<川は流れる>

Reiの好きなこと、ここだけの話

FLIX ②

2010年04月13日 | ジュリーインタビュー
沢田「うーん、キャスティングからそうだし。最初の思い通りのキャストでやるというのは相当エネルギーがいるけど、何人か断られてある程度妥協してやるというのも、妥協した分だけカバーしないといけないから、エネルギーは同じくらいいるよね。だから僕なんか出演の依頼が来た時に、断るっていうことが本当に申し訳ないと思ったりするんだけど、こればっかりはやってみないとわからないっていうのがあるから。『ヒルコ』にしたって、塚本さんみたいな若い人が作るんだったら、役者も若い人を起用してね、それこそ今の時代の人気あるスターを使って撮ればいいんじゃないかと思うんだけど。まあこっちに来てくれたんだから。最初は2、3回断っていたけど、それでも誘ってくれたから、やっぱりこれはホンマやから断っちゃいかん!と思ったしね。そういういとこでも本当にこだわってくれると、こっちも力を出しやすいね。」

岸部「丹波哲郎さんがこないだ一緒に仕事をした時言ってたんだ。“俺はとにかくどんな仕事が来ても最初は断るんだ。それでもう一度言って来ても断るんだ。”って。“それでもまた言って来たら、それは絶対俺が欲しいんだ”って(笑)。ホン(脚本)を読むとか読まないとかじゃなく、とにかく最初は断る。それで向こうが言ってこなかったら、もともと誰でもよかったんやという。」

沢田「そういうことはあるかもしれないね。」

岸部「まあ『死の棘』の時なんかも僕をキャスティングすることに相当反対の人とかいたけど、監督がどうしてもやりたいって、最後まで通したという、そういうのがわかると結構責任感を感じるでしょ。まあ、そういったプレッシャーとかマイナス材料ばかりが出てくるのね。監督はそういう不安とかを引きずったままでやってくれっていうの。そういう状態のままでやっていくうちに何かを見つけてくれればいいというように、まあいろんなことを考えてくれる監督だったね。
僕は沢田をずっと見てきたりしてて、昔っていうとおかしいけど、以前は沢田にはジュリーっていう部分があってね。そのジュリーって部分を映画にもってきたらどうなるかということが結構あったような気がする。」


沢田「そうだね。」

岸部「『ヒルコ』とか『夢二』とか観ると、あのジュリーじゃなくなってるんだよね。完全に沢田研二を、俳優という沢田研二をここに使いたいっていうのが画面から見えてくるんだよね。さっき言ってたように、もっと客を動員できる人気のあるのを使えばいいっていう簡単な理屈じゃなくてね。」

沢田「そうじゃないって思ってくれるところが僕たちは好きやからね。映画を観てたって、そりゃ、人気のある若いやつでやってて楽しいかもしらんけど、何かそんなもんやないでって思うし。昔は自分が言われてたんだけど(笑)。若いっていうことは確かにいいことだけど。いろんなことが出てくるというのは若いときじゃないもんね。三十まではまだ若者と思われて、一人前にと思われないところがあるけど、四十になると人の見方も変わって、何かを無理してでも使ってくれるというのが起こってくる。数はものすごく少ないけど。その代わり楽やけどね。」

岸部「『夢二』なんかもかなり楽にやってたの?」

沢田「楽にさせられた(笑)。芝居しようと思って結構考えていって、やってみせると、監督に“すいません、真面目にやらないでください”って言われるの。清順さんに最初に言われたのは“沢田さんはどちらかというと暗めの役が似合う方の人だと思うんですけど、今回は明るくやってください”って。台本を読んで現場に行くと、台詞とかが変わっているの。細かい変わり方やがらっという変わり方まで、もう何が出てくるかわからないという現場なの。原田芳雄さんには“沢田さん、考えない、考えない。現場が勝負。現場処理!”って言われたの。それでだんだんわかってくると今度は、“リアリズムで行きますから。映画はリアリズムじゃないと駄目ですよ。”とか平気で言う監督なのよ(笑)。」

岸部「それじゃあついて行くのが大変やね。」

沢田「でもついて行かんと始まらないもんね。慣れてくると別なことを言って、翻弄しつつ、結局は肩の力を抜いて自然に、やり過ぎずっていうことを言われてると思うんだけど。」
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少しお休みしてました^^;

2010年04月09日 |  ブログ
先月、生活習慣病予防健診を受けて、結果が届いたのですが、
まあ、考えなければいけないところが多々ある結果でして
いえいえ、病気はないです。
ただ、老化をどうしても意識せずにはいられない歳になってきたんだなあって改めて思ったわけです。

いつも思ってたけど、生活習慣っていうのは恐ろしいですよ。
だって意思の力だけでは改まらないですから

中年太りも、代謝が悪くなっていろんなところに影響がでてきたのも、
ぜんぶ、更年期のせいにしてきましたが
実は、やっぱりそうではありません。

生活習慣でございます。

私の場合は寝不足。
夜中に起きてたらいけないのであります。

ただ、ものすごく忙しい身の上なので、
PCに向かってるとすぐに、丑三つ時を迎えてしまうのです。

だからちょい、PCに向かう時間を制限し、
早く寝る努力をしてました。
うん、2日ばかりうまくいった。

これからも早く寝る努力、いたします。
それでも忙しい仕事があるときは、寝れないんですけどね・・。

仕事仕事の毎日。
ブログも自分の好きな文章を書けることなので続いておりましたが、
これからは少し、見直しを、なーんて思ってる次第です。

歳をとるのはみんなおなじ。
一日の時間は24時間って決まってるのに、
歳をとるとなんでこんなに早く夜がきて朝がきてしまうのか。
やりたいことは増えるいっぽう、できるスピードは落ちるいっぽう。
こりゃバランスとれませんわね。

ただ、私は不眠症ではないので、寝れるんだったら、何時間でも寝れます。
ロードショーなみの夢を見たり、寝ることは楽しいので、
朝寝こそ幸せ。

早く寝て、朝、ゆっくり夢をみたいです。
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1991年 FLIX  6,7月号

2010年04月04日 | ジュリーインタビュー
【岸部一徳・沢田研二】
SPECIAL TALK


(今は音楽劇真っ最中のジュリー、映画が2本公開されたこの年1991年、ジュリーの映画や演技に対する考えがわかる貴重な対談をアップします。)



岸部「日本のホラー映画ってどうなのかなって思ったけど『ヒルコ』は怖かったよ。」

沢田「怖かったでしょ結構。そうなのよ。」

岸部「あれだけうまくできるのかって。」

沢田「まず、僕のところに台本が送られてきたの。やってほしいって。それで台本を読んでたら何回かゾクゾクってするわけ。いやーもう気持ち悪いっていうのか・・・。だからとりあえず出演を断ったの。」

岸部「最初は?」

沢田「うん、そういう怖いのは嫌やって(笑)。変なことが起こるから。『魔界転生』とかそうだったけど。『四谷怪談』とか幽霊の話なんか怖いし、化け物の話も怖いっていって断っていたんだけど(笑)。直接断ろうと思って塚本晋也監督に会ったら、なかなか面白い人で、“ちゃんと怖くないように撮りますから”とか言われて、最後には“沢田さんやりましょうよ”って言われたんで引き受けたの。」

岸部「やってみないとわからんもんね。そりゃあ。」

沢田「うん、ただ『鉄男』を観たときは変な映画を作る人だとは思ったけど。『ヒルコ』でびっくりしたのは編集とかなんだよね。首のついた化け物が出て来るわけなんだけど。実際撮影しているときはもうモロ見えなわけでしょ、人の力で動かしてるっていうのは。自分たちには全部わかってるわけよ。それで芝居しているから、こっちからはコメディ撮ってるんじゃないかなって思うくらい滑稽だったんだけど。でも最初の編集ラッシュから、二回目、三回目、それこそゼロ号やって初号になっていくうちにどんどん変わってきて、全部音が付いた時なんか僕なんか怖いから一人映写室でウワーっとかしちゃって。自分でやっているシーンでさえ(笑)。」

岸部「いやあ、びっくりしたね。迫力というか怖さなのね。脅かすという怖さじゃないところなのね。あんなことができるのかなって。」

沢田「丁寧に作ってあるところの勝利だと思うね。」

岸部「塚本さんっていう人はすごいね。」

沢田「あの人はすごい。それにすごく熱心。塚本さんは、本当は僕がやった役を自分がやればもっとうまく出来るっていうようなことを思いながら演出してるんじゃないかって、そう思うぐらいにこと細かに演出していた。それから『ヒルコ』の主人公は最初はもっと格好いいキャラクターだったんだ。」

岸部「あの学者が?」

沢田「そう。もっとインテリっぽい、クールでニヒルでやるときはやる!みたいなキャラクターだったんだけど、ああいう暗い内容をもう少し、なんていうのかな軽くできるような要素を入れてほしいって頼んだんだ。主人公がもっと一生懸命頑張ってやってるってことで救いになるようにって。あんまり格好良すぎると余計に嘘っぽくなるんじゃないかって思ったから。結構そのあたりを変えてもらったんだ。」

岸部「そうだね。ああいう内容だから、登場する人物はむしろ日常っぽく、結構普通のキャラクターのほうがいいよね。軽いところからスーっと入っていける。あんまりキャラクターが作られすぎていると、観る方も最初から、何かが起こるぞって感じになっちゃうから。『ヒルコ』のすぐ後に『夢二』を観たんだけど二本は好対照の映画だね。小栗(康平)監督が言ってたんだけど、“日本映画はやはりアメリカ映画がお手本で、日本人の観客はアメリカ映画を観るように、ストーリーの展開の面白さだけをつい追いかけてしまうことに慣れてしまっている。でも、日本映画っていうものは、そういうものを追いかけていても違うんじゃないか”って。そういう考えの人なのね。『死の棘』もストーリーがあるとは言いながらも、次の展開のためのシーンというものを全部排除して作りたいと言ってたわけ。『夢二』を観た時に思ったのはストーリーの進み方の面白さで見せているんじゃないんだよね。一つ一つのシーンがすべて独立しているように思った。ひょっとして映画っていうものはそういうものかなと思ったね。それで観る側がそれをどう受け止めるかはまったく自由で、面白いとか、すごいとか、あるいはわからないとかいろんなものが出て来る。やはり鈴木清順さんの映画は清順さん以外には絶対撮れないというところがすごい。
『死の棘』も小栗さんがああいう映画を作りたいって徹底して作ったの。だから、それぞれの監督が絶対撮りたいっていうのをやっていくのがいいんだろうね。」


沢田「全部違うっていうところがいいよね。これはこのタイプとかなってしまうと、つまらないと思うね。やっぱり我がままを通さないと、監督が。」

岸部「どこまで通せるかっていう。」



(今日はここまで、次回に続きます。)
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FMレコパル1984・8/27~9/9

2010年04月01日 | ジュリー
【 見たぞ!真夏の競演 】
取材・文/今井智子

●8月5日ナゴヤ球場
本当にアツイ1日だった。気温も、観客たちも、ステージで歌ったり演奏したりしたアーティストたちも、アツかった。そして、なかでもアツかったRCサクセションと沢田研二&エキゾティックスのライブ。
8月5日の名古屋の最高気温は34,6度。この夏いちばんではないけれど、ゆうにベストテンには入る暑さだった。この暑さの中を“FM愛知開局15周年記念/キリン・ナゴヤ・ロック・フェスティバル”の会場であるナゴヤ球場へつめかけた観客は1万2千人。カンカンに照りつける太陽の下で彼らは、まるで暑さなど感じていないかのように午後2時半から8時すぎまで、どんどん盛り上がっていったのだった。


●大沢誉志幸
暑さ真っ盛りのときにオープニング・アクトを務めたのは『その気×××(ミステイク)』をヒットさせた大沢誉志幸。“ステージに立つ前に汗をかいたのは初めて”と暑さに辟易しながらも、ハスキーなボーカルとセクシーな動きで観客を魅了。

●子供ばんど
続いて登場したのはいつも元気のカタマリみたいな子供ばんど。スタッフたちが日陰を求めてウロウロしているのを尻目に、ステージに上がる数分前までバック・ステージでキャッチボールをしているほどの元気で、ステージに上がればこのパワーはさらにアップ。ノリのいいロックンロールは観客たちをさらにエキサイトさせ、彼らの熱気が会場の気温をさらに上げ、オープン・スペースにもかかわらず息苦しさを覚えたほど。子供ばんどはこの夏、またもスケールが大きいバンドになったようだ。

●上田正樹
さて次は一転して、しっとりした大人の歌を聴かせる上田正樹。ゲストにギタリスト石田長生を迎えて、ブルージィな歌を披露。ヒット曲、『悲しい色やね』『タカコ』などをじっくり聴かせてくれた。

●RCサクセション
ようやく日が西に傾き、暑さもしのぎやすくなった午後5時半、RCサクセションが登場した。このイベントのメーン・アクトのひとつである彼らがお目当てで会場に来た人も多かったらしく、司会者が彼らの名前を呼んだとたん、場内は総立ちになった。ステージにメンバーが現れ、演奏が始まると、客席の間からはノボリやウチワ、横断幕、タオル、メガホン、いろいろなものが高く振られだした。そんな高揚した雰囲気の中、清志郎が飛び出してきた。赤と黄色のスーツで、そで、ズボンのサイドにフリンジがたくさんついたコスチュームは、たそがれ時のアイマイな明るさの中で、ハッキリと彼の姿を際立たせる。本番前に聞いたところ、このコスチュームはこの日のために新しく作ったのだそうだ。
おなじみの自己紹介ソング『よォーコソ』で始まったRCサクセションのステージは、さすがに気合の入ったものだった。彼らはこの夏、すでに二つの野外イベントでトリを務めてきたけれども、これが今年最後の野外イベントであることと、沢田研二との競演ということで意気込んでいたのかもしれない。
約1時間の間に彼らが演奏したのは、新曲『不思議』も含めおなじみのナンバーばかりだったが、最後の曲の前にタイガースのヒット曲『シーサイドバウンド』を演奏した。これは口ベタな清志郎たちの、ジュリーへの精一杯の親愛の情の表現だったのだろう。


●沢田研二&エキゾティックス
RCサクセションのステージが終わり、いよいよ沢田研二&エキゾティックスの登場。まずはエキゾティックスのメンバーが、BGMが流れる中ステージに現れ、サルサ風のリズムにのって演奏を始めた。たちまちステージはシティー・トロピカルに様変わり。もうとっぷり日は暮れ、雰囲気は最高だ。そこへ純白のコスチュームに身を包んだ沢田研二が飛び出してきた。片手をポケットに入れたポーズで、歌いながら軽くジャンプしたり、右へ左へと滑るように動く彼を、透けるほどに薄いコートとスカーフが追い、とてもエレガントだ。その姿はここがホコリっぽいイベント会場であることを忘れさせるほどで、観客たちもたちまちその雰囲気に酔いしれた。
彼は3月から行っている大規模な全国ツアーの一環としてこのイベントに参加しているのだが、ステージの内容はツアーのものとはがらり様子が変わっている。曲目はもちろんアレンジが変わった曲もいくつかあり、なかでもシンセ・ドラムを入れて今日的なスタイルになっていた『ストリッパー』と、テクノ風の不思議な雰囲気を持った『眠れ巴里』はこれまでと違ったおもしろ味があって新鮮な印象を受けた。
曲目は。5月にリリースしたアルバム『ノンポリシー』からのものが中心だったが、中盤『ストリッパー』『お前にチェックイン』『晴れのちブルーボーイ』をヒット曲が続くと、前半のエレガントなイメージから次第にワイルドな魅力で盛り上がってきた。歌い進むにつれて、スカーフをはずし、コートを脱ぎ、薄いドレス・シャツ姿になっていった彼は、そのシャツのボタンを全部はずし、男性的な動きで観客の目をとらえる。こんなノリは、やはり通常のコンサートではないからこそ見られるものではないかと思う。ふとまわりを見回すと、パンク少年が4、5人、ステージと一緒に『ノンポリシー』を歌いながら踊っていた。そして、もうラスト・ナンバーの『ニューヨーク・シック・コネクション』。ビートの効いたこの曲はステージの最後を飾るにふさわしい盛り上がりを見せ、ギターの柴山和彦やベースの吉田健とドラムセットの上に飛び乗り、一緒に飛び降りたり、大きくジャンプしたり。そしてエンディングには観客たちに向かって投げキッス、そのしぐさがまたとてもさりげなくエレガントに見えた。


●そして夢のセッション
この夏一番のステキな顔合わせだったこのイベントには、とてもステキなオマケがついていた。アンコールに応えた沢田研二&エキゾティックスが、ゲストに上田正樹と石田長生、清志郎とチャボを加えて、ビートルズの『ゲット・バック』をやったのだ。ステージに突然出現したスーパーセッションに、観客は大喜び。スタンド席では警備員の制止にかまわず全員がイスの上に立ち上がって大ノリだ。
まずは清志郎のボーカルでチャボのギター。ところが清志郎は歌詞を知らないのかそれともワザとなのか、メチャクチャな歌詞で歌い、場内は唖然。カラダでノッていても頭を傾ける人、笑いだす人、口笛を吹く人、反応はさまざま。二番目の上田正樹は得意の渋いブルージィなパターンできめ、石田長生がブルージィなギターを弾く。そして最後の沢田研二は、さすがといったフィーリングで歌い、リフレインは全員で合唱。ステージの方も盛り上がりきっているらしく、三人のボーカリストはそれぞれに右へ左へ走り回り、どこを見たらいいのか迷うほど。ジュリーはギターの柴山和彦を肩ぐるまする。清志郎はPAの前で歌ってる。上田正樹は清志郎と反対側に走っていく。会場全体が、またも最高気温を記録したようだった。
スーパーセッションが終わると同時に花火が打ち上げられ、このイベントは幕を閉じた。昨年のサザンオールスターズに引き続き、ここでRCサクセションと競演した沢田研二&エキゾティックス。そしてこの夏各地で活躍した他の共演者たち。彼らは二度と味わえないような興奮をわたしたちに体験させてくれた。


********

あきらかにジュリーファンだと思われる今井さんの興奮さめやらぬといった感じ、その興奮をやっと抑えて書いた、そんな風に思えたので、全文転載させてもらいました。
すごいステージだったんでしょうねぇ。
夢といえば、もう二度とかなわぬ夢のステージだったのです。
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『何かのために、誰かのために』

2010年04月01日 | 
わがままで、孤独で、そして冷たい
そんな瞳を持つ彼だけど
心はいつも野辺の花のよう

変幻自在に自由する
その表情からは
彼の固い決心は読み取れない

けれど
いつも
何かのために、誰かのために歌う彼

誰も踏み入れたことのない世界に
勇気の一歩を出すことは
ほかの誰もができることじゃない

けれど柔和な彼の顔には
苦労のかけらも感じられず
楽しい幸せな生活だけを
面ににじませている

僕の苦労は君のため

いつも
何かのために、誰かのために歌う彼

彼の深い懐と
彼の深い魂は

海のように沁みて

私たちに何かを届ける

いつも
何かのために、誰かのために歌う彼


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