2007年冷たい宇宙の第四部をHPに掲載しました、左の部族民通信HP版から入ってください。後半の一回目です。林太郎が死んで二十年後、北山台駅前の焼き鳥店サブちゃんは連夜大にぎわい。味の旨さは帝都一番との声が上がる。その旨さの秘訣に迫る焼き鳥技術論かメインです。以下抜粋、
拐かした獲物は白裸、つややかな肌脂ののった艶めかしい丸みをサブロの前に晒している。その肌をねっとりとした眼でサブロはなで回す。=中略=
サブロが出刃を取り出した。刃先の鋭さを青い眼光で確かめ、捌きの一刃をその白肌にブスリと入れた。包丁の刃先が冷たく肌を断つ。出刃先で腹を割り腕骨を断つ。その時獲物が泣き出した。「痛い堪忍して、たすけてー」と訴えたのだ。此処が肝心な瞬間だ、彼女をあやしなだめなければ、裸身のねっとり味を串にまで保てないのだ。
「姫よ、痛さに泣くな、腹を抉られる恐怖を耐えろ」と励ます。さらに優しく語りかける「痛いのは今だけ、斬り刻んだら終わり。それ以上の悪さはしないから耐えろ」泣きじゃくる獲物をあやし騙す。=中略=
「さあお子様姫達はおねむの時間だ、静かにおやすみ」それが最後の眠りだなんて彼女達は知らなかった。「明日はデビュー、ハレの舞台だよ」と騙しを信じてしまったのだ。
夕の四時になった。火床を前にサブロは冷酷に焼き鳥に励む。どのように、それは毎夕毎晩サブちゃんが火床の前で独白している科白を聞けばわかる。
「炭は熾きているか、赤いか、真っ赤な怒りの色が唸りあげているか。怒った炭を積み上げろ。団扇で叩け、団扇の風で炭を叩け、もっと風をたてろ。風は鞭だ。炭は怒る、塊になって炭が怒る、その赤い怒りの炭ツラを覚えておけ。めらめらと燃えた炎は怒りの眼だ。団扇がおこす鞭に憤怒の抗議をしている。炎が踊る。宝物の姫達を焼き焦がす熱だ。
=中略=これからデビューに出演すると騙されている、実際デビューかもしれない。そこが舞台なのだから。
怒り狂った炭の塊、真っ赤な炎、灼熱地獄の舞台、その上で彼女達を炙るのだ。静かに寝ているその寝息を乱すのが真っ赤な炎、その上にかざし炙るのだ。泣き喚こうが、のたうち叫ぼうがもう遅い。拐かされてむしられて切り刻まれて串さされ、挙げ句の果てが騙しの火あぶり。もう遅いのだ。泣きわめいても戻れない、お前らはこんがり焼き鳥に粛正されるのだ」
酔っぱらいよ、サブちゃん焼き鳥食っている酔っぱらいよ、天国を目指すのならば姫達の断末魔の叫び、地獄火に焼かれる今際の美女の悲鳴を耳にしろ。
街灯除霊師の北白川安休斉がサブちゃんで裸女の火焙りラインダンスを目撃してしまう。安休斉はサブロにスカウトされ林太郎の転生で重要な役を果たすことになる。
他に私の持論、時間とは積み重なるのだ!の一節もあります。芭蕉の光陰矢のごとしに反論するのだ。
時が流れるとするのは誤りである。時は蓄積する、幾重にも幾重にも積みかさなり、心の底に沈み込む。重みとして心に残る記憶が忘れられるなどあり得ない。過ぎ去った時が思い出とともに時間の沼に沈殿していく。過去がその過去に覆い被さり、一層二層と積みかさなり、ひたすら心の奥底に沈み込む。記憶の重さが思い出を封印しているのだ。追憶とは苦しむだけ、心の底を抉り、沈み隠れた過去を引き出す痛みとは、忘れたはずの思い出を、今に晒す苦さ虚しさだと思え。
なおサブちゃん焼き鳥はフィクションです。同名の焼鳥屋(がたとえ在っても)とは一切関係がありません。
拐かした獲物は白裸、つややかな肌脂ののった艶めかしい丸みをサブロの前に晒している。その肌をねっとりとした眼でサブロはなで回す。=中略=
サブロが出刃を取り出した。刃先の鋭さを青い眼光で確かめ、捌きの一刃をその白肌にブスリと入れた。包丁の刃先が冷たく肌を断つ。出刃先で腹を割り腕骨を断つ。その時獲物が泣き出した。「痛い堪忍して、たすけてー」と訴えたのだ。此処が肝心な瞬間だ、彼女をあやしなだめなければ、裸身のねっとり味を串にまで保てないのだ。
「姫よ、痛さに泣くな、腹を抉られる恐怖を耐えろ」と励ます。さらに優しく語りかける「痛いのは今だけ、斬り刻んだら終わり。それ以上の悪さはしないから耐えろ」泣きじゃくる獲物をあやし騙す。=中略=
「さあお子様姫達はおねむの時間だ、静かにおやすみ」それが最後の眠りだなんて彼女達は知らなかった。「明日はデビュー、ハレの舞台だよ」と騙しを信じてしまったのだ。
夕の四時になった。火床を前にサブロは冷酷に焼き鳥に励む。どのように、それは毎夕毎晩サブちゃんが火床の前で独白している科白を聞けばわかる。
「炭は熾きているか、赤いか、真っ赤な怒りの色が唸りあげているか。怒った炭を積み上げろ。団扇で叩け、団扇の風で炭を叩け、もっと風をたてろ。風は鞭だ。炭は怒る、塊になって炭が怒る、その赤い怒りの炭ツラを覚えておけ。めらめらと燃えた炎は怒りの眼だ。団扇がおこす鞭に憤怒の抗議をしている。炎が踊る。宝物の姫達を焼き焦がす熱だ。
=中略=これからデビューに出演すると騙されている、実際デビューかもしれない。そこが舞台なのだから。
怒り狂った炭の塊、真っ赤な炎、灼熱地獄の舞台、その上で彼女達を炙るのだ。静かに寝ているその寝息を乱すのが真っ赤な炎、その上にかざし炙るのだ。泣き喚こうが、のたうち叫ぼうがもう遅い。拐かされてむしられて切り刻まれて串さされ、挙げ句の果てが騙しの火あぶり。もう遅いのだ。泣きわめいても戻れない、お前らはこんがり焼き鳥に粛正されるのだ」
酔っぱらいよ、サブちゃん焼き鳥食っている酔っぱらいよ、天国を目指すのならば姫達の断末魔の叫び、地獄火に焼かれる今際の美女の悲鳴を耳にしろ。
街灯除霊師の北白川安休斉がサブちゃんで裸女の火焙りラインダンスを目撃してしまう。安休斉はサブロにスカウトされ林太郎の転生で重要な役を果たすことになる。
他に私の持論、時間とは積み重なるのだ!の一節もあります。芭蕉の光陰矢のごとしに反論するのだ。
時が流れるとするのは誤りである。時は蓄積する、幾重にも幾重にも積みかさなり、心の底に沈み込む。重みとして心に残る記憶が忘れられるなどあり得ない。過ぎ去った時が思い出とともに時間の沼に沈殿していく。過去がその過去に覆い被さり、一層二層と積みかさなり、ひたすら心の奥底に沈み込む。記憶の重さが思い出を封印しているのだ。追憶とは苦しむだけ、心の底を抉り、沈み隠れた過去を引き出す痛みとは、忘れたはずの思い出を、今に晒す苦さ虚しさだと思え。
なおサブちゃん焼き鳥はフィクションです。同名の焼鳥屋(がたとえ在っても)とは一切関係がありません。