(9月28日、前回投稿は 9月24日)
構造神話学第一巻「Le cru et le cuit」冒頭のOuverture(序章にあたるが序曲としている)を読んでいます。使われる単語文言は哲学、言語学、人類学の専門用語、それらのめんめんとした連なりが文章です。加えてフランス人の思考回路にこびりついている「修辞法」=抽象語での言い換え=が各所に散らばる。低容量の頭はねじくれる。横に連なる用語と縦の文列の絡繰りはったり出飾られる頁と頁に気分がなえる。ある一瞬、流星が夜空に流れる如く、見下ろす字面にレビストロースの思考が燦めいて、心が震える。
序曲20頁を理解すれば構造神話学の全てが分かる!その挑戦者はデカルト以来の西洋哲学、ソシュール、ヤコブソンの構造言語学、メルロポンティの現象学そして彼自身の構造人類学、これら全てを薬籠中のモノにしている構造的脳みそが必要です。投稿子(蕃神ハガミ)は上記学問いずれに無知である。
さて、これまで人が存在を認識する仕組み(現象学メルロポンティの進化版)、認識を省察する仕掛け(思考と存在の対立と相互依存)、省察を進展させるエネルギー(カントのentendement)などを取り上げてきました。本日の主題は神話そのもの、それ自体は何かーとなります。
前回の(手書きメモ)に戻ると。1言葉 2神話 3符号化の順列で人は神話を考えていると尊師レヴィストロースは伝え、3の符号化こそ構造神話学がめざす極地点としています。
符号化(codage)および対となる符号(code)はとりあえず置いて、序曲でたびたび引用される分節=articulation=に立ち寄ります。Robertで調べると1義は手足の間接、2義に<action de prononcer distinctement les differents sons="V." prononciation>=異なる音(おん)を明瞭に区切って発声する、発音を見る=とあります。ヤコブソン構造言語学の用語=articulation分節=を踏襲しているかとうかがえます。尊師はこの語に「音の区切りが思考の区切り」の意を付加し、言語学の範囲を超える概念を吹き込んでいます。投稿子はそれを「言い切り」と規定します。
文章(あるいは語り口)は言い切りarticulationsで表現はidee(思考)に昇華され、両者が対の構成と成る、それが3段階であるとレヴィストロースは教えます。
文での最初の言い切りは「イヌ」「ネコ」「タヌキ」などの語(mot)となります。それぞれが意味するidee対象があります。イヌは四本足で尻尾付きの動物、この対照はソシュールの意味論signifiant:signifieそのものです。その上段の言い切りは「イヌが走って棒に当たった」。初段の言い切りの「イヌガ」「ハシッテ」…を明瞭に発声し、それらを連ねて(文=phrase)と成して、2段目に思想ideeが生まれます。時には5頁もの長い文があって(プルースト)やっと言い切る。そんな文と文とが連なって、表現の絡まりが複雑化して作品(oevre)として完成する。作品にはかならず思考(pensee)や主張(these)が潜む。これが作品のidee。
神話にも同じ3段階のarticulationsがあるとレヴィストロースは主張します。
上に掲載の手書きメモを参照してください(乱筆にはご容赦)
神話表現の第一段には要素(elements mythiques=神話要素=とレヴィストロースは規定する)が登場します。人物、行動、発言、動植物、自然、天体現象など。個々の単位に分解できる「存在」です。おのおのにproprietes=所有物、性格、属性がついて回ります。男性女性、若者老人、イヌ、タヌキなど。さらにそうした外観の特徴を超えて親族関係、所属する集団、その集団での社会地位(娘か妻か、成人しているか若者かなど)原住民の語り手と聞き手が暗黙に了解している社会属性を含みます。動物に関してはオッポサム(sarigue)は南米原住民の思考に重い位置を占めている。その特別なproprieteの証明に20頁を費やしています。文化人類学を本貫とするレヴィストロース一流の分析です。
(上の説明;Bororo族の神話に登場するジャガーの嫁のproprietes:夫ジャガーがヒーローを拾い帰ったが、それに食事を与える、与えない、与えるけど邪険...などを分類している)
第2段目の言い切りを状景=sequenceと呼んでいます。
映画の1シーン、舞台の一幕。例えば「鳥の巣あらし」ではヒーローとアンチヒーローがオウムの巣から雛を盗む流れです。ここで崖に登るのが年少ヒーロー(成人前)で、彼は雛を見つけてもそれを父(義理の兄)には渡しません。その言説、行動を1のproprieteを踏まえて符号とする。例えば「見つけても雛などいないと言い張る」「雛の代わりに石を投げる」「雛を高く放ったら石になった」ヒーローの行動を+-に抽象化して図式化するなど構造解析をへて3段目に入る。
(sequenceのcodeの一例:ヒーローが村を離れる下りで1姉妹が用意した食事を取り上げられる 2食事を用意してくれた母を失う...など神話のシーンをcodeに代えています)
3rd articulationとは;
Armature(骨格)と規定されます。下段階のcodesの集成となりますが、全体を貫くmotif、あるいはmessage、あるいはreperesentation、例えば火の創造、水の起源などが神話全容から浮き上がります。
これが一つの神話の構成で、この構成を別神話のそれと比較します。比較する過程で「人が気付かず忍び込んだ神話が人をして考えさしめた」仕組みを解き明かすのが構造神話学となります。
序曲、21頁以降は神話と音楽の関係に終始し、これはプロトコルなので飛ばします。次回から本文に入ります。
(次回投稿は10月の第二週を予定)
構造神話学第一巻「Le cru et le cuit」冒頭のOuverture(序章にあたるが序曲としている)を読んでいます。使われる単語文言は哲学、言語学、人類学の専門用語、それらのめんめんとした連なりが文章です。加えてフランス人の思考回路にこびりついている「修辞法」=抽象語での言い換え=が各所に散らばる。低容量の頭はねじくれる。横に連なる用語と縦の文列の絡繰りはったり出飾られる頁と頁に気分がなえる。ある一瞬、流星が夜空に流れる如く、見下ろす字面にレビストロースの思考が燦めいて、心が震える。
序曲20頁を理解すれば構造神話学の全てが分かる!その挑戦者はデカルト以来の西洋哲学、ソシュール、ヤコブソンの構造言語学、メルロポンティの現象学そして彼自身の構造人類学、これら全てを薬籠中のモノにしている構造的脳みそが必要です。投稿子(蕃神ハガミ)は上記学問いずれに無知である。
さて、これまで人が存在を認識する仕組み(現象学メルロポンティの進化版)、認識を省察する仕掛け(思考と存在の対立と相互依存)、省察を進展させるエネルギー(カントのentendement)などを取り上げてきました。本日の主題は神話そのもの、それ自体は何かーとなります。
前回の(手書きメモ)に戻ると。1言葉 2神話 3符号化の順列で人は神話を考えていると尊師レヴィストロースは伝え、3の符号化こそ構造神話学がめざす極地点としています。
符号化(codage)および対となる符号(code)はとりあえず置いて、序曲でたびたび引用される分節=articulation=に立ち寄ります。Robertで調べると1義は手足の間接、2義に<action de prononcer distinctement les differents sons="V." prononciation>=異なる音(おん)を明瞭に区切って発声する、発音を見る=とあります。ヤコブソン構造言語学の用語=articulation分節=を踏襲しているかとうかがえます。尊師はこの語に「音の区切りが思考の区切り」の意を付加し、言語学の範囲を超える概念を吹き込んでいます。投稿子はそれを「言い切り」と規定します。
文章(あるいは語り口)は言い切りarticulationsで表現はidee(思考)に昇華され、両者が対の構成と成る、それが3段階であるとレヴィストロースは教えます。
文での最初の言い切りは「イヌ」「ネコ」「タヌキ」などの語(mot)となります。それぞれが意味するidee対象があります。イヌは四本足で尻尾付きの動物、この対照はソシュールの意味論signifiant:signifieそのものです。その上段の言い切りは「イヌが走って棒に当たった」。初段の言い切りの「イヌガ」「ハシッテ」…を明瞭に発声し、それらを連ねて(文=phrase)と成して、2段目に思想ideeが生まれます。時には5頁もの長い文があって(プルースト)やっと言い切る。そんな文と文とが連なって、表現の絡まりが複雑化して作品(oevre)として完成する。作品にはかならず思考(pensee)や主張(these)が潜む。これが作品のidee。
神話にも同じ3段階のarticulationsがあるとレヴィストロースは主張します。
上に掲載の手書きメモを参照してください(乱筆にはご容赦)
神話表現の第一段には要素(elements mythiques=神話要素=とレヴィストロースは規定する)が登場します。人物、行動、発言、動植物、自然、天体現象など。個々の単位に分解できる「存在」です。おのおのにproprietes=所有物、性格、属性がついて回ります。男性女性、若者老人、イヌ、タヌキなど。さらにそうした外観の特徴を超えて親族関係、所属する集団、その集団での社会地位(娘か妻か、成人しているか若者かなど)原住民の語り手と聞き手が暗黙に了解している社会属性を含みます。動物に関してはオッポサム(sarigue)は南米原住民の思考に重い位置を占めている。その特別なproprieteの証明に20頁を費やしています。文化人類学を本貫とするレヴィストロース一流の分析です。
(上の説明;Bororo族の神話に登場するジャガーの嫁のproprietes:夫ジャガーがヒーローを拾い帰ったが、それに食事を与える、与えない、与えるけど邪険...などを分類している)
第2段目の言い切りを状景=sequenceと呼んでいます。
映画の1シーン、舞台の一幕。例えば「鳥の巣あらし」ではヒーローとアンチヒーローがオウムの巣から雛を盗む流れです。ここで崖に登るのが年少ヒーロー(成人前)で、彼は雛を見つけてもそれを父(義理の兄)には渡しません。その言説、行動を1のproprieteを踏まえて符号とする。例えば「見つけても雛などいないと言い張る」「雛の代わりに石を投げる」「雛を高く放ったら石になった」ヒーローの行動を+-に抽象化して図式化するなど構造解析をへて3段目に入る。
(sequenceのcodeの一例:ヒーローが村を離れる下りで1姉妹が用意した食事を取り上げられる 2食事を用意してくれた母を失う...など神話のシーンをcodeに代えています)
3rd articulationとは;
Armature(骨格)と規定されます。下段階のcodesの集成となりますが、全体を貫くmotif、あるいはmessage、あるいはreperesentation、例えば火の創造、水の起源などが神話全容から浮き上がります。
これが一つの神話の構成で、この構成を別神話のそれと比較します。比較する過程で「人が気付かず忍び込んだ神話が人をして考えさしめた」仕組みを解き明かすのが構造神話学となります。
序曲、21頁以降は神話と音楽の関係に終始し、これはプロトコルなので飛ばします。次回から本文に入ります。
(次回投稿は10月の第二週を予定)