最近パソコンの調子が悪く、ここ2~3日ブログをアップできないでいます。
昨夜、久々にJR東北本線船岡駅前にて星空観察会を開きました。
前回は、いつだったか思い出せないくらい前です。
さて、日中が我が家の菩提寺の大光寺にて、お盆の法要が午前中あり、その後
昔、近所でいろいろ遊んだ仲間宅にお邪魔し、近況報告等のダベリング。
日中暑くうだっていました。
夕方になり気温も少し下がってきたので、19時頃槻木駅に向かいましたが、
駅手前500mのあたりで、バッテリーを持って来なかったのに、気づきました。
(バッテリーがないと望遠鏡が動きません、またバッテリーをフル充電して
おかないと途中で黄色のランプが点灯し望遠鏡の動作に支障をきたします)
急いで自宅にもどり、バッテリーを積み込み、自宅近くの船岡駅に向かいました。
19時30分望遠鏡のセット完了、夏休み、お盆休みなのか、乗降客が少ないように
感じました。
上弦の月は、大気の揺らぎも少なく、5mmアイピースの登場です。560倍での
クレーターのアップに通りかかった会社員も感動の声をあげていました。
残念ながら、土星は西の空低くなり見頃は終わりかな。
対象天体は、月、土星、ベガ、アルビレオ。
20時50分まで開店していましたが、お客さん12~3名。
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8月13日、天文関係のメールに村山定男さんの訃報が流れました。
アストロ・アーツのHPから
元・五島プラネタリウム館長で天文学者の村山定男(むらやま さだお)さんが、
13日正午に死去されました。享年89歳。
村山定男さんは1924年4月9日東京生まれ。望遠鏡による火星観測や、隕石の
研究などを専門とする天文学者として国立科学博物館理化学研究部長を務め、
テレビ出演や講演会、天文学解説書執筆などを通して天文普及活動に活躍されました。
1957年4月、天文博物館五島プラネタリウム設立当初から学芸委員会に参画し、
2001年3月の同館閉館の際には、多くのファンに惜しまれつつ44年の歴史に館長
として幕を引きました。その後も、五島プラネタリウムのプラネタリウム投影機の
展示保存活動に実行委員長として尽力されました。
また、季刊天文誌「星の手帖」編集委員、東亜天文学会会長、ダイニックアストロ
パーク天究館顧問などを歴任し、アマチュア天文ファンの先達として多くの後進を
育てられました。小惑星3220番 Murayamaは、村山さんに因んで命名されています。
村山定男さんの訃報に接し、謹んで哀悼の意を表します。

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1977年(昭和52年)5月10日21時30分頃、東北地方南部で大火球が目撃
されました。福島県会津若松、喜多方から飛行し、山形県小国町上空で消滅しました。
小国隕石調査団が結成され、宮城県、福島県、山形県、新潟県などのアマチュア天文家が
終結し毎週日曜日に山形県、新潟県境付近で隕石捜索を行い、その陣頭指揮を村山先生が
とっていました。結局、隕石は発見されませんでしたが、このイベントは話題となり、
50年以上の間、発見者が保管していて、鑑定されていなかった長井隕石と天童隕鉄が
世にでるきっかけとなりました。管理人は、この両方とも実物を仙台市天文台にて触っています。
現在は、国立科学博物館に展示されています。(?)
その縁もあり、29年前、村山先生をお招きし、阿武隈天文同好会の設立10周年記念
天文講演会を角田市市民センターで開催しました。
この時、実は私(村山先生)の祖父が角田警察署長であったと話していました。
福島県吾妻連峰「浄土平」での「星空への招待」、いろいろな天文講演会等でたくさんの
お話を聞く機会がありました。
出張等で上京の際、上野駅で降り、国立科学博物館に何度もお邪魔しました。
何枚か色紙にサインをいただいたのですが、見つかりません。
村山先生を偲ぶ「お別れの会」(告別式後)
日時:8月17日(土)15:30~
会場:一慶隠蔵
(東京都港区愛宕2-5-1 愛宕グリーンヒルズMORIタワー3F
があります、所用により参加できません。
ご冥福をお祈りします。
合掌
昨夜、久々にJR東北本線船岡駅前にて星空観察会を開きました。
前回は、いつだったか思い出せないくらい前です。
さて、日中が我が家の菩提寺の大光寺にて、お盆の法要が午前中あり、その後
昔、近所でいろいろ遊んだ仲間宅にお邪魔し、近況報告等のダベリング。
日中暑くうだっていました。
夕方になり気温も少し下がってきたので、19時頃槻木駅に向かいましたが、
駅手前500mのあたりで、バッテリーを持って来なかったのに、気づきました。
(バッテリーがないと望遠鏡が動きません、またバッテリーをフル充電して
おかないと途中で黄色のランプが点灯し望遠鏡の動作に支障をきたします)
急いで自宅にもどり、バッテリーを積み込み、自宅近くの船岡駅に向かいました。
19時30分望遠鏡のセット完了、夏休み、お盆休みなのか、乗降客が少ないように
感じました。
上弦の月は、大気の揺らぎも少なく、5mmアイピースの登場です。560倍での
クレーターのアップに通りかかった会社員も感動の声をあげていました。
残念ながら、土星は西の空低くなり見頃は終わりかな。
対象天体は、月、土星、ベガ、アルビレオ。
20時50分まで開店していましたが、お客さん12~3名。
-----------------------------------------------------------------------
8月13日、天文関係のメールに村山定男さんの訃報が流れました。
アストロ・アーツのHPから
元・五島プラネタリウム館長で天文学者の村山定男(むらやま さだお)さんが、
13日正午に死去されました。享年89歳。
村山定男さんは1924年4月9日東京生まれ。望遠鏡による火星観測や、隕石の
研究などを専門とする天文学者として国立科学博物館理化学研究部長を務め、
テレビ出演や講演会、天文学解説書執筆などを通して天文普及活動に活躍されました。
1957年4月、天文博物館五島プラネタリウム設立当初から学芸委員会に参画し、
2001年3月の同館閉館の際には、多くのファンに惜しまれつつ44年の歴史に館長
として幕を引きました。その後も、五島プラネタリウムのプラネタリウム投影機の
展示保存活動に実行委員長として尽力されました。
また、季刊天文誌「星の手帖」編集委員、東亜天文学会会長、ダイニックアストロ
パーク天究館顧問などを歴任し、アマチュア天文ファンの先達として多くの後進を
育てられました。小惑星3220番 Murayamaは、村山さんに因んで命名されています。
村山定男さんの訃報に接し、謹んで哀悼の意を表します。

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1977年(昭和52年)5月10日21時30分頃、東北地方南部で大火球が目撃
されました。福島県会津若松、喜多方から飛行し、山形県小国町上空で消滅しました。
小国隕石調査団が結成され、宮城県、福島県、山形県、新潟県などのアマチュア天文家が
終結し毎週日曜日に山形県、新潟県境付近で隕石捜索を行い、その陣頭指揮を村山先生が
とっていました。結局、隕石は発見されませんでしたが、このイベントは話題となり、
50年以上の間、発見者が保管していて、鑑定されていなかった長井隕石と天童隕鉄が
世にでるきっかけとなりました。管理人は、この両方とも実物を仙台市天文台にて触っています。
現在は、国立科学博物館に展示されています。(?)
その縁もあり、29年前、村山先生をお招きし、阿武隈天文同好会の設立10周年記念
天文講演会を角田市市民センターで開催しました。
この時、実は私(村山先生)の祖父が角田警察署長であったと話していました。
福島県吾妻連峰「浄土平」での「星空への招待」、いろいろな天文講演会等でたくさんの
お話を聞く機会がありました。
出張等で上京の際、上野駅で降り、国立科学博物館に何度もお邪魔しました。
何枚か色紙にサインをいただいたのですが、見つかりません。
村山先生を偲ぶ「お別れの会」(告別式後)
日時:8月17日(土)15:30~
会場:一慶隠蔵
(東京都港区愛宕2-5-1 愛宕グリーンヒルズMORIタワー3F
があります、所用により参加できません。
ご冥福をお祈りします。
合掌