人それぞれの個性がある。
それがどんなものであろうと、
他人がジャッジする必要はない。
それぞれの個性の中で物事を見て
物事を考え人生をつくっていく。
自分が責任を持つ。
全ては残されるような気がします。
わざわざ、褒められるようなことを
計算して行動するなんてナンセンス。
なぜなら、動機が大事だから・・・
自分が何気なくしたことが
誰かにとって大きな記憶になっていることもある。
良いことも、悪いことも・・・
そうやって人にも影響する。
この人生のつくりかたが、
また大きく自分に影響する。
その全てのツケは自分が払い、
また回収することになる。
誰もその責任は取ってくれない。
いつ、どんな形でそのツケが廻ってくるのかは
わからないけれど必ず廻ってくる。
だから、誰のせいでもなく
いつも自分で責任を持っているということを
忘れてはいけない。
お盆はすっかりのんびりと過ごしていました。
亡くなった人を偲んで、今ある人生に感謝して・・・
人生を十分活かそう。
自分ができる中で、周りの人にできることもしよう。
そんな風に、思い起こさせてくれる時期でもあります。
生と死・・・
その境は、ほんの少しの隔たりな気もする。
肉体がないことは私たちにとって
切なく寂しいことになるけれど・・・
でも、少しの隔たりが大きな隔たりに感じるから
とても悲しいものになる。
まだまだ、ずっと続くと思っている人生・・・
そんな保証はないのに、当たり前のように
誰もがそう思ってしまうもの。
自分も他人も・・・
私たちの錯覚が
見方を浅いものにしているのだろう。
オリンピック、始まったらやはり見ています。
私は、卓球と体操をよく見ていました。
時間的なこともあったかもしれませんが・・・
みんな、それぞれのドラマもあり感動しますよね。
みんなに勝たせたい気持ちになります。
昨日は、久しぶりの温泉へ行ってきました。
ゆっくり過ごして満喫!
自分でも気づかないうちに疲れも溜まっているのようです。
ちょうどよい室温で心地よく一晩過ごすのは
この時期難しくて、熟睡できていないのですね。
仮眠を取り入れたりして、
疲れないようにしましょう。
人生が困難な時は人生が長いように感じる・・・
でも、人生が落ち着いているときや
良いときに振り返ると
あっという間に感じる・・・
楽しいときは一日が早いのと一緒ですね。
その時は、あんなに時が長く感じたのに
振り返ると、あっという間で
時間を有意義に使っていなかったかも?なんて
見返す余裕さえある。
いつも、そんなちょっとした余裕をもって
傍観する位置に立って自分を見る・・・
それができたら、よりいい選択をすることが
できる気がします。
自分の幸せを分かっている人って
意外と少ないかもしれない。
何をしている時が幸せだろう?
つい、笑顔になってしまう時って?
これをしていると、つい笑顔になるもの。
些細なことだったりするかもしれませんね。
自分の幸せだと感じるときがあるといいけど
まだ、ない・・・
もしくは気づいていないなら
そんな笑顔になれるときが見つかるといいですね。
毎日忙しい生活に追われていると
つい、笑顔がこぼれるときなんてないかもしれない。
無表情が増えたり、愛想笑いが多いなら
ちょっと、息抜きも必要かもしれませんよ。
「私は~だ」
と自分で決めつけるというのは
自分をその型にはめ込んでしまい
自分自身で枠を狭めてしまう気がする。
本当に自分で思っている通りな自分なのだろうか??
「私はだらしないから・・・」
「私は直感型だから」
「私は・・・」
よくそんなことを聞いたりするけれど
誰かに言われたことがあるから
そんな気になっらりするのかもしれない。
単純だったりすると周りから言われたことを
鵜呑みにして思い込みやすいところもある。
もしかしたら、小さなときから
家などの身近な人から言われてきたのかもしれない。
言われたから、そんな自分を演じてもいい
演じた方がいい・・・
本当にそうなのだろうか?
もっと違う自分になった方がいいのなら
どんどん変えられると思う。
楽した自分やだらしなくなった自分が嫌なら
変えなくちゃ。
何年も演じてしまったのなら
変えるのにも時間がかかるかもしれないけれど
自分の違う面を出していけるはず。
自分がなりたい自分になれるはず。
誰もがそんなに違うわけではない。
みんな同じ面をもっている。
それぞれがどの面を多く出しているか
ただ、それだけのこと・・・
あまりに一面を信じて頼ってしまうのは
別の可能性を使わなくして
同じことを繰り返しかねない。
みんな、色んな面を持っているのなら
それらを有効活用してみるのも
また違った可能性に会えるかもしれませんよ。
人生の中で、恋をしたり恋愛や失恋をしたりするだろう。
そして、大人になって仕事をしたりしなかったり。
独身、結婚、離婚・・・
結婚して子供を授かる。
未婚で子供を授かる。
シングルで子供を育てあげる。
結婚して子供を授かるも幸せではない。
離婚する。
時には再婚をする。
結婚して仲が良くても子供は授からない。
子供を授かっても失う。
独身。
共同生活。
まだまだ、色々な生活がある。
それぞれ望んだもの、望まないもの。
後悔すること・・・
あなたの周りや世間での価値観に
惑わされるかもしれない。
それぞれのスタイルの中で生涯を終える。
どんな形にいようとも、幸せを求めている。
幸せになるために変化をし、
幸せでいるためにそうある。
望んだ形が手に入らないのなら
今の形から幸せがあるのかもしれない。
望むもの、必要なもの。
その部分に混乱させられないような距離に立つこと。
ここに、幸せが発見できるキーがあるかもしれない。
自分の幸せは自分の中にある。
手にないものを嘆いているより
今あるものへの感謝と幸せに気づいて
生き生き生活するべきだ。
幸せの定義などないのだから・・・
誰にでも一年に一度誕生日がある。
子供の時から特別に祝ってもらった人。
いつもの日と変わらない一日を過ごしてきた人。
自分で特別な日だと思い入れのある人。
自分でも特に気にしない人。
いろいろな過ごし方や考え方があって
その日に対して思い入れも様々だ。
どんな過ごし方をしてきたとしても
どんな思い入れをしようと
それはさておき、この世に生まれてきた日に変わりはない。
私は、どちらかと言うと
盛大に祝ってもらいたいとかはなく
ただ覚えていてくれる人がいるだけで満足していた。
でも、今になって気づいた。
誕生した日は、本人にとって特別なな日で
その日を毎年自分自身が立ち返る日なのかもしれない。
誰かに何かしてもらう日というより、
自分がこの世での役割を思い返すための日。
祝うというより、内省する日なのだと思うのです。
今までを思い出し、そしてこれからの自分を思い描く。
気づいて分かって、行動に移すこと。
意外と行動が伴わない人は多いもの。
行動に移せなければ、役割に近づくことはできません。
一つ一つ、自分で気づき進んでいる道を
見返し、また改めて進む機会を与える日なのだと思います。
テレビのドラマの中のセリフで
「その人生で何を残したか?」と言う言葉があった。
何だか、私にも響いた・・・
何も残していない。
いや、何も残そうとしなかったのかもしれない。
自分の形跡を残そうとする人。
残そうとしない人。
どちらも正しいのに、
その自覚を認識するまではジタバタするかもしれない。
それぞれに、役割があるのだろう。
肉体にある自分が欲したり考えたりすることが
本当に必要かは分からない。
望むとも望まなくとも
あるべき状態になるのかもしれない・・・
潔くある人はよりスムーズに進めるかもしれない。
清くあるべきものを受け入れ
あるべきものを使う。
それが、この人生の今あるもので
これから進む地点にある。
人間は見る聞く、嗅ぐ、
皮膚や味覚で感じることなどができます。
その感覚が安全な場所においては
退化しても危険じゃない?
生きるための本能以上に
体や感覚は大きく私たちの成長や
気づきにも役立つものでしょう。
でも、時代と共に
退化もしているような気もする。
ここが二極化を強める部分でもあると思うのです。
自分がどう進むのかという
意識は自分で決められる。
選択は自分でし、作っていくことができる。
意思決定は自分なのです。