★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

苦労は誇り?

2015-08-11 | 日記


「私、苦労している」と言いたがる人は結構多い。

どうしてだろう?・・・と、いつも思う。


あなたより苦労している人は五万といる。

あなたが思う苦労は聞いている人からしたら
たいしたこと無いことかもしれない・・・

多くの人は内容には違いがあっても、それぞれのレベルの中で
それなりに「苦労」や「苦戦」をしてきている場合が多い。

全く苦労のくの字も知らない人は幸運だ。

どこからを苦労と定めるのかなんて規定も無いわけで
苦労と思うから苦労になる場合もある。
逆に、人から「大変ね」と思われていても当の本人は全く
大変だ何て思っていない場合もある。

だから、「大変」「苦労」も人によって色々だ。


ましてや、外見で苦労したかのほほんと生きてきているかなんて
何も分かりはしないので、外見で何かを判断するのは
全くのナンセンス。
外見で人を判断する人ほど、外見から何も正確なものを
読み取ることが出来ない人が多いのも事実。

多少なりとも読み取ることが出来る人ならば
何もアピールされなくても気づくこと。

今までの人生に何が起こったかなんていうことより
今ある自分自身のほうが大事だ。

何が起こっていようが、自分の実になっていないものなら
ただの起こった出来事なだけ。
それでどうしたか?の方が本人にとって
必要なことではないでしょうか?


私は真剣に生きていれば、みんな「苦労」と自分自身が思うことが
それぞれ起きていると思うのです。
そして変化してきていると思うのです。

私はあまり「苦労」と思うこともなく
「出来事」として受け止めてしまうことが多い気がします。

ましてや、苦労話比べなんて出来るわけも無く
本人がどう感じ、どう受け止めるかによって変わるものなので
とてもあいまいです。

それよりも、未来が素敵になる話を振りまいたほうが
うんと楽しいし建設的ではないでしょうか?

コメント
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