戦後、日本を復興し始め核家族化が進み
今や別世代一緒に住むことも少なくなった。
私は祖父母がいなかったこともあり
お年寄りへの接し方が少し苦手だった。
でも今、両親も歳をとり、自分も何度か怪我をした経験から
身体が思うように動かない状態の理解ができるようになってきた。
たまに田舎に行って祖父母に大事にされたとしても
老いて生活が不自由になっている状態を共に過ごす時間は無くなってきている。
本来人は与えられ、与える側へと役割を受け継ぎ
それを家族として集団生活の中での
教えや道徳、思いやりを学んでいくことができた。
けれど、現代では元気な時は手伝ってもらったり援助してもらい
老いて手がかかるようになったら、極力近寄らずホームに入れたりしてしまう。
子供が親の態度や考え方を見て、また受け継ぐけれど
誰も自分が同じようになるとは考えていないのだろう。
自分の老後はもっと子供が頻繁に来てくれ
もしかしたら世話も焼いてくれると思っていたりする。
でも自分が見せた背中はしっかり子供も見て、それを当然とするかもしれない。
最近、私が思うのは
人間が生まれ老い、死ぬことを
人々はもっと目の当たりにするべきだということだ。
子供も当然のこととして人は老い、できないことも増えていくことを知ることで
必要な人への手を差し伸べる思いやりを身につけられる。
また、自分もいつか老いると言うことが認識できる。
他人事ではなく誰もが老い、自分も含め一人ではできないが増え
手伝いや人の世話を必要とする時が来るとわかる。
それは生まれ、死に向かう私たちが過ごす時間の経過を表している。
いい時しか知りたくない、見たくないと避けても
自分も必ず通る道だ。
当たり前のように見てきた方が人生への向かい方も変わるのではないかと思う。