蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

猿でも構造、悲しき熱帯を読む 13(最終回)

2017年07月12日 | 小説
(7月11日)

ブラジル、マトグロッソでの有力語族ジェに属する一部族、ボロロはヴェルミリョ川に沿う地にKejara落を営む。彼らのえがく宇宙とは「社会的世界と物質の世界」の対立の構造として成立している。社会的世界とはこの世の村落であり、人々、川と魚、鳥の世界である。しかしボロロ精神はこの村落に生きるのではなく、思想としての架空の村落に生きる。そこでは支族、色分け、階層など「理想的に」細分化されている空想の村である。
この社会は「物質の世界」=超自然の死者の世界=に対峙する。
物質世界は村の脇に存在する。山、森、動物、空で、死んで後、人は自身に見合う階層に納まる。何らかの理由でこの階層から外れた霊が漂う。悪霊でこの世、社会的世界に悪さを及ぼす。両世界の交流(お告げ兆候、祈り、呪術師の活躍、降臨、祭儀など)の記述が詳しい。
構造主義的解釈として、「社会的世界」には思想としての村の構造に対立する実体の村落。そして社会的世界には思想としての「物質の世界」と対比している。ボロロ族は思想と実体の二重の対比構造を、世界観として構築している。

ボロロ的対立、すなわち死者世界と生きる世界の対比構造をレヴィストロースは日本で目撃した。
1983年に来日し沖縄に向かった。以下はエッセー集「月の裏側(L’autre cote de la Lune)中央公論社刊、川田順三訳」久高島で(祭儀ニライカナイ)の調査、シナ海のヘロドトス章からの抜粋。
「海の彼方にある住処ニラもしくはニライから神々が人々に幸せをもたらすために渡ってくるのを盛大に迎える」
伝説にとどまらず、祭儀が実行されていると驚く。

「その執行は慎ましくひなびたものだ。中略。正方形の小屋で地面にまで急勾配で下がっている藁葺きの屋根が支えられている。入るのはノロ(女性の祭儀執行者)に限られる。ノロが(海から渡ってくる)神々と交信するのはこの場においてである」
祭儀の実体は現実の場所に裏付けられる、これにはレビストロースも感動している。

「古い貝塚の跡を私たちに示した。女神が摂った食事の跡であると。(始めて神々がもたらした)穀物の種巻いたのはどこかと尋ねると、小さな原初の畑「ミフダ」に連れて行ったくれた。女神が籠もって寝たという穴がある。出来事は明らかな事実なのだ。神話時代に起こったのではなくつい最近のことなのだ」
淡々と語られるレヴィストロースの感興(81頁)を読みながら投稿子(ハガミ)は認識される死を思い起こす。
死者(霊ではあるが)は特定され、定期的にこの世に現れて善行をなず。人々を助ける死者・霊である。一方、この死者・霊は対価を求める。久高島でも沖縄奄美の全域でのニライカナイの儀礼式では祈りと大海蛇の薫製など捧げ物が霊への分け前である。ニライカナイに近似して善行を施す死者との交流、これをボロロ族では呪術師aroettowaraareが司る。

写真はボロロの葬式、男のみで追悼する。葉を全身にかぶった呪術師のBari、腰蓑式に着用する縁者。著作より写した。

悪霊との交流をもう一人の呪術師bariがとり仕切る。日本での悪霊との交流は梅原猛博士の「怨霊説」に行きつく。
死に様が尋常でなく恨みを残した霊はあの世に行ききれず、この世に戻って悪さをもたらす。
博士の著作から「大津(王子、天武天皇の命により殺されたと伝わる)の霊が竜になってたたるので(大雨が続いた)祈祷を頼みたたりを抑えた旨の記事が(懐風藻に)ある。持統(天武天皇の皇后)は草壁(王子、天武と持統の子)を待ったが、突然死んでしまう」(神々の流竄、184頁)
崇徳上皇、菅原道真、そして聖徳太子もたたりの系統にあると博士は伝える。将門伝説も悪霊交流の一つであろう。レヴィストロースが語るこき使われる死者がこれらと重なる。
たたる死者が「なぜこき使われる」となるのかの質問には「言い伝えのスキームとシーケンスを分析するという」神話構造主義的に答えます。それは、

天変地異があると恨みの死者は成仏していないから呼び出せる。そして生者、権力者から「ナントカしてくれ」と命じられる。災害のたびに幾度も命じられるから「こき使われる」
実際は神社仏閣を寄進して(法隆寺、天満宮、白峯神社など)祈祷して、分け前の半分を安堵するので、命じられる訳ではないがこき使われる身分ではある。すなわちスキームはこの世の災難はあの世から、シーケンスは寄進してこき使うとなります。

レヴィストロースは5度来日したが梅原博士に面談していない(と投稿子は思う)。フランスと日本を代表する哲学者が接触していたらどんな会話になっていただろうか。

猿でも構造、悲しき熱帯を読む 了 
(レヴィストロースはしばらく置き、構造主義を9~10月に再開します。
悲しき熱帯の次は「神話学」です、その第一巻(Le cru et le Cuit,生と調理)を分析します。猿でも分かる神話構造学=仮題をお待ちください) 
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猿でも構造、悲しき熱帯を読む 12

2017年07月10日 | 小説
(7月11日)

前回7月8日では死者に対する生者の姿勢は1認識する、2コキ使うに大別される、おおくの民族部族はいずれかに収束するが、ボロロ族はそれら2形態を併せ持つ独特な部族である<>(270頁)とのレヴィストロースの主張を紹介した。では、ボロロ族の生死観、世界観を覗こう。
文化と自然の2分割の宇宙、ボロロ族もこの対立の思想を持つ。生者が実際に見て感じているこの世は文化側に属し、死者は自然に帰してもはや文化には住まない。ボロロ族は世界を「社会的世界」(univers social)と「物質の世界」(univers physique)に分けている。

社会的とは上下の地域、支族、階層に分割された村落の実体、その機能(例えば婚姻、居住などの規定)を指す(第8回、6月20日に村落の図)。これのみならず村落の脇を流れるヴェルミリョ川とそこの魚、村を基点にして川の反対側の山地に住む鳥類、そして思想としての村落も社会的世界に含まれる。その「思想として」の意味は、投稿子の過去ブログ「猿でも分かる構造主義」を参考に取ると、これはボロロ族が頭に描く「村とはこうあるべきだ」と思想、別の言葉で「表象」となります。ソシュールの記号論は「意味する物」と「意味される物」の対峙ですが、レヴィストロース構造主義は「思想ideologieと物体forme」の対立となります。
彼らが住むKejara村落が物で、思想・表象としての(理想の)村落がそこに共存している、そう信じている。
悲しき熱帯を読む限り、彼らは思想の村では「個人individuel」ではない。「社会的人間personalite」として生きている。ここでの「社会的」とは生まれの地は村の北か南か、西か東か(川の上流か下流か)、支族、階層、階層の中での席次など、これは持って生まれた地位で、その者の「人間性personalite」がそれで決まる。

現実の村の中で個人としての名前、誰それの子、夫などと個人としての地位があり、平素は行動も個人だが、儀礼の場での化粧(ボディペインティング)の色模様、飾り羽根(オウム)の種類と大きさ、踊りの形など「人間性」で取り決められた枠の中で行動する。この人間性は「持って生まれた財産」で貧富の差をこれで計る。
儀礼以外にも集団でのジャガー狩り(葬式の一環として)、儀礼に必須の楽器(楕円形で紐でブンと回し低音の抑揚を奏でる)の材料収集でも「人間性」で行動します。
ボロロが一目置くジャガー。死者がでるとあの世(物質世界)へ貸しが出来たとして、男達は集団でジャガー狩りを組む。しかし滅多にジャガーは射止められる獣ではない。手ぶらで帰る事も多いとか。著書より転載。

もう一つの「物質の世界」は社会的世界のすぐ脇に存在している。そこには地を這う動物と悪霊、死者が住む。地を這う動物とはジャガー、ペッカリー、バクなど四つ足、これらは現実に見えるが、そこに見えない霊も共存しているとボロロは信ずる。
死者は持って生まれた社会的地位をこの物質の世界に持ち込み、自身の位置となる階層に安住する。すなわち死者は人間性を持ち込から特定される霊である。悪霊はもともと人間
だったが、何らかの事情で死の後に物質世界の階層から弾かれている者で、この事情は反社会(asocial)とだけ記載されている。悪霊は自身の位置(階層)を失っているから、個人に特定されない死霊である。
悪霊はBariと呼ばれる呪術師に乗りうつる。不猟、不作などに際しBariwoトランス状態にしてお告げを下す。矢がそれた、弓が壊れた、指を怪我したなども悪霊の仕業と怖れられ。村落全体でBariに寄進して厄払いを施す。
一方、階層に安住している霊とこの世の取り持ちはaroettowaraare=ボロロ語で良き伝道者の意らしい。彼は儀礼の式次第の取り決め、各自の衣装化粧の指導を行う。

ここで前回の死者に対する2通りの姿勢で、ボロロが両方を持ち、それぞれの儀礼次第を伝統としているレヴィストロースの主張に戻れた。
1の認識する死とは墓に入り、死後も個人として特定している。時折この世に現れて善行を施す死者だが、これはaroettowaraareを仲介人として、霊への分け前も施して上手くやっていく。分け前とは現物寄進であるし信仰でもある。
2こき使われる死者とは個人名を持たないが、生者の都合、多くが失敗、困難だが、その事態を解決しろとで呼び出される。Bariが受け持つ悪霊の仕事である。

レヴィストロースは日本を数回訪問して「日本人は神話の世界に生きている」(L’autre cote de la Lune=月の裏側)と感動した。投稿子は梅原猛氏の「悪霊、怨恨説」との近似を感じる。来週は日本人とボロロ族の比較を試みる。

猿でも構造、悲しき熱帯を読む 12の了 (次回は7月14日を予定)
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猿でも構造、悲しき熱帯を読む 11

2017年07月08日 | 小説
(2017年7月8日)
前回(7月1日 第10回)ではボロロ族Kejara村落の形態を語りました。要点は:
1 村落、社会は永遠  2 宇宙と社会を往来する(人、動物、植物など)
3 人は魚から生まれ、死の後は鳥(Arara,野生のオウム)に生まれ変わる。人としてはその生の一形態である。すなわち魚が住むヴェルメリョ川側のTugareで生まれて山側(オウム)のCeraで死ぬ。この死者が住む世界はこの世のすぐ脇にあるーとなります。
生者と死者(Les Vivants et Les Morts=第23章)に入ります。投稿子(ハガミ)の私感ですがこの章は「悲しき熱帯」497頁でのまさに圧巻の20頁(265~284)となります。

レヴィストロースは章の頭で2の命題を上げています。
1 ボロロ族の村落構造はなにと対峙しているのか?
2 ボロロ族の死への考え=すなわち生の考えにもなり、信仰ともつながりますが、それとは何か?

1には簡明な答えが用意されています。
<<La structure du village ne permet pas seulement le jeu raffine des institutions: elle resume et assure les raports entre l’homme et l’univers, entre la societe et le monde surnaturel>>(267頁)
拙訳:この村落の形状は彼らの制度を巧妙に再現しているだけではなく、人と宇宙、社会と超自然の全ての関係をも再現している。
ここまでは分かりやすいのですが、続きに<< entre les vivants et les mort>>拙訳:生きる人と死者との関係をも再現していると続きます。写真はボロロ族の儀礼前、祭りに際しては羽根飾りなどをつけるが、その前なのでペニスケースのみ。この裸身が部族の伝統である、日本でも由緒ある祭りには男はふんどし一丁で御輿を担ぐに似るか。(Le crut et le cuitから転載)


ここでの注意は、分かりやすいとした前半の<宇宙、社会と超自然界の全ての関係>にあります。近代思考の下で教育を受けた身としては宇宙と社会の対峙を、また社会と超自然もしかりで、あるがままの意、人と宇宙、社会とは現実の社会、超自然とは理屈を超えた世界と理解します。それは近代人の理解ですが、その先入観で読み進むと訳が分からなくなる。
1 彼らが思い入れている社会とは現実のKejara村落と空想の“理想としての永遠社会”の双方である。構造主義流に語れば、イデオロギーとしての永遠社会と存在する形態Kejaraとの対峙の構造であり、それを超自然と対立させている。
2 Homme=人の理解も、イデオロギーとしての(死者)と形態の(生きる人)との対峙と 理解して進むとこの章が分かる。Hommeには死者も入れるのです。
ご丁寧にレヴィストロースは上記引用の直後に以下を書いている。
<<il faut que j’ouvre une parenthese a propos des rapports entre les morts et les vivants>>拙訳:死者と生者との関係を「括弧付きで」注釈しないと分かりにくい。
続けて「ボロロ族のこの(死者生者の関係)理解をすれば、世界多くの民族が持つ問題への理解が進む」と。
世界中で問題になっている死者と生者とはいったい何のことか。頁をめくろう。268,9頁に目をおとした。
レヴィストロースは死者に対する生者の態度を
1 認識される死者
2 投資される(こき使われる)死者
に大別した。
1の例としてヨーロッパの「蛇王女」を上げる。ある金持ちが借金を残して死んだ者の遺骸を債権者から買い取って葬った。すると死者が出てきて「難しい場面で手助けするから分け前の半分をよこせ」で契約した。儲けを重ねるが最後に王女を手に入れた。生者は王女を死者と山分けしたくないから、半分を払わなかった。すると王女の下半身は蛇だったーという民話である。
2こき使われる例として「投資する騎士」を上げている。これは一握りの小麦を元手にした貧しい農夫が機知を生かして雄鳥を手に入れ、それを豚、さらに牛と交換して最後に死骸を手に入れる。この死骸を「こき使って」騎士の位と王女を手に入れる民話である。
死者の知恵を借りる、死者を使って富を手に入れる、この2に分けられるが、いずれも死者との2等分の分け前が設定される。(269~270頁)
レヴィストロースは振り返ってヨーロッパではかつて「死者を使う」対峙法だったが、福音書の影響で「死者を認識する」感情が強くなったと説明している。ここが投稿子には理解しにくいのであるが、福音書とはキリストの死、埋葬、復活を語る。キリスト死の贖罪を感じつつ埋葬する過程が「死の認識」の影響を及ぼしたと想像を交えて理解した。

しかし、この死者に対する認識の2様態とボロロの世界観との関連とは何か?次回までに考えます。

猿でも構造、悲しき熱帯を読む 11の了 (次回は7月11日を予定)
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猿でも構造、悲しき熱帯を読む 10 

2017年07月01日 | 小説
(2017年7月1日)
前回(9回目6月20日)ではボロロ族Kejara村落の集合屋と個々の家屋の配置を述べた。集合屋が中心に置かれ、その周囲を円周状に26の家族屋が取り囲む。この配置が彼らの社会階層を表しているのだが、この村自体はかつて栄光のボロロ村落を再構築した結果である。その栄光期にはボロロ村落は人口1000人を越していた。支族集団、階層はレビストロースがKejaraで観察した以上に複雑であると思われる。悲しき熱帯の記述をとおして人口1000人をモデルケースにしてボロロ村落を再現すると;

写真はKejaraの集合屋。平面は方形で屋根の流れが直線。これはサレジア会がボロロを改宗させようと村落を破壊して後に、ボロロ社会の再構築作業で再建されたための簡易屋(Neo-Brasilian形式と著者は皮肉る)。本来は楕円形の屋で、その屋根の流れは放射状にカーブして地に接するという手の込んだ大型建造物だった。=LeCrutetleCuitからデジカメ化)

村落を川側と山側に2分割する。中央に集合屋を置くのは変わらず周辺の家族屋は3重の円で取り囲む。川・山側の半円をそれぞれ放射状に4分割する。分割された開きかけの扇状の地区を4のクラン(支族)のうち1が占拠するが、3重の家屋群から中心に近い側から上流、中流、下流の階層が住み着く。4のどの支族も川側(Tugare),と山側(Cera)に住み分けるから8の支族集団となる。住み分け分割でどの家族(すなわち個人)も24の支族と階層で規定される。TugareにすむA支族(色の名で分けられている)の上流、Ceraに住むD支族の中流などと。結婚の相手は同じ氏族階層の別の地区(TugareはCeraに、あるいはその逆)から選ぶ。人口が1000人であれば一つの集団は約50人の構成となる。家族屋は5人ほどの収容なので一集団に10の家族屋が集合する事になる。家族屋に住むのは日本で言う核家族に近い。夫婦と子供、前世代。すると子供は二人程か(住むとしたが夫と年長の男子は集合屋に寝泊まりする)。すなわち20人の(0歳から20歳位まで)集団が20人の集団から配偶を選ぶ。これは必ずしも年頃の配偶者を選べない場合が多い。となると1000人のケースでは不安定で1500~2000がかつて、マトグロッソに白人入植者が入り込まなかった時期のボロロ村落といえるか。
これを日本と比較すると183の村があって最大人口39500から最小18までに分布する。その中央値の帯域(90~110位)が2000人の構成であるのは興味深い。

この村落はボロロ族の社会自然信仰をそのままに形態化しているとレヴィストロースは語る。その信仰とは(270~272頁から)
1 細分割された社会構成は永遠
2 その中をうごめき、往来する(人、動物、植物など)
3 人は魚から生まれ、死の後は鳥(Arara,野生のオウム)に生まれ変わる。人としてはその生の一形態である。すなわち川側(魚)のTugareで生まれて山側のCeraで死ぬ(オウム)。
4 人として生きる間は個人として特定されているが、死の後は個人としての特性は消える。
5 この世界のすぐ脇に死者の世界がある。天候宇宙、精霊、超自然、そして集団としての死者(オウムに形を変えた)が住む。

ここでの人とは男のみ。女には生まれの由来と死後がない。女は死ねば空気に蒸発するのみ。
この世での(男の)個性とはその生まれの場所、支族、階層に起源を持つ個性。日本語での「あの男は個性的だ」と語られるその「個性」とは異なり「Tugare生まれのA支族の上流の出身のあいつ(誰しも個人名を持つが、それは秘密で日常は使われない)出自の良さ通りに勇敢だ」と語られるから、出自に関連させた個性である。レヴィストロースはこれを「持って生まれた財産」と伝えている。

猿でも構造、悲しき熱帯を読む 10の了 (次回は7月6日を予定)
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