蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

令和3年葬式仕様 下(2021年12月30日)

2021年12月30日 | 小説
息子は手を払って不同意を露わにしながら
「天板はしっかり打ち付けられているじゃないか、どうやってこれを開けるのかい」
一息を呑んでさらに、
「兎にも角にも、なぜ開けようとするのかを知りたい」
「死んだってことが私には信じられない。様態が悪化、高熱を発して手足も痙攣して、呼吸困難。晩のうちに心臓停止と病院側が説明はしたけれど」
「昨日の昼に面会に行って、墓の改葬の話を出した。こじれたから話し込んだ。父は合意されなかった。そして今日の昼、棺を前にしての説明で事務方が晩に逝去したと言った時、私を斜目で睨んだよ。長過ぎる面談で私が持っていたウィルスに感染したと疑った目つきだった。亡者になっても膚から息を継ぐ、ウイルスは撒かれる。クラスターが発生したら大事と医療の用心が勝って死んだらすぐに納棺し、釘まで打ち込めと指示したのだ」
「その説明がこじつけだと言ってる。一瞬には呼吸しなくても、拍動が弱くなった刹那はあるだろうけど、茂雄さんは死んだ訳ではない。息とか心臓の具合を少し落としただけかもしれない、だから棺の内で息を吹き返しているとしか思えない。この棺に死んだ人は入っていない、お父さんが寝ているだけ」

義姉は掌を当て「温かい」天板を擦った。そして息子に向いて、
「通夜の最中に亡者を棺に填めるはご法度じゃ。亡者は褥に置いたまま、頭の向きを北にあらため、掛けは腹上に下ろし手を胸前に合わす。これら儀礼は何を意味するかと知っているのかい、お前」
「知らない」私には甥になる息子の返事は否定を越して無関心が漂う。その母、義姉のヒロは、
「死ぬか生きるか迷い目の亡者を見届ける。黄泉落としと決めつけられても吹き返す、息のささくれ擦れの訴えを聞いたとしたら、それは亡者が誘う声。息の端から亡者の戸惑いを聞き分ける、これが北枕の意味なのだ。黄泉の戻りの境目にうろたえるのなら、一晩を寝ずに縁者が寄り添わなければ」
「昔には死は近縁が決めた、不確かだったろうに、でも一晩置いて亡者を確かめ、泥に埋めて、石を乗せたらそれがこの世の終わり。今の世は機械を覗く医師が死を、心拍の停止で断じる。さまよい蘇りに心配することは無かろう」
「コロナに怯え、クラスターを怖れるあまり回りから、急かされ機械を覗くその医師が納棺をやっつけ指図したのだ」
「とっさの判断、死の認定と納棺指示の医師判断を誰も否定はできない」
「生きていたかもしれない」

甥は天板暴きに同意した。道具を用意し木をいじる、これが甥の役目。
「しかし、母さん、日が落ちきっていない、ご近所さんが線香の一本と訪ねてくるかと心配もする。だから晩も遅くに開けよう」

夏の夜、街を流れる「チーンチーン」は火の用心。晩の遅くに消防警戒が巡回する。戸を閉め切った居間の天井には豆球のみが灯る。息子が釘抜きと玄能を手に階段を降りてきた。
釘抜きは長柄の一端が直に曲がり短柄を成す。短と長柄の両端に先割れの鳶口が備わる。
豆球の真下が木棺、息子はその真上に立ち釘を数えた。四隅と長手の左右に3本づつ、計10の釘頭が数えられた。中腰に脚を落として天板と筐体の隙間を指で探る。
「きつく打ち込んでいる」とは自身への言葉、厄介になる気構えの固めだろう。額から汗が幾筋か垂れた。

長柄の鳶口を押し込み、嵌め合いを確かめつつ柄尻を、振り上げた玄能の平頭できつく打った。鳶口の突然の嵌め込みに抵抗する木目の叫び。それも構わず更にもう一度、より高く玄能を振り上げ柄尻をガッシと打ち下ろすと木目はなおも「グッし」堪える。
「そんなに強く打ったら板がわれるよ」
「はじめの1本開けには抵抗が特に大きい。2本目以降は木が諦めるから楽になる」

嵌め込みの頃合いを指で探って息子は、隙間への差し入れを短柄の鳶口に替えた。コツコツと玄能を当てると天板が口を開ける。一時間を超す緊張と労力のはて、全周10本の釘頭に天板と筐体の隙間ができた。むーわとした生暖かい湿り気が溢れる、その香を吸い込みながら義姉が、
「生きる人の臭い」と呟く。息子は、
「なんだか臭いな、死臭があるならこれがそれさ」
天板の中央を裂けるかばかりに息子は叩いた。ばったん、板が落ちて隙間が閉じた。10本の釘が頭と首を宙に残して等間隔に揃った。これを一本毎に養生布を板上において、短柄の先割れで抜く。釘9本が天板に横に並んで残る最後の1本は北の東隅。
ここで息子は手を止め、道具を天板に置いた。
「これを抜いたら天板は外れる。最後の一本は母さんが抜いておくれな」
「なぜ、1本が残るだけじゃないか」
答えず階段に走り寄り自室に戻った。木棺暴きから息子は逃げ出した。

最後の1本を抜いて義姉ヒロはおそるおそる天板を北頭から南に移した。先程の生臭い息がふわりと再び浮き上がった。ヒロがそこに見た亡者は、
「やっぱり茂雄さんあなたね。呼びかけても顔向きを変えないし言葉だって返さない。生きているまんまの姿です。この一晩、あなた気に入りの居間を楽しんでください。私はここにいるから」

(K君の兄の通夜状況でした。K君からの喪中案内と連絡メールを渡来部が幾文言、行かを追加した)

令和3年葬式仕様の了(2021年12月30日)

令和3年を終えるにあたり:最終の投稿は元祖部族民、渡来部須磨男の寄稿でした。来春からはYoutubeとホームサイトに活動力点を移動します、皆様には良い新年をお迎えください(蕃神)。
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令和3年葬式仕様 上

2021年12月28日 | 小説
(2021年12月28日)投稿は友人K君から先月15日に受け取った報せについてです。新年を迎えるに無言の報せが必ず舞い込む。これが歳に相応かも知れないし、寂しさは慣れるまでの辛抱。いや、こっちが出すまでの我慢と己に言い聞かす。さっそくメールを入れてK君を励ました。返信はその夕べに届いた。逝去の有様、通夜の特異が書き込まれていた。それは令和3年でしか起こりえ無いなかった流れだった。そうした人の心を亡者を切り離す状況にだって、それぞれが規制の内で動いただけと自身に言い聞かせた。1月に開け12月に至ったこの年の、月日のすべてが特異だと感じ入った。
不祝儀顛末であるから年内に留めおきたい。また皆様にはこんな葬祭もあったのだとこの先、行く年月のいずこかに思い出せばそれも救い、記憶が蒸発し思いだすまでもなければそれでなお良し。顛末話だけをサイバー空間の何処かにとどめたいと念じ、個人名、住所などを書き換えて、K君からのメールを本ブログに投稿した(渡来部須麻男)。

葉書は無言、喪中葉書も無言


「糖尿を患っていたと聞いた。伺候に行かなければと気がはやるも、住まいは東京を挟んで西と東。この遠さがあっては足が遠のく。結局、ここ数年が会わずじまいだった今年の春、義姉からの電話は「入院になった」。都心の病院の名を書き留めた。
「さっそく見舞いと」焦るが、どのよう行動すべきかが一切、分からない。病院に電話を入れると「お見舞いはごく近い近親の方にしてもらっている」と冷たくあしらわれた。
これら義姉からの電話、病院への問い合わせの流れは6月の初だった。一日500ほどの新規陽性者数が朝昼、夕まで姦しく報道されていた。

ごく「近い近親」とは同居の家族と言いたいのだ。兄弟なら本来は近い親類であると信じるけれど、令和3年の年の特異が「遠い」と追いやった。同居ならば連れ合い親子、入院となって相談事も色々立ち上がる。運び込まれの経緯、病状の進行ぶりなどからして、今回の入院の旅程は片道と見当がつくとあればなおさらだ。明日にも昏睡に陥るかもしれない患者病床に「近くもない親類」が、果物籠でもぶら提げてのエヘラ見舞い呑気は歓迎されない、まして複数が訪院するのを病院は好まない。これが年の特異だろう。

新型コロナ蔓延の影は東京の街角を暗く漂っていた。
非常事態宣言が発令されていた。知事は「不要不急の外出は避ける」と指針を出した。顔の殆どをマスクが覆い、目玉だけが異様に瞬く知事はお願いなど広めていない、これは「命じ」だ。事実、マスクの訴えを都民多くが命令と感じ取った。
近い遠い問答に戻る。
近い近親なれば見舞い外出は必要で、病床に寄り添うは急がれる。死に向かう弱者には支えが必要であるから。近親の見舞いに気が和らぎ、痛みも一時、忘れるかもしれぬ。しかし幾十年か、生活の離れた兄へ差し迫った「必要」を弟が持つのか。急ぎもせず求められもなければただの見舞い。兄の見舞いに行かなかった私の後ろ風景はただ一つの白黒。不要不急の悠長を令和3年が否定したのだ。

これだけは実行したい、ある願望がそれでも私には残った。
今はまだ生きている兄、最後の居住まい姿を見届けたかった。兄と弟であればこの気持は自然ではなかろうか。最期の様を見届けたいは要であるけど、緊急事態がそれを「不要」と命じたのだろうか。答えに行き着かないまま、病院案内者の「その方にはご子息がよくお見舞いに来院しています」が心に引っかかり、その意は「近い近親ではない方は遠慮」を言外に仄めかしていると受け止め、マスク命令とも重なって「緊急事態の解除を待つ」と決め、ひたすら待った。

東京五輪が始まると「不要不急の差し控え」はなおさら執拗。五輪が終わりまもなく検査陽性者の数が急増し、宣言解除はどんどん遠ざかる。陽性者が2000人から3000に増加する頃に義姉から電話があって兄の死を告げられた(8月6日)。葬式の段取りが決まったら知らせてほしい旨を伝え、義姉は口調を曇らせ電話は切れた。葬式は出されなかった。

義姉と長男が病院についたのは訃報電を受けて3時間のあと。病床から下ろされすでに白木に納棺されていた。病院の事務者が亡者の名を伝え、縁者かと確認して診断書を渡した。「会計を済まして引き取ってくれ」と。棺に窓はない、中に一体誰が入っているのは分からない。蓋を開けようとする義姉の手が止められた。院内でも院外でも開けてはならないと叩く手が命じた。すでに釘が打ち込んであるから開けようにも開かない。

棺を引き取ってその夕べからが通夜。一夜明けて葬儀、出棺。焼き場と進行するのがこれまでのコロナ前の儀礼次第。2年もそうであったし、令和3年はなおさら、通夜から焼き場に直行する件数が多くなった。人を集めたくないに尽きる。棺をK兄の居宅に入れる作業にしても、門を開け霊柩車の後ろ扉を玄関にぎりと寄せて、車鼻が門を抜くか抜かぬかを気に揉んで一気に棺を滑りおろし、故人の気に入り居間に運んだ。車はすぐさま発進して、門回りと玄関を浄めてすぐに戸を締めた。
義姉と長男でいささか揉めた。
義姉は、
「葬式を出さないと決めたけれど、ご時世だから受け入れる。黒服を纏った幾人かが門を出入りしたら、ご近所から非常事態を破っていると後ろ指をさされる」
長男が返した、
「叔父貴は盛んに葬儀を気にしていたけれど、それが持てないことは理解してもらう。だから誰にも案内は出さずに、通夜も内々で過ごしたと事がすべて開けたら言ってください」
分かれたのはここから、
「棺の木蓋は家族が閉めるものなのだよ。葬式の最後には帷子を掛け、白木の蓋の四隅に釘を立て、コツコツと順に丸石を掌に握りしめる家族が打つのだよ、それが亡者とのこの世の分かれ。
病院に置かれていたときにすでに釘打ちされていたのだ。いくらコロナが蔓延していようと、大事な段取りをアカの他人が取り上げた、あの仕打ちに涙が出たよ」
甥は一息置いて、
「こんな時勢さ、病院の空気に亡者の息が散乱するのを防いだのだよ。気持ちは分かるけど、一体どうしろと」
「蓋を開ける」
白木の四隅と長辺に10を超す三寸釘がしっかりと打ち込まれていた。釘頭が鈍く光る。

令和3年葬式仕様 上の了(2021年12月28日)次回下は30日
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親族の基本構造ヴェイユの証明第3 部 Commentaire 5 最終

2021年12月25日 | 小説
(2021年12月25日)
[部族民から聖誕日の挨拶] 本日クリスマス、皆様は温かい夕餉を心待ちにしているかと喜ばしく…(挨拶全文は本投稿最終に掲載した)。

親族の基本構造、ヴェイユ寄稿文に戻ります。
Il existe une tribu où nous savons qu’un système d’échange généralisé en cours d’évolution tend à provoquer la subdivision du groupe en sous-sociétés : ce sont les Apinaye du Brasil central. On se souvient que la tribu est divisée en quatre kiye, c’est-à- dire en quatre « côtés » ou « parties ». La règle du mariage est typique de l’échange généralisé ; un homme A épouse une femme B, un homme B une femme C, un homme C une femme D, un homme D une femme A. En plus, les garçons suivent la kiye de leur père et les filles celle de leur mère, c’est-a-dire que la kiye A comprend, d’une part des fils d’homme A et de femme B, et d’autre part des filles d’homme D et de femmes A.
訳:一般化交換の仕組みが進行中で支族がいくつかの小集団に分離しつつある部族としてブラジル中央のApinaye取り上げる。Apinayeはkiyeと呼ばれる4の支族(côtésは側族、partiesは部分集団)で構成される。婚姻規則は典型的一般化交換である。男Aは女Bを娶り、男Bは女Cを周回する。更に男子は父のkiyeに属し女子は母のkiyeに属す。すなわちkiye Aには男Aと女Bの息子が属し同時に男Dと女Aの娘が属す。
注: A家(kiye)の男がB女を嫁にして息子は手元に、娘は嫁実家B家に移譲する。A家にはD家に嫁に出た女に娘が生まれたら貰える。A家の息子は父系、貰った娘は嫁に出たA女の娘で女系も残る。

Dans ces conditions, comme nous l’avons déjà remarqué, que tous les hommes A, et toutes les femmes B, proviennent d’un même type de mariage (entre hommes A et femmes B) qu’ils ont pour mission de perpétuer. Bien que les cousins du premier degré soient conjoints prohibés chez les Apinaye (ce qu’on peut considérer comme une défense partielle contre conséquences du système), il n’en reste pas moins vrai que les kiye, qui sont en apparence des formations exogame, fonctionnent réellement comme des unités endogames.
訳:この決まりではAの男全てとB女全ては同じ婚姻の条件で生まれる。A男とB女の子。この仕組が継続する。Apinaye族において第一等いとことの婚姻は禁止されて入る(この理由は同族体系の継続を図る防御策を見られる)、kiyeの存在は族外婚的と見えるけれど実際には族内婚の働きをすると言える。

Il est probable qu’un examen soigneux de cas du même type, qui doivent être plus nombreux qu’une attention trop exclusivement dirigée vers la face « exogame » du phénomène ne le laisserait supposer, fournirait une utile méthode d’approche pour étudier des systèmes d’échange généralisé. Nous trouvons dans la deuxième partie ce problème des rapports entre endogamie et échange généralisé.(本論文の了)
訳:上述の例の検証は一般化交換を学ぶうえで十分に役立つと思われる。族外婚に関心、調査の力点を置きすぎると見落とすかもしれないこうした例は、想像するよりも多い筈である。本書第二部において族内婚と一般化交換の関連、その問題を追求する。

ヴェイユは一般化交換への移行を見せる例としてApinaye族を3の引用文を通して紹介した。


レヴィストロースは論理と系統図で、部族民は展開図で追いかけた親族構造をヴェイユが数式で証明した。個体の座標化、婚姻の数値化などを読み知るにつれ部族民は背筋を伸ばし括目のまなざしで行を追った。全く新しい解析手法、群論とする高等概念を数学無知の部族民蕃神にも分かる、易しいフランス語で書き下ろしてくれたヴェイユに熱烈感謝。


1 A,B,C,Dが嫁の交換をする、表面的には一般化交換である。
2 女子を嫁が属する支族に移譲する。嫁を貰って娘を返す、すると女の一般化交換とは言い切れない仕組みが見えてくる。
3 次世代になっても同じ支族から嫁をもらうから、その嫁が婿と兄妹である仕組みは残る。第一等いとことの婚姻を禁じているとあるから、兄妹婚も当然禁忌であろう。その仕組の詳細は(ヴェイユ調べる限り)民族誌の報告はない。
4 嫁と娘は一般化交換で4の支族を周回する。しかし息子は父支族に残り、隣接から嫁をもらう。隣接同士では外見は族外婚、一般化交換、実際は族内婚(A+Bの組み合わせで)の仕組みが残る。交換は一般化ながら嫁の代償に娘を渡す、ここに限定交換の色合いが濃い。これをして一般化への発展途上であるとヴェイユは見る。

Yir-yoront族の体系には「数学的省察をへて再吟味を必要とする」としたがApinayeも同様と示唆する。

親族の基本構造ヴェイユの証明第3 部 Commentaire 5 最終の了

追:親族の基本構造は本投稿で終了です。来年の予定はブログで神話学を取り上げます。またレヴィストロース名言をまとめたく著作で収集中です。
渡来部がYoutube動画投稿を企画しています。来年もブログ、ホームサイト、youtubeへのご訪問をよろしくお願いします。令和4年が皆様に良い年であるよう祈念いたします。(蕃神)

令和3年の最後に;
[部族民から聖誕日の挨拶] 
本日クリスマス、皆様は温かい夕餉を心待ちにしているかと喜ばしく推察します。街に流れるジングルベルを耳に止め、年の終わりを実感しております。令和3年の締めくくりにあたり皆様は生活、仕事をいかに回想なさいますか。私感ながら幾行かを。
コロナ病禍の忍び寄りで年が開きマスク、検査、重症者の増加など報道に乱され、さらには五輪を開くか辞めるかの喧々諤々が開始直前7月まで報道に、人々の口に姦しかった。
五輪も無事と終わって次もコロナ、検査陽性者の急増。東京都一日5000人が陽性などの報道に、いずれ我が身も肺の熱に悶え果てるのかの不安を抱いた次第です。振り払おうともわだかまる心に闇が落ち込む日々でした。
10月が急転、その後は一気に陽性重症者が激減した。ゆとりもちょっぴり感じられる今日がクリスマスでした。
一刻が安堵、朝露の吐く息を追って空を吸い込む。皆様には平安な、今年最後の週末を迎えると喜び申し上げます(蕃神)。(2021年12月25日11時投稿)
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親族の基本構造ヴェイユの証明第3 部 Commentaire 4

2021年12月23日 | 小説
(2021年12月23日)20世紀大数学者(パリ大学、プリンストン大学など)アンドレ・ヴェイユが「親族の基本構造、Les structure élémentaires de la parenté」に寄稿した「幾つかの親族体系の数学的省察Sur l’étude algébrique de certains types de mariage (Système Murngin)」(本書257~265頁)の紹介を続けています。本論文にて彼はMurngin族が時折実践する「奇妙な」結婚例こそ、族民の「交換と婚姻」の普遍概念を表現する具体例、と数式をもって証明した。彼のこの取り組み姿勢はレヴィストロースのそれと同一であるものの、ある一線で断絶が認められます。この差は数学者と哲学者、論理展開での方向性の分離であると部族民(蕃神)は感じ入る次第です。
本文に戻ります。
[Reste à savoir comment les Murngin parviennent à échapper au danger de leur système théorique. Dans ces conditions, les lacunes des observations, les indications équivoque sur les différentes manières dont peuvent, en effet, se fermer les cycles d’échange, ne proviennent peut-être pas uniquement d’une carence des informateurs ; il est possible qu’elles soient l’indice d’une limite intrinsèque de la structure, qui ne peut pas se parachever sans compromettre l’unité du groupe.
Cette limite se marque-t-elle dans le fait que les cycles réels sont plus courts ou plus longs que ceux qu’impliquerait l’existence de sept lignes ? Il se peut, aussi, que le cycle se ferme avec un décalage d’une ou plusieurs générations, comme c’est le cas de chez les Wikmunkan. Quoi qu’il en soit, la codification d’apparence Aranda est condamnée à rester toujours incomplète, ou le groupe social a se segmenter]
訳: Murngin族に残るは自らの理論につきまとう厳格すぎる体系をいかに手懐けるか、これを探る。調査資料の不足、様々に異なる対応、不確かな記述。そうした状況でも交換は進み周回は閉じる。報告される説明の不確かさ、偏位の多さは観察者の経験不足からではないものの、族民の対応の様が浮き上がらない。こうした構造にはもともと運用の限界が内在している。もしも厳格さを受け入れて規則をその通りに守ったあげく、集団の存立が危機に追いやられたら、構造そのものが意味をなさない。まずは族民の社会の存続ありきに尽きるから。
交換の経路は7本(原文)を標準とするが、実際の周回はそれより短くもあり長くもありうると教えるのだろうか。あるいはWirmunkan族に認められるが如く、世代を超える間隔をもって交換周回が閉じていくのだろうか。様々な対応の手順が実践されていると想定できるが、Aranda族の段取り(codification)は常に不完全を見せている、よってこの集団は細分化に向かう進展を余儀なくされる。

Aranda族の婚姻展開図、子の交換が限定となり、分割され得る階層をつくる。


[部族民] :理論として確固たる親族体系と族民の実際行動との間に差異は認められる、とヴェイユが諭す。唯一例外はAranda族体系としている。それは仕組み(codification)そのものにおいて破綻に向かう。それ故この集団は分割される。
レヴィストロースのMurngin の説明に戻る;Aranda族は婿を隣接のサブセクションに贈り、子はその先に移譲する。4セクションで結果として子のやり取りは限定交換、婿は一般化のモデルを形成している。レヴィストロースはこの仕組み、すなわち限定と一般化交換の融合(原文では交代alterné)をアボリジニ親族体系の基本形と置く。8サブセクションMurngin体系にはこの融合(交代)の概念を発展させて再構築した。ここが「奇妙な」とされるMurngin族体系を、アボリジニとの共通性を探ったレヴィストロースの立ち位置であり、人類学者としての思索の源流でもある。ヴェイユモデルとの差異は子の限定交換を通して「階層classe」が形成され、[réductibilité]分割され得る仕組みを設けている点である。

ヴェイユが「分割される社会」を退ける背景は、彼が数学者であるからとしたい。ニュートンにしてアユインシュタインも数式で世界を構築する試みは、常に普遍と単純を目的とする(距離2乗に反比例、質量2乗に比例で太陽系が説明されるなど)。数式が成した世界に変遷が発生してはならない。Réductibilitéを孕む世界は変化を予言するのだから、数式になじまない。こうした数学者の本性があるからではないだろうか。
子の移譲先を決める数式(a+1,b+1,a+c+d+1)には一見で不可解な「+d」が混じる。しかしこの+dが子の交換をも一般化に編んじている。分割されるかもしれない階層を省き、嫁交換も加えて全周16回を一般化交換とするモデルを築いた。

アユインシュタインのエネルギー公式。これが数式で表す宇宙(らしい)、簡素こそ普遍。写真はネットから。

ヴェイユとレヴィストロースモデルのモデルの差は単に子の交換式の差ではない。普遍を求める数学者と族民社会の変遷を知り尽くす人類学者の社会に対する概念の差である。ヴェイユはMurnginモデルを作成したのではなく、族民全体の普遍モデルを組み上げたのではなかろうか。レヴィストロースを凌ぐ構造主義者がヴェイユであるかもしれない。
最後に;引用原文では交換の経路は7本、部族民は8本を数えるのだが、きっとヴェイユの7本が正しいのだろう。なにせフェルマー定理の予測だもの。

原文に戻ろう。
Ce n’est donc peut-être pas un fait absolument arbitraire que les systèmes de la région de Southern Cross se présentent sous l’aspect – d’ailleurs illusoire de deux moitiés endogamiques, et que les Yir-yoront soient, au moins partiellement, endogames ; les Yir-yoront sont divisés en deux moitiés patrilinéaires, « tous les hommes des clans Pam Lul prennent femme dans l’autre moitié ; cependant il n’y a pas que certains clans Pam Bib qui s’allient avec des clans Pam Lul ; les autres se marient dans des clans de leur propre moitié Pam Bib ». Ces faits devraient être attentivement réexaminés, à la lumière des conclusions théoriques résultant de l’étude mathématique.
訳:以下の事情は全くの偶然ではないと思われる。それはサザンクロス地域(Murnginと同じくオーストラリア北部)の親族体系は族内婚の2の半族で形成されるが、それ自体が見せかけと思える。Yir-yoront集団(同地域の住民の)は、その一部かもしれぬが、内婚集団で、2の父系集団に分割される。PamLul支族の全ての男は別半族PamBibの女を娶る。しかしPam Bib側では全ての女がPam lulに嫁ぐわけではなく、同じ半族の別支族に嫁ぐ。この事例も数学的省察をへて再吟味を必要とするだろう。

ここでヴェイユは体系と実際の乖離、そのもう一つの実例を提示している。2の半族に分かれる族内婚の体系ながら、その一の半族は族外婚と族内婚を実践している。この「奇妙さ」も数式的に解決できるはずと予言する。

親族の基本構造ヴェイユの証明第3 部 Commentaire 4 了(2021年12月23日)
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親族の基本構造ヴェイユの証明第3 部 Commentaire 3

2021年12月21日 | 小説
(2021年12月21日) On voit à quel point Elkin se trompe, quand, se laissant entrainer par un empirisme inspiré de Malinowsky, il écrit « D’une façon générale, l’étude de l’élément purement formel des systèmes de parenté australiens ne vaut guère d’être entreprise…après tout , elle n’apporte que peu de satisfaction et ne donne aucune intelligence réelle de la vie de la tribu»
訳:Malinowskyに影響を受け経験主義に陥ったElkinがいかにして迷走したかを探る;彼は「一般的にオーストラリア人(先住民)の親族の形体としての省察はいかなる学術的成果をもたらさない。その試みは満足に至る結果をもたらさないし、部族生活の実利的理性など全く浮き上がってこないと結論づけた。

Elkin:アドルフス・ピーター・エルキンCMG( 聖ミカエル・聖ジョージ三等勲爵士)、1891~1979年オーストラリアは、英国国教会の聖職者、20世紀半ばの影響力のあるオーストラリアの人類学者であり、オーストラリア先住民の同化の支持者でした。 ウィキペディア(英語)の訳文から。
先住民同化とは優生学がもてはやされていた20世紀初頭の時代用語では「白人化」である事をお忘れなく。白人男がアボリジニ女に子を産ませ、その子を白人社会に取り込む。一方通行であり、その逆(白人女がアボリジニ男の子を生む)はあり得なかった事も。




Elkinは白人化を3代重ねると、かなり白人の相貌に近くなるとして、白人との混血を進め子を白人社会に同化すべしと主張した。写真はネットから。

[部族民]:前文との文脈でElkinは見かけでは曖昧さを孕む習俗規則などの背後に隠れる体系、構造あるいは思想…を見つけるまでに至らなかったとヴェイユが指摘している。Murngin体系の第一報告者であるWebb等が「奇妙な婚姻」と切り捨てた「たすき掛け」の婿入りを、レヴィストロース、ヴェイユは同族の壮大な親族体系を紐解く結び目と見抜いた。
おおよそ解析において2の手法があるとすれば、1は見えているモノを規定概念で説明する。2はその見える奥に潜むからくりの究明である。当然ながらそれぞれが別個の解決にたどり着く。
1の手法を採る観察者は見えているけれど説明できない現象は例外、無意味と断じてしまう。2の観察者は隠れる意思、思想に肉薄する。Murngin体系での例外性を「奇妙な」とする一派と、その奇妙さこそ「社会を存続させる知恵」と規定する別の派に分かれることになる。2派を分ける乖離とは思索を練り上げる過程においての浅さと深さにある、は言い過ぎか。しかしながら結論に見える両者の落差、その意義を吟味すればするほどに論理の質のあからさまな差異には驚きを隠せない。

仏語圏の思想家は英語圏で隆盛を極める実証、経験主義を否定する。Malinowskyはポーランド出身(英語圏)の民族学者であり機能主義の観点から先住民社会を説明した。Kulaはトロブリアンド諸島の贈答慣習であり諸島に散らばる部族の独自性を担保する機能を持つと彼は主張した。ここに誤りは無い。しかしこの説明は単に見えているモノ(贈る行為)を別のモノ(社会の成り立ち)に置き換えているだけ。レヴィストロースが本書で展開する交換の理念(不等価不均衡inégalité, déséquilibrité)、更にはヴェイユの非分割 (irréductibilité) 社会であるべきとの思考、これもまた理念。それらが隠れる4の階層であり全周交換でもある。理念を具現するための習俗、行為など見えている仕掛けの語りかけを探る手法こそ、レヴィストロース、ヴェイユが採った分析法である。構造主義としても言い外れではなかろう。
それを機能人類学と比較すると経験主義とは広範に手を広げるが、かくも浅いと判定したくなる。
偏見かもしれぬ。

En ce qui concerne la société Murngin proprement dite, il est difficilement concevable qu’une société fonctionne dans les conditions suggérées par la théorie tout en conservant son individualité. D’autre part, si la société Murngin était concrètement dédoublée en deux sociétés, le fait n’aurait pu passer inaperçu d’observateurs de la qualité de Warner et de Webb. Il faut que les Murngin s’en tiennent, en fait, à une formule qui leur permette de préserver l’unité de groupe.
訳:Murngin社会の本来の特性について語れば、もしこの社会が自身の存続性を保ち、理論に沿いながら規則を実践していたとは考えにくい。付け加えれば社会が確固と2重化の相貌を見せていたのだとしたら、Warner, Webb水準の観察者であればその実態を見落とすとは考えられない。結局、Murngin族は集団として族の統一を保証する、ある手順(規則を外してでも)を用いてでも存続しなければならない。

「規則を実践していたとは考えにくい」先の引用にあった[les conditions rigoureuses]厳格な規則遵守と同じ文意を持つ。先住民の思想が規則に反映されているが、そのとおりに遵守している訳ではない。

Nous étions donc fondés à supposer que le système, tel qu’il s’énonce dans les règles compliquées de sous-sections et du mariage optionnel, doit être considéré comme une théorie élaborée par des indigènes soumis à des influences contradictoires, et comme une rationali-sation de ces difficultés, plutôt que comme l’expression du réel. La réalité du système est ailleurs, et nous avons essayé d’en dégager la nature.
訳:我々は以下の考えに立脚している。この体系とはサブセクション、補完としての婚姻形体などの複雑規則を前面に出しているからに、それは先住民が常に晒されている諸事情、遵守しきれない困難を織り込んだ上での一の理論と見る。規則とは実際に実行する物にあらず、困難さへの妥協である。体系はそこにあらず、我々は実体から思想(nature)を引き出したのだ。(意訳を試みた。ご理解いただければありがたい)

[部族民] : Rationalisation直訳は合理化、合理体制。少しひねって「言い訳」、妥協とした。l’expression du réelは現実表現、これを実行とした。文を通してヴェイユは実体の背後に潜む思想(nature)を数値で構築した。「黄金時代」と蕃神はこれを評した。一方でそれらはあからさまに見えている、あるいは実践されているとはしていない。厳格実行を阻む諸事情influences contradictoiresと妥協rationalisationが絡み、理論がそのままには実践されていない。
この2の引用文からは数学者の思考を覗き見るようで興味深い。実体と理論、主体は理論にあり実体は客体。この論考は哲学的で現象論的であり、まさに構造主義でもある。

親族の基本構造ヴェイユの証明第3 部 Commentaire 3の了(2021年12月21日)

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親族の基本構造ヴェイユの証明第3 部 Commentaire 2

2021年12月19日 | 小説
(2021年12月19日)本書に論文寄稿の後、ヴェイユはプリンストン大学から数学教授として招聘され、また世界数学会議(1955年日光にて)に参加している。そこで志村谷山の予想に接しそれがフェルマーの最終定理を解く鍵となる重要提題と見抜き、世界数学界に広く喧伝した。この機会に日本に住む「個人と称する数学者の謎」、その意は個人名であれ程の業績を上げているとは「信じ難い」、ブルバキ(フランス数学者集団)と同じく複数人の業績でないかとの疑いを解くため、奈良山中に「多変数函数」解明に数学仙人の浮世離れ生活をエンジョイ(おっとタイプミスった、苦吟)していた岡潔を訪ねている。(カギ括弧内は難しい概念なのでWikiに解説はでていない。無知部族民はこれら情報をネット採取した)

始めよう;
L’étude mathématique du système Murngin qu’on vient de le lire rappelle plusieurs remarques. D’abord, la découverte qu’un système de type Murngin, s’il fonctionne dans les conditions rigoureuses qui, seules, permettent d’en donner une interprétation systématique, provoque la fission du groupe en deux sociétés irréductibles, montre qu’un système d’échange généralisé ne peut pas évoluer au-delà de sa propre formule : sans doute, le système est également concevable avec un nombre quelconque, mais que ce nombre soit trois, n ou n+1, la structure reste inchangée.
訳:Murngin族体系の数学的考察を開示したばかりなるも、皆様には幾つかの留意点に気を止めたかと存ず。始めにMurngin類型とはそれが厳格な規則遵守の下で遂行されている状況でのみ覚知が可能となり、体系として人々の解釈に至るのだが、それはまたそうした社会はそれ以上に分割できない2の集団を形成する事となる。かつこの一般化交換は本来として有り得る形体を越えての進展は望むべくもない限界を示した。もちろんこの体系はいくつもの成員数での成立は可能であろう。(Murnginの2集団に対し)3の集団、n, n+1の可能性もあるが、構造に変化はない。

[部族民の理解] : [les conditions rigoureuses] conditionsは条件なので実体を持つモノとして普通は考える。人口動態、生業あるいは社会基盤などと、こうした「環境条件下でのみ体系が生きる」と理解できるが、意味が通じない。そこで訳をひねって「一般化交換の規則」を厳格遂行してのみ体系が生きると理解した。モノを条件とするのではなく「行為」と解釈した。
これに導かれる [une interprétation systématique] 体系としての解釈とはヴェイユの展開した数値化(サブセクション座標a,b,cと婚姻数値M(a,b,c,d)、子の移譲先の計算式a+1,b+1…)がsystématique。そして(ヴェイユモデル)行き着くと考える。そこに至る洞察の道のりを自ら表す文である。
自身モデルを「uneとある一つの」としているが「謙譲表現」ではなく、あくまでも可能性としての一つである。実際、同じ材料、情報源を使いながらもレヴィストロースモデルとは異なる。

ちなみにヴェイユモデルの発展形、[modèle en trois groupes irréductibles]3の非分割集団の社会における一般化交換の周回社会を再現した。部族民式に展開図で広げたが4サブセクションの3の直列組み合わせ(12のサブセクション)は可能なるも、3段目がどうしても限定交換になってしまう。3段目を付け足したら形体でも付け足し感が否めず、この部分がréductible(分割できる)となってしまう。こした部族形体は考えにくい。
8のサブセク、4集団を直列結合すれば全周回で一般化交換は実現できるが、サブセクション数は16と膨れ、周回数は32と膨れる。それほどにも迂遠な周回交換はあり得ない(と感じるがいかがなものか)。


3の階層を直列に置いた親族構造の試み。付け足した3番目では嫁を限定交換するしか解決策がでてこない。3番目は分割され得る(réductible)集団となる。


Si l’on essaye de transformer la structure ; deux possibilités sont ouvertes : ou bien la transformation est opérante, et la formule d’échange généralisé s’abolit (c’est le cas du système Dieri), ou bien la formule d’échange généralisé est préservée, et c’est alors la transformation de structure qui s’avère illusoire : en acquérant huit sous-sections, le système Murngin parvient seulement à fonctionner dans les conditions théoriques de deux systèmes d’échange généralisé, chacun à quatre classes, juxtaposés.
Nous étions parvenus à cette conclusion au chapitre précédent ; par une analyse purement structurale ; et l’analyse mathématique la confirme.
訳:構造を換えようと人々が動くとして2の可能性が考えられる。1は変換が実際に動き出す場合である。一般化交換の制度はその過程で消える。Dieri族の場合がこれにあたる。
もう一方は一般化交換を残しながら新たな体系に移る。変換は実は見せかけだけになる。Murngin体系をとると、それは4サブセクションを8に加増するため、新たに4サブセクション集合を縦列に組み合わせた。それぞれが一般化交換をもっぱらとする。前章にて我々はこの結論にたどり着いた。その手法はといえば構造を明らかにせむとする省察であり、数学的分析がそれを裏打ちした。
[部族民から]:一般化交換を残しながら8のサブセクションの体系。ヴェイユとレヴィストロースが構築する思索の力方向は、ここ原点に置いては同一を目指した。

注:Dieri族情報はネットで取得。
The Diyari alternatively transcribed as Dieri is an Indigenous Australian group of the South Australian desert originating in and around the delta of Cooper Creek to the east of Lake Eyre. (Wikipedia)
Dieri族(写真はネットから)


親族の基本構造ヴェイユの証明第3 部 Commentaire 2の了
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親族の基本構造ヴェイユの証明第3 部 Commentaire 1

2021年12月16日 | 小説
(本書263~265頁、A.Weil寄稿のCommentaire部の全文をタイプ起こして取り上げる)。今回は 序文として;

(2021年12月16日)アンドレ・ヴェイユから本書(親族の基本構造)への論文寄稿は9頁分。本論「数学的省察l’étude algébrique..」が7頁を占め、2頁強のCommentaireコメントで締めくくる。数学者文章を部族民がブログで紹介する機会は、絶対に、この機を外したら起こる筈がないし。さらに長さも手頃なので全文をキーボードタイプに起こし、訳文と僭越ながら部族民の解説、感想も書き加えた。ヴェイユを解説するなどは身の程知らず、嗤ってくれ。
ヴェイユ文体は平明で分かりやすい。哲学者レヴィストロースの大上段に構えた文の脈絡と異なり締め切り気にせずサラリ、書き流しの表現風情を見せている。何故ならレヴィストロースほどにヴェイユはシツコクも小五月蝿くないから、精神状態が文面に現れているからと推察する。第一版の刊行が1947年、06年生まれのヴェイユ起稿時の年齢は40歳ほどと思われる。まさに研究活動に力が溢れ切った時期かと思います。

訪問をいただく皆様には仏語堪能の方も多いかと推測します。今回投稿(序文)では訳、解説を挟まず、仏語原文のみを掲載します。全文は長いから半分ほど。数学界20世紀のゴッドファザー(ネットからの仕入れ)、大数学者の円熟の気概を原文から楽しんでください。

本書263頁のデジカメ


第一節
L’étude mathématique du système Murngin qu’on vient de le lire rappelle plusieurs remarques. D’abord, la découverte qu’un système de type Murngin, s’il fonctionne dans les conditions rigoureuses qui, seules, permettent d’en donner une interprétation systématique, provoque la fission du groupe en deux sociétés irréductibles, montre qu’un système d’échange généralisé ne peut pas évoluer au-delà de sa propre formule : sans doute, le système est également concevable avec un nombre quelconque, mais que ce nombre soit trois, n ou n+1, la structure reste inchangée.

第二節
Si l’on essaye de transformer la structure ; deux possibilités sont ouvertes : ou bien la transformation est opérante, et la formule d’échange généralisé s’abolit (c’est le cas du système Dieri), ou bien la formule d’échange généralisé est préservée, et c’est alors la transformation de structure qui s’avère illusoire : en acquérant huit sous-sections, le système Murngin parvient seulement à fonctionner dans les conditions théoriques de deux systèmes d’échange généralisé, chacun à quatre classes, juxtaposés.
Nous étions parvenus à cette conclusion au chapitre précédent ; par une analyse purement structurale ; et l’analyse mathématique la confirme.

第三節
On voit à quel point Elkin se trompe, quand, se laissant entrainer par un empirisme inspiré de Malinowsky, il écrit « D’une façon générale, l’étude de l’élément purement formel des systèmes de parenté australiens ne vaut guère d’être entreprise…après tout , elle n’apporte que peu de satisfaction et ne donne aucune intelligence réelle de la vie de la tribu». En ce qui concerne la société Murngin proprement dite, il est difficilement concevable qu’une société fonctionne dans les conditions suggérées par la théorie tout en conservant son individualité. D’autre part, si la société Murngin était concrètement dédoublée en deux sociétés, le fait n’aurait pu passer inaperçu d’observateurs de la qualité de Warner et de Webb. Il faut que les Murngin s’en tiennent, en fait, à une formule qui leur permette de préserver l’unité de groupe.

第四節
Nous étions donc fondés à supposer que le système, tel qu’il s’énonce dans les règles compliquées de sous-sections et du mariage optionnel, doit être considéré comme une théorie élaborée par des indigènes soumis à des influences contradictoires, et comme une rationali-sation de ces difficultés, plutôt que comme l’expression du réel. La réalité du système est ailleurs, et nous avons essayé d’en dégager la nature.

楽しみいただけましたか。易しくシツコクなく風が吹き抜けるかの文体、数学者はこうした精神状況で生きているのでしょうか。

親族の基本構造ヴェイユの証明第3 部 Commentaire 1の了(2021年12月16日)次回は12月18日
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親族の基本構造ヴェイユの証明 第2部の最終 5 

2021年12月10日 | 小説
(2021年12月10日)今回投稿は下スライドの「視界風景」について語る。




前回まで4の投稿を通じてレヴィストロースとヴェイユの親族と婚姻の理解について紹介した。このレヴィストロース著作にヴェイユ論文が掲載される経緯は以下に説明されている;<André Weil qui a bien ajouter un appendice mathématique à la première partie第一部末に数学的補遺を載せる事をヴェイユが強く希望した(親族の基本構造第一版の序文、1947年)。ヴェイユ年表を見ると1941年に米国に亡命、1945年にサンパウロ大学に講師として招聘されるまで米滞在の期間があった(Wikipedia)。レヴィストロースも同時期に米国に亡命していた、亡命仲間、出自を同じくする(アルサス系ユダヤ人)など親しみが持てたのか、この交流の中で依頼を受け本論文を書き上げたと思える。

本書序章のデジカメ、AndréWeilの依頼で掲載したと読める(日付は1947年2月23日、ニューヨークにて)

人の精神に関わる行為を数値化し、規則を決めた。後にも先にもこの種の学術発表は本論文のみかと思われる(部族民知る限り)。

さて両者;
原資料を「換骨奪胎」するかに分解し、婿入り嫁取りの実際行為の奥に潜む「思想」を探っている。取り組みの姿勢は共通ながら、片方は社会の分割化を排除すべく子の移譲先を決める数式に+dを追加し、もう一方は社会の中に特定の集団(階層、classe)を想定し、言わば分割される社会を容認している。レヴィストロースは数式を用いないが、彼が意図したところはこの+dを省いた(a+c+1)の式に戻っての子移譲の数式に他ならない。+dはまさに非分割社会、一般化交換のヴェイユ項である。

この差異はどこから発生したのか;
レヴィストロースは人類学者である。民族誌報告をあるがままに分析しなければ習俗とその意図はつかめない。アボリジニ諸族の婚姻は限定交換を基礎としている。あるいは表向き一般化交換を見せても、より重要な制度を限定交換にて構築している。レヴィストロースがMuringin 族の8サブセクションをアボリジニ一般の4の階層(P,R,Q,S)に再構成し、Aranda族モデルと相似すると証明した。
それは彼が人類学者であるからに尽きる。

一方ヴェイユはその思考強制(=exigences、レヴィストロース用語)を持たない。交換の原理の不等価、不均衡を完璧に実現する社会を造り上げた。その社会は「貰った相手に贈り返さない」「与えなければ貰えない」の全信用の制度となった。数学者の描く風景は特定の利権を廃した四方平等、分割されない輝きを放つ部族社会となった。
人類学者が説いた部族社会は息子娘を特定相手に移譲する。特定相手とは子を贈り貰う関係である。制度は母系、故に母の母、子にとって祖母のサブセクションに送られる。ここに子への特定利権が、与える側と貰う側に生ずる。更に息子は特定相手に贈られるから祖母のサブセクション、ひいては母も属する母系集団(これが階層classe)から弾き出される。
ここにも利権が生じている。息子を特定サブセクションに贈れば、回り回って娘に婿が取れる。送り出された息子とは信用担保の質草と言える。

レヴィストロースは本書の最終頁に黄金時代l’âge d’orはいつだったのかに言及している。シュメール人の黄金期は会話が満ち溢れ、全ての言葉を同じ意味で人々が共有していた時代。それがバベルの塔の以前であったと。アンダマン諸島の住民が黄金を掴むのはこの世の終わり。誰もが死に絶え宇宙のどこか、皆は分散孤立して、会話は交わされず言葉も意味も消え果てて、娘らを嫁に追い立てない暗黒の沈黙こそ黄金期であると。

ここで視界風景に。
ヴェイユが組み立てた信用は別の仕組みで考えると、言葉と意味を共有し理解を共にする社会である。すると一般化交換で子と嫁を周回させるとは、信用が決潰したバベルの前の時代、それこそ部族社会の黄金期であると言える。レヴィストロースの融合型は信用だけでは成り立たない、実質(現ナマ)を蓄えてこそ安心できる、欲の皮の突っ張り始めの部族社会、それでも未だ信用する仕掛けを崩していない。限定と一般化交換の融合となるが、レヴィストロースは青銅期l’âge de bronzeを再現したのではなかろうか。

ロダンの青銅期、写真はネットから

親族の基本構造ヴェイユの証明 第2部の最終 5 の了(2021年12月10日)

後記:ヴェイユはこの論文の末にコメントを書いています。数学者の文章など本ブログでは紹介することもなかったので、このコメント解説を近々に投稿します。
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親族の基本構造ヴェイユの証明 第2部 4

2021年12月08日 | 小説
(2021年12月8日)前回(12月6日)に掲載したスライド、子の移譲先の計算式にa+c+d+1(ヴェイユモデル)を用いて一般化交換を説明した.

上のスライド。これでは起と結を結ぶ因果が見えてこない。反省、

改めて別スライドを作成した;


上スライドはd1,d2を核とした交換経路を示す。d1d2に婿を贈るサブセクはc1c2(ヴェイユの条件ivから)。c1がd1に婿を贈る、その婚姻で生まれた子はb1に移譲される。Ec1(x=0)=Eb1(y=0)の式から。同じくc2d2の例で子はb2に。スライドでの子のやり取りをたどる。
d1はb2から子を貰うが、子を贈るのはb1。
d2はb1から子を貰うが、子を贈るのはb2。
また、b1はd1から子を貰うが、子を贈るのはd2。
b2はd2から子を貰うが、子を贈るのはd1。
のやり取りが読み取れる。d1d2に赤丸を置いたがb1b2にも同様の一般化交換の経路が形成されている。この経路は平行婚とたすき掛け婚で、d=0ないし1に分けて、子の移譲を分散させているからである。ヴェイユ式の+d項の効果である。
+d項を外しa+c+1でこのやり取りを構築すると。下スライド;


b1はa1に婿を出しその子はc2に、
b2はa2に婿を出しその子はc1
(スライド中の窓、Eb1(x,y)、Eb2(x,y)がそれぞれc1座標(a,b,c)とc2の座標に合致するさまと、右窓に婿と子の流れを表した)
次のスライドでc1c2を核とした流れを見ると(中窓);


c1はd2からたすき掛けで婿を貰いa2に子を(前スライドでa2から子を貰っている)
c2はd1からたすき掛けで婿を貰いa1に子を(前スライドでa1から子を貰っている)
赤丸のc1c2もa1a2も限定交換で子をやり取りする。+dを省いているからたすき掛けと平行婚の行き先が分散しない。

下のスライドは子を限定交換する組を一の階層(classe)として、婿の交換がどのように流れるかを解析した。左窓が全体の展開図、中窓は階層化の組分け、右窓が婿の流れ。婿の流れが四組一循環の一般化交換と化した。


これが本投稿の冒頭に引用した謎の文句、

<derrière le système explicite (double système d’échange restreint à huit classes), ce que nous appelons plus haut le système implicite ( le système d’échange généralisé à quatre classes), qui constitue pour nous la lois du système Murngin(215頁)
訳:覚知出来る(explicite)体系は8の階層=サブセクション=と2重の限定交換、その背後に覚知出来ない(implicite)体系が潜む、それは4の階層(classes)による一般化交換の体系でありMurngin体系の法則を形作っている。

の意味合いである。

親族の基本構造ヴェイユの証明 第2部 4の了(2021年12月8日)
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親族の基本構造ヴェイユの証明 第2部 3

2021年12月06日 | 小説
(2021年12月6日)前回の最終文節の要約は;覚知出来る(explicite) 8サブセクションと2重の限定交換、
及びその背後に覚知出来ない(implicite) 4の階層(classes)による一般化交換(本書からレヴィストロース指摘)。このモデルを展開図に落とすと(前回掲載);


子の移動を示す青の破線にRP,PR,SQ,QSの符号が振り付けられる。これが系統図の上欄にレヴィストロースが括弧で張り付けた記号の意味である。このMurngin8サブセクションをAranga族の制度を借りてRP…の4支族に統合を試みる。子を受け渡す2のサブセクションを1の階層にして(a1とd2を一の階層にするなど)婿がどのように交換されるかが下の図。

(水平とたすき掛け交換を合わせた)周回の一般化交換が形成されている(=背後に覚知出来ない(implicite) 4の階層(classes)による一般化交換)。Aranda族体系と相似を示す。これをレヴィストロースモデルとする。

ヴェイユモデルを検証しよう。まずは両モデルの比較。スライドの下2の窓、左がレヴィストロースモデル、右がヴェイユモデル。

レヴィストロースは哲学者なので論理、文章を表現の基礎とする。親族の系統図を時折、加えるのみで「婿の交換」「子のやり取り」「交差いとこ婚」を立証している。パワーポイントでの展開図は彼の論理と系統図を(部族民風に)まとめたものである。
レヴィストロースはアボリジニの典型を見ようとしている。汎部族民を考える前に報告されている特定部族を取り上げる。これは現地調査に立脚する人類学の王道である。
下スライドが両者の差をまとめた。


ヴェイユの基調は数値を用いて分割の無い「汎部族民」の制度を目指す。数学者の立場である。サブセクションと婚姻の数値化から始め、子の移譲、交差いとこ婚の成立を証明した。スライド両モデルの相違点を下スライドでわかりやすくした。


相違点は子の交換経路。
左レヴィストロースモデルは子を限定交換でやり取りする(=覚知出来る(explicite) 8サブセクションと2重の限定交換)。
対しヴェイユモデルは子も一般化で交換する。

その差はいかにして発生したのか。これを探るため新たな式を立ち上げた。


E(x,y)、Eはenfant(子)、x=a+c+d+1,y=cn.
この意味、xは婚姻M(a,b,c,d)で生まれる子の行き先(ヴェイユ式)、yはcの値そのもの。y値とは子が向かう嫁の原籍地とは対角にあるcnを探し、x=cnに当たるサブセクションに子の帰属が決まる。


特に+dを加えたことで平行婚では+d=0なので効果を無くし、たすき掛け婚(+d=1)でのみ効果を出させた。あるサブセクが婿をとって子を設けたら、婿の婚姻形体が平行、たすき掛けで子の移譲先が分かれる。分散させる効果を+dがもたらす。これが子の交換の一般化につながっている。

+dを外してx=a+c+1の場合を次回(12月8日)シミレーションする。

親族の基本構造ヴェイユの証明 第2部 3 の了(2021年12月6日)
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