標語は、北海道の行政機関に貼られているものである。この標語に関して、学者や評論家は「新型コロナ禍」で時代は変わると言っているので、社会は変わるだろう。そして、仕事や生活のスタイルも変えるだろう。それは、未来を志向しているからである。
この変わるということであるが、知人からのメールに「民間に出て感じたことは、危機感の違いにあった」と書かれていた。ということは、行政機関にいた時は、あまり危機感を感じていなかったということだろう。
だが、コロナ対策で膨らんだ国家予算に伴う国債残高などを見ると、危機感を感じてデフォルトが心配になる。しかも、この国債を利用した公的年金運用が1~3月期の赤字が、17兆円と過去最大になったそうである。
100年に一度と言われる「新型コロナ禍」で、日本のみならず世界中が混乱しているので、行政機関の職員も危機感を持って職務を行なっているだろう。
一方、友人のメールによると日本の新型コロナの感染者数は、第二波のピークに向かって増えているが、何時になったらピークを迎えるのか分からない。それは、グラフが明らかにするだろうが、現在のところではピークは見えていない。
【日本の感染者数のグラフ】
「十勝の活性化を考える会」会長
注) 未来
未来とは、
- これから来る時。「将来」。
- 仏教用語。三世のひとつ。未来世。死後の世。来世。後世。
- 文法用語。西欧語などの文法における、時制のひとつ。過去、現在、未来という3時制のひとつで、これから実現することを表現するための語法。
未来(みらい)は、時間の中で現在の後に来るものである。時間や物理法則が存在する限り未来の到来は避けられないものとされる。実在の明らかな性質および未来の不可避性により、現在存在し将来も存在することになるものは永続的なものと一時的な物の二つに分類される。永遠という概念と未来とは哲学・宗教・科学の主要な主題であり続けてきたし、これらを議論の余地なく定義づけることは精神的に最も偉大な人々にもできないでいる。時間を直線的なものとみなす西洋文明においては未来とは一方向に伸びていく時間のうち起こることが予期される部分である。特殊相対性理論においては未来は絶対的未来、つまり未来光円錐だとされる。
時間の哲学において現在主義という立場が存在するがこれは現在だけが存在し過去や未来は存在しないとするものである。宗教ではカルマ、来世、終末論といった問題を扱う際に未来に関する考察がなされる。予言者や占い師といった宗教家は未来を見通せると主張する。未来を予知予測するための体系的な研究は先人たちの天体観測から起こってきた。
未来学とは未来に起こりそうなことを想定する学問・技術・実践である。現代の未来学者は画一的な未来よりも代替的・多元的な未来を強調し、ありうる好ましい未来の創造に対して予想や可能性の限界を強調する。
(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)