朝日新聞1月23日の宮城県地域ニュース欄に「多賀城海軍工廠の歴史紹介」の記事が掲載されていました。
この手の記事を目敏く見つける管理人です。
先週、しばたの郷土館に行く機会があったので、新聞のコピーを持参し、担当者にお聞きしたところ、
出版した「図説多賀城海軍工廠」が著者から寄贈されたということでした。
著者が多賀城海軍工廠の歴史等を調査する際、しばたの郷土館に来られ、いろいろ調べて行ったということでした。
柴田町船岡には、太平洋戦争中「第一海軍火薬廠」ありました。
早速、借用して読ませていただきました。
A3判53ページの横長の簡易製本でした。図説というだけあって、カラーで地図や写真が多く掲載されていています。
当時この工廠に動員された女子挺身隊の方の手記等もあり充実した内容です。
A3判横で地図等は縮小されていなくて見やすいが、手記等の文章は見づらい、また、書棚に配架するには大きすぎて
困るだろうと思った次第です。(余計なことですが)
海軍工廠とは、海軍の直轄兵器工場です。多賀城海軍工廠では、機銃部ではゼロ戦の翼に装備する口径20ミリの機銃が、
火工部では機銃の弾丸、爆弾等が生産されていたという。
船岡の第一海軍火薬廠で製造された火薬が火薬廠引込線~大河原駅~山王駅~海軍工廠引込線のルートで運搬されたといいます。
第一海軍火薬廠については、しばたの郷土館に第一海軍火薬廠のジオラマがあります。
また、「第一海軍火薬廠 追悼録 ふなおか」が刊行されています。
戦時中の建物・設備等が老朽化、再開発等で消えつつあります。
機会があったら、取り上げてみたいと思っています。
この手の記事を目敏く見つける管理人です。
先週、しばたの郷土館に行く機会があったので、新聞のコピーを持参し、担当者にお聞きしたところ、
出版した「図説多賀城海軍工廠」が著者から寄贈されたということでした。
著者が多賀城海軍工廠の歴史等を調査する際、しばたの郷土館に来られ、いろいろ調べて行ったということでした。
柴田町船岡には、太平洋戦争中「第一海軍火薬廠」ありました。
早速、借用して読ませていただきました。
A3判53ページの横長の簡易製本でした。図説というだけあって、カラーで地図や写真が多く掲載されていています。
当時この工廠に動員された女子挺身隊の方の手記等もあり充実した内容です。
A3判横で地図等は縮小されていなくて見やすいが、手記等の文章は見づらい、また、書棚に配架するには大きすぎて
困るだろうと思った次第です。(余計なことですが)
海軍工廠とは、海軍の直轄兵器工場です。多賀城海軍工廠では、機銃部ではゼロ戦の翼に装備する口径20ミリの機銃が、
火工部では機銃の弾丸、爆弾等が生産されていたという。
船岡の第一海軍火薬廠で製造された火薬が火薬廠引込線~大河原駅~山王駅~海軍工廠引込線のルートで運搬されたといいます。
第一海軍火薬廠については、しばたの郷土館に第一海軍火薬廠のジオラマがあります。
また、「第一海軍火薬廠 追悼録 ふなおか」が刊行されています。
戦時中の建物・設備等が老朽化、再開発等で消えつつあります。
機会があったら、取り上げてみたいと思っています。