令和2年11月28日、NHKEテレ特集「没後50年、転生する三島由紀夫」を放映していた。
作家の三島由紀夫は1970年(昭和45)、東京都市ヶ谷駐屯地の自衛隊総監部で、早稲田大学生 森田必勝と共に割腹自殺した。彼は、自衛官たちに向かって白い手袋の拳を振り上げ、絶叫しながら演説を始めた。日本を守るために健軍の本義に立ち返れという、憲法改正の決起を促す演説をして、辞世の句を残して死んだ。
(“三島事件”)
“金閣寺”、“憂国”、“豊饒の海”など数々の小説を書き、ノーベル文学賞の候補者だっただけに、世界中に震撼が走ったことを、当時二十歳の私はよく覚えている。三島由紀夫の小説を読んで感じるのだが、彼は“死”というものをいつも意識していたが、この番組を見て自殺理由が少し分かったように思った。
番組の中でも言っていたが、それは文学と行動の一致、そして“輪廻転生”である。輪廻転生とは、死んであの世にもどった霊魂が、また生まれ変わってくることをいう。
仏教の教えでは、六道(天界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界)という衆生が善悪の業によって六つの迷界に生まれ変わりながら生きていくとされ、“豊饒の海”はまさに、そのようなことがテーマになっている。
三年前、「日本人の死生観を考える」という講演を聞きに行ったが、その理由は、61歳の時に脳出血で倒れて生死をさまよったからである。東洋と西洋では死生観が異なり、宗教によっても異なるが、人生には前世、現生、後世があって、人生は善悪の業によって輪廻するそうである。
なお、“知行合一”とは、知識と行為が一体であるということで、 本当の知というものは、実践を伴わなければならないということである。そのような意味で、作家 三島由紀夫は、知行合一の人であったと思う。
「十勝の活性化を考える会」会長
注) 三島事件
バルコニーで演説する三島由紀夫 |
三島事件とは、1970年(昭和45年)11月25日に、作家・三島由紀夫が、憲法改正のため自衛隊の決起を呼びかけた後に、割腹自殺をした事件である。三島が隊長を務める「楯の会」のメンバーも事件に参加したことから、その団体の名前をとって楯の会事件とも呼ばれる。
この事件は日本社会に大きな衝撃をもたらしただけではなく、日本国外でも速報ニュースとなり、国際的な名声を持つ作家の起こした異例な行動に一様に驚きを示した。
(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)