息子は手を払って不同意を露わにしながら
「天板はしっかり打ち付けられているじゃないか、どうやってこれを開けるのかい」
一息を呑んでさらに、
「兎にも角にも、なぜ開けようとするのかを知りたい」
「死んだってことが私には信じられない。様態が悪化、高熱を発して手足も痙攣して、呼吸困難。晩のうちに心臓停止と病院側が説明はしたけれど」
「昨日の昼に面会に行って、墓の改葬の話を出した。こじれたから話し込んだ。父は合意されなかった。そして今日の昼、棺を前にしての説明で事務方が晩に逝去したと言った時、私を斜目で睨んだよ。長過ぎる面談で私が持っていたウィルスに感染したと疑った目つきだった。亡者になっても膚から息を継ぐ、ウイルスは撒かれる。クラスターが発生したら大事と医療の用心が勝って死んだらすぐに納棺し、釘まで打ち込めと指示したのだ」
「その説明がこじつけだと言ってる。一瞬には呼吸しなくても、拍動が弱くなった刹那はあるだろうけど、茂雄さんは死んだ訳ではない。息とか心臓の具合を少し落としただけかもしれない、だから棺の内で息を吹き返しているとしか思えない。この棺に死んだ人は入っていない、お父さんが寝ているだけ」
義姉は掌を当て「温かい」天板を擦った。そして息子に向いて、
「通夜の最中に亡者を棺に填めるはご法度じゃ。亡者は褥に置いたまま、頭の向きを北にあらため、掛けは腹上に下ろし手を胸前に合わす。これら儀礼は何を意味するかと知っているのかい、お前」
「知らない」私には甥になる息子の返事は否定を越して無関心が漂う。その母、義姉のヒロは、
「死ぬか生きるか迷い目の亡者を見届ける。黄泉落としと決めつけられても吹き返す、息のささくれ擦れの訴えを聞いたとしたら、それは亡者が誘う声。息の端から亡者の戸惑いを聞き分ける、これが北枕の意味なのだ。黄泉の戻りの境目にうろたえるのなら、一晩を寝ずに縁者が寄り添わなければ」
「昔には死は近縁が決めた、不確かだったろうに、でも一晩置いて亡者を確かめ、泥に埋めて、石を乗せたらそれがこの世の終わり。今の世は機械を覗く医師が死を、心拍の停止で断じる。さまよい蘇りに心配することは無かろう」
「コロナに怯え、クラスターを怖れるあまり回りから、急かされ機械を覗くその医師が納棺をやっつけ指図したのだ」
「とっさの判断、死の認定と納棺指示の医師判断を誰も否定はできない」
「生きていたかもしれない」
甥は天板暴きに同意した。道具を用意し木をいじる、これが甥の役目。
「しかし、母さん、日が落ちきっていない、ご近所さんが線香の一本と訪ねてくるかと心配もする。だから晩も遅くに開けよう」
夏の夜、街を流れる「チーンチーン」は火の用心。晩の遅くに消防警戒が巡回する。戸を閉め切った居間の天井には豆球のみが灯る。息子が釘抜きと玄能を手に階段を降りてきた。
釘抜きは長柄の一端が直に曲がり短柄を成す。短と長柄の両端に先割れの鳶口が備わる。
豆球の真下が木棺、息子はその真上に立ち釘を数えた。四隅と長手の左右に3本づつ、計10の釘頭が数えられた。中腰に脚を落として天板と筐体の隙間を指で探る。
「きつく打ち込んでいる」とは自身への言葉、厄介になる気構えの固めだろう。額から汗が幾筋か垂れた。
長柄の鳶口を押し込み、嵌め合いを確かめつつ柄尻を、振り上げた玄能の平頭できつく打った。鳶口の突然の嵌め込みに抵抗する木目の叫び。それも構わず更にもう一度、より高く玄能を振り上げ柄尻をガッシと打ち下ろすと木目はなおも「グッし」堪える。
「そんなに強く打ったら板がわれるよ」
「はじめの1本開けには抵抗が特に大きい。2本目以降は木が諦めるから楽になる」
嵌め込みの頃合いを指で探って息子は、隙間への差し入れを短柄の鳶口に替えた。コツコツと玄能を当てると天板が口を開ける。一時間を超す緊張と労力のはて、全周10本の釘頭に天板と筐体の隙間ができた。むーわとした生暖かい湿り気が溢れる、その香を吸い込みながら義姉が、
「生きる人の臭い」と呟く。息子は、
「なんだか臭いな、死臭があるならこれがそれさ」
天板の中央を裂けるかばかりに息子は叩いた。ばったん、板が落ちて隙間が閉じた。10本の釘が頭と首を宙に残して等間隔に揃った。これを一本毎に養生布を板上において、短柄の先割れで抜く。釘9本が天板に横に並んで残る最後の1本は北の東隅。
ここで息子は手を止め、道具を天板に置いた。
「これを抜いたら天板は外れる。最後の一本は母さんが抜いておくれな」
「なぜ、1本が残るだけじゃないか」
答えず階段に走り寄り自室に戻った。木棺暴きから息子は逃げ出した。
最後の1本を抜いて義姉ヒロはおそるおそる天板を北頭から南に移した。先程の生臭い息がふわりと再び浮き上がった。ヒロがそこに見た亡者は、
「やっぱり茂雄さんあなたね。呼びかけても顔向きを変えないし言葉だって返さない。生きているまんまの姿です。この一晩、あなた気に入りの居間を楽しんでください。私はここにいるから」
(K君の兄の通夜状況でした。K君からの喪中案内と連絡メールを渡来部が幾文言、行かを追加した)
令和3年葬式仕様の了(2021年12月30日)
令和3年を終えるにあたり:最終の投稿は元祖部族民、渡来部須磨男の寄稿でした。来春からはYoutubeとホームサイトに活動力点を移動します、皆様には良い新年をお迎えください(蕃神)。
「天板はしっかり打ち付けられているじゃないか、どうやってこれを開けるのかい」
一息を呑んでさらに、
「兎にも角にも、なぜ開けようとするのかを知りたい」
「死んだってことが私には信じられない。様態が悪化、高熱を発して手足も痙攣して、呼吸困難。晩のうちに心臓停止と病院側が説明はしたけれど」
「昨日の昼に面会に行って、墓の改葬の話を出した。こじれたから話し込んだ。父は合意されなかった。そして今日の昼、棺を前にしての説明で事務方が晩に逝去したと言った時、私を斜目で睨んだよ。長過ぎる面談で私が持っていたウィルスに感染したと疑った目つきだった。亡者になっても膚から息を継ぐ、ウイルスは撒かれる。クラスターが発生したら大事と医療の用心が勝って死んだらすぐに納棺し、釘まで打ち込めと指示したのだ」
「その説明がこじつけだと言ってる。一瞬には呼吸しなくても、拍動が弱くなった刹那はあるだろうけど、茂雄さんは死んだ訳ではない。息とか心臓の具合を少し落としただけかもしれない、だから棺の内で息を吹き返しているとしか思えない。この棺に死んだ人は入っていない、お父さんが寝ているだけ」
義姉は掌を当て「温かい」天板を擦った。そして息子に向いて、
「通夜の最中に亡者を棺に填めるはご法度じゃ。亡者は褥に置いたまま、頭の向きを北にあらため、掛けは腹上に下ろし手を胸前に合わす。これら儀礼は何を意味するかと知っているのかい、お前」
「知らない」私には甥になる息子の返事は否定を越して無関心が漂う。その母、義姉のヒロは、
「死ぬか生きるか迷い目の亡者を見届ける。黄泉落としと決めつけられても吹き返す、息のささくれ擦れの訴えを聞いたとしたら、それは亡者が誘う声。息の端から亡者の戸惑いを聞き分ける、これが北枕の意味なのだ。黄泉の戻りの境目にうろたえるのなら、一晩を寝ずに縁者が寄り添わなければ」
「昔には死は近縁が決めた、不確かだったろうに、でも一晩置いて亡者を確かめ、泥に埋めて、石を乗せたらそれがこの世の終わり。今の世は機械を覗く医師が死を、心拍の停止で断じる。さまよい蘇りに心配することは無かろう」
「コロナに怯え、クラスターを怖れるあまり回りから、急かされ機械を覗くその医師が納棺をやっつけ指図したのだ」
「とっさの判断、死の認定と納棺指示の医師判断を誰も否定はできない」
「生きていたかもしれない」
甥は天板暴きに同意した。道具を用意し木をいじる、これが甥の役目。
「しかし、母さん、日が落ちきっていない、ご近所さんが線香の一本と訪ねてくるかと心配もする。だから晩も遅くに開けよう」
夏の夜、街を流れる「チーンチーン」は火の用心。晩の遅くに消防警戒が巡回する。戸を閉め切った居間の天井には豆球のみが灯る。息子が釘抜きと玄能を手に階段を降りてきた。
釘抜きは長柄の一端が直に曲がり短柄を成す。短と長柄の両端に先割れの鳶口が備わる。
豆球の真下が木棺、息子はその真上に立ち釘を数えた。四隅と長手の左右に3本づつ、計10の釘頭が数えられた。中腰に脚を落として天板と筐体の隙間を指で探る。
「きつく打ち込んでいる」とは自身への言葉、厄介になる気構えの固めだろう。額から汗が幾筋か垂れた。
長柄の鳶口を押し込み、嵌め合いを確かめつつ柄尻を、振り上げた玄能の平頭できつく打った。鳶口の突然の嵌め込みに抵抗する木目の叫び。それも構わず更にもう一度、より高く玄能を振り上げ柄尻をガッシと打ち下ろすと木目はなおも「グッし」堪える。
「そんなに強く打ったら板がわれるよ」
「はじめの1本開けには抵抗が特に大きい。2本目以降は木が諦めるから楽になる」
嵌め込みの頃合いを指で探って息子は、隙間への差し入れを短柄の鳶口に替えた。コツコツと玄能を当てると天板が口を開ける。一時間を超す緊張と労力のはて、全周10本の釘頭に天板と筐体の隙間ができた。むーわとした生暖かい湿り気が溢れる、その香を吸い込みながら義姉が、
「生きる人の臭い」と呟く。息子は、
「なんだか臭いな、死臭があるならこれがそれさ」
天板の中央を裂けるかばかりに息子は叩いた。ばったん、板が落ちて隙間が閉じた。10本の釘が頭と首を宙に残して等間隔に揃った。これを一本毎に養生布を板上において、短柄の先割れで抜く。釘9本が天板に横に並んで残る最後の1本は北の東隅。
ここで息子は手を止め、道具を天板に置いた。
「これを抜いたら天板は外れる。最後の一本は母さんが抜いておくれな」
「なぜ、1本が残るだけじゃないか」
答えず階段に走り寄り自室に戻った。木棺暴きから息子は逃げ出した。
最後の1本を抜いて義姉ヒロはおそるおそる天板を北頭から南に移した。先程の生臭い息がふわりと再び浮き上がった。ヒロがそこに見た亡者は、
「やっぱり茂雄さんあなたね。呼びかけても顔向きを変えないし言葉だって返さない。生きているまんまの姿です。この一晩、あなた気に入りの居間を楽しんでください。私はここにいるから」
(K君の兄の通夜状況でした。K君からの喪中案内と連絡メールを渡来部が幾文言、行かを追加した)
令和3年葬式仕様の了(2021年12月30日)
令和3年を終えるにあたり:最終の投稿は元祖部族民、渡来部須磨男の寄稿でした。来春からはYoutubeとホームサイトに活動力点を移動します、皆様には良い新年をお迎えください(蕃神)。