東日本大震災から14年です。

2025年03月11日 | つれづれ

今日は3月11日。東日本大震災が起こった日です。あれから14年の歳月が流れました。時が経つのは早いものです。

この地震では大月もだいぶ大きく揺れました。震度4だったと記憶しています。地震の時は、当時勤めていた学校の校庭にいたのですが、船の上にいるような大きな横揺れが長い間続き、気味が悪かったのを覚えています。その後テレビで東北地方沿岸部を襲った大津波の様子を見た時の衝撃は忘れることができません。

私は2013年と2014年の2回にわたって、宮城県石巻市に教育支援ボランティアに行かせてもらいました。震災から2年が過ぎているのに、沿岸部はほとんど手つかずのままでした。これは当時撮った写真ですが、遠くに見える家の向こうが海岸です。震災前には、この辺り一帯が住宅地で、たくさんの家が立ち並んでいたそうですが、津波で何もかも流れてしまいました。

家の基礎部分だけが残されている場所もたくさんありました。そこに残されていたピンクの三輪車を見た時には言葉もありませんでした。

これは大川小学校です。全校児童108名のうち78名が犠牲となりました。

昨年、10年ぶりに大川小学校に行ってきました。写真を見て分かるように校舎の周りはすっかり整備されていて、慰霊碑や石碑が建てられていました。賛否両論あったようですが、震災の記憶を留めおくために被災した校舎を保存することになったそうです。近くには資料館も建っていました。

津波はこの校舎の屋根を超える高さで襲ってきたそうです。近くの山に津波の最高到達点が示されていました。校庭の向こうに見える斜面の途中にある白い看板がそれです。写真では分かりづらいかもしれませんが、結構な高さです。

震災前の写真です。とても素敵なデザインできれいな学校であったことが分かります。学校の周りにも多くの家があったようです。

そして、震災後。津波の恐ろしさをまざまざと感じます。大川小学校に来ると、あの時、この場所にいたとしたら自分に何ができただろうかといつも考えさせられます。

石巻での教育支援ボランティアでは、10人余りの子どもたちと一緒に勉強したり、遊んだりしました。災害という大きな環境の変化に子どもたちの心も体も大きく影響を受けていることを感じました。あの子どもたちも今では大きくなっていると思いますが、元気にしているでしょうか。

東日本大震災では、1万5000人以上の人が亡くなり、2500人以上の人が今も行方不明となっています。考えられないくらい多くの人が家を失い、避難生活を余儀なくされました。福島では原発事故が発生し、多くの人が日常生活を奪われてしまいました。しかし、あの日から14年。多くの出来事が起こる中で、大震災の記憶が薄れつつあることを感じます。しかし、最近の報道を見ても、まだ復興は終わっていないことをつくづく感じます。また、原発事故の収束には、まだ何十年もかかると言われています。被災地のことは忘れてはならないと思います。

昨年は南海トラフ地震の臨時情報が出されました。この3月11日を機に、災害への備えを見直し、被害を最小限にとどめる準備をしていきたいという思いを新たにしています。

今日の午後2時46分には、東日本大震災で犠牲になった方々に対する黙とうを呼びかける防災無線が流れます。石巻、そして大川小学校のことを思い浮かべながら、心を込めて黙とうしたいと思います。