別冊宝島の本に書かれていた(まだ見ぬ「アイヌ」へ)は、次のとおりである。
『一九九三年は「国際先住民年」である。この六月にジュネーブで開かれた国連の世界人権会議は、今後十年間を「世界の先住民の十年」とする勧告を決めた。カナダのイヌイット、オーストラリアのアボリジニ、フィンランドのサーミ、そして日本のアイヌ・・・・・・今後も「先住民族」は注目されていくだろう。
しかし、視点を国内に向けると、「国連」の「先住民族問題」によって喚起された問題意識で捉えていては、見えてこないものがたくさんある。たとえば同じ内容のことを話題にしても、それが国内の問題となると途端にトーンが変わる。とにかく歯切れが悪い。
それは「北方領土」や「アイヌ新法」に対する政府の答弁などというレベルに限らない。常にアイヌと接している「和人」、あるいはアイヌ自身が言っている。
「それはシャモが言うべきことじゃないよ」、「まだ、アイヌ自身がそれを言うべき時期ではありません」、「アイヌ自身が言い出すのを待つしかないよ」
奥歯にモノが挟まったままなのだ。いったい何をそんなにはばかる必要があるのだろうか? いったいこれは何なのだろう?
アイヌをアイヌ民族たらしめる価値観は、日本古来の、もしくは現在の日本社会の持つ価値観とも異なるものだ。
アイヌプリ—彼らなりのやり方ともいうべき流儀、考え方がある。それを理解できないと「アイヌ」の文化というものはわからない。
とはいえ、アイヌ独自の価値体系が、彼らアイヌのすべてを律しているわけでもない。なぜなら彼らも日本人であるからだ。そう、問題を複雑にしているのは、彼らが、「日本人」であることだ。
われわれ“日本人”がアイヌについて考えるとき、単なる国籍上の一致でしかないこのことが、多くのことを見失わせてしまっている。
しかし、少なくても日本人である「私」が意識したことのない歴史を常に意識し続けている人びとがこの日本に確かに存在している。「私」と異なった価値体系を意識している人たちがいる、
そういう価値観や歴史に基づく異質の文化の存在と、それを背負っている人びとの存在は、間違いのない事実なのだ。
では、アイヌにとって「アイヌ」とは何なのか。アイヌであれば「アイヌ」について説明できるのであろうか。
“日本人”であるわれわれが日本人について説明するのが難しいと同じように、自分がアイヌであると確信することと、「アイヌ」について説明するということはまた別だ。
アイヌ自身が「アイヌ」であることを独占しているうちは、アイヌのことを知られるようにはならない。もちろん、いいかげんなことが数多く流布しているから、それに対する自己防衛だともいえる。
「そういってシャモが何度アイヌを騙してきたか知ってるか」。 そんな声が聞こえてくる。もちろん、過去を清算することはたやすいことではない。“シャモ”が、一升瓶から革命のビラまで手を替え品を替え、アイヌを欺き続けた記憶は風化していない。
しかし、だからといって、「シャモ対アイヌ」といった図式からは見えてこないものがある。実はひとりひとりのアイヌが、「自分」のことを語る、あるいはアイヌに関わる和人が自分が関わるアイヌのことを語る、もしくはアイヌと関わるアイヌを語る・・・・・・、そうした積み重ねのなかにしか「アイヌ」は見えてこない。
たとえば、ひとりのフチに語ってもらえることは無数にある。ユカラ、ウポポ、チカルカンペ、の作り方、その文様の意味、子どもの頃の暮らし、父のこと、母のこと、「学校」のこと、働いたこと、結婚のこと、娘のこと・・・・・・・。過去のことばかりでない、今なにを考えているのか、これからどうしたいのか・・・・・・、彼女にとって和人とは、アイヌ新法とは・・・・・。
こうした言葉の上に、現在の「アイヌ」はある。多くの人間がアイヌについて語ること、それが「アイヌ」の姿を明確にするのだ。
「アイヌ」について考えること、それはアイヌにとっては自己の歴史、自己の文化を自ら捉え直すことであり、“日本人”にとっては、自己の歴史に欠けていた部分、異質な部分を認めることなのだ。そのとき「アイヌ」はあなたの前にいる。(別冊宝島編集部)』
この本を読んで、日本・韓国両政府による解決済みの「慰安婦問題」を思い出した。思い出した理由は、戦争や同化政策など、過去の過ちを二度と繰り返してはならないということである。
「十勝の活性化を考える会」会長