令和2年12月8日、NHKラジオ「朝イチ真剣勝負!」で、言論NPO代表の工藤泰志氏が、“日中両国の関係を読み解く”と題して語っていた。
言論NPOは、今年で設立から12年目。日本の主要課題に対して建設的な議論や対案を提案できる言論の機会をつくろうと、日中の有識者100人により年に1回のフォーラムを開催している。同代表の工藤泰志氏が、数多くの有識者たちとの議論を通じて感じた課題に切り込み、民主主義の実現をめざしている。
同氏の言葉で印象に残っていることがある。それは中国では、新型コロナ禍に絡んで、個人のプライバシーの前に“生存権”を大切にしているようである。一方、日本では自由を重んじるから、生存権と共に“人権”も大切にしている。
その違いが中国では、「新型コロナ禍」を早く終息したように見受けられ、日本では長引いている理由なのかもしれない。すなわち、この違いは自由主義と共産主義という体制の違いのようにも思える。
日本でも憲法で生存権が決められているが、現在のような非常事態においては、国家が優先するか、個人が優先するのかを掘り下げて考えてみたい。このことは、新型コロナ禍において「生存権」を優先するか、「経済」を優先するかに少し似ているようにも思える。なお、命を大切にすることには、両国の違いはない。
「十勝の活性化を考える会」会長
注) 生存権
日本国憲法 第25条は、日本国憲法の第3章にある条文で、社会権のひとつである生存権と、国の社会的使命について規定している。
条文
第二十五条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
日本国憲法制定当時の憲法学説はドイツのゲオルグ・イェリネックの公権論の影響を受けて、憲法25条で保障する権利について「受益権」や「国務要求権」として分類していた。しかし、その後、学説では、憲法25条から憲法28条までの権利を「社会権」などの表現で一括して捉え、伝統的な自由権と区別するとともに他方で受益権や国務請求権とも区別されるようになった。
性格
日本国憲法第25条は、二つの条項により二重に国民に対する国家責任を明示している特殊な条文であるが、その出自を以下に記載する。
第1項は、旧日本社会党議員であった経済学者の森戸辰男・鈴木義男らが、ドイツ帝国のワイマール憲法第151条第1項を参考に起案した。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が下書きした日本国憲法第25条には『健康で文化的な最低限度の生活』という文言は無い。この趣旨の文言を、憲法改正草案として初めて盛り込んだのは、第二次世界大戦後すぐに立ち上がった民間団体「憲法研究会」だった。1945年(昭和20年)12月に公表した「憲法草案要綱」に、こう書かれた。
一、国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス
第2項は、GHQ民生局行政部所属C.F.サムス准将が、マッカーサーの命により起案した。1919年8月11日制定のワイマール憲法第151条第1項の内容は、以下の通りである。
第151条(経済生活の秩序、経済的自由)
経済生活の秩序は、すべての人に、人たるに値する生存を保障することを目指す正義の諸原則に適合するものでなければならない。各人の経済的自由は、この限界内においてこれを確保するものとする。
憲法25条の法的性格
憲法第25条の法的性格について、従来の学説には、プログラム規定説、抽象的権利説、具体的権利説がみられる。
憲法第25条の法的性格について、プログラム規定説、抽象的権利説、具体的権利説という従来の学説の分類はもはや維持できなくなってきているとされ、いかなる訴訟類型にいかなる違憲審査基準を適用して、裁判規範性を認めるかという議論の必要性が論じられている。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)
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