蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

コロナ立て直し、キンモクセイなど

2022年09月30日 | 小説
部族民通信から報せ(渡来部):

精神分析ラカンのセミナー解説を連続投稿していた蕃神義男は、晴れて社員となって(期間契約ながら無職よりはマシ)愛知県のミヨシなる市に出稼ぎ中です。コロナ騒動以来、定職(日野市南平の焼き鳥下働き)を失し、首筋のこわばりが重篤化し、かの細首すら回せなくなった。このままでは「北朝鮮になる」の怖れにさいなまれる日々、「輸送機関連の組み立て」求人を見つけ、早速応募した。10月から4ヶ月期間を申し込んだら、「9月から5ヶ月」の採用通知が飛んで来た。オワタ市(群馬)での同業職種の経験が奏功したのだと自己満足したらしい。
5ヶ月に躊躇はしたが「その分余計に貰える」が渡りに舟、9月1日のまだ来のつとに「意気揚々」と新幹線のぞみで出向いたと連絡を受けた。
蕃神は「精神分析と人類学、構造主義の論理の対照」を主題に取り組んでいて、とある作品を読みかけだった。9月一杯かけてなんとか草稿にまでの目論見はあったが、ラインでの仕事を始めたら読書のゆとりもまして筆を取る時間すらひねり出せ無いと気づいたーのメールを受けた。
この会社は工場を一日二交替で稼働させている。24時間を10時間、二部の20時間が実際作業、残る4時間をライン点検と改編に費やす。工員は必ず毎日10時間働く、その分は手取りが良いのだが、結構「しんどい」と蕃神もぼやく。5ヶ月稼いで続く12月間は「デカンショ~」(丹波篠山の労働歌、デカルトカントショペンハウアーの意味もあるとか)で暮らせるとの魂胆を持ち続けるのが、ヘタレない理由だとも。

以上がGooBlogに投稿が減った部族民の事情です。



なお、
元祖部族民、トライブスマンの渡来部須万男はレヴィストロース著 « Pensée Sauvage » 野生の思考の第9章 « Histoire et Dialectique » 歴史と弁証法を再読中です。この章はサルトル批判です、PDFにまとめ10月半ばにYoutubeに投稿する予定です。
(2022年9月30日)



雑記:写真はキンモクセイの花、今年は殊のほか花姿が立派。日野市の丘陵側一帯に甘い香りが漂っています。皆様の地域にも開花と芳香の真っ盛りかと存じます。
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国葬の日帝都は蛮人怒声の不毛原野に化けた

2022年09月28日 | 小説
昨日(2022年9月27日)は安倍氏国葬についてブログ投稿した。
安倍氏の日本人への愛心と国民の追悼の慕情が昇華し、重なり融合して、葬儀空間(日本武道館の上空)に異界が発生し、安倍氏イコン化が成就されるかもしれないと(行外に)記した。また反対運動を街頭で繰り広げる人々には、「未開」ままでよかれ「野蛮」になっては人の道に外れると(ブログで)諭した。

本投稿でその結果を述べよう。
献花に訪れた多くの市民、追悼の心が葬儀の荘厳さと重なって、たしかに、異界が発生した。安倍氏のイコン、すなわち神格化が達成し、結界したと(部族民、渡来部)思う。安倍氏精神、その基調は愛国、これからも日本人に宿ると信じる。


安倍氏献花台、ここは蛮人怒声から遮断された平安の空間だった

写真はネットから。

反対派は不毛都市の街頭原野で何に成り果てたか。

集団で皆が大声、ほとんど怒声、を張り上げて異界の結界を妨げようとしていた。未開にとどまれと諭されたにも関わらず、あの場あの時(国会議事堂脇、27日14時ほど)に野蛮に先祖帰りしたのだろうか…

結語の前に「村八分」を採り上げる。
封建時代、村落のしきたりを守らず、村の統一を毀損する人物を「村八分」で付き合いから除外した。正しくは人物の家族を除外するので、夫が当事者なら妻、子、父母らも巻き添えに遭う。
八分の意味は人の付き合いは十と数えられ、二だけを残す。その二が火事(火消し手伝い)、葬儀(参列し野辺送りに同行)。火消し手伝いを残す理由は明白、火元から消さないと類焼する。では八分者の葬儀に参列する理由とは。

敵対する相手であっても死ねばもろとも、みな霊になって宇宙の果の空虚空間を彷徨う。憎んでも亡者に果てたら憎しみを捨てて、追悼を死者に手向ける。これが、この列島弧に住む民族が、2000年以上に渡って、皆々で温めていた生死感です。日本人の原点としても良い。

ここでなぜ日本人と特定するか。答えは単純、近隣の朝鮮人中国人は平気で「死者を辱める」ている。墓を暴いて町中に晒す、刑死者の遺骸を路に捨てるをデフォルト習俗としていた(金玉均の凌遅刑と遺骸さらしは李氏朝鮮1894年)。

ここは日本、江戸の封建から離れて160年、21世紀は令和の世、その今になって、哀悼をからきしにも見せず、罵声を街で張り上げて、恥ずかしくも臆面もなく、帝都の道端街なか、故人を辱める獣性野蛮を、何故に晒しているのか。

その答えも簡単、彼らは共産主義者だから。

共産主義は歴史観をひっくり返している。過去を観て今を語るのではない。未来を基準に今を否定する。未来とは歴史の必然であり、究極の特異点、共産主義が統治する楽園です。その楽園を達成するために暴力革命が用意されるので、工程を妨げる勢力を排除しなければ革命は達成しない。

「景気を上向きに舵取り、就職率をバク上げし、市民に共産革命は無意味なる幻想を植え付け、米帝国と結託する故安倍氏は、歴史必然(マルクス弁証法)に抵抗し、特異点(共産社会)への到達を遅らせている資本家の手下だ。排除する、死んでも排除する、100年経っても排除する」が共産主義者の言い分。

動画投稿で共産党指導者が上記をそっくりそのまま、シャシャアと街頭演説していた。

実は部族民(渡来部須万男)はレヴィストロースの野生の思考 « Pensée Sauvage » の9章歴史と弁証法 « Histoire et dialectique » を読み返していたところだった。共産主義の歴史逆行性を批判するレヴィストロース筆先の鋭さに感を打たれた。彼のサルトル批判の手順を国葬反対の野蛮性に紐つけました。

了(2022年9月28日)
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女王の虹、安倍氏国葬、未開の思想

2022年09月27日 | 小説
(2022年9月27日)連合王国(United Kingdom) のウェールズ王女(プリンセスオブウェールズ)殿下キャサリン妃にあられ「女王(エリザベス女王)崩御の翌日、バルモラル城で虹が目撃されたことについて、女王陛下が私達を見守ってくれた」と発言なされた(ネットMSNニュースから、9月26日)。王室の一員にありこの感想もさもありなんと部族民は感慨を抱いたと同時に、やはりこうした感覚をお持ちなのか、貴顕にしても感性の根底には「具体科学」(人が新石器革命で培った)が居残るのだと、念を新たにした次第です。
新石器革命、具体科学...はレヴィストロース(哲学、人類学、2009年没)が著書 Pensée Sauvage 野生の思考で展開した未開文明論の基盤をなす思考です。
部族民通信はYoutubeに「野生の思考、具体科学」を投稿しています。動画リンクは
https://youtu.be/cu_LgAaiO0w
またホームサイトでは http://tribesman.net/2020.html (2020年のHP, 下欄の野生の思考をクリック)
皆様には時間余裕のない方も多いかと、そこで動画で用いたスライドを投稿すると





具体科学とは「モノをモノ」と結びつける人の原初の思考システムです。近代人はその哲学を魔術、幾分蔑みます。それは「非科学的」だから。しかし近代科学の勃興(コペルニクス以降)以前は、人は「モノとモノを結びつける」以外の考え方をとっていなかった。1万5千年間、人の心に染み付いた紐付け理論です。両者を見比べると;
近代科学の説明では:虹の発生は、大気に水蒸気が充満しそこに太陽光が差し込むと、蒸気がプリズム効果を起こして7色の虹を空中に掛けるーのであって故女王とは無関係。こんな味も素っ気もない説明が湧き出てくる。
具体科学では「女王の国民を思う御心」「国民の女王を慕う追慕」が崩御のすぐの後、バルモラ城で重なり合った(モノとモノとの紐付け)。「女王が私達を見守ってくれた」(キャサリン妃)と心温まる解釈が浮き上がってくる。

レヴィストロースは「近代科学万能の今でも、具体科学の思考は人の心に残る」と諭しています。その例を王女妃の言葉で知った昨日でした。

本日(9月27日)は安倍元首相の国葬。反対の過激行動を心配する一人ですが、なぜ左派はこのように(反対同盟を急遽結成し、署名まで集めたとか)行動を先鋭化するのか。これも具体科学で説明できます。反対派は「安倍氏の功績と国民の尊敬が国葬空間で紐付けられる」を妨害している。彼ら「未開」頭のなせる強制なのです。反対する人へ、「未開」のままにとどまってくれ。決して「野蛮」にまで踏み込まないをひたすら願う。

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狼少年ロベール Le loup ! Le cas de Robert 6最終

2022年09月09日 | 小説
(2022年9 月9日)人は外界を認識しその理解と反応を言葉に発し、行動に至る。その大元に心が控える。心は3の自我で構成される。上自我 « surmoi » と理念の自我 « l’idéal du moi » 、それ « ça » ,これはイドとも言われる。3要素は容器としての心に詰め込まれた内容物で、3者は拮抗並立している。
それ « ça »イドについてこれまで説明してない;フロイトが教えるのは何がなんだか分からないイドが潜む。それが「何やらを発動」させる―だけ。彼はそうした能動性(affect)の源泉に性愛 (Libido)を必ず設ける、性愛を達したいとの願望がçaに湧く(わかりやすく願望とした、精神分析的に言えば象徴能 « fonction symbolique » の発露 « pulsion » )。この発露も無意識の域のまま、抑圧 « refoulement » に抑え込まれるが、時に性愛が「思い余って」湧出し « idéal du moi » 理念の自我を突き上げる。
Il y a dans la psychose hallucinatoire de l’adulte une synthèse de l’imaginaire et du réel, qui est tout le problème de la psychose(120頁) 幻覚は精神疾患の成人の症例で、そこには空想と現実を統合する際の混乱が認められる、あらゆる精神障害の根源である。
上の引用はロベールの診断名を「幻覚」と提案したセミナー参加者に対するラカンの返答。ロベールはそれに当たらないのだが、ラカン説明が精神分析における構造主義を言い表している。 « L’imaginaire » 空想的は上自我 « sur moi » を漂う思い込みである。一方 現実 は « idéal du moi » 理念の自我に世界観として取り込まれる。両者のせめぎ « une synthèse » が納まらず、葛藤から混乱が生じると人の言動は社会の規範から外れる。これまで「せめぎ」と云っていた抗争のからくり事情です。
これまでの説明をかいつまむと;
個の心の中身には3の分派が蠢いている。理念の自我 « idéal du moi» にして、己はかくあるべしと社会規律の範囲内で自己を自律させている。しかるに空想思い込みを抱える上自我 « surmoi » からは抑え込まれ、下のそれ « ça » からは持って生まれた「性愛」の「象徴能の発露」を「実行せよ」と命じられる。こんな危機状況を «impératifs» (上自我の命令) « exigences » (強制、下の突き上げ)、社会制約 « contraintes » のカオスとフランス語を遣い分け、ラカンが形容する。
C’est au de ce pivot du langage, du rapport à ce mot qui est pour Robert le résumé d’une loi, que se passe le virage de la première à la seconde phase (119頁)
訳:言葉遣い(langage)の様変わり(もはやオオカミと叫ばない)は原初段階から次節段階に移動している彼を示している。この語(オオカミ)との関わりを通じてまさしくロベールは、一つの法(規則)を取得した段階に移行した事を示した。


熱弁を振るうラカン先生。このセミナーは公開されていて、毎回、向学パリ市民数十人の熱気が溢れてたと伝わる。今のフランス大学の学部教育では "traveax dirigés" 指導教室ーがセミナーに当たる。2~30の学生が討論に集まり、論文を提出して教官の添削を受ける。かなり手厳しい訂正が一般らしい。日本の「ゼミ」より人員規模が多い。大学進学人数が増えている実情に合わせざるを得ないと聞いた。ちなみに入学にも授業にも無料、留学生もその恩恵を受けられる。

写真はネットから採取

上訳文は幾分理解しにくい、これを「精神分析構造主義」の視点で読み解けば;
LeFortの治療と指導のよろしき得て、ロベールは「理念の自我」を形成できた。何にもましての進展は上自我の優位性が消え去ったこと(オオカミ叫び、走り回りが消えた)。心の葛藤の風向きが変わって、言動に顕著な変化をもたらせた。それçaイドからの突き上げ(LeFortを母と思い込む)は未だ残るが、Libidoのなせるところで、理念の自己がより確固となれば消える。
幼いながらも悲惨な体験が上自我に攻撃性を育て、法(規則)破りをもっぱらとしていたロベールに社会性、理念の自我を育成し、その理念の下に行動する優先を与えたのである。
人の言動とは言葉と態度の外的発露。これは見えるし聞かれる、それは外包としての現実行動でそこに精神はない。精神は心に宿る、心には3の規範の葛藤が生じている。
Hyppolite は「そこです、zwingen と bezwingenの関係となる。そして=中略=彼の方が狼を演じる」とまさにヘーゲル弁証法でロベール心理の転回を説明した(第4回、9月5日投稿)。
ラカンは「初歩的現象(狼と叫ぶロベールの心理)について、それを分別し取りまとめるは難しい」(同)。とHyppolite説に批判の述べた上で、精神分析の手法を駆使しロベール行動を説明した。そこにはレヴィストロース顔負けの構造主義が隠されていたのだ。(部族民の解釈)
狼少年ロベール Le loup ! Le cas de Robert 6最終の了(2022年9 月9日)

次回予告 狼少年の続として「ラカン精神分析とレヴィストロース構造主義」を執筆中です。9月中には新規連載投稿を開始する予定。
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狼少年ロベール Le loup ! Le cas de Robert 5

2022年09月07日 | 小説
(2022年9 月7日)ラカンが持ち込んだフロイト用語は
1 « refoulement » 抑圧 2 « surmoi » 上自我 3 « idéal du moi » 理念の自我
各用語への部族民解釈を述べたい。さらにこの解釈を土台として、精神の裏には心理の構造が潜むと喧伝されるラカン精神分析学に、レヴィストロース構造主義の手法を借りこの肉薄すると試みる。
少し脇道に迷うが構造主義とはで一言述べたい;
実態と思想が対峙する。見える触れる実態は客体であって、見えない思想が主体、本質。これをまとめると;
1 異質性状の2者、
2 主体客体の対峙関係
上記1,2がレヴィストロース主唱となる構造主義である。構造を扱うが「主義」にならない例は:建築物を設計する技師は構造設計に従事する。構造と建築物は同質である、両者とも位置の思想(建築)に統合され、対峙していない。建築家は構造主義者ではない。中根千枝は「縦社会の日本」を執筆した。社会構造の解析と云える。縦構造というモノがあって職位者がそこに収まるという現実を記したが、この構造は何とも対峙しない。異質の主体(レヴィストロースにしてそれは思想)を解明する論調には進んでいない。そこに縦構造が設えられていて、人々が己の位置の梯子段に座っているだけである。故に中根は構造主義者と呼ばれない。
ラカン構造主義はレヴィストロースのそれに近似すると人は解釈する。部族民にして同意。実態は「見える聞こえる人の言動」、対峙する異質は「精神のうごめき」としよう。言動が客体、精神が主体である。
以上を前提として、ラカン用語の解説から始めよう。
1 « refoulement » 抑圧。


高等師範学校で開催されていたラカン精神分析セミナー。本日(1954年3月10日)は「精神は3の心理の構造体なのじゃ、それら規範同士の葛藤の表現が人の言動なのだ」と教えた。


写真はネットから。

動詞refoulerの名詞。意味は押し返す、押し込めるなど。精神分析での用法は「願望、熱望を実行したいと気が逸るけれど、行動に移すに自身の理念、倫理判断から好ましくないと無意識下で押し止める」。フロイトは「一旦は押し留めたとしても無意識域に懇望(instance)がわだかまる、夢あるいは精神の発症などを契機としてそれは亢進し、抑圧との葛藤が再発する」と教える(ラカンから孫引き、部族民はフロイト原典を読んでいない)。« Refoulement » が活動する舞台は個のそれ « ça » イド。この構造性について後述。
2 « surmoi » 上自我(私訳)。この概念は分かりにくい。文献を色々ネット参照するがそれぞれが異なる説明を主張している。そこで部族民の勝手解釈をまずまとめ、この後にこの解釈を構造に展開する。定訳では「超自我」となるが、「超」は理解しようとする頭を混乱させる、 « sur » に「超」の意義はあるがこれから離れ、第一義の空間位置としての「上、上部」を当てる。よって上自我。
ラカン自ら説明の « surmoi » を本文から引く;
Le surmoi est contraignant et l’idéal du moi exaltant(118頁)上自我は強制する、理念の自我は発奮する。
Le surmoi est un impératif. Comme l’indique le bon sens et l’usage qu’on en fait, il est cohérent avec le registre et la notion de la loi, c’est-à dire avec l’ensemble du système du langage, pour autant qu’il définit la situation de l’homme en tant que tel, c’est-à-dire qu’il n’est seulement l’individu biologique.
訳:上自我は命令的。良識が示すところと理解されている範囲で法と結びつく。人をあるがままの姿に、すなわち単なる生物的個体ではない、と上自我が規定するに合わせて、言語システム全容と連関するのである(法は規則、社会の取り決めと理解)。
Le surmoi a un rapport avec la loi, et en même temps c’est une loi insensée, qui va jusqu’à être la méconnaissance de la loi. C’est toujours ainsi que nous voyons agir chez la névrose le surmoi.
訳:上自我は法との関連を持つ、同時にその法とは行き過ぎる傾向を持つ法であり、法の無視にまで行き着く。神経症者にその兆候が認められる。
Le surmoi est à la fois la loi et sa destruction. En cela il est la parole même, le commandement de la loi, pour autant qu’il n’en reste plus que la racine. (引用はいずれも119頁)
訳:上自我は法であり破壊でもある。内部に言葉が宿るからに、そこには最早その根しか残らないほどにして法の命令者でもある。
4の引用から;上自我は思考を備え言語を駆使し、理念の自我と対話し命令する。法に則るが拘るわけではない、時に法を無視する。破壊者でもある。
以上を聞いて皆様は何を思い浮かべますか。上自我が優勢になる、限度を超えると人は「自制」の効かない(理念の自我が制御として働かない)乱雑な言動に走ります。ロベールが分析治療にみせた反抗態度はこの類型。
「理念の自我」が己の基準にそって、横紙破りを撥ねつければ個の行動は社会規範から外れない。しかし「理念の自我」を確立できていない精神は、上自我の押さえつけに屈服する。破れかぶれ個の言動は、心の中の対話が危険水域に入っていると報せる。
両の自我のせめぎ合いは人の言動を規定する。
上と理念の自我の葛藤が心の内で繰り広げられていようとも、他者には見えない。他者に映る素面の個とは「彼」「彼女」の外見のみである。言葉を選びつつ個は、他者と対話し反応を気に留めながら一般には行動する。それは規則 « loi » を尊ぶ理念が心を支配し、その範囲からはみ出さず自律する場合である。そうした安定均衡の外見の個を観察すると、格好と風情、言動から「あいつは蕃神ハカミかもしれない」とか特定できる。自己葛藤が逸脱し上自我が « impératif » に過ぎると「統合失調のハカミだ」とされる。

狼少年ロベール Le loup ! Le cas de Robert 5の了(2022年9 月7日、次回9日は本連続投稿の最終回)
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狼少年ロベール Le loup ! Le cas de Robert 4

2022年09月05日 | 小説
(2022年9 月5日)Hyppoliteの口調が質問から講演に変わった。
M.Hyppolite : Oui, c’est entre zwingen et bezwingen. C’est toute la différence entre le mot où il y a la contrainte, et celui où il n’y a pas la contrainte. La contrainte, Zwang est le loup qui lui donne l’angoisse, et l’angoisse surmontée, Bezwingung, c’est le moment où il joue le loup.
訳:そこです、zwingen と bezwingen (両語ともドイツ語、訳せない)の関係となる。その差とは一方は強制 (contrainte) を受けての行為で片方は強制なしの行動。狼への怖れが彼にその行為を強制Zwangすることとなり、もう一方は強制を乗り越えた状況Bezwingungで、彼の方が狼を演じる。
Hyppoliteがドイツ語を持ち出す理由は彼はドイツ哲学を深め、ヘーゲルのフランス語圏での紹介者であるから。上の語もヘーゲル用語、出典は « Phénoménologie d’esprit » 精神現象学(原本ドイツ語、Hyppolite訳フランス語版を参照)。


Hyppolite, 哲学、ヘーゲルの紹介者。高等師範学校哲学教授、後に学長。仏翰林院会員など。教育界の高位職を歴任した彼に、LeFortは論争を挑めない。D'accord同意と返したのも宜なるか。話を途切れさせる「同意」であったかも、英語の「OK」にも同様の「分かった分かった」的な遣い方があると聞く。


小児施設から送られてきた治療初期で、(不安を抱くなか)ロベールは「強制」を受けオオカミと叫ぶ状況に身を置いていた。叫びが現実からの逃避。LeFortの治療よろしきを得て後にこの不安を克服できた(l’angoisse surmontée)。逆にオオカミを用いて他者、LeFort女史を不安がらせるを試みた。この経緯をヘーゲル用語、すなわち弁証法で語った。ロベールの例はまさにヘーゲルが当てはまる、Hyppoliteは頷いて自説をLeFortに伝えた。
この辺り「オオカミ」のロベール事情を確かめるためにLeFort報告に戻る。Le Loupと叫んだロベールの瞬間を探すと;
Il avait visiblement acquis l’idée de la permanence de son corps. Ses vêtements étaient pour lui son contenant, et lorsqu’il en était dépouillé, c’était la mort certaine. La scène du déshabillage était pour lui l’occasion de crises. … Il hurlait ― Le Loup ! (112頁) 彼は身体の連続性の考えにとりつかれた。服は彼にとって容器であって(服と中身の肉体を合わせて一つの身体と考える)、服を剥がされたら毛皮を剥がされたオオカミ、死ぬとの怖れに取り憑かれる。(シャワーなどで)服を脱がせると大騒ぎになる。
もう一例 ― : Il m’a fait jouer le rôle de sa mère affamante. Il m’a obligée à m’assoir sur une chaise où il y avait sa timbale de lait, afin que je la renverse, le privant ainsi de sa nourriture bonne. Il s’est mis alors à hurler ― Le Loup ! ロベールは私に母親, 彼に食を与えない母、を演じるよう求めた。椅子に彼用のミルク杯が置かれていて、その上に座りミルクをひっくりこぼすよう強いた。このように食べ物から自らを疎外し、オオカミと叫びだした。
食を与えられなかった心傷を思い返し、「子を貪る母」(民話、LeFort注釈)の脅迫に怯え叫んだのではないだろうか。
両の顛末いずれもそれ以前の経験に由来する。怖れがロベール心理で狼と同期するのだろう。しかるにこの心理の動きは精神科臨床の範疇、当方に語る資格は欠如しているのでここまで。
治療も後期になるとオオカミ怖れを克服できた。ロベール自身が脅す側に回る。LeFortの子を殺す演技をする例(前述)がこれに当たる。
Hyppoliteが提起したzwingen から bezwingenへは弁証法の意味合いが濃厚(強制され、強制に勝ち、他者を強制する)。ロベールの複雑心理と変遷を弁証法の一本筋で説明している。色々と(概念と定義があまり分からないラカン用語)を弄り回す精神分析よりかなり簡素。部族民も納得してしまう。
Hyppoliteのしてやったり顔を見せつけられて;
Mme Lefort : ― Oui, je suis bien d’accord. はい、同意します。
ラカン愛弟子がハレの報告のさなか、弁証法を認めてしまった。これでは精神分析の入る余地がなくなってしまう。ラカン出番も色褪せてしまう。弁証法に対抗すべくラカンが乗り出す;
Pourquoi le loup ? Ce n’est pas un personnage tellement familier dans nos contrées …… soit dans l’adoption d’un totem, soit dans l’identification personnage(118頁)
なぜ狼か、その「人格」は我が国地方ではそれほど親しまれていない。(以下は中略部)隠れる社会の神秘、神話、あるいは地方土着言い伝えなどに関連を持たせたいそしてトーテムの思考なども…
数行の間はほとんど出任せ、大した話をひねり出していない。Hyppoliteへの反論に入るまでの時間稼ぎ、頭を巡らせ弁証法への対抗策をその間にひねり出す。ようやく次の言い回しに漕ぎ着けた(危機状況でラカン、頭回転の速さは尊敬モノ);
Il est difficile de faire ces distinctions à propos d’un phénomène aussi élémentaire, mais je voudrais attirer votre attention sur la différence entre le surmoi, dans le déterminisme du refoulement, et l’idéal du moi.
訳:このそれなりの初歩的現象(狼と叫ぶロベールの心理)について、それを分別し取りまとめる(強制があるか、ないかのHyppolite説を暗に仄めかしている)は難しい。しかし私としてここに伝えるのは上自我surmoi(定訳は超自我)と「己が描く自己」idéal du moi(理念の自我とする、定訳は理想自我)を峻別することであり、そこにはrefoulement(抑圧)が介在している。この点に注目してほしい。
単純は物性理論に精神を還元するのは難しい。精神は精神分析でなくては、専門用語を散りばめてラカンの反論が始まった。
狼少年ロベール Le loup ! Le cas de Robert 4の了(2022年9 月5日、次回7日)
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狼少年ロベール Le loup ! Le cas de Robert 3

2022年09月02日 | 小説
(2022年9 月2日)Rosine Le Fort女史(1925~2007年)は幼児心理学の研究者。ロベールを預かった時、彼は3歳9ヶ月。幼児心理の観察記録がなぜラカンセミナーで披露されるのか、幼児と成年では心理が異なるとの疑問を抱いた方も多いのでは、小筆もそれを感じた。ピアジェは幼児から少年への発達心理を提唱した。その説に基づけば幼児の心理状態を用いて成人心理は説明出来ないし少年心理とだって異なる。ピアジェ心理学では幼児成年の交流はないと感じる。
フロイトも心理の発達を述べたが、道筋を一本つけている。それが無意識領域。生まれながらの象徴化能力、そこに潜む性愛志向はLibidoとして発現する。すなわち幼児も成人も知識知能の差はあるけれど、同じ心理構造を構えているとしている。幼児心理を通して、成人精神を探ることは可能―と部族民は考え直した。セミナー参加者もこの認識を共有していたと思います。
ラカンセミナーではLeFortは2夜に渡る発表の機会を得た。


Rosine LeFort ロベールを観察治療したときは30歳代の前半だった。写真はネットから採取

3年弱の観察と治療。女史に打ち解けたロベール、Loupの叫びは途絶え、走り回りも無くなった。LeFortは個人事情で一時、観察から遠ざかる。
Il m’a vue enceinte. Il a commencé par jouer avec des fantasmes de destruction de cet enfant. J’ai disparu pour l’accouchement. Pendant mon absence, mon mari l’a pris en traitement, et il a joué la destruction de cet enfant. Lorsque je suis revenue, il m’a vue plate, et sans enfant. Il était donc persuadé que ses fantasmes étaient devenus réalité, qu’il avait tué l’enfant, et donc j’allais le tuer.
訳:ロベールは私が子を宿していると気づいた。その子を破壊する妄想を抱いてはそれを遊びにした。私は出産のため施設を離れた。その間、夫がロベールの面倒を見たのだが、彼は子殺しの遊びを続けた。私は戻った、お腹が膨らんでいない私を見て、ロベールは子殺し遊びが現実になったと知った。彼が子を殺し、私も子を殺したのだと。
幾日かの後、LeFortは赤ちゃんを抱いて施設に出勤した。
Son état d’agitation est tombé net, et quand je l’ai pris en séance le lendemain, il a commencé à m’expliquer un sentiment de jalousie. 
J’ai eu l’impression que cet enfant avait sombré sous le réel, qui au début du traitement il n’y avait chez lui aucune fonction symbolique, et encore moins de fonction imaginaire. Il y avait quand même deux mois.
訳:彼の快活さは明らかに低下した。そして翌日、問診の間、彼は明らかな嫉妬心を私に見せつけた。この子(ロベール)は(もともとは)現実の暗い陰に覆われていた、私の印象ですが治療の初期には彼はいささかの象徴能さえ持たず、空想化能も著しく欠けていた。
観察治療を通じて、人間らしく取り扱われた効果がロベールに現れた、象徴能の湧出であり=転移なる精神作用で母を独占する=、そして空想化能の獲得=現実体験から抵抗を感じ取り、子殺しを妄想する=の主張をLeFort女史は言外に残す。
さらに、
LeFortの報告発表の前にラカンが一言挟んだ用語(抵抗と転移)、そして<(実情が暴かれてしまう)不安から精神屈折に押し込まれ、転移がもたらす「象徴的な交換」、その流れの極端に至った亢進の中でそれ(抵抗)が発現する>(本連続投稿第一回目、8月29日)。転移をLeFortに感じ取り母として象徴化する。母が子を宿すと知るやロベールは抵抗を発動しその子を殺すと空想する。解説した « transfert » « résistance » の実例を女史が体験していたのだ―とラカンが言いたげ。
「ラカン説の勝利、ラカンバンザイ」の嵐となるかと思いきや、怜悧な質問が飛び出した。
M.Hyppolite : ― C’est sur le mot Le Loup que je voudrais poser une question. D’où est venu Le Loup ? 一つ質問を許してくれるかな、なぜオオカミなのかね。高等師範学校長Hyppoliteから。どちらかというと「大口叩き」で強調言説を多用するラカンと異なり、彼は冷静を保持する。
LeFort―子の収容施設で看護婦がオオカミが来るよと子を黙らせる習慣があります。ロベールが収容されていた施設で扱いにくい子を外に出して、オオカミの偽声を聞かせていましたとの答え。
M.H. : ― Il resterait à expliquer pourquoi la peur du loup s’est fixée sur lui, comme sur tant d’autres enfants. 彼にオオカミへの恐れが定着した理由の説明は如何に。
Mme Lefort : ― Dans les histoires enfantines on dit toujours que le loup va manger…Sa mère va le manger…子供に聞かせる昔話ではオオカミがやって来て食べられるぞ…母親がオオカミに変身して子を食べる…などの説明をLeFortが返した。興味深い変化をも報告する。
Quand il voulait être agressif contre moi, il ne se mettait pas à quatre pattes et n’aboyait pas. À présent il le fait. Maintenant il sait qu’il est un humain, il a besoin, de temps en temps, de s’identifier à un animal. Quand il veut être agressif, il se met à quatre pattes, et fait « ouf ouf » sans la moindre angoisse. Puis il se lève, et continue le cours. 初期の頃は私に攻撃的になると四足で床に這いつくばる、でも唸りは上げなかった。今はそれをします。彼は自分が一人の人間だと知る、けれども時折、動物と見立てる要があります。その時は四足で這い、唸りウーウーを上げる。不安を与える風です。そして立ち上がり問診を続ける。
聞いたHyppolite、そこだ、膝を打って反応する。

狼少年ロベール Le loup ! Le cas de Robert 3の了(2022年9 月2日、次回5日)
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