日本製紙(株)釧路工場の製紙事業が、来年の夏で停止されることが決まり、釧路市に激震が走っている。釧路工場は、1920年(大正9年)の創業から100年間、石炭、水産と共に釧路市の「三大基幹産業」を担ってきた。
関連会社を含む従業員約500人の大半が配置転換される見通しで、地域経済への打撃は避けられず、関連会社とその家族を含めれば2,000人弱に影響が出る模様である。
製紙業と共に釧路を支えてきた基幹産業である石炭と水産業には、かつての勢いはすでにない。1991年まで13年間、水揚げ量で連続日本一を誇った釧路は、操業区域がどんどんと狭められ、最盛期の8分の1まで激減し不漁にあえいでいる。
石炭業にしても2002年に太平洋炭鉱が閉山し、約1,500人が解雇されている。このような企業城下町は釧路市に限ったことではなく、北海道では室蘭市も同じ運命を辿っている。
かつて室蘭市は人口18万人以上を有し、人口密度も北海道内で最も高かったが、基幹産業ともいうべき日本製鉄や日本製鋼所等の大規模な合理化、札幌圏の一極集中などに押されて、人口は8万人を割らんとしている。
また“石炭のまち”であった夕張市の人口は、ピーク時に11万人もいたが、現在では1/14の8千人を割っている。なお鈴木直道北海道知事は、東京都から夕張市に出向し、財政再建に尽力した前夕張市長であった。
ところで、ウポポイ(民族共生象徴空間)で有名になった白老町にも、従業員約600人の“日本製紙白老工場”があるが、こちらは今も操業している。
私の知っている限りでは、岐阜県美濃加茂市もかつて従業員が2,400人いたソニー(株)美濃加茂工場があったが、2013年に閉鎖されている。このように地域を支えていた工場閉鎖などが、全国各地で相次いでいる。
かつて、“世界の工場”と言われた中国でも、安い人件費を求めてベトナムやタイへの工場移転が始まっており、経済のグルーバル化は、新天地を求めて世界中を駆け回っている。
「十勝の活性化を考える会」会長
注) 企業城下町
企業城下町とは、ひとつの自治体において特定の一社の企業の事業所や工場、関連会社の工場や下請け子会社などが産業の大部分を占め、その企業によって住民が主たる労働機会を与えられることで、その企業の盛衰が都市の盛衰に直結するような都市を指す言葉。企業と自治体の関係を城(とその領主)と城下町の関係に例えた語である。一般的な俗語と思われがちだが、経済学や地理学でも一般に用いられる学術的な専門用語でもある。
日本では高度経済成長期には鉄鋼、造船、化学など重化学工業の発展が著しくなった。しかしながら過密化した都市部ではすでに敷地の確保が困難であり、加えて地価の高騰、または公害問題の顕在化による様々な規制などによって、新たな工場立地が困難となっていた。その一方で地方では莫大な固定資産税確保をにらんで企業や工場の誘致活動を起こした。その結果、企業と自治体の思惑が一致し、全国に大工場を持つ地方工業都市が多数誕生することになった。
一方、1970年代に入って炭鉱都市、1980年代には造船や鉄鋼業などが斜陽産業となると、当該都市の衰退は顕著になった。
またグローバル資本主義以降は、製造拠点などを海外移転する企業が増え、空洞化する企業城下町が増えたため、一企業と命運を供にするような一都市の衰退が研究者らの格好の研究材料となった。
(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)