(2022年10月12日)Youtubeに「部族民通信人類学講座、悲しき熱帯から形而上学批判」を投稿した(投稿日付は11日)。
レヴィストロースの代表作「悲しき熱帯Tristes Tropiques」は南米先住民ボロロ族などを探訪する旅日記を主とするが、61ページに突如「形而上学批判」の文節が出現する。批判対象は20世紀初頭に勃興した「新しい形而上の流れ」精神分析、歴史弁証法、そして実存主義である。
これら学説には時代を画した人物マルクス、フロイト、サルトルがしっかり控えているのだが、レヴィストロースはひとまとめにして、3の女主人 « maîtresses » と幾分、蔑んで呼んでいる。蔑みの理由は「形而上」ではない故にとしている。彼のここでの思考を紐解くと、物事の実体を解釈し説明するに「同じ水準の物事」で語るは説明にならない(全ての科学に当てはまる)。
プレゼンテーション資料はパワーポイントスライド28葉、一葉のみを提示する
事実はモノである。このモノを思想で語る、これが形而上としての説明であってかつ科学、哲学である。しかるに3の女主人がやっている絡繰りは « réalité vraie » 実際の現実(至らない訳語を、許せ)を « nature du vrai » 現実の性向に置き換えているだけ。謂わばモノをモノに置き換えているだけで、自動車を「輸送機械」と言い換えて喜んでいるだけ、何の説明にはなっていない(この引用は部族民)。
こうした矮小化した思索活動をレヴィストロースは « réduire un type de réalité à un autre » 一の現実をもう一つの現実に矮小化しているだけと切り捨てている。
知覚の現象論(メルロポンティ)にも批判を拡げる。メルロポンティが主張する « synthèse objective » 客観的統合、これを説明する「公式」として高く評価はするが、その能動因が「知覚」、感性であるためレヴィストロースは賛同しきれない。学説での公式とは « dépouillée de toute sentimentalité » いかなる感性をも剥ぎ取る―理性が説明するものでなければならないと、カント主義者の面目を全うさせている。
本動画にアクセスするに;
Youtubeに入って検索窓に「部族民通信」を入れると当方が過去投稿した動画が色々でてきます。提示メニューの順番はアクセス数の多さと投稿日付の新しさをかけ合わせたアルゴリズムが規制しているようで、当該動画はアクセスこそ少ないけれど一位でした。
なお、以前(9月)のYoutube投稿予告では本日10月12日、2022年学期の初日は「野生の思考第9章、サルトル批判」としていた。これに近い内容がこの5年前に出版の悲しき熱帯で展開されていたので、こちらをまず投稿し、その解釈内容を野生の思考に引き継がせるとした。
10月9日のブログ投稿では本動画で開陳されているプレゼン資料(パワーポイントで作成、PDFに変換している)の在り処を見せた。それが;
ttp://www.tribesman.net/ 部族民通信のHP。ここに入って出稿記録コラムの最新案内出稿の演題「悲しき熱帯61頁」をクリックすると接近できる。
http://www.tribesman.net/tristesvecureel.pdf はPDF頁に直接接近するアドレスです。
この訪問方法も可能です。よろしく動画訪問、お願いします(渡来部)。
了