「まだそんなことしているの?」
と、人の生活スタイルなどについて
言及しているのを見ると
なんとなく不思議な気がする。
世の中の傾向、好まれる流れ
言ってはいけないことなど
流行りの言動をすることがいいとされている。
どうしてそうなるのだろう?
自分はどうだろう?
気づかないうちに全体に流されていないか?
生活スタイル、食生活、言動
何もかもその時の世の中が良いというもへ
飛びついて気にしすぎて流される。
元々、共同体として考えれば
人に迷惑などの行為はしていないはずで
極端に変えていく必要もない。
自分より下だと思う人に怒鳴っていた人は
今ではパワハラで訴えられるのを気にして
怒鳴らないように気をつける。
生活スタイルも世の中が流されているから
自分も始める。
「電車の中で携帯で話すな」と世の中がなると
マナーモードにし忘れた電話がなってしまい
慌てて「今電車だから後で」などと出ようものなら
大声でいつまでも怒鳴り非難する人が現れたり。。。
今ではそれも見ない。
たまに、電話がなってしまい
電話に出て話す人は今でも見るけれど。
自分の常識はそんな風に流されているだけなのか?
もしも共同体として、
また自分の肉体として考えたら
流されていくだけでなく、
感じて思って、考えて自分の中から生まれていく
流行りでない思いやりを持つことができる。
気づかずに間違えることはあっても
経験から思いやりを学べる。
危ないことだって同じように経験だ。
全てが他力に習うものではないと感じる。