蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

猿でも分かる構造主義 番外(笑いの意味) 

2017年06月25日 | 小説


表題で本年(2017年)4月5日から27日にかけてブログを9回投稿しました。構造主義の基本概念、由来、応用などを述べたつもりです。そして、一昨日、市立図書館の棚から手にした本を拾い読みすると、レヴィストロース自身が語る「構造主義」を発見しました。
題名は「構造・神話・労働 レヴィストロース日本公演集」(大橋保夫編、みすず書房)。1977年10~11月に東京など各地で講演した内容を一冊にしています。悲しき熱帯から22年の経過、蜜から灰へなど神話論4部作の刊行を終えた71歳、最も充実した時期での来日だったと思われます。彼の言葉を引用します;

「構造とは要素と要素間の関係とからなる全体であって、この関係は一連の変形過程を通じて不変の特性を保持する。=中略=三の側面があります。
第一は要素間の関係を同一平面に置いている点ですある観点からは形式と見られるものが別の観点では内容としてあらわれうる。形式と内容には恒常関係が存在する。
第二は不変の概念で、これが重要です。なぜなら私たちが探求しているのは、他が変化しているなかに、変化せずにあるものなのです。
第三は変換の概念であります。これによって構造と体系の違いが理解できます。体系は変化できない、その一要素に手が加わると崩壊する。一方構造は、その均衡状態に何らかの変化が加わった場合に、変形して別の体系になる。
(引用は同書P37~38)
整理します;
1 要素と要素の関係である。
要素を物と投稿子は考えます。
悲しき熱帯では思考(ideologie)と物体(formed’exitance)の対峙関係を構造と語っています。思考は人の頭にあり物体は外部に存在します。
同書では構造とは要素の「内容と形式」として互角の関係、そして要素は時には内容になり形式にもなる。人の生きる環境、とくに神話など言い伝えではいろいろな要素(言葉)がごちゃ混ぜに混在している。それを対立する要素に二に分解する。それによって構造を紐解く。
物どうしには対立があると認識する力、そして対立関係がここにあると提示できるのは思考です、これは人の頭にあります。すなわち思考が物からの離脱する、これは悲しき熱帯においてもうかがえました。これはデカルト的ですが、レヴィストロースもフランス人なのでそうなるかと。ただしそれはわずか、デカルトに全面帰依ではありません。
神話学の構築において思考と物(言葉)の分離に行きついたと(投稿子ハガミは)感じました。

(写真はレヴィストロース夫妻、1977年10月隠岐にて、同書の裏表紙をデジカメで撮った。レヴィストロースは69歳、比べて奥さんモニックは若い。あの厳めし顔のレヴィストロースでも美人奥さんと一緒なら笑うのだ!しかし笑っているだけではない、哲学を実践している。モニックの若さという思想をニタリ笑い顔という形式で対峙させて、構造主義化しているのだ。彼の笑い顔は投稿子の知る限りこの一枚のみ)

2 要素は同一平面に置かれる。
投稿子は猿でも分かる…で構造主義とは「水平展開である」を主張しました。その思想の拠り所としてのソシュールの意味論、メルロポンティの現象学での水平展開を取り上げました。同一平面はこの「水平」にあたります。
デカルトの「垂直に物を見る思考」に対立する思想です。

3 不変と変化の区別。
要素関係が組み上がったある形態を「体系」とする。体系は不変で一部要素が変化すると全体が崩れる。一方構造とは要素間の関係にあるから、一方の要素が変化しても、構造としての力学関係は変わらない。
体系を構造の一時代の表現とする。構造の原理は不変で表現である体系は変遷する。これで歴史の概念を吸収できる。悲しき熱帯の発行後に「構造主義には歴史観がない」とサルトル等に批判された回答でもあります。

本書の存在には以前から気付いておりました。講演集の副題から勝手に「旅行記」と誤解しておりました。しかし悲しき熱帯の冒頭の「私は旅が大嫌いだ」にある通り、レヴィストロースは滅多に旅行しない、人類学学会などからの講演依頼にも決して応諾を入れない。おそらく海外での講演はこれ以外には無かったかと思います。その日本で構造主義の旗手が語る構造主義、悲しき熱帯からの飛躍を感じ取りました。

猿でも分かる構造主義 番外の了 6月25日(次回は猿でも構造、悲しき熱帯に戻る、27日投稿)
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猿でも構造、悲しき熱帯を読む 9

2017年06月20日 | 小説

(6月20日)

前回ではボロロ族の社会は「丸構造」と述べました。文頭の図は悲しき熱帯(ポケット版254頁)ケジャラ村落の著者スケッチをデジカメに撮りました。まさに「丸社会」が見えています。(原文は南半球なので南北が逆立している。読みやすいように北を上にしている)

村落はおよそ150人の人口を擁する。盛期の新大陸発見時期には1000人を越す村も報告されているので、ボロロ族としては小規模。しかし周辺の村(pobori、juruoliとの名が上げられている)はさらに小規模である。白人植民者のマトグロッソ移入以降、族として衰退している裏付けかもしれない。過去の隆盛数を述べたのは彼らの社会構造、婚姻の仕組みなどが成員150では僅少すぎるからである。
中央の大きな方形は男衆が日中を過ごす「中心屋」、その周囲を円状に小型の四角が囲む。これらは女の家族が過ごす「家屋」、家族は女系、祖母、母、男児も含む子。成人の男は昼にはこの家屋に立ち寄るけれど、過ごさない。家屋は26棟を数えているので平均して一家族は6人弱となる。日本的に言う核家族に老女を加えれば数字となるだろう。
図の右手上はRioVermelho(ヴェルメーリョ)川、GoogleMapで検索してもマトグロッソではこの名は探し当てられない、小さな流れかもしれない。地図では南東から北西に流れるが、住民の思考では東から西への流れとなる。南北の線と東西の線に村落が分割されているが、川の流れの方向との関連で著者は説明している。

まず東西を分ける境界の線は住民は2の部(グループ)北側はCera、南はTugareに分けている。結婚相手は必ず対向する部から選ぶ(族外婚)。私を男の例として婚姻の仕組みをのべるとCeraの母親から(Ceraとして)生まれた私はTugareの娘を嫁に選ぶ。子が生まれればすべてが母の部Tugareに属する。すなわち父(私)の部は誰も継承しない。女子は家屋に住のこり、男子は成人に達したら家屋から放り出され中央屋に居を移す。
息子はTugare、しばらくはそこで日夜を過ごすが、Cera部の嫁、すなわち私、父の部に属する女子を見つけて、と言うより始めから決まっているから相手が成熟するまで待って結婚し、夜にはその家屋に寝泊まりする。私は、生まれの家、Ceraの母、姉妹には時折、昼に限って実家に立ち寄る。その時に姉妹の亭主、すなわちTugare部の男とかち合う場合もあるが、その男からは邪険にされるそうだ。
部の規制は結婚のみならず、各種(狩りの遠征、農作業など)取り決めに及ぶし葬式は婚家の部が執り行う(すなわち男自身が所属しない部)から、部の決定は、つねに対向部への配慮を加味するとのことである。

図にはもう一つの二分割線が見える。川の流れに直角(と信じている)で交わる線で、彼らの言葉では上流(amont)、下流(aval)と分けている。この分割機能についてレヴィストロースは「生まれの出自を表すのみで他の機能については不明」(257頁)としている。これは成員が150人に縮小している結果である可能性が強い(投稿子=蕃神ハガミの観測。Kejara村落自体が宣教団サレジオ会の入植の後に、再構成された歴史がある)
図にはあらわれないが住民を分割するクラン(Clan)が存在する。CeraとTugareが各、赤と黒のクランに二分割される。かつてはそれが4に分割されていたと。さらにそれぞれのクランは上中下のカーストに3分割される。
部(CeraとTugare)は族外婚(exogamie)。しかしクラン(赤と黒)、およびカースト(上中下)は族内婚(endogamie)を規定する
行動の節々に、例えば原則としてCera部赤クランの男はTugareの赤クランの女子を嫁に求める、さらに厳密を通せば、男がCera赤クランの下流の出であれば(そうした出自の母を持てば)、Tugareの赤クラン下流の嫁を求める。さらに言えば(川の)上流と下流の分割も族外婚の機能を持っていたようだから、昔はさらなる出自が問われる事になる。

川の上流下流の分割を計算から外しても、それぞれ住民は12の出自に分類されて、族内と族外の婚姻規定で相手先が決まる。成員は150人なので同一の出自は平均して12~13人、これが男女6人ずつに分かれ、老若(ゼロから60歳までに分布)に分かれると、ある男が嫁に貰える資格出自の女性は、5歳以下の幼女か60を超える老女しか見あたらない、こんな事態もあり得る。

猿でも構造、悲しき熱帯を読む 9の了 (次回は6月22日を予定)
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猿でも構造、悲しき熱帯を読む 8 

2017年06月13日 | 小説
(6月13日 写真はレヴィストロース自身の撮影、説明は文中)
前回までナンビクヴァラ族を取り巻く自然風土、生活形態と、それらを密接に反映している精神風土を述べた。この調査の前にレヴィストロースはボロロ(Bororo)族の集落を訪れている。ボロロは「悲しき熱帯」によればブラジルに広く分布するGe語族(=Jeジェ族とも)の一部族で、マトグロッソで最大の人口を有する。
同書ボロロ章の冒頭にボロロ村落への行程が簡単に記載されている。州都のコルンバ(Corumba)で資材を調達し、マトグロッソへの玄関口となるクイアバ(Cuiaba)に運搬する。朝まだきにクイアバを出発して数時間かけてChapadaに到着する。Chapadaとは地名ではなく崖を意味する現地用語。その険峻な断崖をトラックが喘ぎ喘いで幾時間かけて登り、峠に至る。景色は一変する、前方に広漠とした高地が一望できる。峠を頂点にして高地は緩やかに傾斜して、遠くアマゾンの湿地帯に伸びる。それがマトグロッソであると。
Googleで調べるとジェ語族の分布はブラジル中央部、マトグロッソと確認できる。Googlemapを開くとCorumba、Cuiabaも特定できる。Chapadaと名される地域も見られ、Map上で巨大な湖が認められるが、あの記述にこまめなレヴィストロースにしても、この景望を記述していない。人造湖らしき形状から後世に生まれたものか。あるいはChapadaとして残った別の地なのかは調べられない。
Googlemapでは左の帯に現地写真が載せられる。サイバー時代の利便を痛感するが、ビルの群、瀟洒な橋などの画像を見るにつけ、悲しき熱帯の文中で感じられる1935年当時の未開発の様との落差に悲しむ。一文だけ取り上げます;
<<Bien peu de choses signalent Cuiaba, une rampe pave … l’auberge unique a l’epoque tenue par un gros libanais>>
拙訳:クイアバには取り立てて語るほどの物がない、船着き場に面するランプウエー、上方の建造物シルエットがかつての兵器廠を思い起こさせる(ボリビア国境に近いから)。当時は一軒しかない旅籠は巨体レバノン人が経営していた。

レヴィストロースはChapadaの先のボロロ村落Kejara目指していた。サンパウロ(新設の国立大学で哲学教授に就任していた)で有能なボロロ青年の存在を知ったからである。当時、Kejaraにはサレジオ会が布教していた。啓蒙の一環でポルトガル語教育を施していたが、読み書き、会話の習得が速い少年が見いだされ、神父は「誇らしげに布教の成果」だと少年をローマに送り、彼は法王に謁見するまでの栄を得た。帰国後もキリスト教徒としての生活を継続すると期待されていたが、生まれのKejaraに戻った(以上は251頁)。冒頭の写真は、族内高位クランを示す正装をまとった壮丁の風だが、まさに彼が、すっかりボロロ習俗に戻ったその少年である。写真の時期で35歳くらい。
有能な通訳をとしてレヴィストロースを助けた。
なお、レヴィストロースはボロロ族について「身体の筋肉、骨格は運動選手を思わせるほど均整がとれ、風貌は精悍」と評しているが、まさにボロロ的精悍さを覗わせる。

ようやくKejaraを望む丘陵に到達した心情が以下の文章に連なる;
<<Epuisement physique, faim, soif…ce vertige d’origine organique est tout illumine par des perceptions de forms et couleurs>>
拙訳:疲労、空腹、渇き。生理的にめまいを感じてしまったが、それが、とある形体そして色彩を目の前にして輝きに照らされた。
この文には3の修辞が隠される。
1 実はこれは後日のビルマ(当時)の未開村落を訪問した時の経験である。それと同じ経験をボロロ族訪問でも感じた。すなわち<伝統習俗を未だ継承している集落を前にすると、(必ず、人類学者は=自分の事)千の色糸でこんぐらがった毛玉を、解きほぐそうと奮い立つ>を別例で伝えているのだ。
ふいと変わる、状況の変化、融通無碍の語り口に読者は惑わされるが、この奔放さが彼の語りRecitの魅力である。
2 めまいは生理的(要するに物質的)、それを救った輝き。
さて仏語では光りlumiere、 照らされるillumineは、神の恩寵と関連づけられる。疲労困憊(これがpassion=受難)の果てに、やっと到達したと神に知らされた、照らされたとの印象が残る。
無神論者ながらしっかりとフランス語の宗教的修辞を借用している。
3 感じたのは知覚(perceptions)、1956年当時はメルロポンティの現象学がもてはやされていた。彼は周囲のカオス状況から形と色を (forms et couleurs)識別(知覚=perception)して信号の形体、例えばセザンヌの絵画、ゴダールの映像、とすると述べた。すっかりメルロポンティを借用している。
当時の読者なら、構造主義者が現象学の用語を使ってるなと気付いた(筈だ)。

そしてレヴィストロースはkejaraの集落でとんでもない発見をした。なんと社会がマル、丸になっていたのだ。中根(タテ社会)流に伝えれば「世界で始めての発見、丸社会の構造」となるか。

猿でも構造、悲しき熱帯を読む 8の了 (次回は6月17日を予定)
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猿でも構造、悲しき熱帯を読む 7 

2017年06月09日 | 小説

(6月9日)

レヴィストロースが1935年に調査し悲しき熱帯(1955年)に一章を割いているブラジル・マトグロッソのナンビクヴァラ(Nambikwara)族と縄文人との比較を試みます。出典は「日本の土 地質学が明かす黒土と縄文文化」(山野井徹)から。同書から引用する箇所(文頭の図)には原典があり、それは「縄文文化の考古学的生活空間構造」(小林達雄)です。小林は「縄文人の生き残り」を自称するまで研究を重ねているから、この「縄文空間」は通説として受け入れられていると思う。
山野井の著書には整理された図が掲載されているが、当ブログではそれを直接掲載はせず(いろいろな事情で)、投稿子(蕃神ハガミ)の理解を再現しながら文頭の図にした。稚拙さには恥じ入るがご高覧を願う。
図の説明です。
生活空間の最小単位のウチはイエ、おそらく労働形態としても最小単位でしょう。ウチなるイエはソトのムラと対比される。この対比とはイエでの労働とソト(ムラ)のそれとの差にある。種の管理、収穫の保管などウチでは出来ない技術が必要となる労働が当たる。
さてイエとムラとの対比が突然、上部のソト(ハラ)に対峙する時、ウチに変わる。イエとムラが束になって外のハラに対比する。ハラは原っぱのイメージで草の記号が書き入れた。
さらに、ハラはムラの辺境を形成するけれど、ムラの共有地なので、それを超えるソトの空間に対峙するときはウチとなる。最遠のソトは山の彼方のソラ、あの世である。

このウチーソトの対立回路が日本人の思考の基調にあると思います。例えば看聞御記(日記とも)が伝える中世の惣村への発展が指摘されます。この日記は応仁の乱の荒廃を逃れ自領に退避した伏見の宮貞成王が伏見近辺の村落(惣村)の事情を綴っています。惣村とは自治権を持つ農村で、自治と排他が基盤になります。ムラ(ウチ)の事情とソト(他のムラ)との間の水や芦原の権利抗争が書かれています。
中根のタテ社会を前回取り上げたが、投稿子としては惣村に見られる「ヨコの構造」が日本人の基盤かと考えます。ウチソトの差別思考回路を日本人は今でも強く持つと思いますが。

ナンビクワラの二重性は湿潤定着に対する乾燥移動でした。行動、思考、感情がそれぞれ二極化しており、それらを通して二重の季節を確認し、この二重を統一する世界観を思い起こして族としての自己を特定しています。
二重性は心情にも影響を与えており、定着にはメランコリを移動にはノスタルジを感じています。縄文ではウチあってのソトの対立です。かく、双方に二重性(Dualite)が見られます。
また相互性(Reciprocite)も指摘されます。
縄文ではウチを超える空間にはソトを通してでなくては対峙できない。ソトのハラに対処する為には、平素は仲が悪くとも隣人のムラ集団を介して開墾なり収穫なりを進める。
ナンビクヴァラの相互性とは湿潤定住生活は同じ労働の繰り返しでつまらなくとも、用具什器などの整備修繕、それと食物確保に必要で、定住あっての移動となります。
移動生活は「毎日が新しい発見」で楽しいとレヴィストロースは報告していますが、辛さを補う冒険で相互性を担保している。

違いも指摘されます。
一方が時間・季節での二重性、もう一方は空間のそれ。この違いは構成員単位の差と思います。縄文期には狩猟採取に加え、定着が前提となるクリカキコメなどの栽培農耕を実施していた。するとムラの単位は数十人だろうか。10人あるいは以下とすると原始的にせよ農耕は難しい。反面、員数が増えれば空間の把握、管理がより複雑になり、ウチソトでの整合が生まれた。
ナンビクヴァラは広大な空間に十人未満で移動している。空間の管理には無頓着、季節により異なる労働形態を二極化して、世界観に発展させている。
時間地理の隔絶した2の種族で、労働や感情を(縄文期の感情には想像するしかありませんが、ウチとソトでの分化はあったと思います)二極化する世界観があったとは、構造主義なる文化の解析は正しいとの証明でもあります。
次回は社会構成の複雑さで縄文人を超えるボロロ族を取り上げます。

猿でも構造、悲しき熱帯を読む 7の了 (次回は6月13日を予定)
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猿でも構造、悲しき熱帯を読む 6 (6月2日)

2017年06月02日 | 小説


レヴィストロースの悲しき熱帯(TrisetesTropiques)を続けます。
定住(農耕と狩猟)と移動(採取)の二重生活を送っていたブラジル・マトグロッソのナンビクヴァラ族には道具、什器などが潤沢に用意されておらず、その生活は簡素、別の言い方では未開につきます。一家族および幾人かの親族などで構成されるバンド集団、構成員は十人以下と思えます。近隣の同族バンドとの交流はあるが密ではない。社会制度とは家族とバンド、それだけです。インフラ、公共、不動産の観念などがない。投稿子(蕃神ハガミ)の知る限り、これほどにも単純化した社会はこのナンビクヴァラの他に見あたりません。(民族学の知識など無いから間違いかもしれない)。

世界観も単純です。
前回で定住対移動の世界観を紹介しました。定住の実態とは農耕、狩猟、小屋がけで潤沢な食料。移動はその対極、日々旅程の踏破、雨宿り、食物の欠如など苦しい生活となります。
生活の中での行動と心理が、それぞれ定住対移動に分かれた二極性を持ちます。定住と移動の対比がいわば「構造」を成す訳ですが、レヴィストロースはこの二極を「構造」と呼びません。それを (早急に) 構造と解釈するのは「機能構造論」と言ってよろしいかと。
タテ社会の人間関係(中根千枝著、初版は1967年)は日本の社会階層をタテの関係として抉った名著だが、タテの階層性が機能構造論の一論として納まるけれど、「構造主義」とはしない。Wikiで調べると中根氏は90歳にて存命、彼女も自身を構造主義者とは考えていないだろう。
投稿子は「猿でも分かる構造主義」を本年(2017年)4月5日から27日にかけて9回連載した。その趣旨とは、哲学主流のデカルト的認識論とは「存在(etre)からいろいろな属性(attribut)を分離して、各個を解析して本質(essence)に迫る」です。解析する知力については、デカルトは「神から授けられた」と解決しました。機能構造論とはこのデカルト的解析手法をとります。中根氏という卓越した頭脳が日本を分析するにあたり人の行動、心理、表現など属性を抉り、分析して、その本質は「タテ社会」と断言したわけです。
一方、デカルトの伝統から離れて(ソシュールの意味論、メルロポンティの現象論を踏まえ)レヴィストロースが伝える構造主義とは「(現実にそこに見えている)形態、存在と、人が思考する表象(=思想)の対立」こそ構造と説明してます。この説明が見事に成功した例は「交差イトコ婚」の解釈ですが、これは別著「親族の基本構造」になるので改めて。

ナンビクヴァラ族に戻ります。
定住に入って小屋を掛けて、農耕道具を取り繕って土地を耕す。日々の変化のない労働を通して彼らは「辛い定住」という思想を体感しています。その思想からは「次には何をする、時には狩猟に出てもよいが、まずはマニヨックの収穫を確保してから」などの労働義務が湧き出てきます。その間、女性は小屋の脇で日がな、道具什器の作成、手入れ、子供の面倒などで過ごします。定住のこれらの周辺景色を見つめ、定住生活を実践しながら、「定住の思想」を感じ取ります。
そして移動生活の思想を「ノスタルジ」の口調で思い浮かべます。
思い浮かべる起因とはそれら行動には別の極、移動生活での行動と対極しているからです。小屋がけのきつい労働とは移動での突然の雨宿りでアルマジロを捕まえた、農作業で汗を流しながら、かつて移動の最中にペカリーを発見して追跡して野原を跳ね回った思いでに浸ります。移動生活の思想「自由と発見」に息を弾ませ思い浮かべるにつながります。(悲しき熱帯、Nambikwara章P340)

一極で行動してそレヴィストロースが対となる対極での行動を思い浮かべると同時に、その思想にも思いやる。するとこの2極、定住と移動は、思想でも対極にあります。
相互作用する2重性=reciprocite=の構造が浮かび上がります。

猿でも構造、悲しき熱帯を読む 6の了 (次回は6月6日を予定)
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