JR北上線沿線を歩く旅 横川目駅―>岩沢駅 JR営業キロ3.8km 2020年9月20日
駅を出て国道107号線を西へと進んでいく。
突然バイクの集団が爆音を響かせて通り過ぎる。
ツーリングを楽しんでいる人たちだけど大きな排気音は迷惑だなあ。
北上線を跨ぐ高架橋から神社が見えた、その脇にも「石碑の団地」があった。
石羽根発電所の脇を通る。
おそらくダムの改修をしているのだろう。
そこから少し行くと「正岡子規文学碑」というのがあった。
道路から少し入ったところにあって公園になっている。
正岡子規は秋田からこの道を通り北上市へと旅をしたのだそうだ。
そういえば現在の北上市は以前は「黒沢尻」という名称だったけなあ。
1954年(昭和29年)に合併して北上市になったのだ。
和賀橋を渡る。右手に綱取断層が見えている。
岩沢駅へはここから左方向へと入っていく。
北上駅からここまで緩い上り坂だった。
疲れが出てきて足が重い。
岩沢駅まで600メートルの標識を見て「ふうっ」とため息をつく。
人も車も通っていない道をよろよろ進んでいく。
踏切を渡ると正面に「黄金の道・秀衡街道」の看板があった。
秋田の横手から続く道で平安時代からある歴史のある街道とのことだ。
やっと岩沢駅に到着だ。
この駅も地元のコミュニティ施設を兼ねているようで、駅はオマケに付けてあるかのようだ。
次の和賀仙人駅までは2.2キロほどで歩けない距離ではないのだが疲れたので今日はこの駅までとする。
さて、温泉のある駅として有名な「ほっとゆだ駅」まで行って疲れを癒そうか・・・と
時刻表を見ると、なんと17時5分まで列車が無いのだ。
温泉はあっさりと諦めて14時42分の北上行きに乗り帰宅することにする。
駅には「水澤鉱山展示室」が併設されている。
なんと寛永の時代から明治、昭和時代にかけて銅の採掘がおこなわれていたのだという。
1954年(昭和29年)に閉山となったが、その歴史を学べるミニミュージアムなのだ。
ベンチで足を伸ばして一休みしてからホームへ出ると北上行きの列車が静かに入ってきた。
北上駅で乗り換えて帰宅する。
駅を出て国道107号線を西へと進んでいく。
突然バイクの集団が爆音を響かせて通り過ぎる。
ツーリングを楽しんでいる人たちだけど大きな排気音は迷惑だなあ。
北上線を跨ぐ高架橋から神社が見えた、その脇にも「石碑の団地」があった。
石羽根発電所の脇を通る。
おそらくダムの改修をしているのだろう。
そこから少し行くと「正岡子規文学碑」というのがあった。
道路から少し入ったところにあって公園になっている。
正岡子規は秋田からこの道を通り北上市へと旅をしたのだそうだ。
そういえば現在の北上市は以前は「黒沢尻」という名称だったけなあ。
1954年(昭和29年)に合併して北上市になったのだ。
和賀橋を渡る。右手に綱取断層が見えている。
岩沢駅へはここから左方向へと入っていく。
北上駅からここまで緩い上り坂だった。
疲れが出てきて足が重い。
岩沢駅まで600メートルの標識を見て「ふうっ」とため息をつく。
人も車も通っていない道をよろよろ進んでいく。
踏切を渡ると正面に「黄金の道・秀衡街道」の看板があった。
秋田の横手から続く道で平安時代からある歴史のある街道とのことだ。
やっと岩沢駅に到着だ。
この駅も地元のコミュニティ施設を兼ねているようで、駅はオマケに付けてあるかのようだ。
次の和賀仙人駅までは2.2キロほどで歩けない距離ではないのだが疲れたので今日はこの駅までとする。
さて、温泉のある駅として有名な「ほっとゆだ駅」まで行って疲れを癒そうか・・・と
時刻表を見ると、なんと17時5分まで列車が無いのだ。
温泉はあっさりと諦めて14時42分の北上行きに乗り帰宅することにする。
駅には「水澤鉱山展示室」が併設されている。
なんと寛永の時代から明治、昭和時代にかけて銅の採掘がおこなわれていたのだという。
1954年(昭和29年)に閉山となったが、その歴史を学べるミニミュージアムなのだ。
ベンチで足を伸ばして一休みしてからホームへ出ると北上行きの列車が静かに入ってきた。
北上駅で乗り換えて帰宅する。