今日を最善の日に・・・
そう思っても、
人は一人で生きていないわけで
関係する人によって
最悪な気分にもさせられたりする。
最善って、
そんな中でも感じられるものなのかな?
まだまだ私はちっぽけな器なので
自分自身の心や感情を
やっとこさっとこコントロールしているのに
何でもかんでも受け入れるほど
大きな器をもっていない。
強く見える人
迷いがなさそうに見える人
しっかりして見える人
そういった人たちだって、
みんな迷いながら頑張って生きてるんだ。
みんな同じように弱くて、みんな必死で
根っから強い人なんていない。
それが嫌だから、自分自身で変えることに
努力する選択をしているだけ。
鬱にだってなることがあっても
そのまま何もしなければ生活もできないし
かといって、死ぬ勇気もないのだから
生きるために動かなくてはいかなくなる。
物質、精神の両方、もしくはどちらかでも
どん底になっても生きていくのなら
立ち上がるしかないときもある。
それが、今まで通りでもなければ
理想通りでなくても・・・
弱いを言い訳に、同じままでいられるのは
そうしていられる状況なのだと思う。
弱さを武器にいつも都合よく
人生に甘えようとしている人は避けたいし
関わりたくない。
どんなにチャンスがあろうが
自分が甘えたままでいられる理由を作って
全部自分が望むものでなければ
動かないしやろうとしないというのに
それに協力しようと思えない。
彼らは人の優しさを嗅ぎわける。
それぞれが、一人の人格であって
結局は自分で人生を選択し作っていくしかない。
他人が選択し人生を作り続けるわけではなく
ある程度の年齢になれば
みんな自分で選択したがるものです。
好きなものをスタートするのは自分で選択し
自分が嫌なものは周りのせいや
誰かに頼ることばかりでは変わらない。
自分自身で改善するための選択を多少は
望まないものでも受け入れ変える努力をしなければ
結局、根本は何も変わらないのではないかと思う。
強いから大丈夫な人なんて何処にもいない。
弱さを武器にできるほうが
よほど器用で強いのだと感じることがよくある。
事あるごとに思い通りにならない人生から
逃げ続けることも提供し続けることも
どちらも、その場しのぎの誤魔化しにしか
ならないような気がしてしまうのは冷たいのだろうか?