秋田県男鹿半島の砂防林と襟裳岬の緑化プロジェクトの紹介。この二つの緑化プロジェクトは脚注のとおりであるが、20年前、このプロジェクトをテレビ放映で知った。
いま、新型コロナ禍で日本中が大変なことになっているが、国土の緑化プロジェクトのことも忘れないでほしい。緑化は、地球温暖化を食い止めることにつながるので重要である。
秋田県男鹿半島や襟裳岬にも訪れたことがある。とても綺麗であったのは、このようなプロジェクトが実ったからであろう。一度、林を失うとそれを再生させるのには、少なくとも10年はかかると言われるので、緑を大切にしよう。
黄砂が偏西風で日本にやってきて日本をきたなくするが、中国と比べてわが国は緑が多く綺麗な国であると思う。
なお「襟裳岬」は、歌手 森進一が歌ってレコード大賞を取ったのは、46年前の1974年である。襟裳岬のあるえりも町の人々は、「襟裳の春は何もない春です」という歌詞に一時反感を持ったが、襟裳の知名度アップに貢献したということで、後でえりも町から森進一に感謝状が贈られたそうだ。
なお余談だが、「襟裳岬」は好きな歌のひとつで、特に最後の“寒い友だちが訪ねて来たよ 遠慮はいらないから 暖まってゆきなよ”の部分が大好きで、若い時、カラオケなどでよく歌った。
「十勝の活性化を考える会」会長
注1) 秋田県の緑化プロジェクト
栗田定之丞は、文化・文政期(1804-1830)に、海岸沿いの田畑や村を飛砂から守る海岸砂防林を完成させた人物である。
栗田以前に、能代の町人越後屋太郎右衛門(船問屋)や越後屋久右衛門(商人・肝煎)が正徳3年(1713)から子孫の代までに30万本の松を植え、町を飛砂の害から救っている。こうした先人たちの努力によって、今日では幅1km、長さ14km、クロマツ700万本という日本最大級の松原となった。現在では、「風の松原」と呼ばれ日本五大松原の一つに数えられ、さらに「21世紀に残したい日本の自然100選」など5つの自然100選に選ばれている。
(出典:特定非営利活動法人グリーン・ツーリズム推進協議会 ホームページより)
注2) 襟裳岬の緑化プロジェクト
死んだ大地に、ゼロから木を植え、森を作る。半世紀にわたって繰り広げられた、世界でも例のない壮大なプロジェクトがある。北海道襟裳岬の、200ヘクタールに及ぶ砂漠緑化プロジェクトは、襟裳の人々にとって、かけがえのない故郷を蘇らせる闘いでもあった。昭和28年、えりも岬の人々は困窮を極めていた。町の広大な砂漠の砂が海に流出し、生活の糧昆布を死滅させようとしていた。番組では、昆布漁師の飯田さんの家族の半世紀にわたる物語を軸に、壮大な自然の再生のドラマを、再現映像と写真を多用して描く。
(出典:NHKアーカイブスHPより)