令和2年6月19日、NHKラジオ「あさビス」で、評論家 寺島実郎氏が「コロナ禍」に関連して、専門性の誤謬と数字の独り歩きについて、次のように語っていた。
「前回の5月6日の放送の時は、新型コロナウイルス禍で日本は何もしなければ、42万人の死亡者が出る可能性があると言ったところ、大きな効果があり外出自粛につながった。
現在、死亡者数は千人にも満たない少ない数で、1918年から発生したスペイン風邪では、日本の死亡者数は45万人にも達したと言われている。
今回、死亡者が少ない理由は、①国民皆保険、②中流階級が多いことなどが原因でないかと思う。アメリカやインドなどで多くの人が死亡しているのは、無保険者、貧困、医療崩壊などが原因である。
また、新型コロナウイルスとスペイン風邪の大きな違いは、今回、原因が短期間で特定できたことである。そして、ウイルスは変異しながら耐性を身に着けるので、共生していくことが大切である」と語っていた。
このラジオを聞いて、次のように思った。日本の新型コロナウイルスによる死亡者が少ないのは、国民皆保険によるところが大きいのではないだろうか。
そして、道路・病院・学校などの社会資本が充実している国は、日本が一番ではないだろうか。それほど多くの外国に行く機会はなかったが、そのように思う。
海外旅行の経験から言えることは、まだ使える公共建物を人口減少などで必要なくなり壊してしまう国は、少ないと思う。
戦後、立派な公共建物を作れたのは、国の財政が豊かだったからだと思うが、現在の国債残高を考えると、今後は厳しくならざるを得ない。
確かに、トンネル事故、上水道管の破裂による道路陥没事故などがあるが、外国では、同じような事故が多発している。
社会資本の充実は、一朝一夕で出来るものではなく過去の積み重ねなので、国が豊かになるためには人口増が前提だと思うが、その前に「新型コロナウイルス」の治療薬の開発である。
「十勝の活性化を考える会」会長
注) 誤謬
論理学における誤謬は、論証の過程に論理的または形式的な明らかな瑕疵があり、その論証が全体として妥当でないこと。つまり、間違っていること。論証において、誤謬には「形式的」なものと「非形式的」なものがある。
誤謬は、対話者の感情や知性や心理的弱さにつけこむ。論理的誤謬をよく知ることで、そのような状況に陥る可能性が減るのである。誤謬は相手に影響を与えたり信念を変えさせたりすることを目的としてコミュニケーションの技法として利用されることが多い(詭弁)。
[形式的誤謬]
論理学において、「形式的誤謬」 あるいは「論理的誤謬」 とは、推論パターンが常にまたはほとんどの場合に間違っているものをいう。これは論証の構造そのものに瑕疵があるために、論証全体として妥当性がなくなることを意味する。
一方、非形式的誤謬は形式的には妥当だが、前提が偽であるために全体として偽となるものをいう。
誤謬という用語は、問題が形式にあるか否かに拘らず、問題のある論証全般を意味することが多い。
(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)