この10、15年くらいだろうか?
一般的にビデオをとって見て学ぶようなことが増え
今では何でも動画を通して学べる。
何かを調べ、文から理解するということも
少なくなっているのではないだろうか?
仕事も趣味も「見て学べ」と言う場は
今ではほとんどないかもしれない。
私も仕事で見て学ぶと言う状態だったのが
とにかく細かく丁寧に説明して教えるような流れになった。
あまりおしゃべりが上手じゃない人は
どんどん霞んでいくような時代になり
仕事はそこそこでも細かく喋れる人の需要が増えた。
それに従い受けても、
その瞬間をしっかり集中して
行う、見る、学ぶと言うような姿勢や意識は
ずいぶん減ってしまったように思う。
ある時、私が教えると言う機会があった時
そこにいた人たちの態度には驚くものがあった。
全く気持ちはそこにはなく、聞く気もないのだ。
動画を撮って、気の向いた時に見ればいいくらいに思っている。
動画を撮ることに意識が向くので
自分の目でしっかり瞬間を見ることはおざなりだ。
それこそ、どんなこともそうだけれど
お料理など本を見てもできない人はできなかったけれど
今は動画で手取り足取り細かく説明もし実演してくれるので
やる気があれば、全くできないと言う人はいないだろう。
味も出来栄えも動画を見れば失敗はない。
自分で考える必要もなく
失敗から学ぶ機会もないのだ。
仕事の仕方、学び方
世の中の流れによって変わるものだ。
人の感覚というのは大して変わらないのに
外側の流れは大きく変化し
自分自身もそれらを受け入れている。
これは、どうなのだろうか?
気づかないところで
自分の感覚を鈍らせたりしているかもしれない。
考えてみると、何かをしながら別のことをしていたり
ない集中力がさらに散漫になっているような気がする。
また、自分で考え内側から湧き出た感覚より
誰かの発言や方向に流される機会が増えているかもしれない。
静かにアナログな時間を過ごすことは大事で
必要なことだと感じる。