人の思考が未来を創る・・・
そうは思っても、実際は分からない。
でも、そうかもしれない。
昔観た映画の世界が実際に今あることを考えてみると、
単にテクノロジーの発展なのだろうか?
そこに思いを持った人たちが空想を
現実にしていったというのが事実で
思考が未来を創りだしている。
人生も自分の思考、想いの積み重ねで今を、
そして未来を創りだすということではないか・・・
その思考のきっかけがなんであろうと関係ない。
結果全て、つまり今までの自分の人生。
親が全て選択してくれていた時代ではなく
自分で何かを選択し始めたら、
それはすでに自分の選択した責任で
自分の人生を作り出している。
年齢に関係なく自分で決めたものは全て・・・
誰かと仲良くするのも、いじめをするのも
誰かと付き合い始めるのも、別れるのも
何かの物事をするのも、家に閉じこもるのも
仕事をするのも、しないのも
何をするのも小さな子供の時から
自分の思考を使い始めた時点で人生を作り出している。
でも、幼いときは動機が単純で
考えずに選択していますが、
ある程度の年齢になれば動機が加わります。
誰かに好かれるように行動するようになったり・・・
言い訳なしに、全て自分が選択していると認め
人生をたどって行けば、それぞれの出来事が
良いこと悪いこと、自分が招いている
作り出したという結果だったと気づきます。
いつまでも、誰かのせいだとか
言い訳をしているうちは
否定したくなるかもしれませんね・・・
今からの人生でどう在りたいか?
日々の延長線上に未来はあって、
突然、全く違う憧れるような未来は現れない。
それぞれの描く未来のために
ささいなことと思える日常を大事にし
責任をもって過ごしていかなくてはいけませんね。
昨日までは外に出る用事でまだ忙しくて
後の3日間で荷物を積みいれた部屋など
全体の片づけをなんとかある程度は
すっきりしたいと思っていますが・・・
さすがに、疲れが出てきていますね。
9日からはアメリカに行っても
何もすることはないので
そこで体を休めるつもり・・・
話しは変わって、
昨日は仕事で思うところがありました。
これからは、もっと言いたいことや
自分が正しいと思っていることを
前面にだしてみよう。
同じように思っている人もいるはずだし
これだけ情報がある中で
何を選び取ればいいのかわからない人や
探しているものが見つからない人も
多いのではないか?
いい加減、表面的な肩書や
表面的に着飾るだけで良かったという
力のあるものが勝利する、という時代は
終わりになる気がするのです。
何を恐れていたの?
ただ自信のある押しの強さと言うだけのものに
何が引けをとるのだろう?
何もない。
そういったものが苦手なだけで、
何も尻尾を巻いて逃げ出すことはない。
その時、正しい自信があるのなら
恐れることは何もない。
自信がないなら根本的に
自信がつくまで続けてみる。
仕事や趣味など、続けていくうちに
そのことについての知識や技術が身につく。
ただし、どれだけ真剣に真摯に
そのことをしていたかによる。
ただ関わっているのではダメ。
関わった中の何をメインに努力してきたか?
何も真剣にやってこなかったのなら
それも面と向かざるを得なくなるのではないか?
陽の目を見る人
痛いところを見せつけられる人
「要領よくやれた」時代の終わり。
良いことも、悪いことも、弱さも
自分自身の本質をあからさまに見せつけられる・・・
それから逃げ続けることはできない。
真実は痛みを伴い、
直視できずに放棄する人もいるかもしれない。
もちろん、間違った場合も自分に帰るのだから。
ただ、その時の動機を考えてみること。
それが正しいことから来たものか
単に欲から来たものなのか?
誰しも常に変化しているのだから
考え方も変化するけれど
その時の動機が明らかになり
本質、真実が表面化していくようになるだけ・・・
後からどんなに正当化したことを言ったとしても
今あるものが持っている思考を全てを表してしまう。
まやかしで済み、
上手くいくという時代は終わる。
様々ものが、もっと表面化するようになる。
だからこそ、求められるもの・・・
真実、正しいもの、思いは何かと
いうことがはっきりしていくはずだし
大事になると思うのです。
今思えば、若いときの私といったら
毎日の出来事ばかりを考えていて
将来のことについて具体的になんて
想像していなかったかもしれない。
その時は、その時で生意気で
自分は大人な考え方をしていると
思っていたのだからどうしようもないですね・・・
子供の時から、または若いうちから
人生の構想を具体的に持ち
その構想にのっとって動いていく人もいる。
それは、地に足がつかないものではなくて
小さなことから確実に実行すること。
こうなりたいなぁ~と、
ただ結果の華やかなものだけに
憧れたりするけれど
素質や基盤がないのにいきなり
結果だけを手に入れることなんて無理な話し。
しっかり小さなことから始め、
目の前の嫌な事も含め
確実に自分の構想につながるための努力を
少しづつ考え積み重ねて
自分の人生の構想に向かっていくことが必要。
若い時ならより、人生の選択の幅が広がるでしょう。
でも、それが幾つであろうと
自分の人生の未来の構想を持ち
行動し始めることは可能です。
それは、壮大なことや
周りから見て立派なことでなくてもいい。
どんな人生、どんな生活をしてきたいのか?
人生の構想が明確になっていけば
毎日の小さなことも日常も全てが大事で
今、自分のやっていること自体が大事だと気づく。
そして、それが自信になっていく。
自分がどうありたいのか?
自分の幸せは何をすることにあるのか?
お金を沢山稼ぐことではなくても
質素なことでも
人に奉仕することでも
家庭のことでも何でもいい。
自分の人生の構想を考えて、
自分の幸せがどこにあるのか探してみること。
時間がかかるかもしれないけれど
大事な課題だと思います。
事あるごとに思うこと・・・
私は人生をとても真剣に受け止めているけれど、
それだけにスロースターターというか
物事に気づくのがとても遅い。
もっと、早い時期に気づいていたら・・・
もっと、早い時期にそうしていたら・・・
世の中の多くの人が普通に気づいて
受け止めていることも
私にとっては大ごとで
とても責任を問うことのように感じたりして
気軽にふみこめないことや
本当に気づかないで
完全に遅れてるようなことがある。
だからと言って、
今さら時をさかのぼることはできない。
後ろを見て「なんでもっと早く・・・」
なんて考えてみたところで
何も変わらないのだから仕方ない。
今、そしてこれからできることだけが
私たちができること。
わたしだって、しょっちゅう葛藤はある。
人間、そう単純に人生と
向かい合えないのだから。
そうやって、一歩ずつ進むしかない。
ただ、自分の行動に対しての責任と
どんな理由にせよ最後に選択したのは自分だという
選択に対しての責任は持つべきだ。
その責任感が道を切り開いてくれるのかもしれない。
今日を最善の日に・・・
そう思っても、
人は一人で生きていないわけで
関係する人によって
最悪な気分にもさせられたりする。
最善って、
そんな中でも感じられるものなのかな?
まだまだ私はちっぽけな器なので
自分自身の心や感情を
やっとこさっとこコントロールしているのに
何でもかんでも受け入れるほど
大きな器をもっていない。
強く見える人
迷いがなさそうに見える人
しっかりして見える人
そういった人たちだって、
みんな迷いながら頑張って生きてるんだ。
みんな同じように弱くて、みんな必死で
根っから強い人なんていない。
それが嫌だから、自分自身で変えることに
努力する選択をしているだけ。
鬱にだってなることがあっても
そのまま何もしなければ生活もできないし
かといって、死ぬ勇気もないのだから
生きるために動かなくてはいかなくなる。
物質、精神の両方、もしくはどちらかでも
どん底になっても生きていくのなら
立ち上がるしかないときもある。
それが、今まで通りでもなければ
理想通りでなくても・・・
弱いを言い訳に、同じままでいられるのは
そうしていられる状況なのだと思う。
弱さを武器にいつも都合よく
人生に甘えようとしている人は避けたいし
関わりたくない。
どんなにチャンスがあろうが
自分が甘えたままでいられる理由を作って
全部自分が望むものでなければ
動かないしやろうとしないというのに
それに協力しようと思えない。
彼らは人の優しさを嗅ぎわける。
それぞれが、一人の人格であって
結局は自分で人生を選択し作っていくしかない。
他人が選択し人生を作り続けるわけではなく
ある程度の年齢になれば
みんな自分で選択したがるものです。
好きなものをスタートするのは自分で選択し
自分が嫌なものは周りのせいや
誰かに頼ることばかりでは変わらない。
自分自身で改善するための選択を多少は
望まないものでも受け入れ変える努力をしなければ
結局、根本は何も変わらないのではないかと思う。
強いから大丈夫な人なんて何処にもいない。
弱さを武器にできるほうが
よほど器用で強いのだと感じることがよくある。
事あるごとに思い通りにならない人生から
逃げ続けることも提供し続けることも
どちらも、その場しのぎの誤魔化しにしか
ならないような気がしてしまうのは冷たいのだろうか?
仕事の片付けなどで今日まで忙しかった。
その場所で最後の仕事をした後、
少し涙が出そうになった。
そして、今日長く使っていた場所を後にしたとき
また少し涙が出そうになった。
でも、まだその後に色々用事があって
しんみりとしていられなかったし
まだ月曜日まで雑用がびっしりで
自分の時間がないまま3週間日本から離れる・・・
ふ~・・・
慌ただしい。
チャレンジし続けることをあきらめる、
止めるとき、方向を見直すときは
大きな葛藤も寂しさも迷いも含めて
色々な思いがあるけれど
「たつ鳥後を濁さず・・・」
終えるものはきっちりとしたいものですね。
人生の一つの章が閉じられ
次の章はどのようなストーリーになるのでしょう?
自分が作り上げる人生のストーリーを
山あり谷あり、色々な思いの中でも
最後はハッピーエンドになるように
していかなくちゃね。