粉症のなの花粉シーズン前に手術できたのは幸いだった。
もしシーズン中ならくしゃみもできなかっただろう。

わたしは医者嫌い病院嫌いというようなことは全くないので、からだの調子が変だなと思ったらできるだけ診察を受けるようにしている。
インターネットで情報を得ることも大切だけどやはり直接お医者さんに診てもらうのが安心である。

早期発見!早期治療開始! が大事なのだ。
早めに手当てすれば治療費の出費も少なくて済む、意外とこれが大きなポイントかも。
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鼠経ヘルニア手術体験記 その5

2017年03月19日 | 健康
鼠経ヘルニア手術体験記 その5

手術後2日目

昨夜もうとうとしただけでほとんど眠っていない、朝の5時前にはしっかり目が覚めてしまった。
今日も快晴である。外の気温はマイナス7度と今朝も冷え込んだ。
窓から見える雪の岩手山が朝日を浴びてうっすらとピンク色に染まっていくのをぼんやりと見つめる。



わたしは便秘症ではないので毎朝キチンとうんちが出るのだが、今日まで3日間もうんちが出ていない。
トイレで力もうにもお腹に力を入れようものなら悲鳴をあげたくなるような痛みが来るのだ。
まあ、そのうち出るだろう。

洗面所へと行き顔を洗い歯磨きをする。
シャワーをしていないのでせめて足だけでも洗おうと思ったのだが痛くて屈めないのであきらめる。

朝食を終えて部屋へ戻ると医師が来て「昨夜は歩いていましたね、痛み止めを出しますから今日退院してください。」と言うのでわかりましたと答える。
歩いたといってもほんの20メートルほどだが手すりをつかまずに歩いたのを見られたのだった。
いつまでも甘えてはいられない、覚悟を決めることだ。

入れ替わり看護婦さんが来て11時が退院の時間になりますとのこと。
「あら、昼食後ではないんですか?」
朝食のとき今週のメニュー表を見たら今日の昼食のデザートにバナナが出るとあった。
わたしはバナナが大好きなのだ、じつに残念である。

帰宅のための荷造りを始める。
荷造りといっても着替えと洗面用具をバッグに詰めるだけなのだが、自分でもじれったくなるほど動作がのろい。

着替えをする。
立ち上がってお腹を見ると手術前は少し出っ張っていたお腹がへこんでいる。
食事を制限したわけではないし便も出ていないのに不思議なことである。
おヘソに穴を空けたときに中の脂肪が出てしまったのだろうか。
ズボンを穿こうとしたらベルトが締まらなかった。
体重は入院前から2キロも減っていたのにである。これも不思議だった。

下着のゴム部分がちょうど傷口に当たるのがしんどい。パンツをずり下げるようにして穿く。
ああ、こんなことならゴムの緩んだパンツを持ってくるんだったなあ。

看護婦さんが薬を持ってきた。痛み止めの座薬と炎症を抑える薬だ。
退院前に看護についてのアンケートに答えてほしいとのことで記入する。
看護婦さんたちはてきぱきと仕事をしているように見えて表情も明るかった。
すべての項目に満足のしるしをつけて渡す。


からだを引きずるような思いをしながら一階の会計まで行き支払いを済ます。
最近は大手の病院ではクレジットカードで支払いが出来るようになっているから現金を持ち歩かなくともよいのはありがたい。
老人なので自己負担割合は2割である。

以前ならば1割負担で済むはずだったのだが、政府がわたしの目の前で”1割負担にしていたのは一時的なこと”なので”本来の負担額に戻す”と2割負担にしてしまったのだ。

つくづく損な年代に生まれたものである。
政府は戦後のベビーブーム世代が70年以上も生きるとは考えていなかったのだろうか。

われわれは55歳になったら年金が支給されますよ、70歳になったら医療費も一割負担で済みますよと言われて税金を納めてきたのである。
やっと年金を受け取れる年齢になったら、なんやかんやと理由をつけて支給開始を遅らせるし金額を減らされるしで散々である。
これでは銀行へ預金を引き出そうと行ってみたら、自分の番が来たときに「もうお金が無くなったので希望する金額の半分しか引き出させません」と言われたようなものである。

「老後のために政府にお金を預けていたのだ。」と考えていたのは幻想だったのだろうなあ。
権力もなにもない小市民は「それでもゼロになるよりはまし」と我慢するしかないのだろうか。
革命や戦争が起きて預金制度や社会保障制度が完全に崩壊しなかっただけでもよしとするしかないのかなぁ。せめて今後さらなる改悪にならないようにと祈るような気持である。

そういえば最近のことだが「高齢者の定義を見直す」というニュースを見たっけなあ。
高齢者の定義を現在の65歳から75歳に、90歳以上を超高齢者とするらしい。まだ決まっていないがわたしは政府のことだからやるだろうと思っている。
こうなれば年金はほとんど受け取れなくなるだろうし、われわれの医療費の負担も大幅増になるだろう。


それでもまだ日本の社会保障はまだマシなのである。

先日インターネットの記事で見たがアメリカでは、盲腸の日帰り手術で111万円を請求されるというのを見た。
しかも医療保険適用後でこの金額なのだ。医療保険が適用されなければ555万円だそうだ。
日帰り手術なのに部屋とベッド使用料が49万円だったというのもスゴイ。
アメリカの医療費のあまりな高額なことはもはや異常としか言えない。

C型肝炎の薬が約385万円(1錠あたり13万8千円)だという記事もあった。同じ薬がインドでは一錠1700円だそうでアメリカではインドへ薬を買いに行くツアーがあるという。
医療保険に加入していない人は破産して生活保護を受けるしかないのだそうだ。


それに比べれば日本の皆保険の仕組みが良いのは間違いないが、それでも少ない年金だけで暮らす老人には医療費の2割負担は”大きな負担”である。
日本の政府がトランプ大統領を見習うことなく、これ以上の改悪が行わないようにしてもらいたい。


と愚痴ともあきらめともつかないことを考えながら病院の外へ出る。

とたんに身を切るような冷たい風に体をこわばらせた。
病室は温室のような世界だったのだ。



病院で食べれなかった昼食はラーメンにしようと考えていたのに、なぜか選んだのはチャンポンだった。



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鼠経ヘルニア手術体験記 その4

2017年03月18日 | 健康
鼠経ヘルニア手術体験記 その4

手術の翌日


痛みは続いている。

深く呼吸するだけでも痛むのだ、起き上がろうとお腹や腰に力を入れるとすごく痛いのでベッドサイドの手すりを両手で掴んでゆっくりと動き出すことになる。

昨夜もあまり眠れなかった。
午前5時の暗い空が次第に明るくなってくるのをじっと見つめていた。
今日も雲ひとつない快晴である。晴れたためマイナス10度まで冷え込んだのだった。



手術の時の医師が廊下を歩いて行く、確か昨夜遅くも見かけた。彼らはいつ寝てるんだろうか。
つくづく医者というのは大変な職業だなあと思う。
失敗は許されない、自動車や電化製品を修理するのとは違うのだ。
生身の人間に代替品はないのだからなあ。

何年か経ったら身体の部品交換がごく普通にできるような日がくるのだろうか。
そうなったらどこまで部品を入れ替えたら自分と言えるんだろうか。
うーむ、こりゃもう一度映画「ロボコップ」や「サイボーグ009」を見直さなくちゃならんなあ、などと痛みをこらえつつも考えることはアホなことばかり。


入院中は暇なんだから好きな音楽でも聞きながら過ごそうと、スマートフォンにCDをコピーしてノイズキャンセリング・ヘッドフォンまで持ってきたのだった。

手術前は横になってさえいれば痛みが無かったので、音楽を聴いたり本を読んだりして過ごせたのだが・・
手術後は痛みをこらえるのがやっとで、とても音楽を聴いて過ごすなどという余裕は無かった。
本を読もうとしても文字が目に入ってこない。
なんとか痛みをこらえて時間をやりすごすことだけである。

好きな音楽を聴いたりが出来る状態というのは平常な状態ということなのだろうな。
まことにもっともなことで、例えばお酒を飲みすぎて猛烈な頭痛になっている人に「ほら、この音楽を聴いて頭痛を忘れなさいよ」と音楽を聞かせたなら「おい! その音楽をとめてくれ~」ということになるだろうしなあ。


今日から普通食の食事になる。
歩ける患者はナースステーションの隣の食堂で食べることになっている。



まっすぐ立つことが出来ず廊下の手すりにつかまりながら前屈みになってすり足でゆっくりと進む。
その脇を看護婦さんが忙しそうに早足で歩いて行く。
自分の時間と周りの時間との進み方に差が出てきているのだった。
アインシュタインは正しい。観察するものによって時間の進み方が違ってくるのである。

わたしは朝食はトーストとサラダそしてコーヒーと決めているのだが、ここではメニューは選べるようにはなっていない。
全員同じメニューの和食である。病院食だから薄味なのだがおいしくいただけた。病院食もしっかりと進化しているのであった。


執刀医の方が来て手術痕の部分を診る「あ、よいですね問題なしだ。」とのことだ、まずは一安心。
お腹をみると絆創膏が3か所に貼ってある。



その絆創膏の真ん中が透明のセロハンのようなものになっていて傷口が直接確認できるのだった。
なるほど、これならいちいち絆創膏をはがして傷口を診るという必要が無くなる訳で、これも患者の負担を軽減させることになるのだろう。
「抜糸もありません」と言う、接着剤のようなものでくっつけるのだろうか。まさか木工ボンドとか?

あらためて自分のお腹のあたりを見ると・・なんともみっともないことになっている。
傷口のところは仕方ないとしても脇腹や胸のあたり、そしてすねのところなどくすんだ皮膚の色やしわの様子はまるで雨に濡れた段ボールのようである。
”枯れた”と言いたいところだがそんな風情はどこにも無いのだった。


昼前にトイレへと歩く。痛みが強くておしっこもちょろちょろとしか出ない。

部屋へ戻ると空いていたベッドにおじいさんが入ってきて満室になった。

昼食も朝と同じく食堂で食べる。たかが10メートルほど歩くだけなのに5分ほどもかかってしまう。



午後になって看護婦さんがやってきて「明日の退院ですから」と言う。
「え~、とても痛くて歩くこともままならないんですけど、せめてもう一日居させてください」と懇願する。



午後3時には医師が来たので「痛くて大変なので明後日の退院にしてほしいんですが」と話すと「それじゃあ、痛め止めの座薬を出します」とつれない返事。
こんな状態で本当に退院できるんだろうか。

インターネット上には「日帰り鼠径ヘルニア手術」という病院の案内がかなりある。
また体験者の2ー3日で仕事に復帰したなどの記事も見かけたので、鼠径ヘルニア手術なんて軽いものなんだと考えていたのだがやはり個人差があるのだろうなあ。

「寝ていてばかりいないで歩く練習をしてください」とのことである。


じっとしていても腹だけは減る。夕食は同じく食堂で食べる。
食べ終えてから面会用のスペースまで行きソファに腰かけたりする。



先ほどの医師が急ぎ足で歩いて行った。

少しずつだが歩く距離は長くなってきている、まだまっすぐ立てないが腰を屈める角度も少なくなってきた。

やれやれ今日も終わった。
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鼠経ヘルニア手術体験記 その3

2017年03月17日 | 健康
鼠経ヘルニア手術体験記 その3

手術当日

病室は寒くないはずなのになぜか寒気がしたのと、隣の人のイビキが気になりほとんど眠れなかった。
朝5時にはすっかり目が覚めて、徐々に明るくなっていく外の景色を眺めていた。



6時には体温と血圧の測定がある、入院患者は朝寝坊できないのだ。

きょうは朝食も昼食も無し、夕食はお粥になるのだそうだ。
OS-1という500ミリリットル入りのペットボトルを2本渡された。



「点滴の代わりになるんです、4時間かけて少しずつ飲んでください」
「え、じゃあ点滴は無し?」
まあ、飲むほうが点滴よりはラクそうだけど、点滴しないと病人らしくないなあ。
OS-1はスポーツドリンクと同じ味で飲みやすかったので、ついついゴクゴク飲んでしまい看護婦さんからペースが速すぎると注意されてしまう。

午前中は執刀医とスタッフの人たちが来て手術の説明があった。みんなニコニコしているのは患者に不安感を与えないようにするためなのだろう。

医者が患者に向かって深刻な顔、不安な表情を見せたら患者は「ああ、わたしはこの手術でもしかしたら・・・」と恐怖になるかもしれない。
医者としては「こんな手術はなんども手掛けていますよ、安心して任せてください、ハ・ハ・ハ」と堂々としていることが大事なのである。


さらに看護婦さんから写真入りで部屋から手術台までの手順を説明される。
こんどは麻酔科の医師が来て全身麻酔についての説明、さらに薬剤師が、、というふうに続くのだった。

「患者は医者の指示に黙って従っていれば良いのだ」というような病院は数十年前の過去の話になってしまったようで、治療を受ける側としては誠に良い時代になったものだなと感じた。



こうしていると手術までの時間が近づいてくる。

「手術室へ行く前にトイレを済ませてください。」と言われてトイレに行ったのだが緊張のためだろうかまったく出ない。

あとはじっとして迎えに来るのを待つだけである。

午後1時に看護婦さんと一緒に歩いて階下の手術室へと移動する。
手術室の前でリストバンドの名前をスキャナで読み取り、さらに本人に氏名と生年月日を言わせての本人確認がある。

すべてに本人確認手順が組み込まれているので、間違えてほかの人を手術したり投薬したりということは起こらないはずである。

が、それでもごくごくまれに事故は発生するものだ。

それは”人間は慣れる生き物なのだからだ”とわたしは考えている。

ミスを防ぐために本人の名前を確認するとか、チェックシートにマークを入れるとか様々な手順を組み込むわけだが、どんな仕事でも同じようなことの繰り返しになってしまうのは避けられないものなのでチェックマークを入れる作業が『チェックマークを入れるだけの作業』になってしまいがちなのだ。
人間は緊張状態をずっと続けていることができず、その『緊張状態にさえも慣れてしまう』のだ。

かなり以前にテレビのドキュメンタリー番組で見たのだが、ベトナム戦争当時の北ベトナムに不発弾の位置を知らせる兵士がいたのだという。空爆で大量の爆弾が落とされるのを見ていて不発弾があればその場所まで行って旗を立てるのだ。兵士は十代の女性たちで最初は恐ろしがるのだが、そのうち慣れてきて爆弾が降りそそいでいるときにも雑談などしていたのだそうだ。そんな状況でさえも慣れてしまうというのがスゴイ。

だから『薬袋の名前と本人の名前が同一であることを確認したらチェックマークを入れる』というような場合でも、つい先に『チェックマークを入れてから、本人確認をする』などというようなことが起こっても不思議ではないのだとわたしは考えている。

でもこの本人確認のおかげで治療ミス、投薬ミスがほとんど起こらなくなったのは間違いのないところなのである。

手術室に向かうときの自分は不安も感じず意外なほど平静だった。
不安感は手術が決まる直前まではあった。もしかして別な病気ではないかとかそんなことを考えたものだが決まってしまえば流れに従うだけである。
全身麻酔もヘルニア手術も技術として確立しているものなので心配することはないのだ。


手術室は思いのほか広かった。すでに数人のスタッフが待機していた。気持ちを落ち着かせるためのBGMも流れている。
みなさん笑顔なので安心感が倍増する。
手術台に横になると手際よく点滴チューブやらセンサーなどが付けられる。
さらに部屋から着てきたガウンもパンツもあっという間に脱がされ素っ裸にされて上からタオルケットのようなものを掛けられた。
麻酔医の方が「じゃぁ 始めますか、スタッフの皆さん準備万端ですね」と声を掛けて「はい、これは酸素マスクだからね」と鼻と口にあてがわれる。
麻酔薬が点滴チューブを通して入ってくるのがわかる・・というようなことはなかった、残念。
壁にかかっている時計をチラと見ると午後1時15分だった。


一瞬なにかの夢を見たような気がする。

朝に二度寝をしてしまったときに、はっとして目が覚めた時のようなそんな気分だ。喉がイガイガする。
「はい、終わりましたよ」の声が聞こえて回りを見ると、もう後片付けを始めているではないか、さすが手順が良い。
手術の器具とかどんなものを使うんだろうか、見たいものだと思っていたがまったく見ることなく終わってしまった。


壁の時計を見ると午後2時45分になっていた。

まさにタイムスリップの感覚である。
眠ったという感覚とは違うものでうまく表現できないが、ある瞬間から別の瞬間へ移動してしまったような感じだろうか。
もし時計が故障していて午後1時45分を指したままだったら「あれ、これから麻酔をするのかな?」と思ってしまったに違いない。
普通に起きている(覚醒状態)から一瞬で1時間半後の世界へとワープしてしまったのだった。

手術に要する時間は事前に1時間半と伝えられていたが、ぴったり1時間半だったのも驚きである。
イガイガするのは喉にパイプを通していたからとのことだ。


いつのまにか手術台の隣に病室のベッドが運ばれてきていて、板のようなものに乗せられて寝たままズルッと滑って移動させられてしまう。

手術室内を見学したかったのだがそんなリクエストを聞いてもらえるわけもなく、ベッドに横になったまま3分後には病室へと戻ったのだった。

「3時間は安静です。」と看護婦さん。
見るとちゃんと点滴をされているではないか、これで病人らしくなった。

全身麻酔だから手術中は当然痛みが無いのだが、手術後2時間を過ぎたころからじわじわと痛みが出てきた。
昨年の夏に大腸の内視鏡検査をしたときような痛苦しさを感じる。


午後6時半にはお粥の夕食が出た。点滴をしながらゆっくりと起き上がり椅子に腰かけて食べる。



午後7時には点滴も終わり、歩けるようになった。
左足の付け根付近がひっぱられるような感じでズキン、ズキンと痛む。
トイレに行こうと立ち上がるのだが、痛みが強くなってきて歩くのがままならない。
前かがみで手すりにつかまりながらすり足でそろーりそろりと進んでいく。



夜にかけて痛みはさらに強くなってきた、麻酔がすっかり消えてしまったのだろう。
くしゃみでもしたら痛みで悶絶しそうである、深く呼吸をしただけで思わず悲鳴が出そうな痛みがくる。

看護婦さんに「痛いんですけど・・」と訴えるが、どうやらこちらの真剣さが足りないらしく「我慢できないときは先生に言って痛み止めを出してもらいますから」と軽くあしらわれてしまった。
ほかの人たちはこんな手術でも痛がらないのかしらん?

ドクターは確かに「麻酔中は痛みが無いですよ」と言っていたが、麻酔後の痛みについてははっきりとは言わなかったからなあ。言葉に嘘は無いのである。
痛みの感じ方は人それぞれだろうしなあ・・と半ば諦めつつ我慢する。
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鼠経ヘルニア手術体験記 その2

2017年03月16日 | 健康
鼠経ヘルニア手術体験記 その2


入院当日

午前11時の入院なので病院へ行く前に別な用事を済ませる。

そうしているうちにも痛みが強くなってきて、痛みをこらえるのが大変だった。
大げさだがあと数日入院が遅れたら救急車で運ばれたかもしれないと思ったものだ。
左足を引きずるようにして患部を押さえながら入院手続きのために病棟へと向かう。
大きな病院での手術入院は初めてである。痔の手術をしたのは個人病院で入院患者数も10人もいなかった。

この盛岡市立病院は以前は盛岡市中心部の北上川沿いに建っていたっけ、病室の窓から北上川が見えたものだ。
現在の場所に引っ越したのは平成11年だそうだ。
きょうは天気は良いが冷たい風が吹いている。
病棟からは雄大な岩手山がよく見えた。


看護婦さんに入院手続きの書類を渡して病室へと入る。

なんと4人部屋であった。昔は6人部屋が普通で8人部屋というところもあったっけ。
設備もよくて有料ではあるが個人用のテレビと冷蔵庫があるのだ。



驚いたのは各室にトイレと洗面台があることだった。
これなら患者が歩く距離は大幅に少なくて済む、患者にとっては大変なありがたいことである。

さらに患者用の食堂には電子レンジや給茶機も備えられている。



ベッドマットレスは堅めのデコボコのあるタイプで、ほとんど寝て過ごすことになる患者の床ずれを少なくためのようだ。

すでに2人の患者がいてわたしは3人目だ。
昔は病室の入り口に患者の名札を出してあったものだが出ていなかった、やはり個人情報の保護のためだろう。よいことと思うが別な意味で住みにくい世の中になったものだとも思う。

「今日は昼食が出ます、夕食も出ますよ」とのこと。
血圧や体重など量り腕に名前と生年月日の書かれたリストバンドを着けられた。これは濡れても大丈夫だし引っ張っても切れない丈夫なものだった。



次に執刀医から手術の説明があった。

左側だけでなく右も腫れているのだが、右側は痛みがない。
医師の説明だと左側の処置をして右側はヘルニアの状態をみて処置するかどうか決めるとのことだった。



いちどヘルニアになると再発しやすくなるものらしい、どうせなら一度の手術で済ませたいのがどうなるだろうか。

昼食は普通食だったが見ると「低残渣食」とプレートに書いてある、見た目は同じようでもうんちになりにくい工夫がしてある食事なのだろう。



夕食までの間に除毛をする。
看護婦さんがへそにオリーブオイルを垂らして綿棒を使い中まできれいにする。
へそとその下の両側の三か所に穴をあけるのだという。

いまのうちにシャワーをしてきてくださいと言われて浴室へと行ったが、痛みが強くて立っているのがつらいし、しゃがんだりもできない。
結局身体に石鹸をこすりつけてシャワーで流しただけで済ます。
ベッドに戻り横になると嘘のように痛みが引いていく、ヘルニアの腫れた部分も引っ込むのだ。
とにかく安静にして過ごす。
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鼠経ヘルニア手術体験記 その1

2017年03月15日 | 健康
2017年(H 29)2月

入院まで

それはまさに突然やってきた、そんな感じだった。
今年(2017年)2月の後半だった。
夜にシャワーをしているとき下腹部に異様な腫れがあることに気づいた。

それはヘソから下のほうで左足の付け根よりやや上の位置にあった。
大きさはうずらの玉子よりは大きめだが、ニワトリの玉子よりは小さくてポコンと飛び出しているように見えた。

ウォーキングには週に1度たまに週に2度出かけていて、その前の週には約20キロメートルほど歩いたのだった。
思えばそのウォーキングのときに確かに左足の根本付近に違和感があったのだが、それが鼠経ヘルニアの始まりだったのだろう。

そのときは膨らみに触ってもさほど痛みはなく「これはいったい何だろう? 自分では気が付かなかったが以前からあったのだろうか」などと思っていた。

翌日は天気が大荒れになり雪が25センチほど積もったので雪かきをしたのだが、これが症状を急激に悪化させることになったようだ。また灯油を運んだ時に力を入れたのも悪かった。
腹や腰に力を入れるとよくないのだ。
さらに少し便秘気味だったのでトイレで力んだのも悪くする要因になったと思う。

鼠経ヘルニアは脱腸とも言われていて、年齢が高くなると発症しやすくなるのだそうだ。
ようするに腸を抑えていたお腹周りの筋膜が弱くなってきて腸の一部がはみ出すということらしい。

インターネットで調べてみると症状からどうやら「鼠経ヘルニア」らしいということが分かった。
薬では治らず手術するしかないのだという。

昨年は痔の手術、左手のバネ指と小さな手術だが2回も手術している。
正直言って「ありゃぁ また手術かよ~」と憂鬱な気持ちになった。
歳をとってきて確かに身体はガタガタである。常に身体のどこかが痛いのだ。
「ああ、歳をとるということはこういうことなんだな」と自覚させられる毎日である。

翌日になると痛みが強くなってきた。
じっとしていても鈍痛というのか重苦しい痛みがある、立ちあがって10分ほどするとズキンと刺すような強い痛みが来るようになった。
どうやら症状が急激に悪化しているようだ。


鼠経ヘルニアは外科で診てもらうのが良いらしい。
そこで昨年指の手術をしてもらった盛岡市内の整形外科と行った。
受付を済ませると看護婦さんからの問診がある。

「鼠経ヘルニアのような症状が出ている」と話すと、「え? なにそれ」という返事。

話をしていて分かったのだがこちらの病院では鼠経ヘルニアは普段扱っていないようだ。
この看護婦さんは親切な方で「ちょっとまってて、心当たりがあるから」と手早く調べてくれた。
なんとインターネットで調べると盛岡市内に何軒か鼠経ヘルニア外来があるのだった。

普段ネットで検索しているくせにイザというときに基本的なことを忘れている自分がアホに思えてしまう。


手術をするなら痛みも傷口も小さいほうがよい。
内視鏡を使って行う「腹腔鏡下鼠径ヘルニア手術」を盛岡市立病院で行っているという。

内視鏡での手術は15年ほど前にバネ指の手術で経験している。
ほとんど傷跡が残らず痛みも少なかったと記憶しているので、手術はこの病院にお願いしようと決めた。





翌日、盛岡市立病院へと向かった。
まずは診察である。

まだ本人が鼠経ヘルニアではないか?と思っている状態なので医師の診察で「やや! これはヘルニアじゃないよ〇〇癌の可能性があるぞ」などど言われたらどうしようと少々緊張するのだった。
わたしはかなりの小心者なのである。


医師は問診票を見てから患部を触り「ああ、これは鼠経ヘルニアですよ」とあっさり30秒で診断が確定してしまった。
「手術しますか? それならあさって入院して翌日の手術でどうですか?」と聞いてくる。
横になっていれば患部は引っ込むのでよいのだが「まさか一生横になっての生活はできないでしょう」といわれる、まったくその通りで手術よりほかに道がないのだった。

もうこの時点では横になっているなら大丈夫だが、立ち上がったとたんに痛みが走るという状態だったので迷うことなく「はい、それでお願いします」と答えた。

内視鏡を使う手術で傷口は小さいし、全身麻酔なので痛みはまったく感じないのだという。
全身麻酔の経験はないのでちょっと不安だが他に選択肢はないのだから信頼して任せるほかないのだ。

看護婦さんから入院のための書類などを受け取り帰宅して、さっそくタオルや着替えの荷造りをした。
動けるうちに用意をしておかないと、痛みがさらに強くなってからでは準備ができなくなるかもしれないと気持ちが焦る。
一通り準備ができたところでさらに痛みが増してきた。

ああ、早めに病院へ行ってよかったと思いながらベッドに横になりじっとしていた。
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