(5月26日投稿、表題これまでは5月8,11,18,22日)
レヴィストロースがブラジル・マトグロッソに現地調査したのは1935年。仏の有力紙ルモンドが2008年に、マトグロッソの乱開発が進んでいる状況にコメントを求めた。100歳を迎えようとするレヴィストロースは「調査した当時の世界の人口は16億人、現在は64億人、私はすでに過去の人間だ、コメントを発する資格はない」と語ったと伝わる。
投稿子(蕃神ハガミ)なるは現在のマトグロッソさえ知らず、1935年当時の未開の様は想像するしかないが、多様な生活形態を維持する原住民のなかでも、ナンビクヴァラ族は最も原始的(=単純)だとされていた。悲しき熱帯のNambikwara章の最終行(P377)には:とある。
拙訳:私は人間社会の最も単純な(simple)表現形態を探していた。ナンビクヴァラのそれ(社会)とは幾人かの人間(des hommes)しかそこにいない、究極点だと知った。
解説:人間しかいない社会とは、制度や機関がないとの意味です。法律、身分制、教育機関、医療機関、交通制度などが見られません。<幾人か>は不定冠詞の複数です。定冠詞を付けてl’homme(the man)とするとその人の存在の意義、性格、知識などが確立して、“人”たる条件、資格を満たす存在となり、これは立派な人間に思える。文明人を彷彿させます。
不定冠詞複数の人とはどんな人々か、その生き様をこの章の90頁に書き連ねている訳です。
一家族、プラス複数人で生活のバンドを組みます。
バンドは定住での単位で、移動でも維持されますが、時には減員するとも示唆される。数100キロを自力で走行できない人は脱落する。
家族は家長、一人の、時には複数の妻、数人の子。プラスの人は個体では生活できない老人(女)、若者など。近隣の同族バンドとは連絡を取りますが、密ではないようです。定着地をどこにするか、移動ルートの連絡などが連絡項目のようです。
ブラジル会社が有線通信の中継拠点を攻撃した事例が報告されている。攻撃には毒矢を装備した複数の壮丁が目撃されていたから、(族の縄張り)が侵略される危機には、男複数がバンドを超えて戦闘員として集まる(ようです)。
教育機関は無いけれど、薬草毒草の知識、分別知識は蓄積され、父子を通じ伝わる。機関ではなく個人を介しての教育、医療に当たろうか。用具什器技術の伝達は母娘相伝を覗わせる、こちらは工芸大学の役割。これが彼らの社会。
世界観は;
自然と森羅万象を二分割して、男(主導)世界と女世界の対立、かつ相互依存が彼らの世界観です。
男世界は;
定住、安定、小屋住まい、安全、日々の繰り返し(manicheisme=マニ教思想、“単純な善悪論”の意味をかく訳した)、熱気、多雨、食物はマニヨック(キャッサバ)、狩りの獲物も潤沢なので日々食べられる。
女世界は;
移動、うろつき回り、昆虫小動物の採取、屋根のない地べたにごろ寝、乾燥、冷涼、飢餓。
前回(悲しき熱帯…5、5月26日)の課題に戻ります。
レヴィストロースが生活の2形態を家長から聞き取った時に、一方を暗く寂しく(melancolie)語り、もう一方は息を弾ませ楽しげに(exitation)回顧した。楽しげに回顧したのは定住生活と私は答えたが、師PierreGodoは即座にNONと否定した。彼らが息を弾ませて思い返したのは危険、飢餓の移動生活だった。
日本語でも同じですが前者と後者を前段で説明すれば、次段に移っても前者後者の関係は変わりません。レヴィストロースは前者を暗く、後者について明るく説明したと語り、前者は定住、後者は移動だった。(P340)。読解の基本中の基本でもありますが、ふと余計な、個人感想を雑念にして「たらふく食えるのは楽しい」と誤読してしまった。
ナンビクヴァラ族は「安定生活」よりもたとえバッタの脚で飢えを凌いでも「冒険、あらたな発見、困難を乗り越える工夫、ルートを間違えば飢餓が待つ」移動生活を好む。未開とされている部族ながら挑戦する気構えを持っているのだ。
猿でも構造、悲しき熱帯を読む 5の了 (次回は5月29日)
レヴィストロースがブラジル・マトグロッソに現地調査したのは1935年。仏の有力紙ルモンドが2008年に、マトグロッソの乱開発が進んでいる状況にコメントを求めた。100歳を迎えようとするレヴィストロースは「調査した当時の世界の人口は16億人、現在は64億人、私はすでに過去の人間だ、コメントを発する資格はない」と語ったと伝わる。
投稿子(蕃神ハガミ)なるは現在のマトグロッソさえ知らず、1935年当時の未開の様は想像するしかないが、多様な生活形態を維持する原住民のなかでも、ナンビクヴァラ族は最も原始的(=単純)だとされていた。悲しき熱帯のNambikwara章の最終行(P377)には:
拙訳:私は人間社会の最も単純な(simple)表現形態を探していた。ナンビクヴァラのそれ(社会)とは幾人かの人間(des hommes)しかそこにいない、究極点だと知った。
解説:人間しかいない社会とは、制度や機関がないとの意味です。法律、身分制、教育機関、医療機関、交通制度などが見られません。<幾人か>は不定冠詞の複数です。定冠詞を付けてl’homme(the man)とするとその人の存在の意義、性格、知識などが確立して、“人”たる条件、資格を満たす存在となり、これは立派な人間に思える。文明人を彷彿させます。
不定冠詞複数の人とはどんな人々か、その生き様をこの章の90頁に書き連ねている訳です。
一家族、プラス複数人で生活のバンドを組みます。
バンドは定住での単位で、移動でも維持されますが、時には減員するとも示唆される。数100キロを自力で走行できない人は脱落する。
家族は家長、一人の、時には複数の妻、数人の子。プラスの人は個体では生活できない老人(女)、若者など。近隣の同族バンドとは連絡を取りますが、密ではないようです。定着地をどこにするか、移動ルートの連絡などが連絡項目のようです。
ブラジル会社が有線通信の中継拠点を攻撃した事例が報告されている。攻撃には毒矢を装備した複数の壮丁が目撃されていたから、(族の縄張り)が侵略される危機には、男複数がバンドを超えて戦闘員として集まる(ようです)。
教育機関は無いけれど、薬草毒草の知識、分別知識は蓄積され、父子を通じ伝わる。機関ではなく個人を介しての教育、医療に当たろうか。用具什器技術の伝達は母娘相伝を覗わせる、こちらは工芸大学の役割。これが彼らの社会。
世界観は;
自然と森羅万象を二分割して、男(主導)世界と女世界の対立、かつ相互依存が彼らの世界観です。
男世界は;
定住、安定、小屋住まい、安全、日々の繰り返し(manicheisme=マニ教思想、“単純な善悪論”の意味をかく訳した)、熱気、多雨、食物はマニヨック(キャッサバ)、狩りの獲物も潤沢なので日々食べられる。
女世界は;
移動、うろつき回り、昆虫小動物の採取、屋根のない地べたにごろ寝、乾燥、冷涼、飢餓。
前回(悲しき熱帯…5、5月26日)の課題に戻ります。
レヴィストロースが生活の2形態を家長から聞き取った時に、一方を暗く寂しく(melancolie)語り、もう一方は息を弾ませ楽しげに(exitation)回顧した。楽しげに回顧したのは定住生活と私は答えたが、師PierreGodoは即座にNONと否定した。彼らが息を弾ませて思い返したのは危険、飢餓の移動生活だった。
日本語でも同じですが前者と後者を前段で説明すれば、次段に移っても前者後者の関係は変わりません。レヴィストロースは前者を暗く、後者について明るく説明したと語り、前者は定住、後者は移動だった。(P340)。読解の基本中の基本でもありますが、ふと余計な、個人感想を雑念にして「たらふく食えるのは楽しい」と誤読してしまった。
ナンビクヴァラ族は「安定生活」よりもたとえバッタの脚で飢えを凌いでも「冒険、あらたな発見、困難を乗り越える工夫、ルートを間違えば飢餓が待つ」移動生活を好む。未開とされている部族ながら挑戦する気構えを持っているのだ。
猿でも構造、悲しき熱帯を読む 5の了 (次回は5月29日)