2024年5月 JR大船渡線沿線を歩く旅。(10)
2024年(R6)5月19日(日)
摺沢駅 ―> 千厩駅 9.2JR営業キロ
摺沢駅を後にして町中を歩いてあるいていくのだが、、、だーれもいない。
しばらく行くと立ち話をしている2人のお婆さんがいたので無人の町ではないようだ(笑)
岩手県の昨年の出生率は1.16で6年連続で低下し過去最低なのだそうだ。
地方だけでなく大都会でさえも人口の減少という状態で、あの国の将軍様は「ほおっておいても近いうちに日本は消滅するであろう」と言っているとかいないとか。
笑い話では済まないのだ。
若い世代が未来に希望を見いだせなくなってきているということが一番の問題だろう。
政府は高齢者の定義を見直し「70歳以上を高齢者とする」と決めたとの報道があった。
「自分たちは70歳まで働かされるんだろうな、、、」と思ったら、結婚なんかしないで今を楽しく生きれればいいやと考えてしまうのかな。
実際のところ高齢者の定義を75歳にするというのも議論されているそうだ。
いや、もしかしたらこのままだと近い将来政府が「高齢者の定義を90歳以上に引き上げます」「年金は100歳から受け取れるようにします」と言いかねないなと考えているかもしれない。
わたしの現在の姿は、今の若い世代の30年後、40年後の姿だ。
なんとかギリギリ生活できているという、そんな未来が待っているとしたら結婚なんて、、、、、、
ここで盛岡市から103Km。やはり岩手県は広いなあ。
街道沿いということもあり歴史をしのばせる建物も残っている。
国道456号線を東へと歩いていく。
またも坂道が延々と続くのだった。
緩い坂道は自動車ならどうってことはないのだが歩く身にはとてもつらい。
途中の踏切の向こうに集会所のような建物が見えた。
看板を見ると「松原自警団屯所」とある。
へぇ~ 自警団か。
もしかしたら銃や刀で武装しているのかな。
「ここを通るには通行手形が必要であるぞ!」とか、、、まさかね。
消防団などでも使っている「屯所」という言葉はいかにも古い時代のものだと思わせてくれるなあ。
とは言え他に適当な言葉は見当たらないし。
途中の千厩川の近くには「サケの放流地点」の看板が立っていた。
わたしの田舎町でもサケの養殖、放流をしていて小さな小屋があったけな。
と、どうしても古い子供のころに記憶がよみがえってくる。
やっと坂を上り切り千厩町へと入っていく。
町名の由来が厩の数が千もあったということらしい。
名馬の産地岩手、南部の地にふさわしい町名ではないだろうか。
時刻は12時を回ったところだ、お腹がすいてきたのでこのあたりで食堂を探そう。
中華料理店があったので味噌ラーメンで昼食だ。
わたしが食べていると家族連れがやってきた。
近所の人たちだろう子供連れなので一気ににぎやかになる。
駅とは反対方向だがちょっと千厩町の町内を見ていこう。
やはりといってよいのか、日曜日だからなのか人の姿もなければ車も通らない。
地方の田舎町はどこへ行ってもこんな状態だな。
町中に彌榮神社があってその前に大きな岩がある。
東洋一の奇岩、夫婦石とのこと。
たしかに大きいのだが東洋一とはチト大げさなような気がするな。
昭和の時代はどんな小さな町にもあった写真館と電気店。
東芝、ナショナル(現パナソニック)、三洋電機、日立、三菱などなど世界をリードしてきた日本の電機産業はいまでは見る影もない。
企業の寿命は40年と言われていたっけなあ。栄枯盛衰とはよく言ったものだ。
さて千厩駅へと行こう。
この駅前もずいぶんと広いな。
きっとバスが何台も停まっていて賑わっていたのだろう。
その千厩駅もいまでは無人駅だ。
ピカチュウが迎えてくれる待合室もがらーんとしていてさみしい限り。
2024年(R6)5月19日(日)
摺沢駅 ―> 千厩駅 9.2JR営業キロ
摺沢駅を後にして町中を歩いてあるいていくのだが、、、だーれもいない。
しばらく行くと立ち話をしている2人のお婆さんがいたので無人の町ではないようだ(笑)
岩手県の昨年の出生率は1.16で6年連続で低下し過去最低なのだそうだ。
地方だけでなく大都会でさえも人口の減少という状態で、あの国の将軍様は「ほおっておいても近いうちに日本は消滅するであろう」と言っているとかいないとか。
笑い話では済まないのだ。
若い世代が未来に希望を見いだせなくなってきているということが一番の問題だろう。
政府は高齢者の定義を見直し「70歳以上を高齢者とする」と決めたとの報道があった。
「自分たちは70歳まで働かされるんだろうな、、、」と思ったら、結婚なんかしないで今を楽しく生きれればいいやと考えてしまうのかな。
実際のところ高齢者の定義を75歳にするというのも議論されているそうだ。
いや、もしかしたらこのままだと近い将来政府が「高齢者の定義を90歳以上に引き上げます」「年金は100歳から受け取れるようにします」と言いかねないなと考えているかもしれない。
わたしの現在の姿は、今の若い世代の30年後、40年後の姿だ。
なんとかギリギリ生活できているという、そんな未来が待っているとしたら結婚なんて、、、、、、
ここで盛岡市から103Km。やはり岩手県は広いなあ。
街道沿いということもあり歴史をしのばせる建物も残っている。
国道456号線を東へと歩いていく。
またも坂道が延々と続くのだった。
緩い坂道は自動車ならどうってことはないのだが歩く身にはとてもつらい。
途中の踏切の向こうに集会所のような建物が見えた。
看板を見ると「松原自警団屯所」とある。
へぇ~ 自警団か。
もしかしたら銃や刀で武装しているのかな。
「ここを通るには通行手形が必要であるぞ!」とか、、、まさかね。
消防団などでも使っている「屯所」という言葉はいかにも古い時代のものだと思わせてくれるなあ。
とは言え他に適当な言葉は見当たらないし。
途中の千厩川の近くには「サケの放流地点」の看板が立っていた。
わたしの田舎町でもサケの養殖、放流をしていて小さな小屋があったけな。
と、どうしても古い子供のころに記憶がよみがえってくる。
やっと坂を上り切り千厩町へと入っていく。
町名の由来が厩の数が千もあったということらしい。
名馬の産地岩手、南部の地にふさわしい町名ではないだろうか。
時刻は12時を回ったところだ、お腹がすいてきたのでこのあたりで食堂を探そう。
中華料理店があったので味噌ラーメンで昼食だ。
わたしが食べていると家族連れがやってきた。
近所の人たちだろう子供連れなので一気ににぎやかになる。
駅とは反対方向だがちょっと千厩町の町内を見ていこう。
やはりといってよいのか、日曜日だからなのか人の姿もなければ車も通らない。
地方の田舎町はどこへ行ってもこんな状態だな。
町中に彌榮神社があってその前に大きな岩がある。
東洋一の奇岩、夫婦石とのこと。
たしかに大きいのだが東洋一とはチト大げさなような気がするな。
昭和の時代はどんな小さな町にもあった写真館と電気店。
東芝、ナショナル(現パナソニック)、三洋電機、日立、三菱などなど世界をリードしてきた日本の電機産業はいまでは見る影もない。
企業の寿命は40年と言われていたっけなあ。栄枯盛衰とはよく言ったものだ。
さて千厩駅へと行こう。
この駅前もずいぶんと広いな。
きっとバスが何台も停まっていて賑わっていたのだろう。
その千厩駅もいまでは無人駅だ。
ピカチュウが迎えてくれる待合室もがらーんとしていてさみしい限り。